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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(まとめ)」「脱大組織化の始まり、マネッジメントの原理と方法、イノベーションと起業家精神、起業家の定義、起業家とは何か?」

昨夜のインドネシア料理

本日のテーマは「インドネシア事情」です。

一昨日夜最終便で東京に移動し、羽田空港で一泊し、昨日からインドネシアに来ています。

インドネシアは約10年ぶりでしたが、到着したジャカルタの空港は、日本の地方空港のようで、世界各地では新しい空港がたくさん作られているのに、変化がなかったことに驚きました。

空港では、お客さまに出迎えて戴き、ジャカルタ市内まで自動車で移動したのですが、空港近くと市内に入ってから渋滞が続き、30~40前の日本、20年前のソウルを思い出させる状況でした。

インドネシアに来る前に、空港から市内まで約4時間かかると言われていたので、渋滞にはそれほど驚かなかったのですが、来てみると、さすがにたいへんさが分かり、インフラ整備が遅れていて、国の経済発展に大きな足かせになっていることが分かります。

到着してすぐに教えられたのは、日本との一番大きな違いは気温で、最高気温が32~34度C、最低気温が27度Cで、最高と最低の気温差が5度程度しかなく、季節がなく、年中夏なのです。

米は年4回収穫でき、気温が高いために、新鮮な葉物野菜はなく、フルーツは豊富なのですが、気温差がないために、糖度が低く、甘くないのです。

そのためか、食事は甘い味の料理が多く、油で揚げた料理が多いので、砂糖と油の取り過ぎで、健康を害する人が多く、平均寿命が短いとの話でした。

年間気温が高いので、牛肉は水牛だけで、日本のような美味しい牛肉はなく、最近では北米産とか、オーストラリアのオージービーフの人気が高いのですが、政府が輸入割り当てをしていて、関税が高い上に数量が規制されているので、価格が高騰しているそうです。

インドネシアは第二次世界大戦では、日本が侵攻し、戦場になった場所でもあり、第二次世界大戦直後に独立を果たした国でもあるのです。

本日はちょうど、日本の終戦記念日ですが、終戦を迎えても、約2千人の日本兵が日本に帰還せずにインドネシアに残り、独立戦争をインドネシア人と一緒に闘い、約半数の1千人が戦闘で命を落とし、インドネシアは独立を果たし、今日の経済発展期を迎えているのです。

インドネシアは、人口が約2億4千万人と、日本の2倍近くで、1万3千余りの島から構成されている他島国家であり、多くの民族から成り立っている国でもあるのです。

日本は単一民族の国ですが、多民族国家で人口が多い国を治めるのは、たいへん難しく、インドネシアが、シンガポールより早く独立を果たしたにもかかわらず、国民1人当たりGDPが世界118位と、非常に低い位置にあるのは、その難しさを表しているのです。

大卒の初任給は日本円で約2~3万円ですが、貧富の差が非常に激しいのは、他の新興国と同様で、事業税は約30%で、日本よりは低いですが、シンガポールと比較すると、非常に高いと言えます。

大学を卒業する若い人の人口は少なく、ほとんどが高校卒であり、インドネシアは若い人の人口が多いので、飲食業で募集しても人手を集めるのには、ぜんぜん困らないそうで、幾らでも採用が可能だそうです。

今後とも、最低20年は、インドネシアの人口は伸び続けるので、日本のような人手不足に陥ることは当分なく、飲食ビジネスにおけるインドネシアの課題は、人件費ではなく食材費で、インドネシアで賄えない食材のコストが非常に高いのが、課題のようです。

インドネシアと周辺のマレーシア、フィリッピン、シンガポール、ベトナム等の国々とは、国の事情がまったく異なるので、それぞれの国々に合った、飲食ビジネスの成功方程式があるようです。

東南アジアにおける飲食ビジネスもそれぞれの国の事情に合わせて、異なった課題があり、国をまたぐと、同じ東南アジアであっても、違った戦略が必要なようです。

昨日夜の夕食は、伝統的なインドネシア料理の店にご案内戴き、いろんな料理を御馳走になったのですが、串に刺したさまざまな肉料理、魚介料理が主体で、味付けに使っている香辛料が複雑な味を作りだしているのです。

味付けは基本的に甘い味がほとんどで、日本と比べると、料理のバラエテイは豊富ではなく、比較的単純な料理が多いように思いました。

10年前にインドネシアを訪問したときは、ジャカルタではなく、地方都市のバンドンだったので、料理も、街の雰囲気もかなり違っていたと思います。

最近、東南アジアへの訪問は、シンガポール、香港、台湾くらいだけだったので、久しぶりにインドネシアに来てみて、改めて、東南アジアの奥深さを感じたのでした。

本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。

「脱大組織化の始まり」

第2次世界大戦の終わりから現在まで、組織の進歩とは大規模化を意味し、企業、労働組合、病院、学校、大学などあらゆる分野で見られ、大規模化には、いろいろ原因があり、大企業はマネッジメント出来るが、中小企業はマネッジメント出来ないという思いこみが、その最大の原因の一つであったことは間違いなく、アメリカにハイスクールの大規模化をもたらしたのも、この思い込みであり、教育は専門家によるマネッジメントを必要とし、そのマネッジメントは、中小の組織ではなく大組織においてのみ可能であるとされたのが、遂にこの傾向が逆転を始め、脱工業化ではなく、脱大組織化を始めたのです。

われわれは、すでにある程度マネッジメントが行なわれている大組織よりも、中小の起業家的な組織においてこそ、マネッジメントが必要とされ、かつ大きなインパクト(良い影響)を持ち、マネッジメントが既存の事業同様に、新しい起業家的な事業にとっても大きな力になり、アメリカでは19世紀に生まれたハンバーガー店が、第2次世界大戦後に、あらゆる街角で見られるようになり、無数にあったハンバーガー店の中で、マクドナルドは、パパママ・ストアに、初めてマネッジメントを適用し、最大の成功物語となり、マクドナルドで行なわれたマネッジメントとは、下記の通りです。

1.マクドナルドは、最終製品を規定した
2.次に製造プロセスを規定した
3.設備を再検討し、牛肉、玉ねぎ、パン、フライドポテトの一片に至るまで、同一のものを、同一の時間で、自動的に生産できるようにした
4.顧客にとっての価値が何であるかを考え、それは品質と同質性、サービスの速さ、清潔さと親しみやすさであると結論した
5.そして仕事の基準を定め、従業員を訓練し、給与システムを決めた

以上がマクドナルドのマネッジメントであり、その当時は、きわめて進んだマネッジメントで、同じように取り入れることにより、日本での閉店率の高いラーメン店も、規模の大きいビジネスになれる可能性があるのです。

「マネッジメントの原理と方法」

第2次世界大戦後のアメリカ経済を起業家経済として成功させたのは、科学や発明ではなく、このマネッジメントという「技術」であり、マネッジメント「技術」が、アメリカ社会そのものを起業家社会に変え、しかもマネッジメントは、やがてアメリカのみならずあらゆる先進国において、教育、医療、政府、政治、企業や経済に対してより大きなインパクトを与え、あらゆる先進国社会が切実に必要としている起業家精神そのものが、新しい問題や機会へのマネッジメントの適用なくしては成立しなくなり、イノベーションと起業家精神についても、イノベーションと起業家精神にかかわるマネッジメントの原理と方法を確立することであるのです。

第一章 イノベーションと起業家精神

1.起業家の定義

1800年頃、フランスの経済学者J・B・セイは、「起業家は、経済的な資源を生産性が低いところから高いところへ、収益が小さいところから大きなところへ移す」と言い、ドラッカーによると、この定義は、起業家が何者であるかは述べておらず、200年前に、セイが「起業家」なる言葉を作って以来、未だに起業家と起業家精神の定義は確立していないのです。

「起業家とは何か?」

アメリカでは、起業家とは小さい事業を始める人を言いますが、新しい小さな事業のすべてが起業家的であるわけではなく、起業家精神の現れであるわけでもなく、例えば、郊外でファースト・フードの店や、メキシコ料理店を始める夫婦は、リスクを冒しているのですが、何か新しいことをやろうとしているわけではなく、外食という風潮に乗ってはいるが、新しいニーズや欲求を創造していないので、事業はベンチャーですが、彼らは起業家ではなく、マクドナルドの創始者レイ・クロックは起業家で、何も発明していないし、ハンバーガーは、アメリカのレストランならばどこにでもあり、レイ・クロックは、マネッジメントの原理と方法を適用し、顧客にとっての価値は何かを問い、製品を標準化し、製造のプロセスと設備を再設計し、作業の分析に基づいて従業員を訓練し、仕事の標準を定めることによって、資源が生み出すものの価値を高め、新しい市場と新しい顧客を創造し、結果として、世界中で多くの事業家を創出し、彼らを豊かにし、世界中の人たちの食に関するライフスタイルを変え、これこそが起業家精神であったのです。

現在の日本においても、多くの若者とか、脱サラ組がうどん店開業とか、ラーメン店開業を目指し、リスクを冒して、新しい人生にチャレンジしていますが、そのほとんどは既存店の真似であり、何ら新しい試みはなされておらず、開業したとしても、生み出すものの価値を高め、新しい市場と新しい顧客を創造してはいないだけでなく、既存の競争の厳しい市場に分け入り、更に競争を激化させ、市場を疲弊させ、自らも競争に疲弊し、早期に市場から退場するのがほとんどで、新しく開店しても、40%以上が1年以内に閉店し、彼らのほとんどは、リスクを減らすために、初期投資を減らし、規模の小さい店を開店したり、業績不振で閉店した後を居抜きで借りて同じ業種を同じようなスタイルで開店し、早期に閉店するケースが後を絶たず、社会を変革し、豊かにしたり、良くすることには、何ら貢献していないのです。

マネッジメントとは、本来、社会に存在する多くの人たちを豊かにし、幸せにするためのものであるので、その意味で、社会に貢献しておらずに、自分自身も幸せになっておらず、彼らの事業を始める最終目的は、自分とか、家族が幸せになるためであったはずですが、それさえも達成することが出来ておらず、本当に自分たちの幸せを目指すのであれば、先に多くの人たちに貢献することを目指した方、即ち、起業家精神を発揮して、今までにないもので、多くの人たちの幸せに貢献出来ることを目指した方が、結果として早いのです。

私も以前からこの事実には気付き、既存の競争の厳しい市場に、既存店と同じようなスタイルで参入しても、得るものが少ないことを常に麺学校の生徒さんたちに伝えていたのですが、ドラッカーが明確に同じことを説明し、競争の厳しい市場に、同じスタイルの店舗を出し、同質化競争に拍車をかけているので、レッド・オーシャンの典型的な事例であり、資源の乏しい新規参入者が取る戦略ではなく、競争を避け、ブルー・オーシャン戦略を取り、小さい企業が大企業に勝てる戦略を取るべきで、要するに、①競争変数を増やすか、②強烈な個性で勝負するか、のどちらかを選択しなければいけないのです。

数十年前、アメリカ中西部のある起業家が夫婦で始めた鋳造業も極めて起業家的であり、彼らは、アラスカを横断する天然ガス・パイプラインの敷設工事に使われる大型ブルドーザーの車軸などの精密鋳造品を製造し、この事業に必要な科学知識は既知のものであり、新しいものはほとんどないのですが、彼らは技術情報を体系化し、要求される性能をコンピュータに入れると、必要な工程が自動的に明らかになるようにし、工程を体系化し、形状、組成、重量、材質が同じ製品を半ダース以上受注することは殆どないのですが、バッチ生産ではなく、コンピュータ制御によるプロセス生産を採用しているので、不合格品が30%から40%出るのが普通ですが、この鋳物メーカーでは製品の90%以上が合格品であり、大企業並みの賃金や福利厚生費を支払いながら、コストは最も強力な競争相手(韓国の造船所)の3分の2以下で、急成長はしているものの、彼らが起業家的であるのは、単に新しい事業だからではなく、決して新しいビジネスではない精密鋳造が、一つの独立事業たり得ること、需要の伸びが隙間(ニッチ)市場の形成を可能にしていたこと、技術特にコンピュータ技術が、職人芸を科学的プロセスに転換できることを利用したからだったのです。

これと似たようなことは、当社で行なっている「デジタル・クッキング」では、例えば、蕎麦学校では、だしの材料をすべて単独でだしを取り、生徒さんたちがそれぞれ単独のだしの味を確認して、どの材料を何%入れると、どのような味になるかを確認しながら、自分自身の味を作り上げていき、そして、毎回のデータはすべて記録され、データ・ベース化されているので、何度やっても、まったく同じ味が再現でき、味を変えたい時も、既に出来上がっているデータ・ベースを参照しながら、簡単に変更できるのです。

画像は、昨日夜のインドネシア料理の画像で、ほとんどが肉と魚介料理で、野菜が少ないのに、驚きました。

画像に写っているのは、ご案内戴いたお客さまの秘書のキャサリンさんです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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