まずは、お知らせです。来週9月14日(月)から16日(水)の3日間、本社に
て、創業40周年記念イベントを開催し、私のセミナーは
14日「変化し続けてきた業界の最新情報」、15日「麺
業界の5年後を読み解く。女性にウケる店舗とは?」、1
6日「人材育成・多店舗展開・海外進出するためには」の
3本です。
そして、16日には、人気TV番組「カンブリア宮殿」ディレクター江藤様によるセミナー、「カンブリア宮殿10年で出会った経営者たち」と、麺学校卒業生の同窓会が開催されます。
本日のテーマは「快適さの逆襲」です。
台風一過で、朝から素晴らしい晴天になり、気温は例年と比べると非常に低く、秋の到来が早まっているのです。
地球温暖化の影響で、夏はますます暑く、長くなり、例年9月一杯は暑い日が続くのですが、今年は珍しく、気温の低下が早く、8月末から秋のような過ごし易い日が続いているのです。
以前と比べると、気候変動はだんだん激しくなり、今回は台風の余波で、鬼怒川が氾濫し、広い範囲で多くの家屋が流されたり、水没し、大きな爪痕を残しました。
茨城県のお客さまに確認すると、電気等のインフラまで被害を受けているようです。
温暖化の大きな影響は、日本だけでなく、海外でも以前と比べると、災害の規模は、ますます大きくなっています。
月に人類が行き、宇宙に自由に行き来出来るようになり、これだけ文明が発達した世の中になっても、人類は自然の猛威には、なす術がなく、せいぜい、予報が出来るくらいなのです。
4年前の東北大震災でも、東北の沿岸部の人たちは、自然の猛威に襲われ、貴重な人命をたくさん失ったのです。
これだけ、科学が進歩している現代においても、われわれ人間は、自然を克服することが出来ないのです。
文明の発達で、われわれの生活は非常に進化し、一見、快適になっているように見えているのですが、その分、自然が破壊され、温暖化現象が顕著になり、しっぺ返しの自然の猛威がわれわれに襲い掛かるのです。
従って、暑い時、寒い時は、快適な冷暖房の下で過ごすことが出来、行きたいところへ、いつでも車とか交通機関で出かけることが出来、世界中へ快適に旅行出来る恩恵に預かっている裏には、地球が犠牲になっており、そのしっぺ返しが、大きな自然の猛威として、われわれに襲い掛かっているのです。
そして、地球上の人口は、早いピッチで増え続け、ますます地球に大きな負荷がかかり、自然破壊が続いています。
今は、地球上の一人ひとりが、地球にかける負荷を小さくする努力をしなければいけないのです。
無駄な電気は使わず、残飯は出来るだけ出さず、必要以外は車に乗らず、エネルギー消費の少ない生活が重要なのです。
私は現在、毎日1万歩歩行の目標を立てているので、日々、これを達成しようとすると、かなり、長時間、歩くようになるのです。
われわれ一人ひとりが、出来るだけ負荷のかからない生活をするのと、そうでないのでは、一生涯の間で、違いは計り知れないくらい、大きなものなのです。
何の気なしに、便利な生活が当たり前になっているわれわれにとって、便利な生活の代償を払わなければいけない時代になっているのです。
地球上の人口がますます増えつつある現在において、その傾向はますます大きくなっているのです。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
専門技術戦略
大手の自動車メーカーの名前を知らない人はいないのですが、電気系統システムを供給する部品メーカーの名前を知っている人はほとんどいないし、それら部品メーカーの数は、自動車メーカーよりも少なく、アメリカではGMのデルコ・グループ、ドイツではロベルト・ボッシュ、イギリスではルーカスなどで、ミルウォーキーのA・O・スミスが、何十年も前から乗用車のフレームをつくってきたことや、ベンディックスが、同じく何十年も前からあらゆる種類のブレーキをつくってきたことを知っている人は、自動車産業の外にはほとんどいなく、今日では、これら部品メーカーのすべてが、歴史のある企業になっていて、自動車産業とともに育ってきたからであるのです。
これらの部品メーカーは、第1次大戦前の自動車産業の揺籃期に、その支配的地位を確立し、たとえばロベルト・ボッシュは、ドイツの自動車産業の先駆者たるカール・ベンツや、ゴットフリート・ダイムラーの友人であり、1880年代に会社をつくり、現在でも、自動車の部品メーカーはより専門化し、グローバル化し、規模が巨大になり、規模の大きい自動車部品メーカーは、規模の小さい自動車会社よりも大きくなり、最近の内燃機関から、電池自動車の時代になり、部品メーカーへの新規参入はハードルが高く、ほとんどないのですが、自動車メーカーへの新規参入は次々と起きているのです。
◆自らが基準となる
これら歴史のある自動車部品メーカーは、その専門技術によって、生態学的なニッチにおいて支配的地位を獲得すると、その地位をずっと維持してきて、部品メーカーが獲得したニッチは、前述の関所戦略をとった企業の市場よりもかなり大きかったが、それでもかなりユニークな市場で、それら部品メーカーは、優れた技術を開発することによって、かなり早い時期に市場を獲得し、A・O・スミスは、第1次大戦からその直後にかけて、自動車のフレームの製造において、今日いうところのオートメ化を実現し、ドイツのボッシュがメルセデスの軍用車両のために1911年頃設計した電気系統システムは、あまりに先進的であって、高級車においてさえ一般に使われるようになったのは、第2次大戦後だったのです。
オハイオ州デイトンのデルコは、1914年にGMに合併されるよりも前に、セルフスターターを開発し、これらの部品メーカーは、その専門技術によってあまりに先行しているために、ほかの企業にとっては挑戦する価値がなくなっていて、これらの部品メーカー自体が、すでに技術の基準となっているのです。
もちろん、専門技術によるニッチ戦略は、製造業に限定されることはなく、ここ10年間に、主としてオーストリアのウィーンの商社が、かつてバーターと呼ばれ、今日、カウンタートレードと呼ばれている分野で同じようなニッチ市場を手にし、先進国企業からの機関車、機械、医薬品輸出に対する代金として、ブルガリア産のタバコやブラジル製灌漑用ポンプなど、途上国の輸出品を受け取り、さらに昔、ある起業家的なドイツ人が、きわめて専門的な技術によって、今日にいたるも、当人の名前をつけた「ベーデカー」なる観光用ガイドブックをつくり、大きなニッチ市場を得ているのです。
以上のように、ビジネスの世界においては、技術分野においても、技術以外の分野においても、常にイノベーションの芽を見つけ続けることが、勝ち残るための必要最低条件なのです
◆揺籃期でのスタート
専門技術によるニッチ市場の確立にとっては、タイミングが重要な意味をもち、新しい産業、新しい習慣、新しい市場、新しい動きが生まれる揺籃期にスタートしなければならず、カール・ベーデカーは、1828年、蒸気船が中流階級を対象にライン川観光を始めたとき、その最初のガイドブックを発行し、第1次大戦によってドイツの出版物が、ほかの国で受け入れられなくなるまで、事実上、欧米の市場を独占したのです。
ウィーンの商社は、それがまだ例外的な取引だった1960年頃、東欧の小国を相手としてカウンター・トレードを始めたので、それらの商社がウィーンに多いのもそのためで、そして10年後、第3世界が慢性的な外貨不足に陥ったとき、それらの商社は、カウンター・トレードの技術をさらに向上させて、その専門家となったのです。
専門技術による起業家戦略を使うためには、どこかで何か新しいこと、つけ加えるべきこと、あるいはイノベーションを起こさなければならず、ベーデカーの前にも旅行者用ガイドブックはあったのですが、それらは、教会や風物など文化的な情報に限られていて、イギリス貴族の旅行者は、実務的な日常の些事、ホテルや馬車の料金、チップの額などは執事に任せていたのですが、新しく現れた中流階級には、執事はいなかったので、この事実が、ベーデカーにとって機会となり、しかもベーデカーが、観光客が必要としている情報を知り、それらの情報の入手の方法や、掲載のスタイルをマスターしたあとでは、誰も同じ投資をする気にはなれなかったくらい充実していて、彼のスタイルは、今日でも多くのガイドブックに引き継がれているのです。
このように専門技術による起業家戦略は、発展の初期の段階で行なわなければならず、たとえばアメリカでは、航空機用プロペラを製造するメーカーは、第1次大戦前に設立されている2社しかないのです。
◆不断の努力
専門技術によるニッチ市場が偶然見つかることはほとんどなく、いかなる場合も、イノベーションの機会を体系的に探すことにより、はじめて市場を見つけることができ、そこで起業家は、ユニークな支配的地位に就くことのできる専門技術を開発できそうな分野を探すことが重要で、ボッシュは、生まれたばかりの自動車産業を何年もかけて研究し、アメリカの飛行機用プロペラ・メーカーとして歴史のある、ハミルトン・プロペラは、創業者が草創期の航空機産業を体系的に調査して設立し、ベーデカーは、新しいタイプの観光客を対象とする、いくつかの事業を試みたあと、自らの名を高めることになったガイドブックをつくったのです。
◆戦略の条件
したがって、この戦略の条件として、第一にいえることは、新しい産業、市場、傾向が現れたとき、専門技術による機会を、体系的に探さなければならないということであり、ありがたいことに、そのための専門技術を開発する時間は、十分あるのです。
第二にいえることは、独自かつ異質の技術をもたなければならないということであり、自動車の組み立てメーカーの先駆者たちは、例外なく機械の専門家で、彼らは機械や金属やエンジンについては熟知していたが、電気については素人で、彼らが保有せず、習得の道も知らない知識が必要とされていたのです。
ベーデカーの時代にも出版社はあったのですが、膨大な量の細かな情報を現場で集め、確認し、旅行記者を手配しなければならないガイドブックの編集は、彼らの守備範囲ではなく、そしてカウンター・トレードは、貿易でも金融でもなく、専門技術によるニッチ市場を確立した企業は、顧客と取引先のいずれからも、脅威を受けることがなく、彼らは、技術的、気質的に異質なものに、あえて入り込んでこようとはしないのです。
第三にいえることは、専門技術によるニッチ市場を占拠した企業は、絶えずその技術の向上に努めなければならないということであり、つねに一歩先んじなければならないので、まさに、自らの手によって、絶えず自らを陳腐化していかなければならないのです。
初期の自動車組み立てメーカーは、デイトンのデルコやシュツットガルトのボッシュが尻をたたくとこぼしていたもので、両社はしばしば、当時の自動車の水準をはるかに超え、しかも顧客が必要とし、欲しがり、払えると考えているものさえ超え、さらには、組み立てメーカーが組み立て方さえ見当のつかないような電気系統システムまで提案していたのです。
画像は昨日の東京支店でのセミナーに参加した、蕎麦のカフェを開業した、蕎麦学校の生徒さんの三瓶さんです。
久しぶりにお会いしましたが、ますます元気に頑張っています。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。