本日のテーマは「認識の変化、人手不足対策」です。
一昨日の都内は久しぶりの大雪で、交通網が乱れたのですが、昨日は雪も止み、素晴らしい晴天に恵まれ、茨城県の坂東太郎さんの新社長就任式に招かれて、列席してきました。
全国から、驚くほど多くの来賓、列席者の方がたが参加され、神事から始まる式典は盛大に行なわれ、改めて、坂東太郎さんの底力を感じた次第で、新会長になられた青谷さんも、まだ私より若い年齢でご子息に社長交代を行なえたのは、素晴らしいことなのです。
来賓の方がたのご挨拶にもあったのですが、坂東太郎さんは昔からスローガンを「人間大好き、親孝行」とし、一風変わったスローガンであるのですが、長くこのスローガンを掲げ続け、お年寄りを大切にしてきたのが、今日の繁栄をもたらせた大きな原動力になり、このような明確な旗印を掲げ、社員全員が一丸となって取り組んでいる企業は、底力があるのを感じたのです。
メニューもお年寄りが大好きな味噌煮込みが看板メニューにし、茨城県のような地方において、70店近くも大型店を展開し、都会でなく、人口の少ない、田舎でこれだけ成功している非常に珍しい事例です。
創業は40周年で、当社と同じですが、若いころからたいへん苦労しながら、ここまで築き上げてきたことに本当に敬意を表し、お祝いに駆けつけた多くのお客さまからの賛辞と、従業員の人たちの晴れやかな笑顔を見ると、素晴らしい結果を残していることに、たいへん熱いものを感じました。
本日のドラッカー・マネッジメントの「イノベーションと起業家精神」は認識の変化についてで、文中のイギリスの事例では、認識の変化はなかなか起きなかったのですが、最近よく報道されているケルン大聖堂近くで大晦日の夜に、避難民たちが起こした事件で、ドイツ国民の避難民に対する認識が、一夜にして変わってしまい、認識の変化は変わるときには、簡単に変わることが分かる事例でした。
現在の日本は、異常なくらい人手不足で、募集してもぜんぜん応募がない状態が続いています。
特に麺ビジネスで働く人は、ほとんどいない状態で、日本人が消えてしまったのかと思うような気がするくらい、異状に応募がない状態です。
募集しているのは、それなりの年齢の人たちを対象にしているので、年齢をもっと上げると、可能性は十分あるのですが、ほとんどの応募者も60歳以上の年齢の者を募集する企業はないと思いこんでいるので、年齢を問わないで、幾ら募集しても応募して来ないのです。
現状のような人手不足を解消する方法は、認識の変化を起こす必要があり、高年齢者を採用し、高年齢者が楽しく働けるような仕組みを作り上げることが、欠かせないのです。
当社でも、新しいビジネスでは高年齢者を採用して行ってみようと考えているのは、現在のような人手不足の時代で、麺ビジネスの店が人手が足りないために、十分な営業の出来ない店がたくさん出ているためです。
この人手不足を解消しない限り、多くの麺専門店が人手不足のために淘汰されてしまう可能性があるのです。
15歳から64歳までの生産年齢人口は、これからも減少の一途で、一般的な働き盛りと呼べる人手は、ますます減少するので、増えていく高齢者の中から元気な人に活躍して貰わなければ、麺ビジネスの人手の問題は解決することが出来ないのです。
従って、働く人も高齢者、お客さまも高齢者というような麺ビジネスの店で、さらに人手が要らず、高齢者でも十分なオペレーションが出来るようなビジネスモデルを作り上げる必要があるのです。
これからの日本での麺ビジネスは、出来るだけ人手を使わずに、高齢者で賄ええ、十分な利益の確保出来るビジネスモデルを作り上げないと、営業することが出来ないのです。
十数年前には、想像も出来なかった世の中になり、日本の人手不足は急速に起きたように見えますが、その前兆は以前からあったのですが、アベノミクス前の不景気な時代には、表面に出てこなかっただけであったのです。
過去は、これほどの人手不足ではなかったので、まだ多くの日本人はこれからさらに人手不足に拍車がかかることを想定していないのではないかと思います。
私が気にしているのは、今後の人手不足で、全国の麺専門店の多くが閉店し、人手不足のために、パパママストアの生産効率の悪い店が自然淘汰されてしまうことなのです。
そのようなことがもし万一にでも起きてしまうと、麺業界の10年後の姿は、今とはかなり異なった姿になってしまっているのです。
それを避けるためにも、われわれはもっと人手不足に注意し、対策を立てて、生産年齢人口の減少に対処する必要があるのです。
多くの麺ビジネスの経営者が、人手不足に対する認識を深め、シッカリと対策を立て、麺ビジネスの生産効率を上げ続けることに取り組んで戴きたいと思っています。
われわれもそのためのお手伝いをしなければと、思っております。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆女性の意識
アメリカの女性運動家は今日、1930年代と40年代を、女性の社会的役割を認めなかった最悪の暗黒時代として位置づけているのですが、事実に照らしてみるならば、これほど間違った見方はなく、1930年代と40年代こそ、まさに存在感のある女性の花形たちが活躍した時代であり、アメリカの良心、アメリカの道義の代弁者として、アメリカ史上、いかなる男性をも超えた大統領夫人、エレノア・ルーズヴェルトがいて、その友人フランセス・パーキンスは、初の女性閣僚として労働長官となり、ルーズヴェルト政権の最も有能かつ強力な閣僚となり、アンナ・ローゼンバーグは、アメリカ最大の小売店R・H・メイシーの人事担当副社長として、アメリカの大企業初の女性役員となり、朝鮮戦争のときには、兵員担当の国防次官補として将軍たちの上司となり、大学の学長にも、全米に知られた大勢の有力な女性がいて、一流の作家、クレア・ブース・ルースやリリアン・ヘルマンがいたのですが、とくに前者は政治家としても名をあげ、コネチカット州選出の下院議員、後に駐イタリア大使を務めました。
この時代、医学上の最も大きな業績を残したのも女性で、ヘレン・タウシッグは、チアノーゼの幼児の手術を行い、史上初の心臓手術に成功し、やがて世界中の幼児の命を救うことになる心臓移植や、バイパス手術へと続く心臓手術の時代をもたらし、さらには、ラジオを通じて数百万人の心に働きかけたマリアン・アンダーソンがいて、アメリカ中の茶の間に入り込むことのできた黒人は、彼女が登場する前には1人もいなかっただけでなく、彼女の後には、マーチン・ルーサー・キングが1人いるだけで、以上のように、名のある女性は計り知れなく多く、彼女たちはみな、自らの業績と名声、重要さを自覚する誇り高い女性だったのですが、彼女たちは自らを「女性の代表」とは考えず、自らを女性と考えるよりも、まず人間として考えていて、女性の代表ではなく、むしろ例外として考えていたのです。
どのように変化が起こり、それがなぜであったかを説明するのは、後世の歴史家に任せなければならないのですが、1970年以降、偉大な女性の先駆者たちは、もはや特別視されるべき存在ではなくなり、今日では、働かない女性や、男のものとされていた仕事をしていない女性のほうが特殊であって、例外とされるのです。
いくつかの企業、とくにシティバンクが、この変化をイノベーションの機会としてとらえたのですが、すでに女性が専門職や経営管理者として認められていた百貨店、広告代理店、雑誌社、出版社は、変化に気づかず、今日、それらの企業では、30年前や40年前よりも、女性の専門職や経営管理者が減っているくらいですが、これに対し、シティバンクは極端な男性社会だったので、変化を認識できたのも、そのためだったかもしれず、シティバンクは、この女性の意識の変化を機会としてとらえ、とりわけ野心的な有能な女性を雇い入れて、活躍させることに成功し、しかもシティバンクは、キャリアウーマンの昔からの就職先だった企業と競争することなしに、彼女たちを雇うことができたのです。
当社も多くの女性が活躍しており、スタッフのうち、約55%が女性であり、女性の比率が多い会社ですが、女性が活躍を始めてから、会社が大きく変わり、創業以来、製麺機メーカーだったので、それまでは、まったくの男性社会であったのですが、女性たちがそれまで男性たちが携わっていて、成果が上がらなかった仕事を成果の上がる仕事に変えていったのは、特に営業関係と麺學校で、今後は、他の部門で女性たちの活躍が見込まれていて、男性たちがやっていて、成果が上がらなくなった部門を女性たちに任せることは、これからの日本では欠かせないことであり、世界中で、若い男性の中に草食男子化が進み、女性は肉食女子化が進んでいることを危惧されていますが、今は男性と女性と分ける必要のない時代に入り、少なくとも、ビジネスにおいては、男女の性差別は不要な時代になったのではと思います。
◆アメリカの中流階級化
このように、認識の変化をイノベーションの機会としてとらえる者も、長期にわたって独占的に行動することができ、1950年代の初めというかなり昔のケースにも、認識の変化を利用したイノベーションの例があり、1950年頃、アメリカ人の圧倒的多数が所得や職業のいかんにかかわらず、自らを中流階級として考えるようになり、明らかにアメリカ人は、自らの社会的地位についての認識を変化させたのです。
中流階級への意識変化は何を意味したか。
ある広告代理店の役員ウィリアム・べントン(後にコネチカット州選出の上院議員)は、「中流階級」とは何を意味するかを考え、その明快な答えは、中流階級とは、労働者階級と異なり、自分の子供が学校の成績次第で出世していけると信じる人たちのことだったので、そこでベントンは、倒産寸前だったエンサイクロペディア・ブリタニカを買い取り、そして主として高校の先生に「中流のご家庭のお子さんの勉強には、ブリタニカの百科事典が必要です」と言わせ、一家の中から、初めて子供を高校へ行かせるようになった親たちに、百科事典を売り込み、ブリタニカを3年で立ち直らせ、10年後には日本でも同じ売り方で成功したのです。
予期せぬ成功や失敗は、しばしば認識の変化を示す兆候であり、サンダーバードはエドセルの灰から生まれ、フォードは、エドセルの失敗の原因を調べて、認識の変化を発見し、わずか数年前には所得階層によって分かれていた乗用車市場が、今やライフスタイルによって分かれていたのを発見したのです。
認識の変化が起こっても、実体は変化しないで、意味が変化し、「半分入っている」から[半分空である]に変化し、自らを労働者階級として一生身分が変わらないとする見方から、中流階級として社会的地位や経済的機会を、自ら変えることのできる身分にあるとする見方へと変化し、そのような認識の変化は速く、アメリカ人の過半が、自らを労働者階級ではなく、中流階級として考えるようになるには10年とかからなかったのです。
経済が変化をもたらすのではなく、まったくのところ、経済は関係さえしないかもしれず、イギリスでは、所得の配分はアメリカよりも平等であるのですが、3分の2がいわゆる労働者階級を上回る所得を得、2分の1近くが中流階級の下層を上回る所得を得ているにもかかわらず、イギリス人の70パーセントは、依然として自らを労働者階級と見ているのです。
日本においても、今は人びとの認識が大きく変化する時代であるので、認識の変化を捉え、イノベーションの機会にすることにより、自分たちのビジネスに大きな成果をもたらすことが出来るのですが、簡単ではなく、トップがシッカリと時間をかけ、深い思考で取り組むべき大切な項目であるのです。
「実体よりも認識」
コップに「半分入っている」か「半分空である」かは、実体ではなく認識が決定し、体験が決定し、アメリカの黒人が「半分空である」と感じるのは、アメリカ社会の現状よりも、過去数世紀にわたる癒しがたい傷によるものであり、イギリス人の過半が自らを労働者階級と見るのは、19世紀における国教徒用チャーチと非国教徒用チャペルの断層という遺産によるところが大きく、アメリカ人の健康ノイローゼは、健康にかかる指標よりも、若さへの信仰などアメリカ人特有の価値観によるところが大きいのです。
社会学者や経済学者が、それらの認識の変化を説明できるか否かは関係なく、認識の変化はすでに事実であり、多くの場合、定量化することはできないだけでなく、定量化できたとしても、その頃には、イノベーションの機会とするには間に合わないのですが、それは理解できないものでも、知覚できないものでもなく、きわめて具体的であり、明らかにし、確かめることができ、そして何よりも、イノベーションの機会として利用することができるのです。
但し、以上のことも常に変化に対し、意識を持って対応していないと、変化を捉えることが出来ないので、殆どの人たちは、変化に気づかず、また気づいたとしても、イノベーションの機会として活用出来ていないのですが、これからの日本において、認識の変化に対する意識を高めることが、外せないのです。
画像は、坂東太郎さんの新社長就任式の様子です。
厳かな神事から始まり、感動的な、盛大な就任式でした。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。