本日のテーマは「ラーメン文化のその先」です。
先ず最初に、当社のラーメン学校の卒業生で、ブータン人のツエリンさんが、故国、幸せの国「ブータン」でラーメン店を開店しようとしているのです。
真面目な青年で、ラーメン学校参加中も非常に熱心な生徒さんであったので、微力ながら応援させて戴こうと思っていますが、ブータン並びに、ツエリンさんのビジネスに興味のある方はぜひ、よろしくお願いします。
尚、ツエリンさんの奥さまからのメールで、ラーメン店開業予定の場所は標高2200m程度で気圧が低く、90度Cで沸騰してしまうので、博多トンコツ・ラーメンの予定ですが、美味しく茹で揚げることが出来ないのではないかと心配していて、私もこの点が心配なので、標高の高い場所での麺料理に詳しい人がいらっしゃったら、ぜひ、情報を戴けませんか。
一昨日は東京支店のラーメン学校の最終日でしたが、ラーメン学校を終えた後、すでに開業している熱心な生徒さんが1人だけ残り、インストラクターたちも含め、今後のラーメン業界の話に及んだのです。
ラーメンスープは第2次世界大戦後の濃度が1~2度の浅い方向から、濃度の深い方向に進化し、最近では濃度が13~15度の流れないような深い濃度のスープも出来ていて、スープ濃度はほぼ限界まできているのです。
スープ濃度を上げるのは、単に動物系だけではなく、魚介、野菜、フルーツの方が簡単に上がるので、濃厚魚介等は微粉末の魚介でクリーミーなスープにしているのです。
ラーメンスープの材料は最初、鶏ガラ、トンコツが主な材料であったのですが、魚介が加わり、魚介でもサンマ節とか、特殊な節が用いられ、次には鯛とか、サバとか生の魚、さらには海老、あさり、ハマグリ、カニと留まるところを知らないのです。
魚介だけではなく、野菜、フルーツまで加わり、食材のバラエテイは止まるところがなく、これからは海外へのラーメンが広がることにより、今まで日本では使ったことの無いような食材が、使われるようになるのです。
先日のシンガポールのラーメン学校では、ベトナム製のナンプラーを使ったのですが、味のまとまり方、マイルドさ、深みは、日本の魚醤では得られないような出来上がりになり、ラーメンにはピッタリの魚醤で、このような日本ではまだ知られていないが、すでに海外にある食材を使ったら、日本のラーメンももっと美味しくなるような食材は、海外にはまだまだ埋もれているのです。
マンゴー等のフルーツは南国では非常に安く、ココナツミルクのようなフルーツも南国では当たり前ですが、日本ではほとんど使われていないので、このようなフルーツを使った自然な甘さの引き立つ、自然派、健康志向のラーメンもこれからのラーメン文化を大きく変えていく要素のように思います。
スープの量も時代とともに変化し、丼にスープがいっぱい張られ、その中に茹で揚げられた麺が泳いでいるような普通のラーメンから、スープの少ない、つけ麺が出来、さらには汁なしの混ぜ麺へと、スープのより少ない方向に進化を遂げてきているのです。
スープだけでなく、肝心の麺の方も、通常の輸入小麦のラーメン用の強力粉、準強力粉から始まり、国産小麦の時代になり、現在は国産小麦を使うラーメン店が増え、挽き方も通常の挽き方だけでなく、粗挽き、石臼挽き、全粒粉、焙煎した小麦粉とバラエテイさに拍車がかかっています。
このようなムーブメントは、ラーメン業界でしか起きていない現象で、うどん蕎麦では起きていないのですが、今後はラーメンだけにとどまらず、うどん蕎麦にもこのような大きなムーブメントが、ラーメン業界の人たちによってもたらされ、うどん蕎麦業界にも大きな変化が起き、ラーメン業界の人たちの力でうどん蕎麦業界も大きな変化が起きてくると予想されるのです。
一昨日夜に熱心に話をしたラーメン学校の卒業生であり、業界内では有名人のような情熱溢れる方は、ラーメン業界内にだけ閉じこもっていることは無理で、これからは日本の麺業界全体を大きく変えていく原動力になっていくことと思われます。
そのような人たちがラーメン業界には何人もいるのですが、うどん蕎麦業界には、そのような元気のある人たちが非常に少なく、これからはうどん蕎麦、ラーメン、パスタの業界の垣根がなくなり、すべての麺類が融合されていくので、ますます、そのような人たちの活躍の場が広がると思われます。
それに従って、当社の麺学校の在り方もさらに変わっていかざるを得ず、当社の麺学校が麺ビジネスの未来をリードしていくことが出来るようになればと、考えているのです。
特に、今回の生徒さんのような革新的な人たちは、日本国内だけにいるのではなく、海外にも多く生まれつつあるので、これからはラーメンはグローバルな食文化になり、世界中の人たちに理解される食文化になりつつある現在では、世界的な大きな進化を伴なう食文化になっていくのです。
そのときは、麺だけでなく、米飯食も含めた日本の食文化は広い意味でパスタ文化となり、日本発の食文化として、グローバルに発展を続けていくのです。
麺文化から始まる未来の食文化を語ると、話は終わることがないのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
2機能しないもの
起業家社会において必要とされる政策と対策について考えるとき、最も重要なことは、機能しないものを明確にすることであり、なぜならば、機能しない政策が今日あまりにも人気があり、一般に理解されている意味のプランニングは、起業家的な社会や経済とは両立せず、たしかに、イノベーションは、目的意識をもって行わなければならず、起業家精神はマネジメントしなければならないのですが、イノベーションは、その本質からして、分権的、暫定的、自律的、具体的、ミクロ経済的であり、そして小さなもの、暫定的なもの、柔軟なものとしてスタートするのです。
事実、イノベーションの機会は通常、現場に近いところでのみ見出され、イノベーションの機会は、プランナーが対象とする膨大な総体ではなく、そこから逸脱したもののなかに見出され、予期せぬ成功や失敗、ギャップ、ニーズ、「半分入っている」から「半分空である」への認識の変化に見出され、それら逸脱したものが、プランナーの目にとまるようになった頃にはもう遅く、イノベーションの機会は、暴風雨のようにではなく、そよ風のように来て、去るのです。
以上より、われわれ企業人にとって大切なことは、普段のビジネスの端々に静かに訪れているイノベーションの機会に気づくことであり、普段からイノベーション7つの機会を見つけるためのアンテナを張り巡らせておくことで、もっと大切なことは、社内全体をイノベーション体質にすることであり、企業文化にイノベーションを作り込むことなのです。
◆ハイテクだけではない
今日、とくにヨーロッパでは、ハイテクの起業家精神だけを持とうとすることが流行っていて、フランス、ドイツ、さらにはイギリスさえも、この前提のうえに政策を立てているのですが、それは幻想であり、それどころか、ハイテクのみを推進し、ハイテク以外についての起業家精神を敵視するという政策では、当のハイテクさえ生み出すことができず、そのような政策から生み出されるものは、もう1つの高価な失敗作、もう1つのコンコルドに過ぎず、わずかな栄光と大きな赤字をもたらすだけであって、雇用も技術的なりリーダーシップも、もたらすことはできず、そもそもハイテクは、本書が重要な前提の1つとしているように、イノベーションと起業家精神の領域の1つにすぎず、膨大な数のイノベーションは、ほかの領域にあるのです。
しかもハイテク重視の政策は、政治的な障害に突き当たり、直ちに挫折させられ、職場創出の観点から見ても、ハイテクは明日のものであって、今日のものではなく、すでに述べたように、1970年から84年までにアメリカのハイテクが創出した雇用は、煙突産業が失った500万人から600万人を超えず、この間、アメリカで創出された3500万人の雇用はすべて、ハイテク以外のミドルテク、ローテク、ノーテクのベンチャー企業が生み出したのです。
現在は、この書籍が書かれた時代とは異なり、日本を筆頭に先進国の一部では高齢化による人手不足が大きな課題になっていて、特に日本では15歳から64歳までの働き盛りの生産年齢人口が1995年をピークにして、既に12%以上ダウンし、従って、これからの先進国の課題は、生産性の向上であり、付加価値の高いビジネスを国内に残すことであり、そうでないビジネスは新興国に譲ることで、これをすでに早い時代から実践して、大成功している国々は、国民1人当たりのGDPの高い北欧4カ国とかスイスで、日本が早期に取り組まなければいけない課題であるのです。
◆山腹のない山頂
そして何よりも、ノーテク、ローテク、ミドルテクにおける広範な起業家経済を基盤とすることなくハイテクをもとうとすることは、山腹抜きに山頂をもとうとするに似ていて、そのような状況では、ハイテクの人間でさえ、リスクの大きなハイテクのベンチャー・ビジネスに就職しようとはしなくなり、すでに確立された大企業や政府機関の安定性を選び、しかもハイテクのベンチャー・ビジネスは、たとえば会計、販売、管理など、ハイテクの技術そのものとは無関係の大勢の人たちを必要とし、華々しくはあっても、小さな寸劇以外の何ものでもないハイテクのベンチャー・ビジネスにのみ関心をもち、ほかの分野でのイノベーションと起業家精神を鼻であしらうような経済社会においては、ハイテクに強い人たちも、まさにその経済と社会(すなわち級友、両親、先生)が勧める既存の安定した大組織に職場とキャリアを求めることになり、流通チャネルは、ハイテク以外のベンチャー・ビジネスの製品を扱おうとせず、投資家は支援しなくなるのです。
ハイテク以外のベンチャー・ビジネスは、ハイテクが必要とする資金を供給するうえでも必要であり、知識によるイノベーション、とくにハイテクのイノベーションは、投資から収益までのリードタイムがあまりに長く、世界のコンピュータ産業の帳尻が合うようになったのは1970年代の後半であり、それまでは30年におよぶ長い赤字の時代があり、たしかにIBMは、かなり早くから利益をあげ、小さなコンピュータ・メーカーも、1960年代後半以降、次々に黒字に転じていったのですが、それらの企業があげた利益は、ほかの企業、とくにコンピュータに完全に失敗した大企業、すなわちアメリカのGE、ウェスチングハウス、ITT、RCA、イギリスのGE、フェランティ、プレッシー、フランスのトムソン・ウーストン、ドイツのジーメンス、テレフンケン、オランダのフィリップスなどが蒙った膨大な赤字の数分の一に相当するにすぎないのです。
歴史は、ミニコンピュータやパソコンで繰り返されていて、この業界もまた、全体として黒字になるには、何年かかかり、バイオでも同じことが起こっていて、100年前の1880年代には電機産業で起こり、1900年から10年にかけては自動車産業で起こり、このハイテクの長い懐胎期においてハイテクの赤字を埋め、ハイテクに必要な資金を供給するためには、ハイテクではないベンチャー・ビジネスが必要とされるのです。
フランスの気持ちは正しく、今日、経済的、政治的に大国たるためには、情報技術、バイオ、オートメーションなど、ハイテクで一定の地位を得なければならず、しかもフランスには科学や技術の才があるのですが、それにもかかわらず、いかなる国といえども、経済全体としての起業家経済をもたないかぎり、ハイテクにおいてイノベーション志向となり、起業家的となることは至難であり、あるいは不可能であるのです。
たしかにハイテクこそ刃であるのですが、そもそもナイフがなければ、刃は存在すらできず、活力にあふれたハイテク部門は、死体に健康な頭脳がありえないのと同じように、それだけで存在することはなく、ベンチャー・キャピタルへのアクセスが容易であって、起業家的なビジョンと起業家的な価値観をもつ、活力あるイノベーターや、起業家であふれた経済が、まず存在していなければならず、現在の日本においては、ハイテク偏重の時代は終わり、ビジネスで大きなシェアを占めているのは、医療、介護、福祉等、高齢化社会に関連するビジネスが大きく伸びているのです。
画像は、過去のラーメン学校での、革新的な新しいメニューで、未来のラーメン文化を創り上げていくような事例集です。
当社のラーメン学校では、常に新しいトレンドを求め続けているのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。