本日のテーマは「イノベーション女子」です。
当社の麺学校の卒業生の方より、面白い情報を戴きました。
読売新聞1月18日号の記事より、「夢を形にした、イノベ女子」のテーマで、理科系の若い女性が作った、今までの飲食店の常識に挑戦した、面白い食堂の話が取り上げられていました。
古書店や出版社がひしめく東京・補保町に店を構える「未来食堂」。
団体客が持ち込んだワインやビールの半分をほかの客に振る舞っている。
「これはどこのお酒ですか。」見知らぬ客同士で会話が弾む。
客は無料でお酒やジュースなどの飲み物を持ちこめる。
ただし、半分を他の客に分けることが条件。
この店独自の「おすそ分け」のルールだ。
代表の小林せかいさん(31)は東京工業大を卒業後、日本IBMやタックパットで約6年、エンジニアとして働いた異色の経歴を持つ。
昨年9月、未来食堂を開業した。
中学3年生の時、本を読むため喫茶店に入った時の体験が、この世界に足を踏み入れる原点となった。
通学路にあったごく普通の喫茶店。
でも、その頃の自分にとっては、「初めて1人で入った大人の店」だった。
注文したココアを緊張しながら口にした。
家でも学校でもない、何とも言えず落ち着ける場所は「ありのままの自分」が受け入れられる空間だと感じた。
「こういう場所があったんだ」。
衝撃を受けた。
店づくりの根底にあるのは、IT流の「オープンソース」という考え方だ。
ソフトウェアの仕様を公開することで、様々な人が手を加え、どんどん使いやすくなる。
それを飲食の世界に持ち込んだ。
「柿を焼いてください。」時折い、思いもよらない注文をする人がいる。
店には「あつらえ」というルールもあり、客は、「味は濃いけど、さっぱりしたもの」や「豚とニンジンを使った温かいもの」といった頼み方ができる。
「焼いてみたら甘くおいしかった。
お客様のリクエストが、次の日の献立にいきることもある」
色々な人の思いつきが店づくりに生かされ、未来食堂は日々進化する。
店がどう変わっていくのか、自分にも予想できない。
そこに醍醐味がある。
この方は、もともとIT関係のエンジニアであり、自分の持っている価値感に合った飲食店、即ち、ITのオープンソースのように参加者によって、次つぎと新しいものが作り上げられ、進化を続けていく仕組みをお客さまと一緒に創り上げようとしているのです。
まだ開業したばかりなので、この店が永く成功するかどうかは分かっていないのですが、新しい飲食店の形としては、面白いビジネスモデルで、まさに飲食ビジネスのイノベーションです。
このように、あらゆるビジネスは現状否定であり、将来のあるべき姿を求めてのチャレンジなのです。
すべてのビジネスは、過去の成功した部分で、失敗しているので、これは当社にとってもまったく同じことで、過去、上手くいった部分が成功体験になり、それが抜けないので、失敗をするのです。
本日の「イノベーションと起業家精神」のフォルクスワーゲンの事例では、フォルクスワーゲンは、トヨタと世界一のトップ争いをするほど、非常に成功した自動車会社でありますが、過去も決してすんなり成功していなかったし、ブラジル工場で失敗したころは、現在の排ガス問題と同じ位の大きいダメージを受けていたのですが、自動車メーカーとしての本来の強みを磨き、アメリカ市場で日本車に負けたので、日本車メーカーが弱かった中国市場を最初に攻めて、大成功したのです。
現在の世界で活躍している自動車メーカーを見ると、果敢にチャレンジした会社が世界のトップ10内でも伸び続け、同じトップ10内にいても、チャレンジ精神の弱いメーカーは、徐々に順位を落としているのです。
例えば、現在、韓国の現代自動車は5位の順位で、8位のホンダ技研の約2倍近くの生産台数を誇っているのですが、30年前に私が韓国ビジネスを始めたころは想像が出来なかったのです。
ホンダ技研の方がよほど、現代自動車よりも上位に君臨できるチャンスがあったはずですが、ホンダは安心領域に入ってしまったような気がします。
アメリカ市場においても、一番最初に現地に工場進出したのはホンダで、一時は、アメリカ市場での売上はトヨタを抜いていた時代があったのです。
ビジネスは、チャレンジの連続であり、チャレンジがなくなれば、非常に弱く、もろくなり、安心領域はビジネスにとっては、鬼門であるのですが、心地良い領域なので、ついつい安心領域に入りたがるのです。
これは、当社にとって、最も気を付けなければいけないところでもあるのです。
今週の本社での経営講義は、土日、16、17日の両日、開催します。
まだ、ご参加されていない新規開業希望者の方は、取り敢えず、経営講義だけでも参加されると、大きなリスクヘッジになるはずです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆傲慢への挑戦
産業構造の変化を利用するイノベーションは、その産業が一つ、あるいは少数の生産者や供給者によって支配されているとき、効果が大きく、長い間成功をおさめ、挑戦を受けたことのない支配的な地位の生産者や供給者は、傲慢になりがちであり、新規参入者が現れても、取るに足らぬ存在、素人にすぎないと見て、その新規参入者のシェアが増大を続けても、対策を講じることができず、AT&Tにしても、長距離通話割引業者やPBXメーカーに対する対応を取りはじめたのは、それらか出現して10年後で、タイレノールやダトリールなどいわゆる「非ピリン系アスピリン」が現れたとき、アメリカのアスピリン・メーカーの対応も緩慢だった。
ここでもイノベーションを行なった者たちは、市場の急激な成長によって産業構造の変化が起ころうとしていることを知り、そこにイノベーションの機会を見出し、当時、アスピリンをつくっていた大製薬会社が「非ピリン系アスピリン」を開発できない理由はなく、すでにアスピリンの限界と危険は周知のことであり、それを指摘する文献もたくさん出ていたのにもかかわらず、5年から8年もの間、新規参入者は市場を独占することができたのです。
アメリカの郵便も、長い間、新規参入者に利益の大きな分野を奪われることに対し、抵抗できず、初めにユナイテッド・パーセル・サービスが利益の大きな小包に進出し、次いでエミリ・エアフライトとフェデラル・エキスプレスが、さらに利益の大きな速達や書留に進出し、郵便の地位を危うくしたものは、市場の急激な成長で、成長市場の軽視が、外部からのイノベーションを招き入れたのです。
産業構造の変化が起こっているとき、リーダー的な生産者や供給者は、必ずといってよいほど、市場のなかでも成長しつつある分野のほうを軽く見て、急速に陳腐化し、機能しなくなりつつある仕事の仕方にしがみつくのですが、それまで通用していた市場へのアプローチや組織や見方が正しいものでありつづけることはほとんどなく、イノベーションを起こした者は、気付かずに放っておかれ、昔からの企業は、古い市場において、古い方法で一応の満足すべき成果をあげていて、外部からの新しい挑戦に注意を払わず、大目に見るか、まったく無視するのです。
◆単純なものが成功する
産業構造の変化をとらえるイノベーションが成功するためには、1つだけ重要な条件があり、単純でなければならないということであり、複雑なものはうまくいかないのです。
ここに一つの例があり、ドラッカーの知るかぎり、最も賢明な企業戦略でありながら、惨敗した例で、1960年前後に起こった自動車市場のグローバル化の引き金を引いたのは、フォルクスワーゲンで、ビートル・モデルは、50年前のT型フォード以来、はじめてのグローバル車で、アメリカでも、ドイツと同じように、あらゆるところで見ることができ、タンザニアでも、ソロモン諸島と同じように人気があったのですが、フォルクスワーゲンは、賢明でありすぎたために、自らがもたらしたイノベーションの機会をものにすることができなかったのです。
世界市場に進出して10年後の1970年頃、ビートルはヨーロッパで飽きられはじめていたのですが、ドイツ本国に次ぐ大きな市場だったアメリカでは、まだかなりよく売れていて、3番目に大きな市場だったブラジルでは、さらに大きな成長の余地が残り、新しい戦略が必要だったので、フォルクスワーゲンはビートルの後継車の生産には、ドイツ工場をあてることにし、アメリカ市場での需要に対してはブラジル工場をあてることにし、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルは、成長を続けるブラジル自動車市場において、トップの地位を10年間は享受できるだけの生産能力の拡大を行ない、フォルクスワーゲンは、アメリカのユーザーにとって魅力の一つだった「ドイツの品質」を保証するため、エンジンやトランスミッションなどの重要な部品はドイツ工場で生産し、最終組み立てをアメリカ工場で行うことにしたのです。(以上の戦略は、物流が複雑に込み入っていて、今日の開かれたグローバル経済では当たり前ですが、45年前は複雑すぎて、社会体制が対応出来なかったのです。)
これこそ世界各地の市場のニーズに応え、世界各地で部品を生産し、世界各地で組み立てを行うという世界初の真のグローバル戦略というべきものであり、もし実現すれば、正しい企業戦略、しかも革新的な戦略となっていたはずでしたが、この戦略は主として「アメリカでの組み立ては、雇用の輸出であるから認められない」とするドイツの労働組合によってつぶされ、アメリカのディーラーも重要な部品はドイツ製であるとしても、それ以外の部品がブラジル製の車には懐疑的であり、フォルクスワーゲンは、その賢い戦略を諦めざるをえなかったのです。
その結果、フォルクスワーゲンは、第2の市場たったアメリカを失い、そもそも、イランのシャーの失脚を契機とする第2次石油ショック後の小型車ブームのとき、アメリカの小型車市場を手に入れるはずだったのは、日本車ではなくフォルクスワーゲンだったのですが当時、フォルクスワーゲンには売るべき車がなく、しかもその数年後、ブラジルで深刻な不況により自動車の売り上げが落ちたとき、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルが苦境に陥り、増設した生産能力のための輸出先がなかったのです。
この頭のよい戦略が失敗し、フォルクスワーゲンの将来までおかしくすることになった具体的な原因は、ここでは二の次の問題ですが、フォルクスワーゲン物語の教訓は、産業構造の変化にもとづくイノベーションは、複雑すぎると失敗するということにあり、成功のチャンスは、単純で具体的なイノベーションにこそあるのです。
フォルクスワーゲンのビートルは、第2次世界大戦後、同じモデルで、世界中で良く売れたベストセラーであり、ロングセラーである、オートバイのカブのようなモデルで、主力モデルである「タイプ1」は、その耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から圧倒的な支持を得ることに成功し、「ビートル」の愛称で広く親しまれたこの古風な流線型車は、アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献したのです。
2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの1車種としては未曾有の量産記録となっていて、おそらく四輪自動車で、今後もこれを破る記録は現れないと言われているのですが、最初に本国のドイツで陰りが出て、次にアメリカ市場では思わぬライバルとなった日本車に負け、そのうち、世界中で生産、販売が徐々にストップしたのです。
1965年には、従来ダイムラー・ベンツ傘下にあり、今日のアウディAGの前身であるアウトウニオン社を生産体制強化のために買収したのですが、ビートルの余りに大きすぎた成功は、後継モデル開発の妨げともなり、「フォルクスワーゲンすなわちビートル」というイメージの強さ、空冷リア・エンジン方式というレイアウトが、1960年代に陳腐化したにも関わらず、根本的変更が遅れたことなどが災いし、新型車を世に問うても決定打を欠くという低迷期が、1960年代後半以降長く続いたのです。
フォルクスワーゲンは、傘下としたアウトウニオン(現アウディ)の前輪駆動技術をも応用して、1970年以降の新型車について前輪駆動化への動きを進め、1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバック車ゴルフを開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなり、ようやくビートルを代替できるモデルを得、以来、その延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、ヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立したのです。
1980年代以降は、それ以前の南米などへの工場展開のみならず、既存メーカーの買収をも進めるようになり、1984年には、上海汽車との提携で中国市場へ参入、また1991年にはチェコの老舗メーカーであるシュコダ、1996年にはかつてフィアット系だったスペインのセアトを傘下に入れ、東欧・南欧での拠点をも確保したのです。
以上のように、ビートルのもともとのデザインが、ヒットラーの国民車の発想がベースになっているので、コンパクトで、室内のスペース効率がよく、エンジンを始め、すべてのスペックのレベルが高かった現代的な日本車に比べると、1~2世代前の車であったので、大市場であった、アメリカでも徐々に日本車に駆逐され、完全撤退をせざるを得なくなり、その後、アメリカ市場は日本車の市場になってしまったのですが、その代わり上記のように、現在、世界最大の市場になっている中国への参入は、日本車よりも早い段階で参入し、外国車では、トップ・シェアを誇っているのです。
要するに、フォルクスワーゲンは、長くビートルが売れ続けていたので、新しい車の開発に遅れ、安心領域に止まっていたのですが、現在では、フオルクスワーゲンは世界市場において、トヨタとトップ争いをしており、車の魅力、高級車から普及車まで幅広く揃え、フルライン化が最も進んでいる自動車メーカーになり、進化の早い、競争の厳しい自動車市場において、こんなに成功する自動車メーカーになることは、ビートルが失速をした頃には、想像も出来ず、自動車としての本質的な魅力を高めながら、デザイン力を高めたフォルクスワーゲンの底力は、非常に強くなっていると言わざるを得ず、われわれは、フォルクスワーゲンから学べることはたくさんあるのですが、最近、起きたデイーゼルエンジンの排ガス偽証問題は、フォルクスワーゲンの屋台骨を揺るがすような世界的な大問題に発展しているのです。
フォルクスワーゲンに比べ、日本車は、北米市場で大勝利をしたので、中国市場への参入は遅れ、中国市場はこんなに早く現在のような状態になるのは、想定していなかったのと、共産党独裁政治なので、日本車メーカーは取り組みが難かしく、日本車の中でも中国市場でトップのシエアを占めているのは、日本国内では3位のニッサンで、ニッサンは北米市場では、トヨタ、ホンダより、はるかに劣っているので、中国市場に注力せざるを得なかったという事情があり、北米市場で成功した企業は中国市場で出遅れ、反対に北米市場で上手くいかなかった企業は中国市場に賭け、これはまさに、塞翁が馬と同じで、上手くいった後は躓き、躓いた後は上手くいくという人間社会の性なのです。
昨日は、鏡開きでお供えの鏡餅で、食堂のスタッフがぜんざいを作ってくれました。
3時のおやつの時間に社内では、全員がぜんざいを楽しみましたが、画像は、麺学校の生徒さんたちにぜんざいを配っている、新人インストラクターの湯浅さんです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。