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ラーメン・うどん・そば・パスタ開業で成功店に!|「イノベーションと起業家精神(下)」「社会的機関の起業家原理、①目的を明確に、②目標を現実的に、③目標を再点検、④機会を追求、既存の社会的機関によるイノベーションの必要性、社会が必要とするからには」

子供たちのうち、上の2人が会場に遊びに来た時の様子

昨日は、私にとっての初めてのシンガポールにおけるイベント参加でしたが、北欧を初め、遠方から参加の多くの熱心なお客さま方と真剣に対応しました。

顔見知りのお客さまも何人かいて、インドネシアから2年半前のラーメン学校に参加し、既に13店舗まで展開するまでに成功し、ラーメン学校に参加したことをたいへん感謝していました。

海外でもこのような生徒さんが、われわれの気付かない間に、次つぎと生まれていることが、当社の麺学校の大きな誇りです。

シンガポールでは初めてのセミナーで、価値観、使命、コンセプトについては、たいへん難しいテーマで、普段、このようなことを考えている方は少なかったと思いますが、熱心に聞かれていました。

参加者の中には、ラーメン店の開業を準備している方がたが何人もいて、投資金額等の現実的な質問がありました。

参加者たちの関心事項は、原材料比率とか、最適な投資規模(席数)とか、スープの取り方とか、日本の麺学校の生徒さんたちが抱えている問題点と何ら変わらず、ラーメン文化そのものが日本の手を離れて、独り歩きを始めたことを感じました。

今回もセミナーの質疑応答を受けて、当社の麺学校の存在を知らない人たちが多く、もっと多くの人たちに知って貰わねばと強く感じた次第です。

活発だった、私のセミナーの後は、松原先生の製麺講習があり、その後、私の盛り付けの実習では、天ぷらは揚げたことのない人たちだったので、たいへん興味を持ち、次つぎと質問が出ました。

合計で、うどんでは3点、ラーメンでは2点の異なった盛り付けを披露すると、私の盛り付けは、既存のうどん店とか、ラーメン店の盛り付けとはかけ離れているので、熱心に写真撮影をしていました。

5点の盛り付けを披露すると、ほぼ、閉会の時間になり、生徒さんたちに修了証を渡し、散会となりましたが、日本と比べて海外市場はこれから伸びる市場なの で、うどん店開業、ラーメン店開業を目指している人たちが多く、既に日本人が多く海外に進出しているので、それらの日本人との競争になることを理解し、ノ ウハウを熱心に理解しようとしている人たちが多かったのです。

その後、ジェイソンが経営しているラーメン店にスタッフたちと合計4名で、向かいましたが、このラーメン店は、お父さんが以前から経営していたのを譲り受けて、最近、自分で経営するようになったのです。

その店は市内の繁華街にあり、内装、外装ともきれいな43席ほどの店で、日本から出店しているラーメン店と比較すると、正当派のおとなしい雰囲気の店でした。

ジェイソンは、当社のラーメン学校の初期のころに参加し、このラーメン店の企画と指導を行なったのですが、今もその頃のままの状態だったので、特に商品に ついて、さまざまな問題点が見受けられたので、その点を指摘し、近々のラーメン学校に再度参加するように伝えたのです。

海外におけるラーメン業界の進化も、日本からの強いライバルが次々と参入しているので、昔、最新のノウハウを持ち込んで成功していても、油断をしていると、直ぐに陳腐化するのです。

ジェイソンの店でのチェックが終わると、その後、チャンギ空港に全員で向かい、私が帰国の途につくのをスタッフ全員が、姿が見えなくなるまで見送ってくれました。

今回の帰国便は、夜10時過ぎの出発便だったために、機内ではすぐに眠くなり、食事時間の4時半に機内が明るくなるまで寝入ってしまっていました。

羽田空港が国際空港化し、24時間空港になったので、非常に便利になり、特に東南アジア向けのフライトが羽田から直接になったのは、私にとってたいへん便利で、東京に出張の連続で、海外に出張出来るのです。

しかし、朝6時半の到着のために、朝4時半の食事は、不自然であり、お腹がぜんぜん空いていないので遠慮して、その後は、仕事の延長を行なっていると、羽 田空港には、予定時間の6時半よりだいぶ早い、6時前には到着し、お蔭で、高松行きの始発便に楽に搭乗することが出来ました。

本日で、国内、海外2カ国15日間にわたる出張がすべて終え、久しぶりに高松空港に帰ってきました。

本日のイノベーションのテーマでは、社会的機関でさえ、イノベーションがたいへん重要であることが書かれていて、ぜんぜん気づかなかったことですが、社会的機関が、近年は急激に成長していることを指摘していました。

社会的機関でさえ、これだけ熱心にイノベーションを起こさなければならないので、われわれが属する一般企業は、イノベーションを普段の仕事として、取り入れておかねばいけないことが非常によく分かりました。

昨日まで訪問していたシンガポールでは、国家と企業が一体化し、イノベーションにまい進しているような羨ましい国でした。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。

2社会的機関の起業家原理

前記はすべてアメリカの例であり、もちろんヨーロッパや日本にも、成功の例は多く、ここにあげた例は、数は少ないものの、社会的機関がイノベーションを行ううえで必要とされる起業家原理を示すうえでは十分と思われるのです。

◆目的を明確に

第一に、社会的機関は以下のような、明確な目的をもたなければならないのです。

1.自分たちは何をしようとしているのか。
2.なぜ存在しているのか。

社会的機関は、個々のプロジェクトではなく、目的そのものに的を絞らなければならず、個々のプロジェクトは、目的のための手段であり、一時的なものであり、しかも短命なものと考えなければならないのです。

◆目標を現実的に

第二に、社会的機関は現実的な目標をもたなければならず、目標は、「空腹の根絶」ではなく「飢餓の減少」でなければならず、社会的機関は実現可能な目標を必要とし、やがて「達成した」といえる実現可能な目標を必要とするのです。

実現が不可能であってはならず、完全なる正義の実現は永遠の課題であり、いかに控え目にいっても正義が完全に実現することはありえないのです。

ほとんどの目標は、最大ではなく最適の水準で規定することができ、またそのように規定する必要があり、そうしてはじめて「達成した」と言うことができるのです。

このことは、これまで小中学校が目標としてきたこと、すなわち就学年限の延長だったのですが、先進国では、すでにこの目標は達成されているので、それで は、今日、教育は何を目標としなければならないのかと言えば、単に学校に行くことを超えた意味における「教育」とは、何を意味するのかを、再度、深く考え なければいけないのです。

◆目標を再点検

第三に、社会的機関は、いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、あるいは少なくとも、目標の定義の仕方が間違っていた可能性のあることを認めなければならないのです。

目標は、大義ではなく、費用対効果にかかわるものとして、とらえなければならず、いかに努力しても達成できない目標は、目標として間違っていると考えるべきであり、目標を達成できないからといって、それをさらに努力すべき理由としてはならないのです。

数学の世界ではすでに300年前に明らかにされているように、成功の確率は、回を追うごとに下がり、つねに前回の半分以下となり、目標を達成できないということは、社会的機関の多くが考えることとは逆に、目標そのものの有効性を疑うべき理由となるのです。

◆機会を追求

第四に、社会的機関は、イノベーションの機会の追求を自らの活動に組み込まなければならず、変化を脅威としてではなく、機会として見るようにならなければならないのであり、前述の社会的機関がイノベーションに成功したのも、そのためであったのです。

アメリカのカトリック教会では、第2次大戦後、学歴の高い信者が急増し、司教区のほとんどがこの変化を脅威とし、あるいは少なくとも問題とした。高学歴の信者は司祭の言いなりにはならない。しかも彼らには、教会の構造や統治において果たすべき役割がなかった。
他方、1965年あるいは70年頃から、司祭になる若者が急減した。司教区のほとんどが、この事態をも大きな脅威と見たのですが、ある司教区が、この2つの変化を機会としてとらえたのです。

ただし、その司教区には新しい問題が生じ、司祭は、本来の仕事に専念できるために、アメリカ中の若い司祭がこの司教区を希望するようになってしまったのです。

アメリカの病院は、1970年あるいは75年頃から医療に変化が生じていることを知り、病院のほとんどがその変化に抵抗し、そのような変化は破壊的であるとしたのですが、そこに機会を見た病院が1つだけあったのです。

アメリカ科学振興協会は、科学に関連する仕事の人たち、および科学的な知識をもつ人たちの増加を科学界および一般社会において指導的な地位を築くうえでの機会としてとらえたのです。

ガールスカウトは、人口構造の変化を見て、「いかにして機会に変えることができるか」を自問したのです。

政府機関でさえ、起業家的たるためのこれら4つの簡単な原理を適用することによって、イノベーションが可能となり、ここに1つの例があるのです。

120年前、ネブラスカ州リンカーン市は、先進国ではじめて、公共輸送、電力、ガス、水道などの公的サービスを市営とし、そのリンカーン市が、女性市長ヘ レン・ブーサリスのもとに、この10年間で、ごみ収集、スクールバスなどの公的サービスを民営化し、コストを大幅に削減するとともに、サービスを改善さ せ、市が予算を組み、競争入札によって民間の事業者に委託したのです。

リンカーン市では、サービスの提供者たる市当局と、サービスの供給者たる民問企業とを分離し、競争を通じて、サービスの質、効率、信頼性を向上させるとともに、コストの削減を実現したのです。

これら4つの原理は、社会的機関が起業家として、イノベーションを行うための経営政策であり、もちろんこれらと併せて、あらゆる種類の既存の組織が起業家的になるうえで必要な経営政策と、具体的な方策の適用が必要であるのです。(前章参照)

3既存の社会的機関によるイノベーションの必要性

既存の社会的機関におけるイノベーションが、それほど重要とされ、歴史上われわれは、つねにそのようにしてきたのに、既存の社会的機関はそのままにし、必 要なイノベーションは、新しい社会的機関をつくり、それに行わせることはできないのは、今日の先進国では、既存の社会的機関が、すでにあまりに大きな存在 になっているからであるのです。

社会的部門は、政府機関であれ、非政府の非営利組織であれ、今世紀に入って以来、民間部門よりも急速に伸びてきて、おそらく3倍から5倍の速さであり、この伸びは第2次大戦以降、さらに速くなったのです。

社会的機関の伸びが大きすぎたので、今やそれは可能なかぎり、営利事業に転換しなければならないのは、ネブラスカ州リンカーン市が民営化したような公共 サービスについてだけではなく、すでにアメリカでは、非営利から営利への転換が進行中であり、今後は専門教育や大学院教育の分野でもそれが進み、先進国に おいて、すでに高額所得を得ている人たち、専門的な学位をもつ人たちに対する補助金は、もはや正当化できないのです。

今後20年から30年の間、先進国経済の中心的な問題は資本形成であり、われわれには、資本形成に資する事業、すなわち利益をあげる事業として組織できるものを、資本を費消する事業、非営利の事業として運営する余裕はないのです。

それでも今日、社会的機関によって行われている事業のきわめて多くは、依然として社会的サービスとして残り、すべてをなくしたり、転換できるわけではない ので、それらの事業を成果のあがる生産性の高いものにしなければならず、これが、既存の社会的機関にイノベーションを行わせ、起業家的にマネジメントしな ければならない理由であるのです。

そのためには、社会的機関は、この急激な変化の時代にあって、社会、技術、経済、人口構造の変化を機会としてとらえなければならず、さもなければ、社会的 機関は単なる邪魔物となり、環境が変化するなかにあって、もはや機能しなくなった事業やプロジェクトに固執しているようでは、いかなる役割も果たせなくな り、そのうえ、果たせなくなった役割を放棄できず、放棄しようともしなくなるのです。

その結果、社会的機関は、1300年頃に社会的機能を失った中世の封建領主、すなわちほかの邪魔をし、食いものにするだけの寄生虫に似た存在となってい き、存在の正統性を失い、独善的な存在となっていき、すでにこのことは、社会的機関のなかでも最強の存在たる労働組合に起こりつつあるのです。

◆社会が必要とするからには

しかしそれでも社会は、新しい挑戦、ニーズ、機会を伴う急激な変化の過程にあって、社会的機関を必要とし、アメリカでは、機会と危険の両方の存在を示すよ い例として、公立学校があり、アメリカの公立学校は、積極的にイノベーションを行わなければ、スラム街のマイノリティ用としてしか生き残れないのです。

アメリカは史上はじめて、都市や郊外の公立学校に、貧しい人たちしか入らなくなるという危機に直面していて、改革に必要なことは、すでに明らかであり、今日のような状況は、公立学校自体に責任があるのです。

ほかの社会的機関も状況は似ていて、すでに何が問題であるかは明らかであり、イノベーションの必要は明らかであり、今やそれらの社会的機関は、自らのシス テムのなかに、いかにしてイノベーションと起業家精神を組み込むべきかを学ばなければならず、さもなければ、新たに起業家的な社会的機関をつくリ、既存の ものを陳腐化させる部外者に頼らざるをえないのです。

19世紀後半から20世紀初めにかけて、公共サービスこそが、まさに創造性が発揮され、イノベーションの行われる分野であり、1930年代までの75年間 に行われた社会的イノベーションは、当時の技術的イノベーションに劣らず斬新かつ生産的であって、しかも、急激だったのは、あの時代の社会的イノベーショ ンは、社会的機関を新設することによって行われていたのです。

ところが、今日の社会的機関のほとんどは、その組織と使命が、60年前、70年前のままであり、しかし、これからの20年、30年はそうはいかず、社会的 イノベーションの必要性はさらに高まり、しかもそのほとんどは、既存の社会的機関の手によって行われなければならないので、既存の社会的機関のなかに起業 家的なマネジメントを組み込むことが、今日における最大の政治課題であるのです。

画像は、私の孫ではなくて、昨日のイベントの最中にジェイソンの子供たちのうち、上の2人が会場に遊びに来た時の様子です。

長男はお母さん、次男はお父さんに似て、うどんが大好きでした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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