昨日は私のセミナーが2本あり、本日朝からもう一つのセミナーがあり、その後、個別相談が幾つかあった後、帰社し、讃匠の会議が夕方から始まります。
東京支店では本日からうどん学校が始まり、今週末の土日は2日間の経営会議ですが、経営会議に先立ち、参加する生徒さんに質問状を依頼しています。
すると、生徒さんの一人から、たくさんの質問が来ていたので、今朝ホテルで、質問を眺めていると、面白い質問が混じっていました。
私の教科書(著書)の「トップになりたきゃ競争するな」P16の大和魂という言葉(社名も含む)はひとことで言うと、どういう精神の魂なのか?との質問他、多数の質問がありました。
質問の数は、過去の生徒さんの中で多分、最高に多い数であり、同時に、この質問は過去の質問の中にはなかった質問です。
当社の場合は、社名が大和製作所であり、大和魂を大切にしています。
大和魂をひとことで言えば、昔から、日本人の持つ素晴らしい精神性ではないかと思います。
私の考える、日本人の持つ素晴らしい精神性は、次の通りです。
1.聖徳大師の時代より、「和を以って尊しとなす」と言われたように、日本民族は和を重んじる民族であり、無益な争いをしない民族です。
2.礼儀を重んじ、恥を知ることで、日本文化とは恥の文化とも言われました。
3.自分を犠牲にしても、相手に尽くす精神性
4.桜の散り際のような潔さを尊ぶ精神性
5.年長者を敬い、大切に扱う精神性
6.他を思いやり、困っている人を助ける精神性
7.正しいと信じたことを、死を覚悟しても断固(だんこ)としてやらずにはおれない精神性
8.謙虚であり、おもてなしの心を持っている
以上は、私なりの回答であり、この項目はそれぞれの人によっての違いはあると思います。
そして、それぞれが日本人としての価値観であり、その頃の他国から羨ましがられるような素晴らしい精神性であったのです。
これらの価値観の多くは、昔の日本人は当たり前のように持っていたのですが、現在の日本人には失われたものが多いのです。
また、大和魂は、武士道の精神と重なる部分も非常に多いのです。
武士道の精神を説いた葉隠では、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」とあるように、常に武士は死を意識し、隣り合わせの生き方をしていたのです。 反対に現在に生きるわれわれは、人生の最後を除いて、死を意識することがほとんどない、幸せな生活を送ることが出来ているのです。
以下は、武士道に関するウイキペデイアより、抜粋しました。
新渡戸稲造の『武士道』においては、外国人の妻にもわかるように文化における花の違いに触れたり19世紀末の哲学や科学的思考を用いたりしながら、日本人は日本社会という枠の中でどのように生きたのかを説明している。
島国の自然がどのようなもので日本独特の四季の移り変わりなどから影響を及ぼされた結果、日本人の精神的な土壌が武士の生活態度や信条というモデルケースから醸成された過程を分かりやすい構成と言葉で読者に伝えている。
例えば、武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い、忠義を信条としたことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微は外国人には理解できないものであろう、といったことを述べている。
しかしこれは新渡戸独特の考えであり、彼の思想を批判する書も出されている。
武士道は日本の発展にも重要な精神となった。
武士道の精神を基本とした士魂商才という言葉も生まれ、拝金主義に陥りがちであった精神を戒め、さらに商才を発揮することで理想像である経営者となることを表すものであった。
このような経営哲学・倫理は欧米でも戦後に発達し、帝王学(人の上に立つものとしての精神)に類似した学問も登場した。
今では企業の倫理が問われるようになっており、経営者や戦略における要素となっている。武士道などの精神は経営学系統の大学、高校において標語として採用している場合もある。
現在では国際化の進展に合わせて日本の武士道などの日本経営精神に対する必要性を挙げるものもいる。
武士道の著者である新渡戸稲造も祖父が商人としての成功があったが、商業倫理に関する言葉を残している。
他にも渋沢栄一は今後の時代に必要な武士道を説くなどと明治時代から大正デモクラシーにかけての日本の実業に関する精神が唱えられ、日本的経営に必要な背骨となった。
以上、美味しい日本の麺料理を世界中に広めるにあたり、日本文化の象徴である大和魂と武士道はこれから、われわれが理解しなければいけない重要なテーマです。
ピーター・ドラッカーは、知識労働者が生産するのは、物ではなくアイデアや情報やコンセプトであるとし、知識労働者は、ほとんどが専門家であり、事実彼らは、通常、ひとつのことだけを非常に良く行えるとき、すなわち専門化したときのみ大きな成果を上げるが、それだけでは不毛で、専門家の産出物は、他の専門家の産出物と統合されて初めて成果となるとしていて、非常に奥が深いのです。
定年制の必要は実際のところ、年老いたということではなく、おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということにあると、訴えています。
44.貢献に焦点を合わせること
知識労働者が貢献に焦点をあわせることは必須である。 それなくして、彼らが貢献する術はない。 知識労働者が生産するのは、物ではなくアイデアや情報やコンセプトである。 知識労働者は、ほとんどが専門家である。 事実彼らは、通常、ひとつのことだけを非常に良く行えるとき、すなわち専門化したときのみ大きな成果を上げる。 それだけでは不毛である。 専門家の産出物は、他の専門家の産出物と統合されて初めて成果となる。
45.昨日を捨てろ
昨日を捨てよ。 自分が得意だと思っていることに溺れるな。 物事の「本質」を鋭く透察する心を持て。
46.定年制度の本当の意味
定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。 おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということにある。
47.生産性を今すぐ引き上げる方法
手っ取り早く、効果的に生産性を向上させる方法は、何を行うべきかを明らかにすることである。 そして、行う必要のない仕事をやめることである。
48.未来の予測より先に現状認識を
未来を語る前に、今の現実を知らなければならない。 現実からしかスタートできないからである。
49.反論がない意見は保留する
未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。努力を必要とする。 信念を必要とする。決定のためには、いろいろな案がなくてはならない。 ただし、可・否の二案だけでは不足だ。 決定しないという決定もあることを忘れない方がいい。 反対論がない場合には結論を出してはならない。 勇気と勉強に不足があれば反対論は出ない。
50.流行は自分を変化させない
本物の変化とは人が行うことであり、流行とは人が言うことである。
51.現在のもっとも重要な出来事は「多岐にわたる選択肢」
数百年後、歴史家が長い視点から今日の時代をとらえた場合、最も重要な出来事はテクノロジーでもインターネットでも電子商取引でもないだろう。 人間がおかれた状況の史上例を見ない変動こそ、最大の出来事である。 今日多くの人々が選択する自由を手にしており、その人数は急激に増えつつある。 これは歴史上まったくなかったことだ。 それは同じく史上初めて人々が自分自身をマネジメントしなければならないことでもある。 しかし、社会の側ではこの事態に対応 する準備が全然できていない。
52.専門性を極めつつ異業種と交わる
専門性の進化と、異分野との接触のバランスを実現しなければならない。
53.長く学校にいることの弊害
学校は長くいればいるほど、自分で意志決定を行う機会が少なくなる。
54.知的労働の生産性を左右するもの
知識労働とサービス労働は、何を行うかどのような技能によって行うかによって生産性が左右される。
昨日夜は、当社スタッフたちと一緒に、学校の卒業生の方がたも合流しました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。