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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「外へ出て調べる、取引先や競争相手の成功と失敗」

昨日のラーメン学校の生徒さんの作品事例



本日のテーマは「日々、学びと伝える」です。

本日からシンガポールへの出張で、昼過ぎの便で高松空港を発ちましたが、空港までは、麺研究と食品研究チームの新人スタッフたちに送って貰いました。

通常は総務の女性に送って貰っているのですが、たまたま土曜日に2人が出勤しているのを見つけたので、わざと送って貰ったのです。

送って貰う目的は、単に送って貰うのではなく、普段はゆっくりと話しをするチャンスがないので、このような機会を利用して、話をするためなのです。

入社間もない人たちなので、当社の過去のこととか、当社のアイデンテイテイとか、麺の専門分野のノウハウとか、ほんの1時間弱のドライブでしたが、さまざまな話しに及びました。

そして、改めて、製麺理論について、新人を集めて社内勉強会を開催する必要のあることがよく分かりました。

当社の場合、当社が大きく変わり始めたのが、15年前くらいからで、このころから、女性が多く、入社するようになりました。

本格的に麺学校を開校したのもこのころで、当社が単なる製麺機メーカーから脱皮を始めたのもこのころでした。

今、第一線で活躍している女性たちが入社したのも、このころ以降で、それまでの男性社会から、男女の比率が逆転するくらいまで、女性スタッフが増えたのです。

現在、幹部になっている女性スタッフの人たちとは、今も一緒に出張に行き、行動を共にして、いろんな話をするチャンスが多かったことが結果として、同じ方向に向いて、成長した結果、幹部として活躍してくれているのではないかと思います。

従って、幹部として活用したいと思っている人ほど、一緒に過ごす時間が充分あることは、さまざまな視点からたいへん重要なことであるのです。

今回は、たまたま車で空港まで行く途中に運転を兼ねて、同行して貰い、私の考えを伝え、新人たちの意見を聞くチャンスがあったのです。

最近は、海外出張が増えた分だけ、特定の人たちとだけしか、行動を共にする時間がなくなっているのですが、少しの時間の合間を狙って、誰かと同行し、その時間で情報を共有したり、考えを伝えたりしています。

8月は学校行事が少ないので、いつもよりは、そのような時間が取れるので、改めて、会社の仕組み等を全員に説明するチャンスです。

会社の価値感を理解して貰うことは、言葉で説明する以外に、行動をともにすると、部下の人たちは、私の行動から理解出来ることも多いのです。

一般的に社員はトップの言葉は信じないが、行動は理解すると言われていて、幾ら良い話をしても、行動が伴っていないと信じられないのです。

だから、普段言っていることと、行動が同じであるかどうかを確かめて貰うのは、行動を共にすれば、簡単に理解して貰えるのです。

従って、出張に同行して貰うのは、成果の上がり易い教育方法なのです。

反対にそのようなチャンスを作ろうとしても、あまり関心を示さない人、そのチャンスを活用しようとしない人もいます。

社員の人たちの成長を見ると、成長の早い人とそうでない人のバラつきが大きいことが分かります。

何ごとにも積極的に取り組む人と、常に逃げようとしている人の違いがあり、長年勤務していても、そのような癖の抜けない人もいます。

この部分は、やはり、素直であるかどうかで決まり、素直でない人ほど、同行したりすることを好まなかったり、逃げようとするのです。

また、一緒に同行すると、私の良い点、問題点もスタッフたちにはすぐに分かりますが、反対にスタッフたちについても、同じように分かります。

一緒に同行することにより、そのスタッフのデータベースが自動的に作り上げられているのです。

以上のように社員教育は、普段の何気ない行動からも行なうことが出来、トップのあらゆる行動は、社員教育に直結していて、普段のちょっとした行動で、トップの本質は判断されているので、普段の行動こそ大切なのです。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、さらに学びを深めるために、5月26日より7月5日まで41日間の復習を進めてきましたが、さらに理解度を増すため、再再度、チャレンジし、自分自身を大きく変えるのに役立てていきます。

「外へ出て調べる」

しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話の半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの大きな産業の話で、この話もまったく同じことを教えていて、第二次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達したころ、1973年から74年の不況と同時に、インフレも悪化し始め、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなり、対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったので、さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったので、殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことは、すべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが、関の山だったのですが、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。

彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求め、1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう1つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることであり、最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためで、「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならず、1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったのですが、1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へ変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化し、この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功し、しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくはしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのですが、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。

家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れ、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示し、この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言い、この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになり、1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのは、「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。

マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応であり、予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならない事項で、以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。

私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、以上の話はちょうどその頃の話で、私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのですが、この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返し、マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではなく、肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することであり、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。

今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることで、自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることであり、自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことであり、ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることであり、儲けを先に優先しようとせず、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことで、時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることで、上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることで、自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。

「取引先や競争相手の成功と失敗」

もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であり、例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけであり、当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、カリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づき、調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです

競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならず、ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切で、事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切で、ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。

画像は、昨日のラーメン学校の生徒さんの作品事例です。

今回の生徒さんは、筋の良い生徒さんがいて、味のまとまりが早かったのです。

生徒さんの盛り付けは、当たり前のオーソドックスな盛り付けが多いので、わざと奇抜な盛り付けに修正しています

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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