本日のテーマは「店舗はコミュニケーション」です。
シンガポールのラーメン学校の経営講義で使用するコンテンツを「ラーメン、うどん、蕎麦店の教科書」より抜粋しますが、本日は第6章「店舗はコミュニケーション」からです。(http://www.yamatomfg.com/book/schoolbook.php)
第6章 店舗はコミュニケーション
入店前からコミュニケーションは始まっていて、商品力、サービス力は、言うまでもなく大切ですが、これはあくまでも、お客様に入店していただいて始めて発揮される魅力で、まずは「入店してもらえる(選んでもらえる)店作り」が不可欠です。
コミュニケーションは、お客様に入店していただく前から始まり、入店前のお客様とのコミュニケーションを担っているのが、店名と店舗の外観です。
店が繁盛するには、店名も非常に重要な要素で、店名を通じても、お客様とのコミュニケーションは始まっていて、店名はコンセプトのベースになるため、コンセプトの設計と店の命名は同時に行います。
また、店舗の外観は、私たちが表情や服装を通して人とコミュニケーションを取っているのに等しいことを、心に留めておいてください。
店舗作りの順序
飲食店の集客は魚釣りと同じで、コンセプトにのっとった魚釣りが大切であり、 価値観、使命、コンセプト、店名、業態などが決まったら、そこでようやく店舗の物件探しをスタートし、くれぐれも、この順序を逆転させないようにすることが大切です。
先に物件を決めてしまうと、後々命取りになり、物件探しは、あなたが来てほしいお客様(魚)がたくさんいる場所を選ばなければ、成功しないのです。
立地の種類は、人口分類では、都市型立地と郊外型立地に分類され、また営業可能日での分類では、20日立地と30日立地に分類され、それぞれ1ヵ月間で営業できる日数になります。
20日立地は、土日に人がいなくなるオフィス街や官庁街などの都市型立地なり、30日立地は、住宅街などに近い郊外型立地になります。土日の売上が平日より上がる場所で、1ヵ月30日、売上が期待できます。
あなたのお店(ビジネス・モデル)に最適な立地は、都市型立地なのか、郊外型立地なのか、さらには20日立地なのか、30日立地なのかによって異なり、それぞれの特性の中で、最適な立地を選びます。
都市型立地で、失敗する例で多いのは、少ない席数で、その場所であれば、駐車場がなければいけないのに、駐車場なしで開業する方が非常に多いのです。
都市型立地では、半径500mでの徒歩商圏において、昼間人口が2万人以上の場合だけ駐車場がなくても営業していけますが、それ以下の人口であれば、人口数に応じて駐車場の台数が必要になります。
都内でも山手線の外側の駅前等で開店する場合は、線路に商圏を分断されるので、半径500m以内の昼間人口は2万人を切ってしまい、ほとんどの場合、駐車場がないとできないのです。
しかし「都会だから、駅前だから何とかなるだろう」と思って開店して、うまくいかない人が後を絶たず、初めから負け戦に突入するようなものです。
一方、郊外型立地では、基本的にすべて駐車場が必要で、半径500m内の昼間人口数によって、必要な駐車場台数は異なり、郊外において、新規に開業される方のほとんどが駐車場が足りないために、売上が上がっていません。
郊外型のコンビニで、競争に負けて閉店しているのは駐車場の足りない店ばかり、コンビニのような短時間で買い物を終えて出てくる店でも、駐車場がないと営業にならず、郊外型のコンビニでは、駐車場が500坪タイプと700坪タイプでは、1日あたりの売上で10万円の差が出るそうです。
郊外で新規に開店する場合は、自分が集めたいお客様と同じようなお客様をたくさん集めて成功している繁盛店があれば、そのお店の商圏分析をして、立地特性を研究することをお勧めします。
物件選びでは家賃比率も重要で、日本国内の場合、適正家賃比率は月商の7%以下であり、家賃が15万円であれば、月商は約200万円必要で、家賃比率は、郊外でも都心でも変わりません。
一般的に坪家賃が高いほど、権利金、敷金の月数も大きくなり、家賃の高い場所では20ヵ月を超すような場所があります。家賃が安い場合(坪家賃が1万円以下)、権利金、敷金はほぼ3ヵ月分程度です。
なお、物件の場所が2階以上であったり、地下にあると家賃は低くなりますが、日本での都市型立地の場合、2階では絶対に開店してはいけません。
通常、2階で営業しているお店は、名前がよく知られている大手のチェーン店で、店内に入らなくても、どんなお店で、どんなメニューがあるのかがわかるお店ばかりなのですが、個人が新規に開業する場合は、名前が知れていないので、2階で開業すると、店内が見えないお店で開店するのと、同じ結果になるのです。
同じ理由で、地下もよほど良い場所でない限りやってはいけないのです。
都市型立地、郊外型立地に限らず、自分が目指したいお店(ビジネス・モデル)と似ていて、すでに繁盛しているお店の商圏を分析し、その商圏に似たような特性のある立地を探すと、比較的成功しやすくなります。
前述した勝ちパターン(ビジネス・モデル)と立地には、共通のお客様を媒体とした、共通した部分があるので、しっかり研究してみる価値があります。
過去、商圏分析を約1万件近く行いましたが、大成功している例は、真空スポットに出店した場合で、都市型立地でも商圏分析をしていくと、昼間の人口が多いのに、ライバルの飲食店が少なく、そんなに努力しないで、楽に営業できる場所があり、一番良いのは、ライバルの飲食店が多くない場所を選ぶことです。要するに、ライバルと競争しないことが大切なのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
3トップ・マネジメント・チームの構築
市場において、しかるべき地位を確立し、しかるべき資金構造と財務システムを確立するにもかかわらず、数年後、深刻な危機に陥ることがあり、まさに確立した事業体として成功し、成人したかに思われたそのときに、理解できない苦境に立ち、製品は一流、見通しも明るいのですが、事業は成長しないで、収益や財務体質などの重要な分野で成果があがらないことがあり、ほとんどの経営者は、この原因が分からずに、下記のマネッジメント・チームの構築以外のところに原因を求めるのですが、私もドラッカー・マネッジメントを学ぶ前は、トップ・マネッジメント・チーム結成の必要性等は、考えたこともなかったのです。
4創業者はいかに貢献できるか
◆創業者の問題
ベンチャー・ビジネスのマネジメントに関して重要なことを1つだけあげるとすると、チームとしてのトップ・マネジメント・チームの構築であるのですが、それは創業者自身にとっては、それは事の始まりにすぎず、ベンチャー・ビジネスが発展し、成長するに伴い、創業者たる起業家の役割は変わらざるを得ず、これはたいへん難しいことではあるのですが、これを受け入れなければ、事業は窒息し、破壊されるのです。
もちろん創業者たる起業家は、これらのことについて「そのとおり」と同意するのは、事業の変化に対応せず、事業とともに自らをも挫折させてしまった他の創業者たちの悲惨な話を知っているのですが、何かをしなければならないことは知っていても、自らの役割をいかに変えたらよいかを知っている者は、ほとんどおらず、殆どの人は「何をしたいか」から考え、あるいはせいぜい「自分は何に向いているか」を考えるのですが、正しい問いは、下記の4つとその順序が大切なのです。
1.「客観的に見て、今後、事業にとって何が重要か」であり、急成長しつつあるベンチャー・ビジネスでは、創業者たる起業家は、この問いを、事業が大きく伸びたとき、さらには、製品、サービス、市場、あるいは必要とする人材が大きく変わったとき、必ず自問しなければならないのです。
2.「自分の強みは何か。事業にとって必要なことのうち自分が貢献できるもの、他に抜きんでて貢献できるものは何か」であり、この問いについて徹底的に考えたあと、はじめて次項目を質問するのです。
3.「本当は何を行いたいか。何に価値をおいているか。残りの人生とまではいかないまでも、今後、何をしたいか」
4.「それは事業にとって本当に必要か。基本的かつ不可欠な貢献か」を問うことができるのです。
第2次大戦後、大きな成功をおさめたニューヨークのペイス大学の例があり、エドワード・モートラ博士が1947年に創立したこの大学は、今日では水準の高い大学院をもつ学生数2万5000人というニューヨーク第3の大学にまで育ち、彼のイノベーションは攻撃的なものだったのですが、彼は、1950年前後という、ペイス大学がまだ小さかった頃、すでに強力なトップ・マネジメントチームをつくりあげていて、そのメンバーは、それぞれが責任を負い、リーダーシップを発揮すべき担当分野をもっていて、彼自身は総長になり、そのうえ、助言と支援を得るために、独立した強力な評議員会を設置したのです。
◆千差万別
ベンチャー・ビジネスが必要とすることや、創業者たる起業家が強みとすること、あるいはその起業家がしたいと考えていることは、まさに千差万別であり、ポラロイドカメラの発明者エドウィン・ランドは、1950年代の初め頃まで、すなわち会社創立後の12年ないし15年間、自らマネジメントにあたっていたのですが、会社が急成長を始めた後は、トップ・マネジメントのチームをつくってマネジメントを任せたのは、自分にはトップ・マネジメントの仕事は向いていないと判断したためであり、彼が貢献できるのは科学的なイノベーションだったので、彼は、自らを研究者と位置づけ、基礎研究担当の相談役になり、マネジメントはほかの者に任せたのです。
マクドナルドを構想し、創業したレイ・クロックも同じ結論に達し、彼は80歳すぎで他界するまで社長をしていたのですが、日常の業務はトップ・マネジメントに任せ、彼自身は「マーケティングの良心」の役割を果たし、他界する直前まで、毎週自分の店を2、3軒訪れ、品質や清潔度や親しみやすさを点検し、顧客を観察し、話しかけ、耳を傾け、こうしてマクドナルドは、少なくとも彼が亡くなるまでは、ファーストフード業界トップを維持するうえで必要な変革を行いつづけることができたのです。
アメリカ太平洋岸北部のある建材商社では、若い創業者が、自分の役割はマネジメントではなく、小さな町や郊外にある、200か所の営業所の所長たちの面倒を見ることであると結論し、事実上、事業を行っていたのは、彼ら営業所の所長で、彼らは、調達、品質管理、債権管理については、本社の支援を受けていたのですが、営業そのものは、本社の支援をほとんど受けずに、各地域においてセールスマン1人とトラックの運転手2人という陣容で彼ら白身が行っていたのです。
したがって、この建材商社の営業は、彼ら孤立した素朴な人たちの意欲、活力、能力、熱意にかかっていて、大卒は1人もおらず、高卒さえわずかで、この商社の創業者は、1月のうち12日から15日は、彼ら営業所長を訪ね、半日をともに過ごし、仕事や計画や目標について話し合うことを自分の仕事にして、この建材商社がほかの商社と違ったのはこれだけで、ほかはすべて同じだったのですが、創業者たるCEOの働きによって、同社は競争相手よりも3倍から4倍の速さで成長したのです。
今日、大手の半導体メーカーとして成功しているある会社は、3人の科学者によって設立され、この会社の場合、事業にとって必要なものは何かという問いに対する答えは3つあり、1つは経営戦略、1つは開発研究、もう1つは人材、とくに科学技術分野の人材育成で、3人は、それぞれについて誰が最も向いているかを明らかにし、それぞれの強みに応じて活動を分担したのですが、実際には、人材育成を引き受けたのは、イノベーションに強い科学者で、その分野では学界の大物だったのですが、彼は、自分がマネジメントや人事にかかわる仕事に向いていると考え、ほかの2人もその考えに同意して、人材育成を担当することになり、彼は「本当にやりたい仕事ではなかったのですが、それが私の最も貢献できることだった」と言っているのです。
◆手を引くこともある
創業者がいかに貢献できるかという問いが、創業者とそのベンチャー・ビジネスの双方にとって、つねに完全に満足のいく結果をもたらすとはかぎらなく、ときには、創業者が手を引くこともあり、アメリカで最も成功している金融関連のベンチャー・ビジネスの1つにおいて、創業者の下した結論がこれで、彼は、トップ・マネジメントチームをつくり、会社が必要としているものは何かを自問し、自分自身と自分の強みについても考え、会社が必要とするものと、自分がしたいことの間はもとより、自分の能力との間にさえ、共通するものがないことを知り、やがて彼は、「1年半をかけて、後継者を育て、事業を引き継がせ、辞任したのです。」
彼はその後、金融以外の分野でベンチャー・ビジネスを3つ創業し、いずれも中堅企業に育て、そのいずれからも手を引き、新しい事業を育てることを好んだが、マネジメントは好まず、彼は、事業と別れることが、事業にとっても、自分にとっても幸せであるという事実を受け入れていたのです。
以上のように同じ状況にあっても、起業家によって達する結論は異なり、ある有名な医療機関の創業者であり、その分野では主導的な地位にある人が、同じようなジレンマに直面し、その医療機関がマネジメントと資金調達の両方ができる人を必要としていたのに対し、彼自身は研究者や臨床医であることを望んでいたのですが、自分が資金調達を得意とし、かつ大きな医療機関のCEOになる能力をもっていることを知っていて、「そこで私は、自分自身の希望を抑え、CEOとしての仕事と資金調達の仕事を引き受けることが、自分のつくったベンチャーと同僚に対する義務と考え、もちろん、自信がなかったり、理事会や相談相手が、君なら大丈夫と言ってくれなかったならば、そのような役は引き受けなかった」と、言っているのです。
本章を通して、私が一番肝心に考えていることは、起業家は変わり続けることが出来なければ、起業家で居続けることも、事業家で居続けることも出来ないということで、もし、変わり続けることが嫌であれば、起業家にはなってはいけないのであり、早い段階で、誰かに譲るべきで、そしていつかはこの世を去る時が来るのですから、いずれにしてもトップ・マネッジメント・チームは早い時期から作っておくことなのです。
画像は昨日の私の昼食で、最近の食堂はメニューが非常に豊富になり、私の大好きな自社製のキムチを毎日食べることが出来るのです。
自社製のキムチがたいへん美味しいので、インストラクターのクオンさんも、ソウルのキムチより美味しいと言っているくらいです。
本社でのラーメン学校の生徒さんも毎日、食べていますが、まだ本社での昼食を食べてない方は、見学方がたぜひお出で下さい。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。