本日のテーマは「ビジネスの本質は、お客さまの問題解決」です。
この1年余りで麺ビジネス市場は激変し、人手不足が麺ビジネス市場に暗い影を落としているのです。
うどん、蕎麦、ラーメン店等は典型的な3Kの分野で、人手が集まり難い業種でもあり、多くのお客さま、ユーザーさま、麺学校の卒業生がこの問題を抱えているのです。
昨年の途中から当社もこの問題点の大きさに気づき、昨年の冬前から「自家製麺代行業」を始めたのです。
その結果、想定以上の反響で、想定以外のお客さまより、想定以外の要望が寄せられていて、早速、自家製麺代行をスタートし、当社が麺の納入を始めたお客さまもたくさんいらっしゃるのです。
もともと「自家製麺代行業」を始めたきっかけは、人手不足が主因であったのですが、代行業を始めてみると、もともと自家製麺を行なっているのですが、高齢化に伴ない、日々の麺打ちがたいへんになり、品質がまったく同じものが出来るのであれば、当社から供給して欲しいとの要望も多いのです。
或いは、普段は当社の製麺機での麺打ちが出来ているのですが、イベント等で大量に麺が必要なときに、自店だけでは間に合わないので、代行で作って欲しいとの要望とか、海外での百貨店のイベントに参加するので、半生麺で供給して欲しい等の常時コンスタントな要望ではなく、スポット対応への希望も多いのです。
或いは、新規に開業するに当たり、自家製麺で始めたいのですが、人手の問題、準備の問題等で、最初は自家製麺代行業で麺の供給を希望し、体制が整い次第に、自家製麺に切り替えたいとの希望も多いのですが、当社の場合は、傘下に麺の製造販売をしているを持っているので、製麺機の販売でも、麺の供給でもどちらでも簡単に対応出来るのです。
以上のように、当社であれば、製麺機の販売でも、麺の供給でもどちらでも簡単に対応出来るのが、他の製麺機のメーカーにはない強みであり、また、他の製麺所にはない強みであるのです。
但し、当社の場合は麺質と安全性には非常にこだわっているので、麺質にこだわらずに、価格だけにこだわるお客さまには、対応出来ないのです。
製麺機には安全装置がフル装備になっていたり、美味しい麺が出来る仕組みがビルトインされていたり、コンパクトで、使い勝手の良さ、店頭で使っても恥ずかしくないようなデザインになっているので、製麺機の価格は業界最低価格でもなく、高すぎることもないのです。
以上のように、人手不足が激しさを増している3Kの見本のようなうどん蕎麦店、ラーメン店を経営しているお客さまからの製麺機に対するニーズは非常に落ちているのですが、反対に高品質な麺に対するニーズは根強いことを発見したのです。
マーケテイングの本質は自分の持っている売りたい物を売り込むのではなく、お客さまが欲しいものを見つけることであり、見つけたものがもし、世の中にないものであれば、イノベーションを起して創りだすことが必要なので、マーケテイングとイノベーションはセットなのです。
これはどのようなビジネスにおいても共通で、うどん蕎麦店、ラーメン店のような麺ビジネスにおいてもまったく同様で、お客さまが本当に欲していることを理解することがビジネスの成功の一番近道であるのですが、ほとんどの店主の方がたは自分が売りたい物を売っているのが現状で、そのために、売上が減少し続けている店舗は多いのです。
すでに麺ビジネスを始めている既存店の店主だけでなく、今から麺ビジネスを始めようとしている新規開業者も同様で、うどんが好きだからうどん店をしたいとか、ラーメンが好きだからラーメン店をしたいと新規開業者は多く、お客さまのニーズという視点が抜けているのです。
当社はもともと製麺機メーカーとして出発しているので、製麺機を作って売るのが当社の仕事であり、使命であると思っているスタッフたちもいるのですが、徐々に、当社の使命は「麺ビジネス成功支援会社」であるということが根付いているので、本来であれば、製麺機メーカーが、麺の販売をすることに抵抗を感じるスタッフが多いはずなのですが、当社の場合は違和感なく取り組むことが出来たのです。
本日も私自身のコンサルタントの方と話していて、そのコンサルタントの方の体験で、ある小さな蕎麦うどん店の指導を好意で行なった時に、メニューのABC分析を行なった結果、2割の商品が売上の8割を占めていたので、残りの商品を外すように提案したのです。
すると、店主は売上が下がると最初は心配して始めようとしなかったのですが、2割の売上しなない商品の仕込みに6割の時間がかかっていることを分析してみると、納得して2割の人気のない商品をカットした結果、店主の時間も取れるようになり、同時に売上が2倍になったそうです。
この様に、われわれは往々にして、お客さまのニーズが無くなってきているのに、過去のいきさつ上、しがみついていることが多いのです。
本日も当社の価値感を掲げ続けます。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、価値ある奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆受容度についてのギャンブル
知識によるイノベーションが成功するためには、機が熟していなければならず、世の中に受け入れられなければならず、このリスクは、知識によるイノベーションに固有のものであって、その固有の力と裏腹の関係にあるのです。
ほかのイノベーションはすべて、すでに起こった変化を利用し、すでに存在するニーズを満足させようとするのですが、知識によるイノベーションでは、まさにイノベーションそのものが変化を起こし、それはニーズを創造することを目的とするのです。
しかるに、顧客が受け入れてくれるか、無関心のままでいるか、抵抗するかを事前に知ることはできないのですが、たしかに例外はあり、癌の治療薬を生み出す者は、どれだけ受け入れてもらえるかなど気にしなくともよいのですが、そのような例外は多くはなく、知識によるイノベーションが世に受け入れられるかどうかは、賭けであり、掛け率はわからず、隠されたままであるのです。
誰も気づいてはいないが、受け入れてもらう可能性は高いかもしれないし、逆に、社会がイノベーションを待望していることが[確実]であっても、誰も受け入れてくれないかもしれないし、反発さえされるかもしれないのです。
知識によるイノベーションに対する王侯の感受性の鈍さを表した挿話は多く、その典型な当時流行の鉄道について、「ベルリンからポツダムまで乗馬を楽しめるというのに、金を払って、1時間しか乗れないものを使う者などいないであろう」として、鉄道の失敗を断じたプロイセン王だったのですが、汽車に対する受容度を読み違えたのは、プロイセン王だけではなく、当時の専門家の過半が同じ考えだったのです。
コンピュータが現れた頃、企業がそのような代物を必要とするようになることを予測した者は1人もいなかったのです。
これと逆の間違いも、同じようによく見られ、本当のニーズ、本当の欲求が存在することは誰もが知っているのですが、実際にそれが現れると、無関心や抵抗しかないということがあるのです。
1948年当時、企業がコンピュータを必要とするようになることを見通せなかった権威たちが、その数年後の1955年には、コンピュータが10年以内に学校教育に革命をもたらすと予測したのです。
ドイツ人にとって、電話の発明者はアレキサンダー・グラハム・ベルではなく、フィリップ・ライスであり、ライスは1861年、音を電送し、言葉さえほぼ電送することができたのですが、彼は、その後開発を進めなかったのは、当時の社会には電話を受け入れる余地はなく、また関心もなく、望む声もなく、人々の大半は、電報があれば十分としていたのですが、その15年後、ベルが電話の特許をとるや、直ちに熱い反応が見られ、しかも、最も歓迎されたのがドイツにおいてで、この15年間における社会の受け入れ方の変化は、容易に説明でき、南北戦争と普仏戦争という2つの戦争が、電報では十分でないことを明らかにしていたのです。
ここで重要な問題は、なぜ受け入れ方が変化したかではなく、重要なことは、ライスがある科学関係の大会でその装置を実演したとき、当時の権威ある人たちのすべてが、社会はそれを全面的に受け入れるであろうと、断じたのにもかかわらず、それが間違っていたことにあり、もちろん斯界の権威が正しいことはあり、しかも、けっして少なくなく、たとえば1876年から77年にかけて、彼らは電球と電話は社会に受け入れられるだろうと言い、そのとおりだったのです。
同じように、1870年代にエジソンが蓄音機の発明に取り組んだときにも、権威たちはそれを支持し、このときも、蓄音機に対する社会の受容度についての彼らの見方は正しかったのですが、知識にもとづく個々のイノベーションに対する社会の受け入れ方についての権威の評価が正しいかどうかは、あとになってみなければわからず、しかも、知識によるイノベーションが受け入れられた原因や、受け入れられなかった原因は、必ずしもあとで明らかになるというわけではないのです。
たとえば、文字の表音化が強い抵抗を受ける理由は、誰も説明できず、正字法が読み書きの最大の障害となり、学校が時間をとられる原因となり、かつ、文字が読めないことや精神的な障害の原因となっていることについては、意見が一致していて、しかも表音化という方法は、少なくとも1世紀前から知られているのです。
この問題が深刻になっている2つの言語には、表音化がとくに有効であり、英語にはアルファベットがあり、日本語には「かな」があり、そのうえ、いずれの言語にも、表音化の手本が身近にあり、英語には、19世紀半ばに行われたドイツ語の改革の例があり、日本語にはそれよりもさらに昔に行われた朝鮮語の改革の例があり、いずれの言語にも大きなニーズがあり、表音化が優れて合理的であり、容易かつ効果のあることは証明ずみであるのです。
しかるに、表音化というイノベーションが受け入れられる様子はなく、説明はいろいろあるのですが、本当のところは誰もわからず、社会の受容度にかかわるリスクをなくすことはできないし、小さくすることさえできないし、市場調査は役に立たないのです。
存在しないものについて調査をすることはできず、もちろん調査などは、役に立たないどころか有害でさえあり、少なくとも、知識にもとづくイノベーションに対する社会の受け入れ方に関する権威の意見にまつわる経験が、すでに教えているとおりであり、選択の道はなく、知識によるイノベーションを行うのならば、それが受け入れられるかどうかについては、賭けてみるしか道はないのです。
◆知識によるイノベーションの報酬
科学や技術の分野における新しい知識にもとづくイノベーションこそ、リスクの最も大きなイノベーションであり、もちろんホットな分野であるほどリスクは大きくなり、それはかって、パソコンであり、バイオであり、これに対し、地味な分野のイノベーションは、単に時間的な余裕があるというだけでも、リスクは、はるかに小さく、社会的なイノベーションにおいても、リスクはそれほど大きくないのですが、知識によるイノベーションには、ほかのイノベーションよりも大きなリスクがつきものなのです。
しかしそのリスクは、それが世に与えるインパクト、そして何よりもわれわれ自身の世界観、われわれ自身の位置づけ、そしてゆくゆくは、われわれ自身にさえ変化をもたらすことに対する代価でもあるのですが、それらハイテクのイノベーションに伴うリスクでさえ、イノベーションの機会としての新しい知識を、予期せぬ成功や失敗、ギャップの存在、あるいはニーズの存在と結合させることによって、大幅に小さくすることができ、社会がイノベーションを受け入れるかどうかは、すでに確定していて、容易かつ確実に調べることができ、しかも、イノベーションを完成させるうえで必要な知識も、かなりの精度で、規定することができ、これがまさに今日、開発研究なるものに人気がある理由なのです。
(注記)研究開発(けんきゅうかいはつ、英: Research and development、R&D)とは特定の対象を調査して、基礎学問の研究や、目的に応じた応用研究の模索、将来的に発展する技術等の試験を行い、技術的な優位を得るための活動であり、英語ではResearch and developmentを用いることが多く、20世紀の初頭以降に用いられるようになった言葉です。
開発研究においては、システム的思考と自己規律が必要とされ、組織的かつ、目的が明確であることが不可欠であり、このように、知識によるイノベーションを行おうとする者は、より多くのことを要求され、ほかのイノベーションとは、要求されるものがまったく異なり、直面するリスクが異質であり、そもそも時間が敵であるのですが、リスクが大きければ、それだけ報酬も大きく、この典型的な事例としては、かってはスマートフォーン、現在は、スマート・ウオッチ、更には、スマート・グラスがこれに当たり、ほかのイノベーションでも富を手に入れることはできるのですが、知識によるイノベーションでは、名声まで手に入れることができるのです。
昨日はラーメン学校の最終日で、私は昼前から生徒さんのスープのチェックと修正、盛り付けのチェックと修正を行なったのです。
回を重ねるごとに、ラーメン学校全体のレベルは確実に上がています。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。