本日のテーマは「PCと思考が解決してくれる」です。
今週は金曜日には、全社の営業関係者全員が本社に集合し、本社スタッフの多くも集まり、全社の営業会議である勉強会と来期の方針発表会を行ないます。
私は年4回の営業会議を開催しているのですが、毎回テーマを変え、そのときどきの当社の状態に最も相応しい、スタッフたちに最も理解して欲しい重要なことをテーマにしているのです。
昨年は想定外であった多くの問題が発生し、さまざまな課題が浮き彫りになり、今までは気付かなかった、思ってもいなかったところに当社の大きな問題点があることが分かり、そのお蔭で、明確にすべき価値感がハッキリしたのです。
最近分かったことは、社内で、何か大きな問題点が発生したときには、明確にすべき価値感と順序が違っているので、価値観とその順序を再チェックして、修正しない限り、同じような問題は発生し続けるのです。
要するに、問題を起こしている原点を絶たなければ、幾らでも同じ問題は起こり、問題を起こしている大本を絶つことが、問題解決の一番の近道であり、当社の場合は、価値観の再点検であったのです。
要するに、価値観の一番上に置かねばならないことが違っていたので、昨年は同じような問題点が次つぎと発生したのですが、多分、昨年当社で発生したような価値感のずれにより発生する問題は、当社だけの問題ではなく、多くの日本の会社がほぼ同じような課題を抱えていることと思います。
順調な時は問題なく進んでいるのですが、何かの不都合のことがあるときは、問題点が浮き上がり、大きな障害を引き起こし、結果として大きな損害を引き起こすのです。
当社の場合、今まで正しいと思っていた価値観の順序と内容が間違っていて、このようなことを価値観に設定しなければいけないということを誰も気づいていなかったのですが、昨年社内で発生した課題を洗い出していくと、このような価値感を持たなければいけないということが痛いほど分かったのです。
そのことに気づいたのは、マネッジメントの教科書を読んでいたことと、「イノベーションと起業家精神」の復習を行ない続けていて分かったのです。
だから、このような書籍に巡り合うことがなければ、到底分からず、書籍から得るものも大きく、書籍を読む場合も、書籍で伝えたい本質を理解することが大切なのです。
特に、外国人によって書かれた書籍は、いったん日本語に翻訳されているので、翻訳書を読むと、翻訳者の持っている語彙で表現が限られるので、著者が伝えたかったことと、書かれている内容にずれがある場合があるのです。
上記の「イノベーションと起業家精神」もすでに1年以上、5~6回以上繰り返して復習しているのですが、読み込めば読み込むほど、理解が更に深まり、より深い本質に到達しているのです。
良い本は、繰り返し、繰り返し、何度も読めば読むほど、今まで理解出来ていなかった、深い内容を理解する事が出来るのです。
だから、私は大切な書籍はすべてPCに全文入力し、何度も何度も読み直し、特に大切な部分は、文章の色を変えて、自分での解釈を入れ、自分独自の書籍に作り変えているのです。
本日もずっと会社でいて、あるテーマについて、スタッフたちと打合せをしながら、資料を作りながら議論を加えていくと、今までぼんやりとしか見えていなかったものが、くっきりと見えてきたのです。
くっきりと見えたお蔭で、さらにその奥にあった、本当の問題を引きずり出してしまい、解決がさらに遠のいてしまったのです。
深く追求し、深く思考すればするほど、ある程度の解決に至ったと思っていても、そこは本当の解決ではなく、さらにまだ課題がその奥に横たわっていて、もっと深く思考し、追求しなければいけないことの連続なのです。
そして、過去5年間は、何度も何度もこれを繰り返し、今度こそは解決したと思って取り組んだのですが、ある程度経った時点で振り返ってみると、まだ先があったのです。
しかし、休まずに5年間、これを繰り返してきて、過去の間違っていた解決策は分かっているので、もうそろそろ本当の解決策が見つかるころではないかと思います。
以上は、すべて金曜日の営業会議のための準備であり、資料作成ですが、1人で思考していても出来なかったことが、スタッフたちと一緒にテーマについて打合せしながら、プロジェクターでデータを共有しながら、資料を作成していくと、今まで気付かなかった面白い資料が出来るのです。
私はいつも思考のときにPCを使い、朝の瞑想の場合もあぐらをかいた足のそばにPCを置いていて、面白いアイデアが浮かぶとすぐにPCに入力できるようにしているのです。
思考のツールとしてPCを使うと、思考を深く重ね合わせるときに、PC上でつなぎ合わせることが出来るので、たいへん便利なのです。
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
「外へ出て調べる」
しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話の半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの大きな産業の話で、この話もまったく同じことを教えているのです。
第2次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達したころ、1973年から74年の不況と同時に、インフレも悪化し始め、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなり、対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったのです。
さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったので、殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことはすべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが関の山だったのですが、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。
彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求めていたのです。
1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう1つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることであり、最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためで、「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならなかったのです。
1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったのですが、1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へ変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化していたのです。
この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功し、しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのですが、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。
家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れ、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示したのです。
この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言い、この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになり、1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのは、「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。
マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応なのです。
予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならない事項で、以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。
私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、以上の話はちょうどその頃の話で、私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのですが、この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返しているのです。
マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではなく、肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することであり、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。
今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることで、自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることであり、自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことであり、ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることなのです。
儲けを先に優先しようとしないで、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことであり、時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることであり、上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることであり、自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。
「取引先や競争相手の成功と失敗」
もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であり、例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけであり、当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、はるかカリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づき、調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです。
競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならないのです。
ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切で、事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切で、ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。
昨日の給食は、月曜日だったので私の大好きなカレーの日で、丁度昼に来られたお客さまと一緒に健康で、美味しい食事を取りました。
オーガニックの野菜類、病み付きになる自家製キムチも大好きで、食事の後は讃匠の経営会議で、いつものように、途中で試食をしたのです。
4月1日の全社の営業会議で行なう植樹祭では、私の好きな桜をスタッフたちと一緒に植樹し、画像は、植樹する位置です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。