年の暮れが秒読み段階になり、朝いちばんで大和の全体朝礼で、今月の誕生日のスタッフのお祝いをして、その後、大和、讃匠の経営会議を開催しました。
全体朝礼、経営会議でもいよいよ年末を迎え、今年一年の大切な課題の共有を行ないました。
今年も残すところ半月になり、元旦に自分との約束をした、今年一年、フェイス・ブックを一日も休まずに書き続けることも何とか、達成しそうです。
来年の元旦には更に、進化したことを自分と約束しようと思っています。
昨日も東京地区の麺学校の生徒さんの店を訪ねてきましたが、来年以降も更に麺学校に参加した生徒さんの一人でも多くが、大成功するような取り組みをしていきたいと思っております。
昨日の訪問の結果から振り返っても、生徒さんを大成功させるには、最も大切なことは生徒さんの意識改革です。
成功者になるためには、成功者の意識になっていなければ難しいのです。
今まで負け犬のように生きてきたとすると、麺専門店を開業しても、同じ意識で始めると、負け戦をしてしまうのです。
成功する人は、始める前から成功していて、始めてから成功するのではないのです。
これを理解して貰うために、経営講義に丸2日間を費やしていますが、生徒さんの意識改革ほど難しいことはないのです。
そして、素直な人でないと意識改革は難しいのです。
ビジネスで成功するには、素直が欠かせないと言うことは、実際に教えていると、身に染みて分かります。
次に深く思考する癖つけも大切で、ほとんどの生徒さんは深く思考しないで、開店してしまっているのです。
或いは、周到な準備も欠かせないのに、目先の家賃払いのお金を気にして、準備不足で開店しているのです。
結果は火を見るよりも明らかです。
このような理屈を経営講義でシッカリ理解して欲しいと思い、毎回、経営講義を真剣勝負で取り組んでいるのです。
明日からソウルへ出発し、ソウルのお客さま回りをしてきます。
そして、ソウルにはドイツ発の面白いCafé 「Vapiano」が5軒もあるので、シッカリ見てくる予定です。
本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「成果を上げるには「並みの能力」で十分」です。
28.成果を上げるには「並みの能力」で十分
どんな分野でも、普通の人であれば並みの能力は身につけられる。
卓越することはできないかもしれない。
卓越するには、特別の才能が必要だからである。
だが、成果を上げるには、成果を上げるための並みの能力で十分である。
(解説)今日の名言は、非常に興味深く、卓越するには特別な才能(強み)が必要であることに、ほとんど人が気付いていないことなのです。
そして、ビジネスで大きな成果を上げるには、卓越性は欠かせないのです。
だから、単に成果を上げることと、卓越していることはぜんぜん違うのです。
しかし、ほとんどの人は混同していて、成果を上げると、卓越しているように思っているのではと、思います。
卓越性の追求に関して、下記のようなたいへん面白い記事があったので、引用してみます。
総務の森 コラムの泉より、卓越性の追求:ドラッカーに学ぶ!成果をあげる人・あげない人(提供:大林税務会計事務所 http://zeimu110.com(大林茂樹著))
「ドラッカーの名言から、成果をあげる人・あげない人の違いを探り、現代社会最高の哲人の言葉で、成果をあげる習慣を身につける。」
「自らの成長のために最も優先すべきは卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。」(非営利組織の経営P206)
卓越性の定義は以下の通りです。
「事業にリーダーシップを与える、何らかのことを行いうる人間能力のことである」(創造する経営者P264)とあるように,その人の強みや得意とすることで良いのではないかと思います。
ところが,この卓越性を追求することが意外と難しいのは、卓越性ではなく,上手くいかなかった問題点の解決や弱みに焦点を合わせがちです。
社内の報告書も,問題点の指摘に焦点をあわせてしまいがちで、人間の仕組みがそのようになっている可能性があるのです。
もしかしたら,人間は単独で獲物を仕留める身体能力のある動物ではなかったので,群れる必要があり,協調性が要求されたからなのかも知れません。
協調性を保つのに都合が良いのは,平均的にそつなくこなす能力であり、はみ出たものは,出る杭は打たれる式に抑制されてきたのかも知れません。
もう一つの可能性はリスク回避であり、卓越性の追求は、ある分野に特化することにもつながっていきます。
今日の社会では,家を自分の力で建てる人はほとんどいませんし,食料も種からまいて収穫する人もほとんどいないくらい分業制が確立しています。
そのような分業制が確立していない社会で,ある分野に特化することは非常に危険で、ある意味命取りです。
卓越性を追求するのではなく,あらゆることを少しずつ少しずつ手がけることは、リスク回避の本能として当然だったと思われます。
人間が、未だにこうした過去の習性にとらわれているとするならば、卓越性の追求は、それだけで差別化の要因となります。
現代社会で成果をあげるための必須条件といえるのです。
次に、「ダイアモンド・オンライン」 仕事の質が変われば人間そのものが変わる:卓越性を追求せよ(http://diamond.jp/articles/-/12084)より、引用します。
「成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない」(『プロフェッショナルの原点』)
ドラッカーは、成果を上げることは修得できるし、修得しなければならないという。
それどころか、一流のプロフェッショナルとなることさえ簡単だという。
自らの強みを知り、得意な方法を知り、自らにとって価値あるものを知ればよい。
これに加えて、成果を上げるための原則を知ればよい。
何に貢献すべきかを明らかにし、何に集中すべきかを定め、目線を上げればよい。
あっという間に、町一番、県一番、国一番になれるだろう。
つまりは、いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につければよい。
ありがたいことに、そのようにして卓越性を追求するとき、仕事の質が一変するだけでなく、自分という人間が大きく成長する。
ドラッカーは、それら身につけるべき姿勢と取るべき行動を、切れ味鋭い警句によって教える。
それらの警句を集めた最後の著作、遺著とも言うべきものが『プロフェッショナルの原点』だった。
「自らの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。能力は、仕事の質を変えるだけでなく人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ」(『プロフェッショナルの原点』)
次に私のドラッカー・マネッジメントの師、国永先生のドラッカー名言録22 「知識は、本の中にはない」より引用します。
知識は、本の中にはなく、本の中にあるのは情報のみであり、知識とは、それらの情報を仕事や成果に結びつける能力であるのです。
そして知識は、人間、すなわちその頭脳と技能のうちのみに存在する、というのがドラッカーの主張です。
さらにドラッカーは「知識は事業でもある」とも指摘し、物やサービスは、企業が持つ知識と、顧客が持つ購買力との交換の媒体であるにすぎないということも見抜いているのです。
そして企業は、人間の質いかんによって、つくられも壊されもする人間組織なのであり、労働はいつの日か、完全にオートメ化されるところまで機械によって行われるようになるかもしれないのです。
しかし、「知識は、すぐれて人間的な資源である」と知識の重要性はトコトン強調し、また、人間能力に関しては、ほかの者と同じ能力を持つだけでは十分ではなく、そのような能力では、事業の成功に不可欠な市場におけるリーダーの地位を手に入れることはできない。
そこで、他に抜きん出ること、すなわち、卓越性だけが利益をもたらすとし、さらに純粋の利益は、こうしたエクセレントな力でイノベーションを果たす革新者の利益だけであるともいうのです。
しかも経済的な業績は、すべてディファレンシェーション、すなわち差別化の結果であるとし、差別化の源泉、および事業の存続と成長の源泉は、企業の中の人たちが保有する圧倒的に優れた独自の知識であると、再び知識という原点に戻ってくるのです。
画像は、本日誕生日の山下さんと、藤澤さんが一緒です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
▼そば製麺機 坂東太郎