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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「リード・タイムは予測可能、変化の無視、「イノベーションの機会」としての利用、成功例」

生徒さんに盛り付けの指導をしているところ

本日のテーマは「ビジネスをデジタル化」です。

先日触れたのですが、デジタル化によってわれわれを取り囲む環境は、過去のリニアな変化から、エクスポーネンシャル(指数関数的)な大きな変化に見舞われました。

われわれの身の回りの最も顕著な事例は、携帯電話、スマートフォーンの急激な進化であり、その陰で、多くのメーカーの栄枯盛衰があり、最初は国内では強かった日本のメーカーの出番はまったくなくなりました。

同時に、インターネットの急激な浸透に伴ない、ネット販売の爆発があり、このジャンルでも最初は楽天等、国内での競争であったのですが、アマゾンが加わり、競争状態がまったく変わってしまったのです。

普段の生活に目をやると、スーパーから始まった流通革命は、八百屋等のパパママストアを駆逐し、コンビニ、専門店、デイスカウンター、ドラッグストア等、これらのすべての新しい流通の旗手はすべて、ITにより武装され、急激な進化を続けているのです。

特に、日本のコンビニは世界最強で、セブンイレブンを筆頭にますます、流通革命をけん引しているのです。

製造業のジャンルでも、トヨタ生産システム、ロボットの導入、或いはコマツのコムトラックスは、GPSとITを駆使した建設機械の外部からのコントロールする仕組を作り上げたのです。

金融業界でも、工学系の人間が多数採用され、金融工学を駆使し、複雑な金融商品を作り上げ、リーマンショックを始め、金融業界を大きく変えていったのです。

この様に、われわれの周りを見回すと、ITの活用により、ビジネスがエクスポーネンシャルに大きく変化、進化している事例がたくさんあり、デジタル化の結果、過去長く続いてきた、リニアの変化の時代から、エクスポーネンシャルな変化に時代に突然移行し、多くの企業がその変化に気づかず、淘汰されているのです。

現在、われわれのビジネスである、麺ビジネスも後になって振り返ると、ITの影響を大きく受け、エクスポーネンシャルな変化に見舞われ、大きく変貌を遂げようとしている狭間にいるような気がしてならないのです。

ITの活用で、大きくビジネスが変貌する原因がデジタル化にあり、デジタル化により、それまでのアナログの世界の速度から、速度の加速が始まるのです。

当社の事例でも、麺学校のレシピの作成をデジタル・クッキングに変えてから、当社の麺学校のレベルが、極端に上がったのです。

デジタル化により、人間の頭で考えるのではなく、PCで簡単に演算、記録、引き出すことにより、進化の速度が桁違いに早まったのです。

最初は、われわれ自身がデジタル・クッキングの威力をそれほど実感していなかったのですが、デジタル化、IT化により、進化が加速することが分かり、麺学校でやっているデジタル・クッキングにより、麺学校のレベルが大きく変化した意味が良く分かったのです。

このように、デジタル化は、あらゆるものを大きく変貌させてしまう、大きなパワーを秘めているのです。

当社の社内のあらゆる仕組みもデジタル化により、大きく変えてしまうことが出来る可能性を秘めていて、デジタル化は社外だけでなく、社内を変えていくのにも、大きな力を発揮する可能性を秘めています。

今後、デジタル化によって大きく変えていかなければいけないジャンルが、われわれの本業である麺ビジネスで、私は麺ビジネスに携わって長いのですが、麺学校自体はデジタル化出来たのに、亀城庵の運営をデジタル化しておけば、違った世界が開けていたのにと思うと、大きな失敗をしていたことが、今分かったのです。

従って、これからの麺ビジネスにおける大きな課題は、麺ビジネスのあらゆる部分のデジタル化であり、それが麺ビジネス自体を大きく変貌させるための必須条件でもあるのです。

デジタル化しておけば、デジタル化された記録が残っているので、同じ失敗を繰り返す必要がなく、デジタル・クッキングのように再現性が高く、ビジネスの速度を加速させることが出来るのです。

マネッジメントのデジタル化は、われわれが避けて通ることのできない、これからのエクスポーネンシャルな時代に生き抜く大きなパワーになり、マネッジメント自体をデジタル化することを、われわれは真剣に取り組まなければいけない時代になったことを痛感します。

今、あらゆるものがデジタル化され、IT化されている時代において、そのことに早く気づき、真剣に取り組むのと、そうでないのとでは、時間と共に、開きが大きくなってきます。

これからは、エンジニアであろうとなかろうと、デジタル化、IT化の重要性は、ビジネスに携わる限り、理解することは絶対なのです。

そして、最も重要なことは、人間しか出来ない判断力を養うことなのです。

昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

◆リード・タイムは予測可能

人口構造の変化は、そもそも予測が不可能なのかもしれないのですが、たとえそうであっても、人口構造の変化が現実の社会に影響をもたらすまでには、リード・タイムがあり、予測が可能なリード・タイムがあり、新しく生まれた赤ん坊が幼稚園児となり、幼稚園の教室や先生を必要とするようになるには、5年を要し、彼らが消費者として意味をもつ存在になるには、15年、成人の労働力となるには19年から20年以上を要し、いずれも計算でき、ラテン・アメリカの人口は、乳幼児死亡率の激減の直後、増加を始めたのですが、死なずにすんだ赤ん坊が学校に入るには5年から6年を要し、15、6歳の少年として職を求めるようになるには15年かかったのです。

教育水準の向上についても、その結果が労働力人口の構造変化や、技術水準の向上となって現れるには、少なくとも10年、通常15年を要するので、以上のように、赤ん坊として生まれ、次の段階に進むのには、ある一定の時間が必要で、それらの時間は、必ず計算でき、いつの将来に何が起きるかは完全に予測できるのです。

◆変化の無視

このような人口構造の変化が、起業家精神を持った起業家にとって、実りあるイノベーションの機会となるのは、ひとえに既存の企業や社会的機関の多くが、それを無視してくれるからであり、彼らが、人口構造の変化は起こらないもの、あるいは急速には起こらないものであるとの仮定に、しがみついているからであり、まったくのところ、彼らは人口構造の変化を示す、明らかな証拠さえ認めようとしない、いくつかの典型的な例があります。

1970年当時、アメリカでは、学校の生徒数が、少なくとも10年から15年間は、1960年代の25パーセントから30パーセント減になることが明らかになっており、1970年に幼稚園児になる子供は、1965年以前に生まれていなければならず、しかも少子化傾向が、急に変わる様子もなかったのですが、アメリカの大学の教育学部は、この事実を受け入れようとせず、子供の数が、年を追うに従って増加することは、自然の法則であるとでも考えているかのようで、彼らは、教育学部の学生の募集に力を入れ、その結果、わずか数年後には卒業生の就職難を招き、教師の賃上げに対する抑制圧力を生み出し、挙げ句の果てに教育学部の廃止を余儀なくされ、この現象は、日本でも起きた現象で、ベビー・ブームの反動による人口減であり、赤ん坊の出生数を見れば、一目瞭然であったのです。

ドラッカー白身、2つの経験をしており、ドラッカーは1970年代の半ばには、すなわち1957年の約20年後には、アメリカの大学生は1000万人ないし2100万人になると予測し、この数字は、すでに発生していた2つの人口の変化を単純に足した結果であり、出生率の増加と大学進学率の増加で、この予測は完全にあたったのですが、当時、アメリカの大学当局のほとんどすべてが、この予測を一笑に付したのです。

その19年後の1976年、ドラッカーは人口の年齢構成を見て、アメリカでは10年以内に退職年齢が70歳まで延長されるか、あるいは撤廃されると予測したのですが、実際の変化はドラッカーの予測より早く起こり、翌1977年、カリフォルニア州で定年が禁止となり、1年後の1978年には全国的に70歳前の定年はすべて禁止され、このドラッカーの予測の人口統計は公表されていたものでしたが、政府のエコノミスト、労組のエコノミスト、経済界のエコノミスト、そして、統計学者のほとんど全員が、ドラッカーの予測を、唐突なものとして片づけ、「そんなことはけっして起こらない」が、一致した反応だっただけではなく、当時の労働組合は定年を60歳以下に引き下げることを、要求していたのです。

専門家たちが、自分たちが自明としていることに合致しない人口構造の変化を認めようとせず、あるいは認めることができないという事実が、起業家に対し、イノベーションの機会をもたらし、しかも、リード・タイムは明らかであり、すでに変化は起こっているのですが、誰もそれを、機会とするどころか、単なる事実としてさえ受け入れようとしないので、通念を捨てて現実を受け入れる者、さらには新しい現実を自ら進んで探そうとする起業家は、長期にわたり、競争にわずらわされることなく事業を行うことができるのは、通常、競争相手が人口構造の変化を受け入れるのは、その次の変化と現実がやってきた頃だからです。

同じことは、日本でも既に起きており、日本では生産年齢人口(15歳~64歳)の人口が1995年にピークを打ち、既に12%減少しているので、労働者が不足による人手不足が、産業界で起きていて、これを緩和するのは、65歳以上のシニアの退職を遅らせるのが一番効果的であり、年金支給年齢も徐々に後ろにずれているので、将来は70歳から80歳まで働くのは、当たり前になり、また、介護を減らし、介護に要する国家予算を減少させるためにも、労働人口の高齢化は避けて通ることが出来ない、日本と世界の課題であり、日本の企業にとって、シニアと女性の活用は、これからの重要な課題であり、優秀な戦力としての人の雇用は、ますます重大な課題になり、適切な人を集めることが出来る、魅力的な企業作りが、これからの日本企業の最優先課題になってきたのです。

2「イノベーションの機会」としての利用

◆成功例

人口構造の変化を、イノベーションの機会としてとらえることに成功した、いくつかの例があり、アメリカの大きな大学のほとんどは、1970年代には大学生の数が1千万人から12百万人に達するというドラッカーの予測を、唐突なものとして受け入れなかったのですが、この予測を真面目に受けとめた、起業家精神にあふれた大学は、NYのペイス大学と、サンフランシスコのゴールデン・ゲート大学で、これらの大学も初めは懐疑的だったのですが、ドラッカーの予測の内容を調べた結果、有効であり、唯一の合理的な予測であることを知り、この予測をもとに新入生の増加に備えたのですが、これに対し、伝統のある有名大学は何もせず、20年後には対策を講じていた大学は学生を増やし、しかも、その後の少子化により、アメリカ全体の学生数が減少した後でさえ、さらに成長を続け、大学は良識の府と呼ばれ、このような少し検討すれば分かることを理解しようとしなかったという事実に驚きます。

ベビー・ブームという現実を受け入れた小売業者の一つが、無名に近かった小さな靴のチェーン店メルビルで、団塊の世代の第一陣がティーン・エージャーになる直前の1960年代の初め、メルビルはこの新しい市場に力を入れることにし、10代を対象にする新しい店をたくさんつくり、デザインも大幅に変え、広告や販売促進も、16、7歳のティーン・エージャーを対象にし、さらに、男の子や女の子の着るものにまで進出し、メルビルは、アメリカで最も急速に成長し、最も利益をあげる小売チェーンとなったのですが、その10年後、すなわちアメリカの人口の重心が10代から離れ、20歳から25歳の「若い大人」に移りはじめた頃になって、ほかの小売店が10代に目をつけ、彼らを相手にする商売を始めたのですが、その頃には、メルビルはいち早くこの「若い大人」に的を移していたのです。

1961年、「進歩のための同盟」について助言を求めるべく、ケネディ大統領が招集した学者たちは、ラテン・アメリカにおける都市化の波を予測できなかったのですが、大店舗小売業のシアーズ・ローバックは、その数年前に、統計によってではなく、現地へ赴き、メキシコシティ、リマ、サンパウロ、ボゴタなどの街を観察することによって、この変化に気づき、同社は1950年代の半ば、けっして金持ちではないが、立派な中流階級になっていた、新しい都市住民のためのアメリカ流百貨店を、ラテン・アメリカの主要都市に建設し、数年後には、ラテン・アメリカの小売業界において主導的な地位を占めるにいたったのです。

一方、日本における、われわれのビジネスにおいても、人口構成の変化は外すことの出来ない重要な課題であり、日本での外食の歴史を振り返ってみると、まったく、人口の年齢構成の通りに人口の最も多い団塊の世代を中心に、ビジネスの栄枯盛衰の歴史を辿っていることが分かり、われわれ、団塊の世代が若いころにファミレスが出現し、小さい子どもを持つ若い家族は、ファミレスを随分使い、次に、マクドナルド等のファースト・フードが盛んになり、小さい子供たちが中学生、高校生になる頃には、ファースト・フードが全盛になりました。

団塊の世代が40代に乗ると、居酒屋文化がピークを迎え、サラリーマンの小遣いもピークを迎え、その後、日本はデフレに陥り、サラリーマンをターゲットにしていた居酒屋を含め、サラリーマンをターゲットにしていた外食は、売上を徐々に落とし、マクドナルドが半額セールを始め、牛丼の吉野家が大幅値下げに踏み切り、大きな成果を上げ、うどんのジャンルでは、はなまるがセルフで大成功し、その後、丸亀製麺が大成功したのは、周知の事実であり、現在は徐々にデフレの方向から、価値の高さが重要な要素になり、競争の激しい、サラリーマンをターゲットにするビジネスよりも、多くの飲食ビジネスが、シニアと女性をターゲットにしたビジネスに方向転換を進めているのです。

昨日はうどん学校の最終部で、生徒さんに盛り付けの指導をしているところです。

盛り付けは、デジタル化するのが、一番難しい部分ですが、これもデジタル化の対象でなければいけないのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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