今回の経営講義は、特別熱心な生徒さんが多く、たくさんの質問が出て、経営講義が終わったのは、昨日も夜の9時になっていました。
経営講義が終わった後に、全員にインタビューし、ほんの2日間の経営講義であったのですが、始まったばかりのラーメン学校の生徒さんは、一昨日の朝の表情と、昨日夜の顔の表情はまったく異なっていました。
2日間も生徒さんと濃密な時間を過ごすと、生徒さんのことが手に取るように分かります。
今までどの様な生き方をしてきたのか、いかに真剣に生きて来たのか、そしてこれからどの様に生きていこうとしているのかが、見えてくるのです。
若くしても、既に素晴らしい人生を生きている生徒さんもいました。
特に、今回はベトナム出身で、7~8年間で、オーストラリアでベトナム料理とか、アジアン料理の店を合計4店ほど、それも一番小さい店で40席、大きい店で140席の店を持っていました。
そして、ベトナムのホーチミン市で、140席余りのラーメン店を6月初めに開店の予定です。
年齢は40歳前の青年で、熱心さが群を抜いていて、現在の店もたいへん順調に運営出来ていて、スタッフたちとの人間関係もうまくいっている様です。
ビジネスにお金をつぎ込んでいるので、生活も質素で、今の車も7年乗り続け、極力、ビジネス以外にはお金を使わないようにしているそうで、こんな話を聞くと、嬉しくなります。
生徒さんそれぞれの今までの生き方、考え方、それぞれの計画を聞いていると、この生徒さんは成功しそうだとか、或いは、難しそうだとか分かります
そして、今後、ベトナムでの展開に力を入れていく予定だそうで、ぜひ、近々ベトナムに、このラーメン店のチェックに行って来ます。
麺學校の校長になり、経営講義に力を入れるようになってから、生徒さんの熱意に、異常に反応するようになり、熱心な生徒さんに出会うと、夢中になり、入れ込んでしまうのです。
私も麺学校の運営に情熱を捧げているので、情熱のある生徒さんが現われると、化学反応を起こしてしまうのです。
多分、子弟間の学びはこのようなもので、熱心な先生と熱心な生徒の双方がいて、爆発的な化学反応が起きて、素晴らしい成果が得られるのです。
従って、幾ら先生が熱心でも、生徒だけが熱心でも成立しないのです。
幕末の松下村塾とか、多くの藩校、会津藩の日新館、米沢藩の興譲館、長州藩の明倫館、中津藩の進脩館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の藩校時習館、薩摩藩の造士館のように、この時代を変えた、若い熱血藩士と先生たちの交わりが、まぶたに浮かぶようです。
そして、これからのグローバル時代は、国を超えた生徒と先生の交わりが多くなってくるのです。
当社の麺學校のように、世界中から飛び切り熱心な生徒たちが集う学校になれば、ますます、私も触発され、大きく進化し、生徒さんたちも更に大きく、進化を遂げるのです。
当社のような特殊な学校が、この業界に何かイノベーションを起こしそうな気がします。
知識によるイノベーションはさまざまな条件で起きてくるのですが、イノベーションの成果を上げるには、分析、戦略、マネッジメントが欠かせないのです。
今回の麺學校で強調したのも、マネッジメントを学ぶ大切さで、幾ら美味しい料理が作れても、幾ら良い店と作っても、マネッジメントが出来ていないと、飲食ビジネスは成功しないのです。
飲食ビジネス=料理×アート×サイエンス×ユーモア×哲学であり、ますます飲食ビジネスが複雑になっているのです。
この様に、飲食ビジネスが料理だけでなく、アート、サイエンス、ユーモア、哲学(ポリシー)と幅広い分野が必要になっていることを理解すのも、マネッジメントなのです。
そして、QSCを高いレベルで、守り続けることが出来るのもマネッジメントであり、過去、マクドナルドが世界でトップの外食ビジネスになったのも、マネッジメントのレベルであり、最近、マクドナルドがおかしくなってきたのも、間年次メントの問題であったのです。
長い繁栄を目指すと、研ぎ澄まされた戦略、マネッジメントの質を上げ続けていくことは避けられないのです。
来週、4月14日(火)~16日(木)は、一年ぶりに新潟でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/
今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致しますので、既存店の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
4特有のリスク
綿密な分析、明確な戦略、意識的なマネジメントをもってしても、知識によるイノベーションには特有のリスク、特有の不確実性が伴い、そもそもそれは、本質的に乱気流の世界であり、知識によるイノベーションは、すでに述べたように、リードタイムの長さと、異なる知識の結合という特有のリズムをもつのです。
『新産業の開放期と整理期』
まず最初に、きわめて長期にわたって、今にもイノベーションが起こりそうでありながら、何も起こらないという期間が続き、そして突然、爆発が起こり、数年間にわたる「開放期」が始まり、非常な興奮と事業の乱立が見られ、華々しく脚光があてられ、そして5年後には「整理期」が始まり、ごくわずかな企業だけが、生き残るのです。
1856年、ドイツのヴェルナー・ジーメンスが、25年前の1831年にマイケル•ファラデーが発展させた電気理論を応用して、最初の電気モーターを設計し、世界的な反響を呼び、やがて電機産業が生まれ、しかもそれが大きな産業になることが確実となり、多くの科学者や発明家が働いたのですが、その後の22年間は何も起こらなかったのです。
そこには、ある一つの知識、すなわちマクスウェルによるファラデーの理論の発展が必要であり、マクスウエルの理論が得られるや、1878年、エジソンが電球を発明し、レースが始まり、その後の5年間に、欧米の主な電機メーカーのすべてが設立されたのです。
ドイツではジーメンスが小さな電機メーカーのシュッケルトを買収し、AEGがエジソンの発明をもとに設立され、アメリカでは、GEとウエステイングハウスの前身が設立され、スイスではブラウン•ボベリが、スウェーデンでは1884年にASEAが設立されたのです。
これらの企業は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、オランダ、ベルギー、スイス、オーストリア、チェコ、ハンガリーなどの国々で、やがて10億ドル企業となることを期待され、投資された100社にのぼる企業のごく一部にすぎないのです。
サイエンス•フィクションの最初のブームをもたらし、ジュール•ヴェルヌやH・G•ウェルズを世界のベストセラー作家にしたのも、この電機産業の勃興だったのですが、1895年から1900年にかけて、それら新規の企業のほとんどが姿を消し、撤退し、倒産し、あるいは吸収されたのです。
自動車産業でも、1910年当時にはアメリカだけで200社のメーカーがあったのですが、1930年代には20社となり、1960年には4社となったのです。
ラジオについても、1920年代にはラジオ局が数百局、ラジオ・メーカーが数百社あったのですが、1935年にはラジオ放送の主導権は3大ネットワークに握られ、メーカーの数も1ダースほどになったのです。
新聞もまた、1880年から1900年にかけて創刊ブームがあり、当時、新聞は最大の成長産業の1つであったのですが、第一次大戦後、主要国のすべてにおいて、新聞社の数は減る一方であり、現在はインターネットの浸透により、更に発行部数の減少速度を速めているのです。
銀行についても同様で、モーガン、ジーメンス、渋沢など近代銀行の父たちに続いて、ヨーロッパと同じようにアメリカでも、爆発的な銀行の設立ブームがあったのですが、わずか20年後の1890年前後には、銀行の集約化が始まり、廃業や合併が続き、第一次大戦が終わる頃には、あらゆる主要国において、全国銀行は、その種類を問わず、わずかな数となったのです。
しかし、いずれの場合も、生き残った企業は例外なく、初期のブーム時に生まれたものであり、ブームのあとでは、新規参入は事実上、不可能となるのです。
知識にもとづく産業には、数年間にわたって、新設のベンチャー・ビジネスが逃してはならない「開放期」があるのです。
今日、この「開放期」は短くなってきたと見られているのですが、そのような見方は、新しい知識が技術、製品、プロセスとなるまでのリードタイムが短くなってきたという見方と同じように、まったくの誤りであるのです。
イギリスでは、1830年にジョージ•スティーブンソンのロケット号がはじめて営業用の列車を引いた後の数年間に、100社以上の鉄道会社が設立され、その後、ほぼ10年間、鉄道はハイテクの地位を与えられ、鉄道の起業家たちがマスコミにもてはやされ、鉄道に対する投機熱は、チャールズ•ディケンズの小説『リトル•ドリオット』(1855~57)において鋭く風刺されました。
それは、今日のシリコンバレーの投機熱に似ているのですが、1845年頃、突然、鉄道産業の「開放期」が終わり、以来、イギリスにおいて鉄道会社はまったく設立されておらず、50年後には、1845年に100社にのぼっていた鉄道会社も5、6社に減ったのです。
家電で電話、自動車、化学でも同じ周期が見られ、新規参入のための「開放期」が長かったことなど一度もなかったのです。
しかし今日、この「開放期」が混み合ってきたことはまちがいなく、1830年代の鉄道ブームはイギリス国内に限られていて、どこの国でも、鉄道ブームは、近隣諸国のブームには関係なく起こり、これに対し、その後の電機ブームは、その25年後の自動車ブームと同じように、国境を越えて広がったのですが、それでもそれらのブームが、当時の先進国の枠を越えることはなかったのです。
しかし今日では、そもそも先進国なるものの数が、はるかに増え、たとえば、日本があり、ブラジルがあり、非共産圏の中国系の地域、香港、台湾、シンガポールがあり、しかも通信は瞬時に行われ、旅行も簡単で早くできるようになったのです。
さらに今日では、きわめて多くの国が、100年前には、ごくわずかの国しかもたなかったもの、すなわち知識をもつ人、とくに科学や技術によるイノベーションのために、直ちに働きはじめる用意のある訓練された人材をもっているのです。
上記のように、知識によるイノベーションの場合、常に「解放期」が起こり、多くの企業が参入し、その後の「整理期」でほとんどの企業が淘汰されることを繰り返しているのです。
イノベーションを起こした産業は、電気、鉄道、自動車のような産業から、スタートを切り、最近では、小さな産業に軸足を移しているのです。
例えば、ダイソンがサイクロン方式で、最初に掃除機業界にイノベーションを起こしたのですが、その後、幾つかの国内の家電メーカーが参入しました。
徐々に、サイクロン方式は、ダイソン1社に絞られてきているのです。
次に、ルンバがロボット掃除機として、登場し、現在、同じく国内の家電メーカーが似たようなロボット掃除機を開発し、販売を開始しています。
何年か後には整理期になり、最終的には1社か2社に淘汰されるはずです。
スマート・フォーンは現在、解放期にあり、多くのメーカーの参入が続いていて、そのうち、整理期に入り、数社に絞られてくる可能性が高いのです。
ドラッカーが何十年も前にまとめたように、知識によるイノベーションは、必要な知識が出揃った時に、爆発的に解放期が始まり、多くの参入者が現れ、解放期がしばらく続いた後、整理期が訪れて、ほとんどの参入企業は淘汰されてしまうのです。
知識によるイノベーションを起こす場合の必須条件は、次の3つの要件です。
1.分析の必要性
第一に、知識によるイノベーションに成功するには、知識そのものに加えて、社会、経済、認識の変化などすべての要因分析をする必要があり、起業家たる者は、その分析によって、いかなる要因が欠落しているかを明らかにしなければならないのです。
2.戦略の必要性
第二に、知識によるイノベーションを成功させるためには、戦略を持つ必要があるのです。
3.マネジメントの必要性
第三に、知識によるイノベーション、とくに科学や技術の知識によるイノベーションに成功するには、マネジメントを学び、実践する必要があり、事実、知識によるイノベーションは、ほかのいかなるイノベーションよりも、マネジメントを必要とするのです。
画像は、昨日のうどん学校の卒業式の様子です。
無事に卒業した生徒さんたちが、巣立っていきました。
皆さんの成功を祈るばかりです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。