本日のテーマは「心の洗濯日」です。
一昨日、シンガポール人の味の感覚を理解するのであれば、シンガポールで大人気の伝統的なプラウン・ヌードル(海老ラーメン)を是非食べるようにと、ジェイソンに誘われ、行ったのですが、行った時間が2時半くらいだったので、すでに売り切れていて食べられなかったので、昨日、再度行ってみると、昨日は間に合い、食べることが出来ました。
私はホンコンのワンタン麺のスープを想像していたのですが、一昨日のワンタン麺同様、想像とは違った味で、薄いトンコツスープがベースになっていて、その上に、海老の頭の香味油が乗っていたのです。
麺も日本のラーメンそっくりで、まさに最近、ときどき日本で見かける海老ラーメンとよく似ていたのですが、唯一の違いは、トッピングにしっかりとした海老が乗っていたことで、これで価格が5シンガポール・ドル(400円)と、非常に安いのに驚きました。
ショッピングセンター等に日本のラーメン店がたくさん出店していますが、どの店も10シンガポール・ドルを超え、12ドル(約千円)程度が多く、日本で食べる価格より高いのが普通で、ラーメンの価格は、日本から遠ざかるほど、高くなっているのが分かります。
海老のラーメンを食べた後は、昨日はジェイソンのキッチンで、トマトと野菜スープベースにチャレンジし、ニンニク、玉ねぎ、リンゴ、トマトのスープベースを作ってみました。
ジェイソンのキッチンもオール電化で、たくさんのIHレンジと、スチーム・コンベックス・オーブンを初め、たくさんのオーブンが備わっているので、作業は非常に楽なのです。
私はこのようなスープベースを作るような作業は、インストラクターの人たちに任せているのですが、自分でやってみると、新しい発見があり、温度を変えてみると、いつもと違った味に仕上げることが出来たのです。
インストラクターたちは、毎回同じ方法で、スープ作りをやっていますが、自分でやれば、同じようにしないで、常に新しいチャレンジを行なうので、今までにない、新しい発見がいつもあるのです。
夕方頃になり、スープベースが完成したので、元ダレを合わせて、野菜とトマトのラーメンスープを作ってみたのですが、時間の都合でさまざまなテストが出来なかったので、この続きは、来週の本社のラーメン学校と、次の東京支店でのラーメン学校で、継続行なう予定です。
今回は5日間かけて、ゆっくりシンガポールに来たので、今まででは分からなかったシンガポール人の味の好みについても良く理解することが出来、こちらで主に使われている醤油とか、調味料もたくさん買い込みました。
その土地の味を理解し、再現するには、その土地で使われている調味料を抜きには出来ないので、調味料を理解することも必須なのです。
早速、帰り次第に次のラーメン学校で、いろんなテストを繰り返してみて、さまざまな味を作り出してみたいと思います。
5日間は最初長いように思っていましたが、実際はあっという間に過ぎ、本日は帰途についていますが、今回、シンガポールに来て分かったことがたくさんあります。
そのひとつが天気予報の単純さで、シンガポールの1日の朝は快晴で、ほとんど雨は降らず、昼過ぎになると、急に天気が崩れて、バケツをひっくり返すような土砂降りの大雨になり、それが1~2時間続くと、その後はカラッと晴れるので、天気予報士の仕事は非常に楽で、毎日、同じことを言っていても、外れることがないのです。
5日間いて感じたのは、思ったよりも住みよい国で、気温が暑くて住みにくいと思っていたのですが、決してそうではなく、1日の最高気温が32度,最低気温が26度Cで、毎日夜はクーラーを一切付けずに寝ることが出来ます。
環境もよく、どこへ行っても安全に行動することが出来、国全体が淡路島程度の大きさで、狭いので、移動距離も短く、例えば、日本のラーメン店を見ようと思うと、簡単に、短時間ですべて見ることが出来るのです。
狭いエリアに世界中の素晴らしいレストランが集まり、世界中から素晴らしい能力を持った人たちが集まっているので、ビジネスの進化は非常に早いように思います。
この先、半分程度は日本に住み、半分程度はシンガポールに住むような選択肢も十分に考えていかねばと、改めて感じた次第です。
いつものように、短期間のイベントだけで来ると、今回のようなゆっくりした時間を取ることが出来ず、たくさんの物を見ることが出来なかったのですが、今回はシッカリ時間を取って来たので、たいへん有意義な5日間になり、日々の喧騒から逃れ、今回のような時間を取ることの大切さを、改めて感じた次第です。
ビジネスの将来について考える時間もシッカリ取れ、シンガポールの素晴らしさにも触れた、素晴らしい5日間でした。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
2起業家的柔道
1947年、ベル研究所がトランジスタを開発し、ラジオやテレビの真空管に代わるものになることを、誰もが知っていたのですが、誰も何もせず、当時、アメリカの大手電機メーカーは、トランジスタへの転換を1970年頃に行うという計画を立て、彼らは、それまでトランジスタは使いものにならないと説明したのですが、国際的にはまだ無名で、専門家の間でさえあまり知られていなかったソニーの社長盛田昭夫が、このトランジスタのことを知り、彼はアメリカへ飛び、ベル研究所からトランジスタのライセンスを総額2万5000ドル(当時の900万円で、ソニーにとっては大金で、外貨制限のあった頃の日本であったので、許可を取るのがたいへんだった)という驚くべき安値で買い、2年後、ソニーは重さが真空管ラジオの5分の1以下、値段が3分の1以下という最初のポータブルラジオを世に出し、3年後には、アメリカの低価格ラジオ市場を手に入れ、5年後には世界市場を手に入れたのです。
もちろん、これは予期せぬ成功の拒否と、その利用の古典的な例であり、アメリカの大手電機メーカーは、「われわれの発明」、すなわちRCAやGEなどのリーダー企業の発明ではないという理由で、トランジスタの利用をためらい、プライドが邪魔をした典型的な例で、彼らは当時の技術の粋を集めた高級ラジオを誇りにしすぎていたので、彼らにしてみれば、シリコン・チップのラジオは、下品とまではいわないまでも、低級な代物だったのです。
ドラッカーが使っている、起業家的柔道戦略は次のような特徴を持った戦略なのです。
1.「柔よく剛を制す」という柔道の基本をビジネスに応用する戦略のことで、他社の力を利用して、商品開発や市場開拓をする戦略であり、社会にあふれている商品の多くは、合法的なコピー商品で、書籍で「国家の品格」がヒットすると「~の品格」がたくさん出版されるのですが、この戦略のメリットは成功の後追いですから、リスクはほとんどなく、販売力のある会社や、開発力の弱い中小企業には最適の戦略なのです。
2.成功し、驕り高ぶった大企業の脇の甘さを衝き、すでに安定して確固たる地位に就いていると思い込んでいる、うぬぼれ屋の企業を打ち負かし、自らをその業界のリーダーの地位に就かせることができるとするのが、「起業家的柔道」の技の一つで、産業や市場において、リーダーシップ支配力の獲得を狙いとしたあらゆる戦略の中で、この「アントルプルヌーリアル・ジュードー」こそ、ずば抜けてリスクが少なく、成功の公算が大であり、ドラッカーは現在の優位性の上にあぐらをかいている企業は「常習犯」と同じだ、と厳しいことを言い、変化に対して鋭い感性を磨き、外界の変化を敏感にモニターし、しかも迅速に対処することを重要視しているのです。
3.トップ企業のスキをつき、トップの地位を築こうとする戦略で、トップ企業の自社製品・サービスへのおごりや利益の発生対象、機能などのスキを突き、トップ企業が利益の最大化を目指している場合、製品やサービスへの最適化を行うので、リスクが一番低く、一番成功しやすいと言われる戦略です。
柔道戦略が特に成功する状況が3つあり、
第1は、すでに地位を確立しているトップ企業が予期せぬ成功や失敗を取り上げず、見過ごしたり、無視したりするときであるのです。
第2は、新しい技術が出現し急成長するのですが、新しい技術を市場に導入したものは古典的な独占体として行動し、すなわち地位を利用し、市場のいいとこ取りをし、創業者利益を手にするときであるのです。
第3は、市場や産業が急速に構造変化するときであり、構造変化は、イノベーションの7つの機会のうちの第4の機会「産業構造の変化」を利用するものです。
柔道戦略の攻撃側の成功要因は、柔道戦略の上記で紹介した攻撃されやすい先駆者の悪癖の裏返しです。
◆何回もの成功
問題は、ソニーの成功にあるのではなく、日本のメーカーがこの戦略を何度も使い、そのたびに成功し、アメリカの企業を驚かせてきたことをいかに説明すべきかにあり、日本のメーカーは、この戦略を、テレビ、クォーツ・デジタル時計、プログラマブル電卓で繰り返し、コピー機に参入し、草分けのイノベーターであるゼロックスから市場のかなりの部分を奪ったときも、この戦略を使い、言い換えるならば、日本の企業はアメリカの企業に対し、起業家的柔道によって何度も成功をおさめてきたのです。
しかし、アメリカの企業であるMCIやスプリントもこの戦略を使い、AT&Tの料金体系を利用して長距離通話のかなりの市場を奪い、ROLMもこの戦略によって、構内交換機(PBX)市場のかなりの部分をAT&Tから奪い、シティバンクも、ドイツでフアミリェンバンクなる消費者銀行を設立し、数年の間に、消費者金融で支配的な地位を得たのは、ドイツの銀行も、普通の消費者が購買力をもつようになり、上客になりうることは知っていて、彼らも消費者金融に進出し、だが、本心は乗り気ではなかったためで、とくに、それまで法人客と金持ちの投資家を顧客にしてきた大銀行にとって、一般の消費者は自らの威厳にそぐわない存在で、口座を開きたければ、郵便貯金に行けばよいという姿勢で、広告で何といおうが、ドイツの銀行は、その重々しい支店にやってきた一般の人たちに対し、そっけない態度をかなりあからさまに示したので、シティバンクが一般の消費者のニーズに応えるための金融サービスを設計し、利用しやすいファミリェンバンクを設立し、シティバンクのファミリェンバンクは、手強いドイツの銀行がドイツ中に支店を張り巡らしていたにもかかわらず、わずか5年の間に、消費者金融で支配的な地位を得たのです。
日本企業、MCI、ROLM、シティバンクなどの新規参入者はすべて、戦略として起業家的柔道を使い、あらゆる起業家戦略、とくに産業や市場において支配的地位の獲得を目指す戦略のうち、起業家的柔道こそ最もリスクが小さく、最も成功しやすい戦略であり、警察は、金庫破りにせよ、こそ泥にせよ、常習犯が同じ手口を使うことを知り、彼らは個性的な痕跡を指紋のように残し、何度逮捕されても変えようとせず、性癖から逃れられないのは、犯罪常習犯だけではなく、誰でもあり、企業や業界も同じであり、何度トップの地位と市場を奪われようとも、性癖は変えられず、アメリカのメーカーは、日本の企業に何度市場を奪われても性癖を変えず、犯罪者は、自らの性癖のゆえに逮捕されたことを認めないので、逮捕の原因となった性癖を直さず、言い訳を探し、自らの性癖によって市場を失った企業も、それを認めないで、ほかの原因を言い訳にし、たとえば、日本企業の成功を低賃金のせいにするのですが、RCAやマグナボックスのように現実を認識している電機メーカーは、アメリカの高賃金と福利厚生費を負担しつつ、日本のメーカーと競争できる価格と品質の製品を生産しているのです。
ドイツの銀行は、シティバンクの成功について、自分たちには犯すことのできないリスクだったと弁解するのですが、実際には、ファミリェンバンクの貸し倒れは、ドイツの銀行よりも少なく、貸付条件は、ドイツの銀行と同じように厳しく、もちろんドイツの銀行は、このことを知っているのですが、それでもなお、彼らは、自らの失敗とフアミリェンバンクの成功について弁解を続けるのは、きわめて典型的というべきであり、ここにこそ、なぜ起業家的柔道という同じ戦略が何度も成功するかを示すヒントがあるのです。
驕り高ぶることが、ビジネスでは一番危険であり、成功しているときこそが、一番危険な時であり、これは、人間の性であり、マネッジメントには、多くの体験、試練が欠かせないのです。
画像は、ジェイソンのキッチンで、野菜とトマトのスープを作っているところです。
普段、日本でもやっていないことを、シンガポールでやってみました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。