テレビ、雑誌での紹介多数!麺開業.com

うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(まとめ)」「規模は関係ない、大学と病院の例」

ジャカルタのホテルでの朝食

本日のテーマは「日本のビジネスモデルが、そのまま通用する」です。

10年ぶりにインドネシアのジャカルタに来てみると、街の雰囲気とか、車の渋滞は以前に訪問したタイのバンコクに似ていて、道路整備は一向に進まず、現在建設が進んでいる地下鉄もあと5年後くらいなのです。

渋滞がひどい上に、道路工事で道路をふさいでいるので、余計に渋滞に拍車をかけ、混雑が増していて、道路にはほとんど信号機がなく、聞くところによれば、ジャカルタ全体で、信号は10か所くらいしかなく、渋滞のために、車の速度も遅く、交通事故は非常に少なく、交通事故での死者はほとんどいないそうです。

飲食店に行くと、10年前にインドネシアに来たときと比べると、従業員の年齢が、以前よりだいぶ上がっているように感じ、10年前に感じた、従業員は全員若く、目がキラキラ光っていた印象は少し薄れたような気がしますが、それでも日本と比較すると、飲食店で働いている人たちは、楽しそうに見えます。

それでも、街に出ると、日本では高齢者の姿が若い人より圧倒的に多いのですが、インドネシアでは子供の数が圧倒的に多く、若い国で、発展途上にある国であることが、街の景色からもうかがえるのです。

ジャカルタ市内の飲食店では、業態により、繁閑の落差が激しく、日本から進出した飲食店がすべて繁盛しているわけではなく、非常にお客さまを集めている店とそうでない店の大きな違いがありました。

インドネシアのアッパー層から中間層のニーズを上手にくみ取っている飲食店が成功し、それが出来ていない店が苦戦しているのは、どの国においてもまったく同じ状況なのです。

ショッピングモールに出店している飲食店の価格は、日本の価格と比較しても、少し高いくらいの価格設定で、インドネシアの一般の人たちの所得と比べると、信じられないくらいの価格設定なのです。

一昨日夕食で、ご案内戴いたインドネシア料理のレストランも価格を聞いて、料理の内容と比較して非常に高いのに驚きましたが、インドネシアの飲食店の価格は、価値で判断すると、日本とか、アメリカのレストラン等と比較して、比較にならない値段です。

飲食店の価格は世界中を見て回ると、価格の差が大きく、スイスを初め、ヨーロッパは全体に高く、日本とアメリカはよく似ていて、東南アジアのレストランの価格も高いのですが、現地人だけが行くレストランは、反対に非常に安く、昨晩見た屋台での夕食は、1人前150円程度と、ギャップが大きいのです。

インドネシアは、人口が約2億4千万人と、日本の2倍近くで、1万3千余りの島から構成されている他島国家であり、多くの民族から成り立っている国であり、日本は単一民族の国ですが、多民族国家で人口が多い国を治めるのは、たいへん難しく、インドネシアが、シンガポールより20年早く独立を果たしたにもかかわらず、国民1人当たりGDPではシンガポールが世界9位であるのに対して、インドネシアは世界118位と、非常に低い位置にあるのは、その難しさを表しているのです。

大卒の初任給は日本円で約2~3万円ですが、貧富の差が非常に激しいのは、他の新興国と同様で、事業税は約30%で、日本よりは低いですが、シンガポールと比較すると、非常に高いと言えます。

大学を卒業する若い人の人口は少なく、ほとんどが高校卒であり、インドネシアは若い人の人口が多いので、飲食業で募集しても人手を集めるのには、ぜんぜん困らないそうで、幾らでも採用が可能だそうです。

今後とも、最低20年は、インドネシアの人口は伸び続けるので、日本のような人手不足に陥ることは当分なく、飲食ビジネスにおけるインドネシアの課題は、人件費ではなく食材費で、インドネシアで賄えない食材のコストが非常に高いのが、課題のようです。

インドネシアと周辺のマレーシア、フィリッピン、シンガポール、ベトナム等の国々とは、国の事情がまったく異なるので、それぞれの国々に合った、飲食ビジネスの成功方程式があり、東南アジアにおける飲食ビジネスもそれぞれの国の事情に合わせて、異なった課題があり、国をまたぐと、同じ東南アジアであっても、違った戦略が必要なようです。

今回の出張では、インドネシアで飲食ビジネスに携わっている何人かの日本人に話を聞きましたが、現在のインドネシアは、日本で過去成功したビジネスモデルをそのまま持ってきても、或いは、少し現地に合せて修正するだけで、お客さまが行列を作ってくれるような、過去の日本の外食産業の成長期そのままの状態が起きていて、日本での飲食ビジネスと比べて集客とか、採算性では、はるかに楽なようです。

従って、昔は日本で盛んであった繊維産業が成り立たなくなり、人件費の安い中国に持って行き、成功し、人件費が高くなり、中国でも成り立たなくなり、ベトナムとか、バングラデイッシュに移動したように、日本では難しくなった外食も東南アジアでは、まだまだ可能性があるようです。

反対に、今後、日本で成り立つような新しい飲食ビジネスを考案し、成功すると、将来の海外展開にも使えるので、今後の日本において成立するような、成熟した、新しい飲食ビジネスの芽は、人件費の高い、ロンドンとか、北米の大都市のレストランではすでに存在し、これからの日本の参考になるのです。

昨日は、ジャカルタに住む、ラーメン学校の生徒さんから、フェイスブックを通じた連絡があり、店に訪問してみると、元気に頑張っていました。

本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。

「規模は関係ない」

事業が起業家的であるためには、新しさや小ささを超えた何かが必要であり、事実、新しい小さな事業のなかでも、真に起業家的な事業は少なく、起業家的な事業は、何か新しいもの、異質なものを創造し、変革をもたらし、価値を創造し、起業家たるためには、新しさや小ささは必要なく、それどころか、起業家精神は大企業、しかもしばしば歴史のある企業で実践され、100年以上の歴史を持つ世界的な大企業GEは、昔から起業家的な事業をゼロからスタートさせ、立派な産業に育て上げていて、その起業家精神を製造業に限定せず、金融子会社のGEクレジットは、アメリカの金融システムを一変させ、ヨーロッパにまで進出して、金融界のマジノ線を迂回することに成功し、産業金融における銀行の伝統的な独占を破ったのです。

イギリスの大店舗小売業マークス・スペンサーは、過去50年間、ヨーロッパで最も革新的かつ起業家的な企業として、イギリスの経済、さらには社会に対して大きな影響を与え、その影響は、政府や法律よりも大きく、GEやマークス・アンド・スペンサーを起業家たらしめているのは、規模や成長とは異なる、別の何かであり、同じような日本の事例は、コマツで、コマツは世界中で販売しているブルドーザーをインターネットでつなぎ、ブルドーザーの稼働率を見て、部品交換の時期とか、オーバーホール時期を確認したり、盗難にあったブルドーザーの位置を確認したり、エンジンのスイッチを切り、使用出来ないようにしているのです。

大企業であっても、起業家精神を持ち、イノベーション体質を持って成功している企業は世界中にたくさんあり、グーグルとかアップルはその典型的な事例であり、起業家精神を持つことは、事業を行なう上で、また、どんなに小さい事業を始める上でも欠かせず、従って、われわれ起業家にとって大切なことは、社会に良い影響を及ぼし、多くの人たちを幸せにするためのイノベーションと起業家精神を持ち合わせて、果敢にビジネスを進めることが欠かせないのです。

「大学と病院の例」

起業家精神とは、経済的な組織に限定されるものではなく、起業家精神の歴史において、近代的な大学、とくにアメリカの大学の創設と発展に勝る例はなく、西洋における近代的な大学は、ドイツの外交官ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが構想し、ベルリン大学を創設し、その60年後、ベルリン大学が頂点に達した1870年頃、大西洋を隔てたアメリカでも、社会改革の旗手としての大学というフンボルトの考えが実現し、その後の30年間において、名だたる学長が次々と現れ、アメリカ型の新しい総合大学を創設し、1世紀前にベルリン大学が、学問研究の分野で世界の指導的地位をドイツにもたらしたように、第1次世界大戦後、その地位をアメリカにもたらしたのです。

第2次世界大戦後、起業家精神にあふれた教育界の人たちが、NYのペイス大学、フェアレイ・デイキンソン大学、NY工科大学、ボストンのノースイースタン大学、西海岸のサンタクララ大学、ゴールデン・ゲート大学のような新しい都会型の私立大学をつくり、近年アメリカで最も成長した高等教育機関が、それら新しい型の大学であり、講義そのものは以前とあまり変わらなかったのですが、対象が異なり、高校の新卒者よりも、すでに働いている人たちを対象にし、寄宿舎に住み、週5日、9時から5時まで講義に出る昔ながらの学生ではなく、自宅に住み、夜間の授業に出てくる大都市の成人に的を絞り、伝統的な大学生よりも、多様な生活背景を持つ種々雑多な学生を対象にし、それらの大学は、市場の変化、すなわち学位が上流階級のものから中流階級のものに変化したこと、さらには、大学に行くことの意味が変化したことに対応し、まさに起業家精神によって生まれた大学だったのです。

江戸時代に鎖国を続けていた日本が、経済大国になることが出来た大きな遠因は、過去の日本の教育の歴史で、江戸時代の藩校に源流を見ることが出来、日本が幕末から明治維新に移行し、近代国家に早く移行することが出来たのは、江戸時代における藩校の果たした役割が、非常に大きなものがあり、藩校の内容や規模は多様ですが、藩士の子弟は皆強制的に入学させられ、後に、武士階級以外に開放された藩校もあり、広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関を含み、全国的な傾向として、藩校では武芸も奨励され、7〜8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで卒業し、教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣術等の各種武術などが加わり、藩校の入学における主な試業(試験)は素読吟味であり、四書(儒学の基本文献。「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称)のうち、抜粋した漢文を日本語訳で3回読み上げ、内容の解釈はともかく、読みの誤謬(読み間違い)、遺忘(忘れてしまうこと)の多少で合否が決まり、江戸時代の藩校では現在では考えられないような厳しい教育制度であり、その制度の下で、幕末に海外から日本に来た諸外国の外国人たちは、日本人の素養の素晴らしさに舌を巻いていたのです。

徳川家光時代までの武断政治から文治政治への転換と共に、藩校が各地に設立され、日本初の藩校は、1669年(寛文9年)に、岡山藩主池田光政が設立した岡山学校(または国学)で、全国的に藩校が設立された時期は宝暦期(1751年〜1764年)以後であり、多くの藩が、藩政改革のための有能な人材を育成する目的で設立した学校が多く、各地では優秀な学者の招聘も盛んに行われ、発展期には全国に255校に上り、ほぼ全藩に設立され、藩校の隆盛は、地方文化の振興や、各地域から時代をリードする人材等の輩出にも至り、代表的な藩校としては、会津藩の日新館、米沢藩の興譲館、長州藩の明倫館、中津藩の進脩館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の時習館、鹿児島藩(薩摩藩)の造士館などが有名であり、特に薩長の雄藩では教育においても優位に立っており、薩長土肥の連合において有力な人材を輩出したのです。

「世界ランキング統計局」によれば、2012年10月3日、イギリスの高等教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE Times Higher Education)」が、2012年版の「THE 世界大学ランキング 2012(World University Rankings 2012-2013)」を発表し、「THE 世界大学ランキング」は、「教育環境」「国際性」「産業界からの収入」「研究」「引用」の5つの全体的指標と、13の個別的指標から評価され、その中から上位400大学が公表され、ランキング1位は昨年同様、カリフォルニア工科大学(アメリカ)が選ばれ、2位にオックスフォード大学(イギリス)、3位スタンフォード大学(アメリカ)と続き、1位から25位までは、12位のチューリッヒ工科大学(スイス)を除き、全てアメリカ、イギリス、カナダと、英語圏の国の大学で占められ、非英語圏の国の大学では27位の東京大学が最高位であり、アジアの大学では、27位の東京大学に次いで、29位シンガポール国立大学(シンガポール)、35位香港大学(香港)、46位北京大学(中国)、50位浦項工科大学校(韓国)の順となっていて、これらアジアの大学は近年、急速に順位を上げてきていて、このランキングの指標ごとのスコアをみると、日本の大学の弱点が浮き彫りになり、中でも「国際性」のスコアが総じて低いことが指摘され、特に、東京大学27.6点や京都大学の26.3点は、トップ100にランクインした世界の大学の中でも最低水準であり、「国際性」は外国人教員や留学生の比率などで評価されるのですが、今後はこの弱点を克服するために、大学制度の改革や、海外からの高度人材の誘致とそれに伴う法整備、外国人の就職環境の改善など、大学と政府、企業を巻き込んだ具体的な政策が求められるのです。

当社が麺學校を運営しているのは、麺打ち職人を育てるためではなく、経営者を育てる学校を行ない、製麺機を販売するためではなく、卒業した生徒さんが業界で大成功し、永く繁栄するためにマネッジメントに力を置き、すでに多くの同業者が教えている内容ではなく、世界中を巡って入手している、常に新しい情報、ノウハウを提供しているのです。

ある調査によると、うどん店、蕎麦店、ラーメン店では、新規開業後1年以内に40%以上が、3年以内に70%以上が閉店し、当社の製麺機のユーザーさまで、麺学校に参加していないお客さまの閉店率は、うどん蕎麦店で、1年未満が6.3%、3年未満が14.4%で、ラーメン店では、1年未満は4.6%で、3年未満が12.9%で、当社のうどん学校、蕎麦学校、ラーメン学校の卒業生で製麺機のユーザーにもなっている生徒さんの場合、うどん蕎麦店の1年未満の閉店は4.9%、3年未満の閉店率は12.7%で、ラーメン店の場合は、1年未満の閉店率は0%で、3年未満の閉店率は6.6%で、当社のユーザーさまとユーザーさま以外の店の閉店率の差が約5~6倍の違いがあり、麺学校を卒業し、ユーザーになった生徒さんと、当社の学校に来ないで、当社の製麺機も使わずに開業した方がたの差は、8~10倍の差があり、リスクを取ることと、学ぶことの大切さが改めてよく分かる生きた事例です。

近代病院の歴史からも、起業家精神についてのケース・スタデイーの本を書くことが出来、近代病院は、18世紀の末、エデインバラとウイーンで生まれ、アメリカでは19世紀に地域病院(コミュニテイ・ホスピタル)として生まれ、20世紀の初めには、メイヨー・クリニックやメニンガー基金など専門化した医療センターが生まれ、第2次世界大戦後には、保健センターが現われ、そして今日、医療界の新しい起業家たちが、救急外科クリニック、産婦人科センター、神経科センターなど、病人の介護ではなく、特定の医療ニーズに応えるための専門医療機関を生み出していて、世の中の変化に伴ない、学校にしろ、病院にしろ、あらゆるものに違ったニーズが発生し、それに対してイノベーションを起こして対応した人たちだけが社会を変えて、人びとの幸福に貢献しているのです。

ジャカルタで泊まっているホテルの朝食は、たいへんメニューが豊富で、私の好きなフルーツもたくさんの種類が用意されていました。

ビュッフェ方式で、地元の料理、すし、てんぷら、西洋料理まであらゆる料理があり、私は朝食はフルーツだけなので、ピッタリの食事でした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

校長ブログ一覧

全国各地のドリームスタジオ、日本地図

全国8ヶ所にある麺開業.comの相談場所で、メニュー開発や、スープ・だし講習、経営についてなどの無料のイベント・セミナーを多数行っています。

開催場所ごとのイベントを見る