昨日より業務が始まりましたが、朝は年始のお客さまが来られ、少し正月気分が残っていたのですが、社内での打ち合わせが始まる頃になると、正月気分はとっくに失せて、いつもの日々の真剣勝負が始まりました。
何組からの年始回りのお客さまとお会いしていると、単なる挨拶だけのお客さまと、自然と業務に打ち込む真剣さが伝わってくるお客様がいらっしゃいます。
そのようなお客さまとお会いしていると、心地よく、信頼感があるので、つぎつぎと仕事を依頼したくなります。
これは社内であっても、社外であってもまったく同じなのです。
昨日は来客の後、ずっと社内での打ち合わせを行なっていましたが、信頼感の高いスタッフと、そうでないスタッフの大きな差を感じてしまいます。
どこに信頼感の差を感じるかと言えば、ちょっとした態度の差なのです。
キチンと挨拶が出来るとか、お礼がキチンと言えるとか、お詫びをキチンと言えるとか、人間として当たり前のことが、当たり前のように出来るかどうかで、この差は、人間性の差であり、一番重要な人間力の差なのです。
私自身も39年間の長きにわたり、ビジネス上でたくさんの失敗を重ねてきたので、この差の大きさを常に感じ、この違いを理解出来ない人は、ビジネスでの成功だけでなく、人間生活での成功も難しいと思います。
長くビジネスをやっていると、小さい心遣いの大切さを嫌というほど、見せられてきました。
昨日から、日本のほとんどの企業は業務が始まりました。
仕事上でそれほど親しくしていなくても、丁寧にメールでの新年のあいさつがある人がいます。
反対に、たいへん親しくしていても、ぜんぜん連絡のない人がいます。
それらの取引先の仕事のレベルを見れば、丁寧な人ほど、レベルの高い仕事をしているのです。
そして、仕事の出来る人ほど、丁寧で謙虚であることが分かります。
われわれは、常にあらゆる場面で力量を試されているので、片時の油断もなく、真剣に日々を過ごさなければいけないことが分かります。
現在の時代においても、昔の武士のように、日々死を意識し、一歩一歩、地面を踏みしめて歩いていくのが、ビジネスに生きているわれわれの宿命のような気がします。
本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「専門性を極めつつ異業種と交わる」です。
51.専門性を極めつつ異業種と交わる
専門性の進化と、異分野との接触のバランスを実現しなければならない。
(解説)上記の文章には、次のように、先立つ文章があったのです。
「異分野・異業種に常に接触する.
自分が得意だと思っていることに、溺れるな。
物事の「本質」を鋭く透察する心を持て。
専門性の進化と、異分野との接触のバランスを実現しなければならない。」
物事の「本質」を鋭く透察(理解する)し、成果を上げるには、専門性の進化、深化と、異分野との接触のバランスが重要なのです。
専門性の進化とは、専門分野をより深く掘り下げることなのです。
そして、異分野との接触では、自分の専門分野だけではなく、他の専門分野の人たちとも接して、ものごとを幅広く理解する(ゼネラリストになる)ことなのです。
例えば、一つの分野を深く掘り下げている人は、アイデンテイテイが一つで、I型(あいがた)人間と呼ばれています。
次に、アイデンテイテイが一つ(専門分野が一つ)で、併せて、ものごとを幅広く理解している人は、T型(テイーがた)人間と呼ばれているのです。
従って、われわれが目指さなければいけないのは、少なくともT型人間であったのです。
或いは、専門分野をたくさん持っている、パルテノンの神殿型の人間なのです。
従って、専門分野を深く進化させることは非常に重要なことではありますが、併せて、さまざまな異分野との接触のバランスが、成果を上げるのには欠かせないのです。
以上のことについて、私が常に感じるのは、私が美味しい麺作りのノウハウを構築出来たのは、食品とは異分野の機械工学出身であり、金属工学の概念を麺作りに応用出来たためだったのです。
そして、麺学校で教えているデジタル・クッキングが出来上がったのも、料理の世界と機械設計の世界を融合させたからに他ならないのです。
私自身の拙い経験からも、異分野、異業種との融合は非常に重要であり、新しい、有意義なことを作り上げようとすると、異業種とか、異分野に大きなヒントがあります。
うどん店とか、ラーメン店の盛り付けについても、最も参考になるのは、同じうどん店とか、ラーメン店ではなく、イタリアンとか、カフェの料理なのです。
私が機械設計技師であった時も、常に参考にしていたのは同業種ではなく、異分野でした。
専門性を極めることについて、ドラッカー・マネッジメントの私の師である国永先生の名言録によれば、ドラッカーは次のような名言をわれわれに残してくれているのです。
ドラッカー名言録84 「創造性開発を叫ぶだけでは、誠に空しい」
革新を行う能力の重要性がとみに認識され、独創性の開発とか想像力の強化とかが、しきりに叫ばれていて、特に人事担当者や心理学者は、いろいろな提言を次々に繰り出してくる。
こうした事態に対して、ドラッカーはかねてからあまり好感を抱いてはいなかったのは、その理由として、オリジナリティーのある企業は、否が応でも必ず新しい面に日々進んでいかなければならないものとして現実に行動しているという事実を、ドラッカーは指摘する。
かつてデュポン社についてドラッカーは、同社のトップ・マネジメントは事業部に対して独創性が必要だとか、新製品を考えろとか、創造性をもっと発揮しろなどというお説教は絶対にしない、と語っていたことがある。
それはデュポンの事業部長は、わずかでも新しいものを常に考えて用意していかないと、自分の仕事がいずれなくなってしまうことを肝に銘じて知っているからで、つまり、古い製品や考えはどんどん廃れていく現実に、しっかりと目を向けているのだ。
またデュポンでは、研究者は自分の時間の3分の1を、自分の担当の仕事とは一見、何ら関係のないことの研究調査に当てなければいけない。
こうして常に新しいものに目が行くようなシステムづくりを行っているので、デュポン・ジャパンの社員は、自分の専門性の練磨だけではなくて、それ以外の分野の拡大強化に励むことを大いに奨励されているのだ。
ドラッカーは、こうした新しいものを考えるのは、「妙な言い方だが」と断った上で、ちょうど健康な子どもが食事をして排泄すれば、次に新しいものを必ず食 べていかなければならないのと同じであり、実績を上げている企業や効率的な企業は、健康な子どもと同じように便通をよくしているのだと続ける。
創造性の開発を、単なるお題目ではなく、日々のマネジメント活動にビルト・インさせておかないような企業は駄目な企業であり、新しい可能性を追求していて、障害に逢着しても臨機応変な措置が取れるようでなければお話にならない、と明言しているほどである。
そうできるのは、観念論者ではなく実行派の人間をこうしたことにあてること、適切な処理ができる能力を持っている優秀な人間をこれにあてるということを、第一義的な原則にしているところでなければならないと断言している。
上記のように専門性を極めるのは、特別なことではなく、企業が普段から通常業務にビルト・インしていなければいけないのであり、同じように異分野と接するのも、特別なことではなく、通常業務にビルト・インしていなければいけないことなのです。
従って、私のように年中、あちこち見て回るには、常に異分野に接しているのは非常に意味があることで、異分野に接すれば、接するほど、経験が深くなり、参考材料が増えるのです。
次にドラッカーは、バランスの大切さについて、次のように指摘しているのです。
ドラッカー名言録38 「リーダーの主要な課題は、いかにして各種のバランスを上手にとるかである」
かねてからドラッカーは、リーダーの責務は様々の均衡を巧みにとること、また、そうした意思決定をすることだと説いていて、そのとるべき第1のバランス は、長期と短期、大局観と細部の瑣末事とのバランスであり、これは、あたかも、カヌーの両側に張り出してある2つのアウトリガー(船外浮材)を操りながら 舟を漕ぐのと似ていると説く。
大局観ばかり見て、現実に生身の人間が支援を求めているのに目がいかないのでは困り、統計値のみに気をとられて、救急室で赤ん坊が泣いているのを見過ごすようではいけない。
しかし、この手のアンバランスは比較的やさしく修正できるとドラッカーは言い、銃弾が飛び交う第一線に、数日でも、数週間でも出ていればよい。
だが、もう1つのアンバランスである細部のみに目がいって大きな構図が見えないのは直すのがチト厄介であり、毎日の業務活動の”捕虜”になっているリー ダーに、ビッグ・ピクチャーを見せ、気づかせるには、外へ引っ張り出す、あるいは出る機会を何とかつくることが一番である。
この点に関し、外部の団体や協会や勉強会に出たりするのは大変よい処方箋となる。
バランスとりで第2のより難しい課題は、経営資源を1つの目標に絞ること、それを分散化することの決定である。
1つに集中すれば最大の成果が得られることは間違いないが、しかし逆に、それはまことにリスキーである。
誤った集中をすると、軍隊用語を用いるならば、「兵士全員を援護できずに敵の攻撃にさらして」しまう。
また、1つに集中しすぎると、″遊び″の部分がなくなり、多様化への夢も摘みとられ、また、その絞った1つのタスクが陳腐化するのを防ぐこともできなくなる。
さて、第3のバランス取りは、上記3つよりも一層難しい課題だが、それは、「慎重さ」と「緊急性」という重要な均衡をどう図るかであるが、このタイミングをめぐって、ドラッカーは次のような面白いたとえを用いている。
すなわち、野菜畑でまだ根が大きくなっていないのに、すぐに大根を引き抜きたがる人と、機が熟したかどうかばかり気にして、抜かなかったり腐らせてしまう人がいるが、その両者の正しい中庸をどうやって見いだしたらよいのか。
ドラッカー自身、自分はセッカチなので、何かが3ヵ月以内に起こるべきと期待するときは、これを心の中で5ヵ月延ばして考えるように自己鍛錬していると言っている。
しかし、反対に3ヵ月とすべきを、3年とする人もいるので困るのですが、これには、ソクラテスの「汝自身を知れ!」の原則を自己に適用して、自らの危険傾向をよく心得るしかないと結んでいる。
いずれにしても、バランスは重要なテーマなのです。
画像は、昨年年末のラーメン学校での生徒さんの作品事例です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。