本日のテーマは「メンテナンスを通じて、麺ビジネスの本質を理解する」です。
昨日からシンガポールへ入っていますが、旧正月前で、飛行機も一杯で、今回のフライトでは珍しいことが起きたのです。
キャビン・アテンダントの若い女性の1人が、私の着ている大和製作所と染め抜いたハッピを見て、自分の父親が当社に勤務していたと言ったのです。
良く聞いてみると、お父さんに当たる人は、20年ほど前に数年間、メンテナンス要員として当社に勤務した後、当社で得た知識を活用して、うどん店を開業したのです。
私より2歳くらい上の温厚な人で、昨年まで地元で、うどん店をずっと営業していたのですが、年齢的にきつくなり、廃業したそうです。
しかし、20年前の当社の麺専門店に対する知識は、今の当社の知識と比べると比較にならないくらい乏しかったので、本人も相当努力を重ねた結果、長く営業することが出来たのだと思います。
当社の元社員で、このようにうどん店開業は少ない事例ですが、この元社員は、ずっとメンテナンスとして、多くのお客さまの店に出入りしていたので、お客さまの店をたくさん見ることにより、自然に麺ビジネスに関するノウハウが蓄積されたのです。
この様に、新規に麺ビジネスを始めるには、当社のような、多くのお客さまに接することが出来、ノウハウの豊富な会社で勤務することは、麺ビジネス成功への最短距離でもあるのです。
当社では現在、関東地区、愛知地区でのメンテナンス要員を募集しているので、志のある方は、いろんな店のメンテナンスに携わることで、麺ビジネスに関するあらゆる情報を入手することが出来るので、本気で応募してみてはいかがですか。
但し、メンテナンスとして入社した場合は、当然、当社の仕事を最優先してもらい、その仕事を通じて、自然にノウハウが獲得できるのです。
また、正式な社員でなくても、メンテナンスが発生時に応援して戴く、外部のメンテナンススタッフも全国で募集しているので、特に土日、祭日に空き時間を持っているような人には、最適な仕事です。
このような仕事を通じて、得られる知識、ノウハウはお金に変えられなく、自分が志しているビジネスの本質を早く理解するには、一番の近道であるのです。
同じように、船井総研のようなコンサルタント会社でいたコンサルタントも、自分で独立して実業の世界に飛び込み、成功している人も多くいるのです。
これから先の時代でも一番大切なことは、情報、ノウハウであり、その世界で成功するために欠かせない、ノウハウの習得で、当社のメンテナンスを行なうことで、この世界のことを肌感覚で理解出来るのです。
普通、新規開業者は、お客さまとして、うどん店とか、ラーメン店に食べに行き、料理とか、接客等のレベルを判断したりしますが、メンテナンスとして、裏口から麺専門店の本質を、余すところなく理解することが出来るのです。
もし、このようにして裏口からメンテナンスとして、麺専門店を見ていけば、場合によって、麺専門店を志した人でも、自分のやりたいことではなかったと思って、方向を変える人も出てくるかも知れませんが、始める前に自分の進むべき、正しい道を理解することで、人生における大きな時間と、お金のロスを防ぐことが出来るのです。
特に、給料という、金を得ながら、ノウハウを身に付けることが出来るので、新規開業者にとって、この仕事の意味は大きいのです。
また、メンテナンスという当社の仕事を通じても、当社もその人が麺ビジネスに向いた人かどうかを判断してあげることが出来るのです。
同じように、麺ビジネスを開業するにもいろんな方法があり、先日アラスカからラーメン学校に参加した女性の生徒さんは、現役の弁護士で、アラスカには美味しいラーメン店がないので、ネットを調べ上げた揚句、当社に行き着いたのだそうです。
元、バレーリーナでもあったので、背も高く、足も長く、すらっとした美人ですが、新しい自分のビジネスとしてラーメン店を選んだのです。
この様に、麺ビジネスを始めるにも、いろんな道筋があり、製麺機のメンテナンスを通じて、麺ビジネスの本質を理解するのも、面白い方向ではあるのです。
昨日は、ANAのキャビン・アテンダントに声をかけられた結果、いろんなことを思いついたのですが、今まで、キャビン・アテンダントで今まで知り合いの人に会ったことがなかったので、この様に機内で声をかけられたのは初めてで、チャンギ空港に到着後、一緒に記念写真を撮ったのです。
今回のシンガポールへ来たスタッフたち全員合計5名で、同じフライトは4名で、厳寒の日本から到着したので、真冬の厚着のままであり、いきなり外気温30度Cでは、着替えをせずにいられなくなり、ホテルへ到着後、急いで夏の服装に変えたのです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆知識が出揃ったとき
必要な知識のすべてが用意されないかぎり、知識によるイノベーションは時期尚早であって、失敗は必然であり、イノベーションが行われるほとんどの場合、必要なもろもろの要素が既知のものとなり、利用できるものとなり、どこかで使われるようになったときであるのです。
1865年から75年にかけてのユニバーサル・バンクがそうだったし、第ニ次世界大戦後のコンピュータがそうであり、もちろん、イノベーションを行おうとする者が、欠落した部分を認識し、自らそれを生み出すこともあるのです。
ジョゼフ・ピューリッツァー、アドルフ・オクス、ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、近代的な広告を生み出すうえで主役を演じ、そこかへ今日われわれが「メディア」と呼ぶもの、すなわち情報と広告の結合としてのマスコミが生まれたのです。
ライト兄弟も知識の欠落、とくに数学的な理論の欠落を認識し、自ら風洞をつくって実験することによって、欠落した知識を手に入れたのです。
このように、知識によるイノベーションは、そのために必要な知識のすべてが出揃うまでは行われないで、それまでは死産に終わるのです。
たとえば、当時、飛行機の発明者となることが期待されていたサミュエル・ラングレーは、ライト兄弟よりも科学者としてはるかに力量をもっていて、しかも当時、アメリカ最高の科学研究機関たったワシントンのスミソニアン研究所の責任者として、アメリカ中の科学的資源を利用できる立場にあったのですが、彼は、すでに開発されていたガソリンエンジンを無視し、蒸気エンジンにこだわり、そのため彼の飛行機は、飛ぶことはできても、エンジンが重すぎて何も積むことかできず、パイロットさえ乗せられず、実用的な飛行機をつくるには、力学とガソリンエンジンの結合が必要だったのです。
以上のように、すべての知識が結合されるまでは、知識によるイノベーションのリードタイムは、始まりさえせず、重要なことは、そのイノベーションを起こすには、どのような知識が必要であるかを理解する慧眼なのです。
殆どのイノベーションに取り組んだのに、イノベーションを起こすことが出来なかった人は、どのような知識が必要であるかを理解出来なかった人たちだけであり、これは、深い思考を伴う、たいへん重要な作業なのです。
3知識によるイノベーションの条件
知識によるイノベーションは、まさにその特徴のゆえに3つの特有の条件を伴い、しかもそれは、ほかのいかなるイノベーションの条件とも異なるのです。
① 分析の必要性
第一に、知識によるイノベーションに成功するには、知識そのものに加えて、社会、経済、認識の変化などすべての要因分析をする必要があり、その分析によって、いかなる要因が欠落しているかを明らかにしなければならないのです。
しかる後に、ライト兄弟が数学的な理論の欠落を自ら補ったように、それを手に入れることができるか、あるいは、時期尚早としてイノベーションそのものを延期させるべきかを判断しなければならないのです。
ライト兄弟こそ模範であり、彼らは、原動機による有人の飛行機をつくるうえで、いかなる知識が必要であるかを徹底的に分析し、次に、情報を集め、理論的に検証し、風洞で実験することによって、補助翼や主翼の形を定めるために必要な理論を得たのです。
技術上の知識以外の、知識によるイノベーションにおいても、同じように分析が必要で、近代銀行の設立についてJ・P・モーガンやゲオルク・ジーメンスは何も書き残していないが、渋沢栄一の書いたものによれば、彼が、利用できる知識と必要な知識を分析したうえで、政府におけるそれまでの経歴を捨てて銀行を設立したことがわかり、同じように、ジョゼフ・ピューリッツァーも、必要な知識を詳細に分析したうえで、新聞には広告が必要であり、しかもそれが可能であるとの結論に達したのです。
マネジメットの分野におけるドラッカーのイノベーションの成功も、1940年代の初めに行った、同じような分析にもとづいていて、必要な知識の多く、たとえば組織論や、仕事と人のマネジメットについての知識は、すでに手に入るようになっており、分析の結果、それらの知識は散らばっており、いくつかの異なる分野に放置されたままであることが明らかになったのです。
いかなる重要な知識が欠落しているかも明らかになり、それが、事業の目的、トップ・マネジメットの仕事と構造、今日「経営方針」や「企業戦略にと呼ばれているもの、目標管理などの知識であり、そしてドラッカーは、それらの欠落した知識のすべてを生み出すことができるとの結論に達したのです。
分析を行わなければ、欠落している知識が何であるかはわからないので、分析を行わないことは、失敗を運命づけるに等しく、かつてのサミュエル・ラングレーのように失敗に終わるか、誰かほかの者に機会を与えるにすぎないことになるのです。
とりわけ教訓となるのは、知識によるイノベーションの成果をなかなか手に入れることのできないイギリスの例であるのです。
イギリスはペニシリンを発見し、開発したのですが、実際にその成果を手にしたのはアメリカであり、イギリスの科学者たちは、技術的には素晴らしい仕事をし、正しい物質を発見し、その正しい利用の方法を発見したのですが、彼らは、製造能力が決定的に重要な要因であることを理解しなかったのです。
彼らも製造技術を開発することができたにちがいないのですが、単に開発しようとしなかっただけで、アメリカの小さな医薬品メーカーのファイツァーが、培養の技術を開発し、世界一のペニシリン・メーカーとなったのです。
同じように、イギリス人は、世界で最初にジェット旅客機を構想し、設計し、製造したのですが、イギリスの企業デ・ハビランドは、何が必要であるかを分析しなかったために、1つの重要な要因を見落としてしまったのです。
その1つは、飛行機の大きさ、すなわちジェット機が航空会社に最大の利益をもたらす飛行距離と積載量の算出であり、もう1つは、同じように当たり前のことでしたが、ジェット機という高価なものを、航空会社が購入できるようにするための融資の方法でした。
デ・ハビランドがこれらについて分析を行わなかったために、アメリカのボーイングとダグラスが、ジェット機の市場を手にし、今日、デ・ハビランドは消えて久しいのです。
イノベーションのための分析は当然のことのように思われますが、実際には、科学的あるいは技術的なイノベーションを起こそうとする者が、そのような分析を行うことは稀であり、科学者や技術者は、自分がすべてを知っていると思い込んでいるために、それらの分析を行おうとせず、知識による偉大なイノベーションの多くが、科学者や技術者よりも素人を父とし、あるいは少なくとも祖父とする結果になっているのは、このためであるのです。
アメリカのGEは、財務畑の人によってつくられ、GEを大型蒸気タービンの世界的リーダー企業、すなわち電力会社への世界的供給者につくりあげることになった戦略を構想したのは、技術の素人だったのです。
同じように、IBMをコンピュータのトップ企業につくりあげたのは、2人の素人、トーマス・ワトソン・シニアとその息子のトーマス・ワトソン・ジュニアだったのです。
デュポンにおいて、ナイロンという知識によるイノベーションを成功させるために必要な要因を分析したのは、技術を開発した化学者ではなく、経営委員会の経営管理者たちだったのです。
ボーイングは、航空会社や旅客のニーズを理解することのできるマーケティング志向の人たちのリーダーシップのもとに、ジェット機の生産で世界のトップ企業となったのです。
科学や技術の素人が主導権をとることは必然ではなく、それは、意思と自己規律の問題であり、科学者や技術者のなかにも、エジソンのように知識によるイノベーションに必要なものを徹底的に分析した人は数多くいて、イノベーションを起こすには、分析の重要性を説いており、実際にイノベーションの成果を手に入れることが出来る人は、分析により、そのイノベーションの本質を理解した人たちだけなのです。
イギリスの飛行機メーカーであったデ・ハビランドが、世界で最初にジェット旅客機「コメット」を作り、結果として、破たんしたのは「コメット」が高空を飛行中に空中分解したのが原因だと、私は思っていました。
航空業界では有名な話しで、この頃はジェット旅客機による高高度飛行が始まったばかりで、高高度飛行のための、与圧室による疲労破壊の原理が分かっていなかったのですが、ドラッカーによれば、技術的な問題ではなく、その他の条件、機体の大きさによる経済合理性、販売方法に問題があり、技術者だけで解決出来る問題ではなく、それ以外の方が大きい比重があったのです。
画像は、アラスカから来た、元バレーリーナで現役の弁護士の生徒さんが作ったラーメンで、私は手直しをぜんぜんしていないのです。
今まで、相当、いろんな料理を見て、体験し、準備をしてきたことが分かり、即、プロとして通用するようなレベルのラーメンでした。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。