本日のテーマは「いよいよ、英語のマスター」です。
昨日はシンガポール発午前10時過ぎ、羽田着18時過ぎで、羽田発19時半、高松到着21時過ぎとほぼ1日中、機内で過ごしたのですが、長時間のフライトの良い点は誰にも邪魔されずに、思考の時間が充分に取れることです。
そして、読書も思い切り出来たり、PCを使って思考しながら、次のセミナーのレジメを作ったりで、有意義な仕事が機内のまとまった時間で出来ました。
だから、今回のような昼間の長時間フライトでは、眠らなくても、到着したら夜なので身体にとっても負担が少なく、南方へ飛ぶ、シンガポールとか、オーストラリアは、北米とか、ヨーロッパのように時差がないので、余計に楽なのです。
寒いのを覚悟して日本に到着したのですが、想像と違い、ぜんぜん寒くなく、まだむしろ暑いくらいなのには驚きました。
以前は、上着は夏用と冬用を分けていて、この時期には、生地の厚い作務衣を着ていたのですが、今年は冬もずっと薄い夏用で通しているのは散歩と筋トレのお蔭で、基礎体温が上がっているせいかも知れません。
3日間のイベントを通して、カナダ、LA、イギリスからの参加者等と麺ビジネスの話をしていると、私も常に海外を体験しているので、現地の様子が手に取るように分かるので、現地のことを話し合っていても、話の内容で困ることはないのです。
当社は国内では、すでに40年の歴史があり、私はエンジニアでしたが社内にこもることはなく、むしろ常に外へ出てきた方なので、国内だけでなく、世界の麺ビジネスについて、深い知識と体験を持っている人はそれほど多くないと思います。
振り返ってみると、海外のOne day ramen schoolとOne day udon schoolに、私が参加し始めたのは、昨年の3月のLAからで、その当時は、来場者の前で英語を話すのは相当抵抗がありましたが、その後、LAでもう1回、シンガポールで2回開催し、決して上達はしていないのですが、慣れてきたのです。
英語と日本語は、背景にある文化がぜんぜん異なる言語で、英語を話すときは、別人になったような気持ちで、自分自身のモチベーションを高め、大きな声でしゃべれば、上手く話せることが分かってきました。
要するに、英語を話すときは、日本人であることを忘れることが大切であり、自分の性格が変わり、アメリカ人になったように自己暗示を行なうと、比較的楽に話せ、英語は日本語とは本質的にすべてが異なる言語であり、日本語は文字からしてもたいへん難しい感じが多いのですが、英語はアルファベットの26文字だけなので、学び易い言語であり、もし、英語文化圏の人が日本語を学ぶのと、日本語文化圏のわれわれが英語を学ぶのでは、後者がはるかに楽なはずです。
今までも、英語をマスターする大切さは理解していたのですが、緊急な必要性がなかったので、なかなか本気で学ぶ姿勢にならなかったのです。
海外での短期間の今回のようなイベントでも数回体験すると、慣れてくることがよく分かり、慣れが必要なことと、そのような場に自分自身を追い込むことの必要性がよく分かりました。
フィリッピンから日本に出稼ぎに来る若い女性が、3ヶ月も日本で暮らすと、日本語をほぼマスター出来る意味も良く分かり、そのような切羽詰まった状況に追い込むと苦手なことも、やらざるを得なくなり、出来るようになるのです。
但し、私の一番の弱点はヒアリングなので、ヒアリング能力を2月末のラーメン学校までに高め、同時に、さまざまなコンテンツの英語版の準備が必要なのです。
以前からそのような資料も、必要に応じて作ってはいたのですが、今回、シンガポールで本格的な学校を始めるお蔭で、英語版が加速します。
英語の学習の場合は、単語の数をある程度理解していないと、ヒアリング、スピーキング、ライテイングも出来ないし、文法の理解も欠かせないのです。
しかし、これからは、英語を話せることはグローバルビジネスでは必須になるので、大切な商談はレベルの通訳を入れて、間違いないようにしなければいけないのですが、普段の会話とか、麺学校での指導は英語で出来るようになっておく必要があるのです。
また、英語学習は筋トレとまったく同じで、日々のトレーニングが欠かせないので、日々、強制的に学ぶ仕組み、環境を作り上げる必要があるのです。
当社の社内には、TOECが950点以上の非常に高い英語能力のスタッフが3名いるので、今まではどうしても彼らに頼ってしまい、私を含めたほとんどのスタッフは英語が苦手なので、まず、私が最初にマスターして、短期間でマスターできる方法を社内に広めていこうと考えています。
私は、PCのブラインドタッチを短期間でマスターする方法を社内で広めてきたのですが、今回は同じように英語を広めなければと思っています。
昨日、お伝えした「最も早く学習した者が勝ち、勝者がすべてを手に入れる」のが、インターネット時代のビジネスの本質であり、例え苦手であっても、やらなければいけない必要はことは、絶対に外すことは出来ないのです。
英語をマスターすることにより、日本ではまだ翻訳出版されていない英語版の書物も読むことが出来るようになれば、さらに進化が早まるのです。
そうして考えてみれば、どちらを向いても、やらなければいけないことばかりなのです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆受容度についてのギャンブル
知識によるイノベーションが成功するためには、機が熟していなければならず、世の中に受け入れられなければならず、このリスクは、知識によるイノベーションに固有のものであって、その固有の力と裏腹の関係にあるのです。
ほかのイノベーションはすべて、すでに起こった変化を利用し、すでに存在するニーズを満足させようとするのですが、知識によるイノベーションでは、まさにイノベーションそのものが変化を起こし、それはニーズを創造することを目的とするのです。
しかるに、顧客が受け入れてくれるか、無関心のままでいるか、抵抗するかを事前に知ることはできないのですが、たしかに例外はあり、癌の治療薬を生み出す者は、どれだけ受け入れてもらえるかなど気にしなくともよいのですが、そのような例外は多くはなく、知識によるイノベーションが世に受け入れられるかどうかは、賭けであり、掛け率はわからず、隠されたままであるのです。
誰も気づいてはいないが、受け入れてもらう可能性は高いかもしれないし、逆に、社会がイノベーションを待望していることが[確実]であっても、誰も受け入れてくれないかもしれないし、反発さえされるかもしれないのです。
知識によるイノベーションに対する王侯の感受性の鈍さを表した挿話は多く、その典型な当時流行の鉄道について、「ベルリンからポツダムまで乗馬を楽しめるというのに、金を払って、1時間しか乗れないものを使う者などいないであろう」として、鉄道の失敗を断じたプロイセン王だったのですが、汽車に対する受容度を読み違えたのは、プロイセン王だけではなく、当時の専門家の過半が同じ考えだったのです。
コンピュータが現れた頃、企業がそのような代物を必要とするようになることを予測した者は1人もいなかったのです。
これと逆の間違いも、同じようによく見られ、本当のニーズ、本当の欲求が存在することは誰もが知っているのですが、実際にそれが現れると、無関心や抵抗しかないということがあるのです。
1948年当時、企業がコンピュータを必要とするようになることを見通せなかった権威たちが、その数年後の1955年には、コンピュータが10年以内に学校教育に革命をもたらすと予測したのです。
ドイツ人にとって、電話の発明者はアレキサンダー・グラハム・ベルではなく、フィリップ・ライスであり、ライスは1861年、音を電送し、言葉さえほぼ電送することができたのですが、彼は、その後開発を進めなかったのは、当時の社会には電話を受け入れる余地はなく、また関心もなく、望む声もなく、人々の大半は、電報があれば十分としていたのですが、その15年後、ベルが電話の特許をとるや、直ちに熱い反応が見られ、しかも、最も歓迎されたのがドイツにおいてで、この15年間における社会の受け入れ方の変化は、容易に説明でき、南北戦争と普仏戦争という2つの戦争が、電報では十分でないことを明らかにしていたのです。
ここで重要な問題は、なぜ受け入れ方が変化したかではなく、重要なことは、ライスがある科学関係の大会でその装置を実演したとき、当時の権威ある人たちのすべてが、社会はそれを全面的に受け入れるであろうと、断じたのにもかかわらず、それが間違っていたことにあり、もちろん斯界の権威が正しいことはあり、しかも、けっして少なくなく、たとえば1876年から77年にかけて、彼らは電球と電話は社会に受け入れられるだろうと言い、そのとおりだったのです。
同じように、1870年代にエジソンが蓄音機の発明に取り組んだときにも、権威たちはそれを支持し、このときも、蓄音機に対する社会の受容度についての彼らの見方は正しかったのですが、知識にもとづく個々のイノベーションに対する社会の受け入れ方についての権威の評価が正しいかどうかは、あとになってみなければわからず、しかも、知識によるイノベーションが受け入れられた原因や、受け入れられなかった原因は、必ずしもあとで明らかになるというわけではないのです。
たとえば、文字の表音化が強い抵抗を受ける理由は、誰も説明できず、正字法が読み書きの最大の障害となり、学校が時間をとられる原因となり、かつ、文字が読めないことや精神的な障害の原因となっていることについては、意見が一致していて、しかも表音化という方法は、少なくとも1世紀前から知られているのです。
この問題が深刻になっている2つの言語には、表音化がとくに有効であり、英語にはアルファベットがあり、日本語には「かな」があり、そのうえ、いずれの言語にも、表音化の手本が身近にあり、英語には、19世紀半ばに行われたドイツ語の改革の例があり、日本語にはそれよりもさらに昔に行われた朝鮮語の改革の例があり、いずれの言語にも大きなニーズがあり、表音化が優れて合理的であり、容易かつ効果のあることは証明ずみであるのです。
しかるに、表音化というイノベーションが受け入れられる様子はなく、説明はいろいろあるのですが、本当のところは誰もわからず、社会の受容度にかかわるリスクをなくすことはできないし、小さくすることさえできないし、市場調査は役に立たないのです。
存在しないものについて調査をすることはできず、もちろん調査などは、役に立たないどころか有害でさえあり、少なくとも、知識にもとづくイノベーションに対する社会の受け入れ方に関する権威の意見にまつわる経験が、すでに教えているとおりであり、選択の道はなく、知識によるイノベーションを行うのならば、それが受け入れられるかどうかについては、賭けてみるしか道はないのです。
◆知識によるイノベーションの報酬
科学や技術の分野における新しい知識にもとづくイノベーションこそ、リスクの最も大きなイノベーションであり、もちろんホットな分野であるほどリスクは大きくなり、それはかって、パソコンであり、バイオであり、これに対し、地味な分野のイノベーションは、単に時間的な余裕があるというだけでも、リスクは、はるかに小さく、社会的なイノベーションにおいても、リスクはそれほど大きくないのですが、知識によるイノベーションには、ほかのイノベーションよりも大きなリスクがつきものなのです。
しかしそのリスクは、それが世に与えるインパクト、そして何よりもわれわれ自身の世界観、われわれ自身の位置づけ、そしてゆくゆくは、われわれ自身にさえ変化をもたらすことに対する代価でもあるのですが、それらハイテクのイノベーションに伴うリスクでさえ、イノベーションの機会としての新しい知識を、予期せぬ成功や失敗、ギャップの存在、あるいはニーズの存在と結合させることによって、大幅に小さくすることができ、社会がイノベーションを受け入れるかどうかは、すでに確定していて、容易かつ確実に調べることができ、しかも、イノベーションを完成させるうえで必要な知識も、かなりの精度で、規定することができ、これがまさに今日、開発研究なるものに人気がある理由なのです。
(注記)研究開発(けんきゅうかいはつ、英: Research and development、R&D)とは特定の対象を調査して、基礎学問の研究や、目的に応じた応用研究の模索、将来的に発展する技術等の試験を行い、技術的な優位を得るための活動であり、英語ではResearch and developmentを用いることが多く、20世紀の初頭以降に用いられるようになった言葉です。
開発研究においては、システム的思考と自己規律が必要とされ、組織的かつ、目的が明確であることが不可欠であり、このように、知識によるイノベーションを行おうとする者は、より多くのことを要求され、ほかのイノベーションとは、要求されるものがまったく異なり、直面するリスクが異質であり、そもそも時間が敵であるのですが、リスクが大きければ、それだけ報酬も大きく、この典型的な事例としては、かってはスマートフォーン、現在は、スマート・ウオッチ、更には、スマート・グラスがこれに当たり、ほかのイノベーションでも富を手に入れることはできるのですが、知識によるイノベーションでは、名声まで手に入れることができるのです。
画像は、シンガポールのイベントの最終日に私が披露した、野菜の掻き揚げ天ぷらのうどんです。
掻き揚げの野菜のカット方法も、実に色んな方法があり、このようなサイコロカットは、野菜のロスが出ず、下準備が早く簡単で、野菜の質感がシッカリあり、たいへん美味しいのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。