本日のテーマは「麺学校のイノベーション」です。
本日、日曜日は東京支店での今年最後の経営講義の2日目であり、うどん学校の生徒さんにとっては最終日になります。
今回の経営講義の参加者は、脱サラ組が比較的多く、サラリーマン時代に完全燃焼を出来ていない部分を、次の麺ビジネスで完全燃焼しようと考えている人が多く、毎回の生徒さん方の考え方、生き方の差の大きさに気づきます。
麺学校を15年間開催していると、最初のころの生徒さんと現在の生徒さんの意識、価値感の違いの大きさを感じるのです。
15年前にうどん学校を開校したころは、「はなまる」がセルフのうどんで成功し始めたころで、セルフのうどん店を開業する希望者が多く、セルフうどん店で、1山当てようというような、良い意味でも、悪い意味でも、元気で貪欲な生徒さんが多かったように思います。
12年前にラーメン学校を始めたころも、参加する生徒さんたちは熱心で、燃えるような情熱を持った生徒さんたちが多く、このような特殊な、美味しいスープをラーメン学校の中で、絶対に完成させたいという強い要望を持った生徒さんが多かったのです。
ラーメン学校を始めたころは、今になって振り返ってみると、むしろわれわれ講師陣の方が、今のような高いレベルではなく、参加した生徒さんに授業料を返金したくなるようなレベルだったのですが、多くの難しい難題を持って参加する生徒さんに鍛えられて、レベルがどんどん上がってきたのです。
いずれにしても、以前の学校の参加者の方が、良くも悪くも、明確な目的を持って参加し、難題を持って参加する生徒さんが多かったのです。
最近の麺学校の参加者の多くは、明確な目標を持っておらず、うどん店とか、ラーメン店であれば、麺が好きだし、何とかなりそうだと思って参加する生徒さんが多いように思います。
このような生徒さんが増えた現状を分析してみると、当社の麺学校が多くの生徒さんから、自分はそんなに努力しないでも、或いは、自分のレベルは低くても、何でもやって貰えるような、面倒見の良い麺学校だと思われているのではないかと思います。
麺ビジネスのプロ養成の学校であるのですが、麺ビジネスのプロになるのに向かない生徒さんが、最近は多くなっているような気がします。
もし、自分が人生をかけ、本気でこの道を進もうとしているのであれば、学校に参加するまでに、このビジネスについての探求をもっと行なっていなければと思えるような生徒さんが余りにも多いのです。
麺学校のレベルは生徒さんのレベルで、大きく伸びたり、或いは進化しなかったりするので、参加する生徒さんのレベルが高ければ高いほど、麺学校のレベルも大きく伸びるのです。
世界的に有名な大学であるハーバード大学とか、スタンフォード大学等の有名大学では、世界中から優秀な学生を集めることが出来ているので、より強いポジションで居続けることが出来ているのです。
だから、麺学校のレベルを上げ続けるためにも、要求レベルの高い、プロ意識の高い生徒さんを集めたいのです。
最近の2日間の経営講義で感じるのは、生徒さんのプロ意識の高い人たちの多いグループとそうでないグループの落差が激しいのです。
もし、自分が受講者として、経営講義に参加した場合はどのような態度で参加するだろうかと考えると、これはあり得ないだろうと思えるような生徒さんが混じっているので、今後の課題は、参加する生徒さんの分類の必要であり、クラス分けが必要なのです。
今までもレベルの差が大きい場合があり、クラス分けの必要性は感じていたのですが、最近は余計にこのことについて、問題を感じます。
現在の延長線上の麺学校であれば、社会に対する貢献度、社会に対する影響度が大きくならないような気がします。
参加する生徒さんの意識の変化により、麺学校の進化がますます問われているような気がします。
そのために来年から、製麺マイスター、麺ソムリエ協会をスタートし、製麺のレベルアップ、麺ビジネスのレベルアップを計り続けていこうと考えているのもその一環です。
併せて、来年の2月から、シンガポールで本格的な麺学校を開校する予定ですが、海外での麺学校は、国内とは違った意識、価値観を持った生徒さんが参加し、麺学校のレベルアップの加速が計られることを狙っているのです。
今年最後の麺学校の経営講義をしながら、参加する生徒さんの意識の違いを感じながら、麺学校のイノベーションの必要性を大きく感じているところです。
要するに、常に安心領域から逸脱し続けることの必要性を感じているのです。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「起業家の特性」
「不確実なものにチャレンジする」
体系的な起業家精神の発展を目的とした資金調達の最初の試みは、1852年(173年前で明治維新の16年前)のペレール兄弟によるクレデイ・モビリエの創設に始まり、ライン川を越えたドイツのゲオルク・ジーメンスによるドイツ銀行創設において本格化し、さらには、大西洋を渡ってNYにもたらされた若き日のJ・P・モーガンによる起業家精神のための起業家的な銀行の創設は、企業の所有を目的としたものではなく、初期の銀行家であるロスチャイルド家は、自ら事業の所有者となり、鉄道への融資も自己資金で行なったのですが、これに対し、起業家的な銀行は、自らは事業の所有者にならず、彼らは、設立時に出資した事業の株式を売って利益を得、しかも出資に必要な資金は市場から調達し、他のあらゆる経済活動(そしてほとんどが非経済活動)と同じように、資金を必要としますが、企業家は資本家であるとは限らないし、投資家であるとも限らないのです。
起業家はリスクを冒しますが、経済活動に携わる者は、誰でもリスクを冒すのは、経済活動の本質は、現在の資源を将来の期待のために使うこと、すなわち、不確実性とリスクにあり、起業家は雇用者であるとは限らないし、むしろ被雇用者であることの方が多いし、勿論、独立した個人でもあり得て、起業家精神とは、個人であれ組織であれ、独特の特性を持つ何かであるのですが、それは気質ではなく、実際のところ、過去30年間、いろいろな気質の人たちが、起業家的な挑戦を見事にやり遂げていて、確実性を必要とする人は、起業家には向かないのですが、そのような人は、政治家、軍の将校、外国航路の船長など、いろいろなものに向かず、これらのものすべてに意思決定が必要であり、「意思決定の本質は不確実性にある」のです。(起業家精神とは、不確実なものにも果敢にチャレンジすること)
意思決定を行なうことのできる人ならば、学ぶことによって、起業家として、起業家的に行動することが出来、社内のスタッフに起業家精神を持たせ、社内をイノベーション体質に変えようと思えば、意思決定の権限を持たせなければならず、責任から逃れようとするスタッフは、意思決定の権限を持ちたがらず、スタッフを幹部に登用する場合は、意思決定の責任を持とうとする人以外は、幹部に登用することが出来ないし、絶対に登用してはいけないし、起業家精神とは、気質ではなく、行動であり、しかもその基礎となるのは、直観ではなく、原理であり、方法であるのです。
「変化を利用するもの」
あらゆる仕事は原理に基づき、起業家精神もまた、原理に基づき、起業家精神の原理とは、変化を当然のこと、さらに言えば健全なこととすることであり、常に世の中は変化し、世の中の変化を良しとし、その変化を活用することが出来るのが起業家なので、世の中は常に変化しているので、その変化を捕え、自ら変化する、すなわち、安心領域にはとどまらないことが欠かせず、ある程度のポジションを獲得して安心したり、安住の地を求めることは、あり得ないのです。
「創造的破壊」
起業家精神とは、すでに行っていることをより上手に行なうことよりも、まったく新しいことに価値、特に経済的な価値を見出すことであり、権威に対する否定の宣言であり、起業家とは、秩序を破壊し解体する者であり、起業家の責務は「創造的破壊」であり、シュンペーターは、最適配分や均衡よりも、起業家によるイノベーションがもたらす動的な不均衡こそ経済の正常な姿であり、経済理論と経済活動の中心に位置づけるべき現実であるとしたのです。
「変化を当然とする」
教育の資源は経済的な資源であり、それは、例えば石鹸を製造するというような明らかな経済活動に使う資源と同じであり、つまるところ、社会的な活動に使う資源は、すべて経済的な資源であり、現在の消費を控え、将来の期待のために配分する資金にせよ、土地、とうもろこしの種、銅、教室、病院のベッドなどの物的資源にせよ、労働力やマネッジメントや時間にせよ、すべて経済資源であり、起業家精神という言葉は、経済の領域に限定されるものではなく、あらゆる人間活動に適用され、しかも、われわれは、その領域が何であろうとも、起業家精神そのものには、ほとんど違いがなく、教育界、医療界における起業家も、経済界や労働界における起業家とほとんど同じ資源を使い、ほとんど同じことを行ない、ほとんど同じ問題に直面し、同じように成果をあげ、起業家は変化を当然かつ健全なものとするので、「彼ら自身は、それらの変化を引き起こさないかもしれないが、変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する。」のが、企業家および起業家精神の定義であるのです。
私も自分の人生を思い返せば、川崎重工の造船事業部で勤務中に、上司から次々と新しい仕事を与えられましたが、その頃の造船事業部では、多くの船主から、同じような船型のタンカーの受注を受けていたので、先輩たちは、同じような船型の場合、以前書いた図面を流用し、必要な部分だけを修正して提出すれば、はるかに手間が要らず、早く図面を提出することが出来るのですが、私は新しい仕事を与えられるたびに、その仕事の本質を理解し、その本質を全うできるような図面を新たに起こしていたので、赴任した初期の頃は、1枚の図面にも相当時間がかかりましたが、慣れるに従い、時間は短くなり、最適な図面を書け、私は過去からずっと行われたいたことに常に疑問意識を持って取り組んでいたので、自分自身の過去を振り返ってみると、既にサラリーマン時代に反骨精神を持っていたのです。
「起業家のリスクは低い」
一般には、起業家には大きなリスクが伴うと信じられていて、マイクロ・コンピュータや遺伝子工学など目立ち易いハイテクのイノベーションは、失敗の確率が高く、成功の確率どころか、生き残りの確率さえかなり小さいのですが、しかし、起業家精神には、大きなリスクが伴わないのです。
「最もリスクが小さな道」
起業家はその本質してから、生産性が低く成果の乏しい分野から、生産性が高く成果の大きな分野に資源を動かすので、そこには成功しないかもしれないというリスクはあるが、しかし、多少なりとも成功すれば、その成功はいかなるリスクを相殺しても余りあるほど大きく、従って起業家精神は、単なる最適化よりも、はるかにリスクが小さいというべきであり、イノベーションが必然であって、大きな利益が必然である分野、すなわちイノベーションの機会がすでに存在する分野において、単なる資源の最適化にとどまるほど、リスクの大きなことはないのです。
したがって、論理的にいって、起業家精神こそ、もっともリスクが小さな道であり、起業家精神のリスクについての通念が間違いであることを教えてくれる起業家的な組織は、われわれの身近にいくらでもあり、たとえば、AT&Tのイノベーションの担い手たるベル研究所があり、この研究所は、1911年頃の自動交換機から1980年の光ファイバーの開発に至るまで70年以上にわたって、トランジスタや半導体、コンピュータに関わる理論やエンジニアリングなど、次つぎにイノベーションに成功し、ベル研究所の過去の記録は、ハイテク分野でさえイノベーションと起業家精神のリスクを小さくすることが出来ることを示していて、IBMもまた、コンピュータという進歩の早いハイテク分野において、しかも電気や電子の専門企業と競争しながら、今日のところ、大きな失敗を犯していないのです。
同様に、最も平凡な在来型企業である小売業において、世界で最も起業家的なイギリスのマークス・アンド・スペンサーも、大きな失敗をしておらず、消費財最大手メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)も、同じように完璧に近い、イノベーションの成功の歴史を誇っていて、ミネソタ州セントポールのミドルテク企業であるスリーエム(3M)も、過去60年間にわたって100種類以上にのぼる新事業や新製品を手がけ、その8割を成功させ、これらは、低いリスクのもとにイノベーションを成功させてきた起業家的な企業のごく一部に過ぎず、神の助け、まぐれ当たり、偶然とするには、あまりに多くの企業がイノベーションを成功させていて、起業家精神のリスクについての通念の間違いを教えてくれる個人起業家も大勢いるのです。
画像は、一昨日のうどん学校最終日の生徒さんの作品事例で、季節の野菜を使ったぶっかけうどんです。
この時期は、キノコ等の活用も大切で、キノコと野菜の使い方に工夫が必要です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。