本日のテーマは「自分自身の学びの場」です。
本日は、毎月1回の私自身がコンサルを受ける日であり、経営者としての経営判断のチェックをして貰い、日々の経営課題の問題点を解決する日でもあり、朝から夕方まで、缶詰状態を質疑応答が続きます。
前回12月には、たくさんの面白い課題が見つかったもののうち、すでに開始し、ある程度成果が見えてきているのもあれば、まだまだ手つかずのものもあったりで、すべての項目をチェックし、さらに問題点が出てきたテーマについて、内容の確認をしていったのです。
このようなコンサルを受け始めて丁度1年が経過しましたが、1年経過してだいぶ内容が深まってきたような気がします。
このような経営課題を相談できる人は周りにほとんどいないので、月の1回のこの勉強会は、私にとってとても大切な毎月のイベントであり、難しい問題解決にたいへん役立っているのです。
現在、始まりつつある「麺ソムリエ制度」と「麺ソムリエ協会」の立ち上げは、数か月前のこの会議から出てきたもので、新しくイノベーションを起こすのにたいへん役立っているのです。
本日も有意義な内容がたくさん生まれ、今後、次つぎと実行に移していく予定です。
本日もコンサルの方より出てきたのは、「日本は、ほとんど人が学ばなくなってきているので、前向きに努力する中小企業においては、商売が楽になってくる」ということで、私も最近の国内の麺学校の生徒さんを見ていると、その想いが余計に強くなるのです。
私は以前から感じていたのは、国内では昔、このような状態であったのは、沖縄と北海道で、沖縄とか北海道で内地から熱心な人が移住して、勤勉にやれば非常に成功し易かった時代があったのです。
今は、国内全体が昔の沖縄とか北海道状態になってきたので、そのような中でシッカリ学び、頑張る人が出れば、非常に成功し易いのです。
ところが、今は熱心な多くの人が沖縄とか北海道に移住したり、北海道とか沖縄も熱心な人が増え、独自の強さを発揮するようになっているのです。
だから、大きく人口が減少している日本は、ビジネスでの可能性が低くなり、以前より余計に努力しなければ成功しなくなりますが、それでも一握りの努力する人は、以前よりはるかに成功し易くなっているのです。
今の日本はそれなりに豊かな国になり、生きるのに困る状態とか、食べるのに困る状態の若い人は少なく、また、福祉制度も充実し、生活保護等のセーフテイネットも張られているので、そんなに努力しないでも生きていくことは出来るのです。
しかし、私が心配するのは、世界から見れば、日本がだんだん弱くなり、政府の負債も増え続け、そのつけが次の世代に先送りされ続けていることなのです。
世界から見れば、日本国自体のGDPは世界第3位ですが、日本国民1人当たりのGDPはすでに世界27位で、世界9位のシンガポールは国民1人当たり56、286ドル(約647万円)であるのに対して、世界27位の日本は、36、222ドル(約417万円)で、すでにシンガポールの約64%まで落ちていて、さらに落ち続けているのです。
それは、日本のGDPの伸びはここ20年余りほとんど伸びがないのに対し、世界では伸び続けているので、相対的に日本は弱くなっているのです。
従って、20年前の日本の大卒の初任給は現在とほぼ同じであるのですが、他の国々ではずっと伸び続けているのです。
ようするに、日本人全体が気付かない間に、世界から大きく水を開けられているのです。
このことは、30年前の韓国、25年前のシンガポールを知っている私にとって、現在の韓国とシンガポールの変わり様を見れば、痛いほど分かるのです。
このような事実について、麺学校の経営講義では生徒さんたちに話し続けているのですが、海外にあまり行っていない、海外を知らない生徒さんのほとんどは、実感を持てないと思います。
だから、私がアラームを出し続けても、ほとんどの生徒さんはピンと来ていないようで、反応がないのです。
社内でも、このことは非常に大きな課題になり、今後、当社の麺学校を初級と中級に分けるようにしているのです。
片方で、レベルの高い生徒さんもいれば、反対に学ぶことに消極的な生徒さんもいるので、クラスを分けないと、お互いに十分な学びが出来ないことが分かってきたのです。
今年の5~6月以降のクラスから、完全に分けていき、双方の線引きも明確にしていきたいと考えています。
社内では、常にイノベーションを起す必要性を感じ、それに向けて走り続けたいと思います。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
第10章 アイデアによるイノベーション
アイデアによるイノベーションは、ほかのあらゆる種類のイノベーションを全部合わせたよりも多く、10の特許のうち7つか8つは、この種のものであり、起業家や起業家精神についての文献で、取り上げられている新事業の多くが、アイデアにもとづき、ジッパー、ボールペン、エアゾール缶、缶のフタの類であり、企業の開発研究と称されているものの多くも、朝食用のコーンフレークやソフトドリンクの味つけ、新しい運動靴、焦がす心配のないアイロンなど、アイデアを発見するための作業です。
◆あまりの曖昧さ
アイデアは、イノベーションの機会としてはリスクが大きく、成功する確率は最も小さく、失敗する確率は最も大きく、この種のイノベーションによる特許のうち、開発費や特許関連費に見合うほど稼いでいるものは、100に1つもなく、使った費用を上回るかを稼ぐものは、おそらく500に1つという少なさで、しかも、アイデアによるイノベーションのうち、いずれに成功のチャンスがあるか、いずれに失敗の危険があるかは誰にもわからないのです。
たとえば、なぜあのスプレー式のエアゾール缶は成功したのか、ほかに似たような発明がたくさんあったのに、それらはなぜ失敗に終わったのか、なぜあの万能スパナが売れて、ほかのものは消えたのか、なぜジッパーは、あれほど引っかかりやすいにもかかわらず、ジッパーの引っかかりほど厄介なものはないにもかかわらず、広く受け入れられ、ボタンに取って代わったのか分からず、アイデアによるイノベーションの成否を事前に知るための方法も、とくに改善されているわけではなく、アイデアによるイノベーションで、成功する者に共通の個性、姿勢、性癖を知ろうとする試みも、同じようにうまくいっていないのです。
「イノベーションに成功する者は発明しつづけ、何でも試し、そのうちに成功する。」というのですが、続けていればやがて成功するという考えは、ラスベガスのスロットマシーンで儲けるには、レバーを引きつづければよいというのに似ていて、スロットマシーンは、胴元が70パーセントの確率で勝ち、レバーを引くほど負けの確率は大きくなり、スロットマシンで勝つ方法に根拠がないように、アイデアの追求において、執拗さがよい結果を生かなどという説を裏づける証拠はないのです。
たった1つのアイデアで成功し、それでやめる人がいて、ジッパーの発明者、ボールペンの発明者がそれで、他方、40の特許をもちながら、1つも成功しないという人が大勢いるのです。
もちろん、進歩はあり、成功するのは、正しい方法を実行したとき、すなわちイノベーションの機会を体系的に分析したときだけで、アイデアによるイノベーションの予測が難しく、かつ失敗の確率が大きい原因はかなり明らかであり、そもそもアイデアなるものが、あまりに曖昧であり、ジッパーを発明した人以外で、衣類をとめるのにボタンやホックでは、不都合だと考えた人が何人いたか、あるいは、ボールペンを発明した人以外に、あの19世紀の発明たる万年筆に欠陥があり、その欠陥が何であるかを考えた人が何人いたか、1960年代のヒット商品だった電動歯ブラシによって、いかなるニーズが満たされたか、つまるところ、電動式歯ブラシもまた、手で持たなければならないことに変わりはなかったのです。
しかも、たとえニーズが明らかになったとしても、問題の具体的な解決策は、自動的には出てこないのです。
交通渋滞の車中に気晴らしのニーズがあるということは、さほど気づきにくいことではないのですが、1965年頃、ソニーがこのニーズを満たすものとして開発したカーテレビは、かなり高価なカーステレオが成功したにもかかわらず、なぜ失敗したのか、あとになって答えることは容易ですが、事前に答えることは出来ず、起業家たる者は、いかにもろもろの成功物語に心惹かれようとも、単なるアイデアによるイノベーションに手をつけるべきではなく、つまるところ、ラスベガスでも、毎週誰かがスロットマシーンで大儲けしているのですが、スロットマシーンで遊ぶ、彼や彼女にできる最善のことは、あとで困るほど金を注ぎ込まないようにすることぐらいなのです。
これに対し、計画的に行動する起業家は、明確な目的意識を持ち、本書で述べてきたイノベーションのための7つの機会を分析し、それら7つの機会についてだけでも、個人として、あるいは企業として、さらには社会的機関として、なすべきことは十二分にあり、とうてい利用しきれないほどあり、しかもそれらの機会のそれぞれについては、いかにものごとを見、何を探し、何をなすべきかが明らかであるのです。
アイデアによるイノベーションを志すという人たちに対してできることは、数の困難を乗り越えて成功し、かつ成長を続けていくためには、成功したあと何をしたらよいかを教えることぐらいであり、すなわちベンチャー・ビジネスの心得で、起業家精神についてのもろもろの文献が、イノベーションそのものではなく、ベンチャー・ビジネスの設立と、そのマネジメントの問題だけを扱っている理由もそこにあるのです。
◆その騎士道
とはいえ、一国の経済が起業家的であるとするならば、アイデアによるイノベーションに、特有の騎士道精神をないがしろにしてはならず、因みに騎士道(精神)とは、ウィキペデイアによれば、次の通りです。
騎士道は、日本における武士道に相当し、騎士たる者が従うべきとされたものですが、決して現実の騎士の行動が常に騎士道に適っていたわけではなく、むしろ兵器、鎧を独占する荘園領主などの支配層は、しばしば逆の行動、つまり裏切り、貪欲、略奪、強姦、残虐行為などを行うことを常としていたのです。
だからこそ彼らの暴力を抑止するため、倫理規範、無私の勇気、優しさ、慈悲の心といったものを「騎士道」という形で生み出したとも言えるのですが、建前であって通常の騎士であれば遵守することは難しく、騎士道に従って行動する騎士は周囲から賞賛され、騎士もそれを栄誉と考えたのです。
騎士が身分として成立し、次第に宮廷文化の影響を受けて洗練された行動規範を持つようになり、騎士として、武勲を立てることや、忠節を尽くすことは当然であるが、弱者を保護すること、信仰を守ること、貴婦人への献身などが徳目とされたのです。
特に貴婦人への献身は、多くの騎士道物語にも取上げられ、宮廷的愛(courtly love)とは、騎士が貴婦人を崇拝し、奉仕を行うことであり、相手の貴婦人は主君の妻など既婚者の場合もあり、肉体的な愛ではなく、精神的な結びつきが重要とされ、騎士側の非姦通的崇拝は騎士道的愛ですが、一方、貴婦人側からの導きを求めつつ崇拝するのが宮廷的至純愛であるのです。
騎士道は西欧の社交術にも影響を与え、例としてレディーファーストが挙げられるのです。
たしかにアイデアによるイノベーションは予測することができず、組織化したり体系化したりすることが困難であり、そのほとんどは失敗し、多くは、事業としてほとんど意味をなさないのです。
缶切りやカツラ立て、ベルトのバックルであったり、皿拭き兼用の足温タオルであったりするのですが、それでも、アイデアによるイノベーションは、その数が膨大であるために、たとえ成功の確率は低くとも、新事業、雇用増、経済活動の大きな源泉となるのです。
アイデアによるイノベーションは、いわばイノベーションと起業家精神の原理と方法の体系における付録であるのですが、それは、高く評価され、報いられなければならず、社会が必要とする資質、すなわち行動力、野心、創意を代表するのです。
アイデアによるイノベーションを促すうえで、社会がなしうることはほとんどなく、理解しえないものを奨励することはできないのですが、少なくとも社会は、そのようなイノベーションを邪魔したり、罰したり、困難にしたりしてはならないのであり、絶対にしてはならないのです。
このように見るとき、たとえば特許費用の値上げなど、アイデアによるイノベーションの意欲を阻害したり、特許そのものを競争阻害的として取得しにくくしようとしている先進国、とくにアメリカの動きは、近視眼的かつ有害といわなければならないのです。
画像は、シンガポールでのフードコートで、スタッフたちと食事を取ったものの一部です。
ローカルの味の理解のために、フードコートでさまざまな料理を分け合って食べて、味の理解を深めているのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。