本日のテーマは「お金で買えない温かいサービス」です。
昨日夜は、7月末で閉店した、坂出駅のうどん店「亀城庵」のスタッフたちとの、最後の慰労会でした。
亀城庵は約15年前に開業し、坂出駅の中の店なので、峠の茶屋をコンセプトにして、駅を利用する乗客にとっては、オアシスのような場所、地元の住民の人たちにとっては、土地のランドマークのような場所で、地元の郷土料理、すなわち、どこにも負けない、美味しいさぬきうどんの店を目指したのです。
美味しさだけではなく、健康にもこだわり、化学調味料は一切使用しないで、野菜をシッカリ使ったメニューも取り入れたのです。
私にとって、自分の味と盛り付けのデザインのテストの場でもあり、同時に、新規にうどん店を開業する、うどん学校の生徒さんたちにとっては、実地研修の場でもあったのです。
最初の1年間だけ、私がずっと店内にいましたが、その後は、ずっとスタッフ任せで、約15年間で、100万人のお客さまと多くの卒業生を送り出し、卒業生の中では、すでに有名店になっている人たちもたくさんいるのです。
店舗の内装、外装にもこだわり、商品力にもこだわった、「亀城庵」はまさに、私にとっての芸術作品であり、私の一部のような大切な存在だったのです。
15年前に開業したころの私は、今のような麺専門店の成功方程式を知らなかったので、あのような店を作ってしまいましたが、現在であれば、絶対に作らない店でもあったのです。
しかし、亀城庵を作ったお蔭で、麺専門店の成功方程式が確立し、うどん学校、蕎麦学校、ラーメン学校を開校することが出来、経営講義が出来、マネッジメントの理論の構築が出来、たいへん多くの学びを得ることが出来たのです。
当社がもし、亀城庵を開業していなかったらと思うと、私は多分、もっと他の方面に情熱を燃やしていたと思いますが、今のようなうどん学校、ラーメン学校、蕎麦学校は出来ていなかったと思います。
亀城庵のお蔭で、今後の方向性も明確になってきたのです。
昨日は、亀城庵のスタッフたちと大和の役員の中でも亀城庵の関係者が出席し、内輪の和やかな食事会で、むしろ、たくさんの美味しい料理をシッカリ楽しんだのです。
昨日利用した居酒屋は、当社のユーザーさまでもあるお店で、うどん店も展開し、非常に成功しているのです。
昨日夜もたいへん多くのお客さまで賑わっていて、お店のスタッフも教育が行き届いているのが、良く分かる素晴らしいお店でした。
お店の店長は、われわれの食事会の趣旨を理解して、食事の最後に店長より、ロール・ケーキのプレゼントがあり、ケーキを載せたプレートの上に、「本当に、本当に、おつかれ様でした」と、心を込めたメッセージが書いてあったのです。
これを見て、亀城庵のスタッフたち、大和の役員たちは皆、心が熱くなったのです。
飲食の厳しさを十分理解している人たちからの慰めの言葉であったので、余計に感じるものがあったのです。
注文したどの料理もシッカリしていて、どれも美味しい料理で、それだけでも亀城庵のスタッフたちは大満足していたのですが、それ以上に、お店のスタッフたちの温かい計らいに、どんなに心が満たされたか分かりません。
お店のスタッフに最後の記念撮影をお願いすると、お店のカメラでも撮影してくれて、われわれがお店を出るときに、その写真を木枠の額に入れ、画像の上に下記のような記念の文字を入れて、亀城庵のスタッフ5名分、デザインして手渡してくれたのです。
「たがいのつながりは、
きれる事なく、
いつまでもずっと、
心の中に大きな
信頼を生み出す」
上記のように、「きずな」の言葉を散りばめていて、これを受け取ったスタッフたちは、もう一度、驚き、感動しました。
以上のような感激の接客、サービスは東京のレストラン「カッシータ」等では当たり前ですが、このような地元の居酒屋で、行なわれていることに、驚きました
多分、当社は今後ともずっとこの店を使い続けることでしょう。
この店の店長は、われわれにお金で買えない、素晴らしいものをプレゼントしてくれたのです。
飲食店を志す人たちが、みんなこの店長のような温かい気遣いで、お客さまに接したら、お客さまはどれほど、素晴らしい気持ちで店を後にすることが出来るか、分かりません。
このような社風は、短い時間で出来るものではなく、時間をかけた忍耐強い取組みが出来上がっているのです。
再々度、触れますが、当社の40周年を記念して、当社の正規ユーザーさまに限り、当面、麺学校の2日間の経営講義の授業料を無料にして、再度、最新の情報、ノウハウの提供と、もし、悩んでいるユーザーさまがいれば、悩み解決の場にしたいと思ったのです。
2日間の経営講義は、土日の2日間で、受講出来、東京と香川でほぼ毎月開催しているので、気軽に参加できると思います。
但し、通常の麺学校の生徒さんがいらっしゃるので、当社のユーザーさまは、毎回3名までと限定させて戴きます。
少しでも、お客さまの成功に役立てばということで、このような企画を考えてみました。
悩んでいる方の一番の課題は、誰に相談するかということで、相談相手がネガテイブであったり、利益関係者である場合は、正しいアドバイスを受けることが出来ない場合が多いのです。
経営者は、苦しい時も精神的に安定で居続けることが非常に難しいので、誰か相談者がいれば、案外うまくいく場合が多いのです。
『People want to help you. (You just have not asked.)』人々はあなたを助けたがっているのです。
本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、さらに学びを深めるために、5月26日より7月5日まで41日間の復習を進めてきましたが、さらに理解度を増すため、再再度、チャレンジし、自分自身を大きく変えるのに役立てていきます。
起業家社会における個人
起業家社会では、一人ひとりの人間が、自らの機会とすべき重大な挑戦、すなわち継続学習と再学習の必要性に直面するのですが、これまでの社会では、学習は、青年期あるいは少なくとも社会人に達したとき完了するものと想定することができ、事実、そのように想定され、21歳頃までに学ばなかったことは、それ以後も学ぶことはなく、その反面、21歳頃までに学んだことは、その後の人生において、何ら変わることなく使うことができ、そのような前提のもとに、見習い制度も成立し、教育制度や学校も成立し、職能、資格、教育、学校は、今日でも多かれ少なかれ、これを前提としているのです。
もちろん例外的に、継続学習と再学習を行う人たちはいて、芸術家、学者、禅僧、イエズス会の修道士などだったのですが、それらの例外は、無視できるほど少なく、私の人生を振り返ると、気付くことがあり、それは、私の場合は20歳で高松高專を卒業した後、川崎重工に入社してから、本格的な学びが始まり、そして、現在でも日々、学びが続いていて、私の人生から学びは切り離すことが出来ず、自分の知らないことを学び続けることは、私にとって、快楽ホルモンの放出を伴う、大きな快感であり、学び続けることこそ、人生であり、学びがなくなると、あの世への出発になるのです。
◆不断の学習
起業家社会では、この例外が標準となり、起業家社会では、成人後も、新しいことを1度ならず勉強することが常識となり、21歳までに学んだことは、5年から10年で陳腐化し、新たな理論、技能、知識と替えるか、少なくとも磨かなければならなくなるので、このことは、1人1人の人間が、自らの継続学習や再学習、あるいは自己啓発、キャリアについて、ますます大きな責任をもたなければならなくなることを意味し、もはや、少年期や青年期に学んだことが一生の基盤になることを前提とすることはできず、それは、その後の人生において全面的に依存すべきものではなく、そこから離陸すべきスタート台にすぎなくなり、そのうえこれからは、軍隊の昇進コースのような、道筋と到達点の明らかなキャリアはなく、1人1人の人間が、自らの人生において、自らの意志によって、さまざまなキャリアを探し、進んでいくことを当然とする必要があり、しかも高等教育を受けている人ほど、起業家的なキャリアを選び、厳しい学習に挑戦していかなければならないのです。
今後とも大工は、見習いや渡り職人として得た技能が、40年後も役に立つと想定できるのですが、医師、技術者、冶金専門家、化学者、会計士、弁護士、教師、経営管理者は、今後15年間において習得し、実際に使う技能、知識、道具でさえ、今日彼らがもっているものとは、まったく異なる新しいものになっていることを前提とする必要があるだけでなく、それどころか、わずか15年後でさえ、自分がまったく新しいことを行い、まったく新しい目的をもち、多くの場合、まったく新しいキャリアを進んでいるかもしれないことを想定しておいたほうがよいのです。
そして、そのために必要な継続学習や再学習、さらには方向づけの責任を負うことができるのは、自分自身しかなく、そのとき、伝統、慣例、方針は、助けになるどころか障害になるだけであり、私もエンジニア出身であった自分が、麺学校を開校し、料理から、マネッジメントまで教えるようになることは、まったく想定してはいなかったし、当社の麺学校では最新のノウハウ、テクニックを教えていますが、一般の義務教育、高等教育は実務ですぐに役立つようなことを教えるのではなく、すでに使い古された理論とか、ノウハウを教えているように思います。
◆教育の改革
このことは、起業家社会が、学校や学習にかかわる今日の前提や慣行に疑問を投げかけることを意味し、今日、世界中の教育制度が、基本的には17世紀ヨーロッパの教育制度の延長線上にあり、もちろん、新しいことが付加され、修正されたのですが、今日の学校や大学の基本の構造は、300年以上前と変わらず、今日、場合によっては過激なほど新しい考え方と新しい方法とが、あらゆるレベルで必要とされていて、就学前のコンピュータ利用は一時的な流行に終わるかもしれないのですが、テレビを知っている4歳の子供は、彼らに対する教え方について、50年前の子供とはまったく違うものを期待し、要求し、かつ反応するのです。
今日何らかの専門職に就くことを志望する大学生が5分の4にのぼるのですが、彼らには「一般教養」が必要であり、当然のことながら、17世紀のカリキララムの19世紀版たる「一般教養」とは違うものでなければならず、もしこの問題を解決しなければ、われわれは「一般教養」という基本的な概念そのものを喪失し、単なる職業教育、専門教育をもつにすぎなくなり、その結果、人間社会の教育的基盤、さらには人間社会そのものを危険にさらすことになり、教育にかかわる者は、学校教育が若い人たちだけのものではなくなっていること、今や学校にかかわる最大の課題、そして同時に最大の機会は、すでに高等教育を受けている社会人の継続的な再学習であることを、認識する必要があります。
今日のところ、われわれは、これらの問題を解明する理論をもたず、チェコの偉大な教育改革者ヨハン・コメニウスが17世紀に行ったことや、イエズス会の教育者たちが、今日のいわゆる近代的学校や、近代大学を生み出しかときに行ったことをやってくれる者をもたないのですが、少なくともアメリカでは、現実が理論よりも先行していて、この20年間における最も前向きで最も期待のできる動きは、社会人とくに学歴の高い専門職の人たちの継続学習や再学習について、アメリカに文部省なるものが存在していなかったことのありがたい副産物として、いくつかの実験的な試みが芽を出し、20年ほど前から、アメリカでは、高学歴の社会人のための継続学習や専門教育が、特定の計画や思想とは関係なく、しかも既存の教育界からの支援もなしに、大きな成長産業となっています。
日本では社会人の再教育に関して行なわれていることは、ハローワークの関連機関が行なっている専門技術研修制度があり、失業後、進路変更するための専門分野の知識、テクニックをマスターするための学校に、国からの援助を受けながら、学ぶことが出来、当社の麺学校も、麺ビジネスという特殊な分野での再学習機関であり、当社の麺学校で心がけているのは、生徒さんたちの人生を変える学校であり、単に最新のテクニックを教えるだけではなく、力点を置いているのは、マネッジメントの大切さの理解であり、ビジネスの長い成功には、マネッジメントが欠かせないためです。
◆起業冢社会の役割
起業家社会の出現は、人類の歴史における重大な転換点かもしれないのですが、1873年の世界恐慌は、1776年のアダム・スミスの『国富論』の出版に始まった自由放任(レッセ・フェール)の世紀に終止符を打ち、1873年の世界恐慌のなかから近代福祉国家が誕生したのですが、今日では誰もが知っているように、100年をかけて、その福祉国家も道を走り終わり、福祉国家は、人口の高齢化と少子化旡いう問題に直面しつつも、生き残っていくかもしれないのですが、それが生き残ることができるのは、起業家経済が生産性の大幅な向上に成功したときだけで、われわれは、こちらにもう1つの新しい福祉、あちらにもう1つの福祉というように、相も変わらず福祉の大殿堂にいくつかの小さな手を加えていくかもしれないのですが、今やオールド・リベラルでさえ知っているように、福祉国家は過去のものであって、未来のものではないのですが、その後継者は、はたして起業家社会となるのだろうかが疑問なので、われわれ企業人は頑張らなければいけないことが、よく分かります。
画像は、昨日夜の慰労会での、お店からプレゼントされたケーキです。
感激の文字が書かれていました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。