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うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「第2の波、ニッチ市場での成功」

東京支店の経営講義2日目では、生徒さんたちから多くの質問があり、たいへん盛り上がりました。

来週17日(日)から19日(火)までの3日間、ドリームスタジオ高崎で、1年ぶりののパワーアップ・イベントを開催し、私のセミナーも現在の時流に合わせ、多くの方の悩みである、次の3つ(①麺専門店の事業計画書作成&物件選び&レイアウト作成のポイント大公開!、②これであなたも悩まない、究極の人手不足解決法はこれだ!、③究極の売上対策!)を用意しました。

※本イベントは終了となりましたが、今後も定期的にイベントを開催しております。最新情報は下記のURLから
https://www.yamatomfg.com/special-noodle-events/

本日のテーマは「人間の本質」です。

昨日の東京支店での経営講義2日目は、すでに開業している生徒さん、海外から来ている熱心な生徒さんが何人かいたので、私のポテンシャルを引き出してくれた、たいへん思い出深い経営講義になりました。

生徒さんから出る質問のお蔭で、私の頭の片隅にあった概念、データ、経験を基にして、生徒さんの条件にベストマッチした、新しい概念、ソリューションを生みだすことが出来るのです。

それは、生徒さんの抱えている問題のソリューションであり、人生にとってもたいへん役立つ考えであったりするのですが、同時に私にとっても新しい概念を構築することが出来、周りにいる生徒さんたちへの新しい示唆になるのです。

今回の麺学校に参加している生徒さんの中には、人前で話すことが苦手な人がいたり、対人関係が苦手な人も何人もいました。

私自身も過去、人前で話すことはたいへん苦手であったし、対人関係の決して得意な方ではないのですが、人前で話すことも、やらざるを得なくなり、苦手意識もいつしかなくなっていたのです。

私は、過去の自分自身の体験から、人前で話すことが苦手というような、苦手意識は簡単に消え去ることが可能であることを理解しています。

私が人前で話すことの苦手意識を払しょく出来たのは、イスラエルのゴールドラット博士とか、ジェイエブラハム、ジェームス・スキナー等の外国人のセミナーに参加してからで、彼らのセミナーに触れてみると、身体全体でセミナーを行ない、セミナー中は動き回り、決して日本人のセミナーのように座って話したり、一ヵ所に立てって静かに話すようなことはないのです。

人前で話す場合は、深呼吸して、大きな声で話すことが必要で、自分自身の話し易い状態を作り出すことが大切で、私の場合も一ヵ所でおとなしく話すのではなく、動き回る方が話し易いのです。

以前の私は人前で話すことに対して非常に苦手意識を持っていたのですが、今ではそのような苦手意識もなくなってしまい、毎月2回の経営講義は私にとって、至高の時間とさえなっているのです。

もし、毎月2回の経営講義が楽しい時間ではなく、苦手な時間であれば、私は毎月2日間も経営講義を継続して行ない続けることは絶対に出来ないのです。

毎月2回の経営講義を続けているお蔭で、私自身のマネッジメント・レベルを高め続けていくことが出来、麺ビジネス、サービス・ビジネス自体への理解も深まり続けているのです。

自分自身でも理由が分からないくらい、私は経営講義にのめり込み、毎月2回の経営講義が私の生きがいの1つになっているのが、不思議なくらいです。

私の持っている力を最大限に引きだし、生徒さんの質問に回答していくのは、自分自身へのチャレンジであり、昔の侍の真剣勝負の試合のような気持で毎回臨んでいるのです。

同じように、私は料理の盛り付けにも非常に興味を持ち、盛り付けの研究もずっと行ない、麺学校の実習の最終日の生徒さんの盛り付けのチェックも、私にとっては、真剣勝負の舞台であるのです。

麺学校のことだけではなく、私はもともとエンジニアであったので、製麺機のメカニズムに対してもたいへん興味を持ち、新しいメカニズムへの取組み等は私にとって、至高の時間でもあるのです。

当然、会社の経営についても同様で、マネッジメント、マーケテイング、イノベーション、生産性向上、社内のあらゆる経営上の問題等にもたいへん関心を持っているのです。

もし、創業のころから、私自身が現在の私のような素養を持っていたら、もっとスムーズに会社が成長していたことと思いますが、このような素養に対する興味も年齢を経るごとに強くなっているのです。

普通の人たちの人生においては、私の年齢はそろそろリタイヤーする年齢であるかも知れないのですが、私の人生は今始まりのような人生であるのです。

若いころ出来ていなかった分だけ、今からが勝負であり、今からが私の本当の人生の始まりであるのです。

ウルグアイ元大統領のホセ・ムヒカ氏(80歳)が現在来日し、素晴らしいメッセージで、多くの日本人に感動を与えていますが、ムヒカ氏の言動は、自身の苦しい体験を通じて得られた、人間の深い洞察に基づいた言葉で、われわれが真剣に考えなければいけないことばかりで、昔の侍のような一貫性のある生き方を貫き通している人物が、日本の反対側の地球上に住んでいることじたいに、驚かされるのです。

ノーベル平和賞候補にもなったスピーチは絵本になり、ムヒカ氏は今回、出版社の招きで来日し、池上彰氏と公開対談の場で、日本とウルグアイの人たちに独自に行ったアンケートの結果を発表しましたのです。

それによると「今一番欲しいものは?」という問いに、ウルグアイ人は「治安のよさ」16.2%、2位が「健康」13.7%、3位「時間」次いで「お金」「子ども・孫の幸せ」「家」と回答し、一方、日本人は1位が「お金」17.3%、2位が「時間」16.7%、3位「特にない」「健康(若さ)」「車」と答えました。

日本人が「時間が欲しい」と欲していることについて、池上氏が意見を促すと、ムヒカ氏は「問題は、何のために時間を使うのかということです。子どもと過ごす時間? 家族、友人と過ごす時間? 自分の人生を生きる時間? もしも、もっと働いてお金を稼ぐための時間が欲しいなら、消費社会に支配されています」と答えたのです。

われわれは、人間としての原点の生き方を考え直す必要のある時期に来ているのであり、同時に、ビジネスの本質についても考え直す時期であるのです。

丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。

「第2の波」

再び、1960年代から80年代にかけて、世界の自動車市場の構造が大きく変化し、第1次世界大戦後の40年間というものは、世界の自動車市場は国別に分かれ、それぞれの国のメーカーが、自国市場をほぼ独占していて(国内市場中心の時代)、イタリアの道路や駐車場ではフィアットが大勢を占め、若干のアルファロメオとランチアが見られ、同様に、フランスで見られたのはルノー、プジョー、シトロエン、ドイツではメルセデス、オペル、ドイツ・フォード、アメリカではGM、フォード、クライスラーだったのです。

ところが1960年頃、自動車産業がグローバル産業になり始め、ここでも、各メーカーの対応はまちまちで、それまでほとんど輸出をせず、国内市場に専念していた日本のメーカーが輸出に取り組み、1960年代末に一度失敗したが体制を立て直し、戦略を練り直し、アメリカ車並みのスタイル、内装、性能でありながら、小型、低燃費、高品質のものを生産し、優れたアフターサービスを行ない、彼らは1979年の石油ショックという2度目の機会をとらえ、大きな成功を収めたのです。

フォードは、「ヨーロッパ戦略」によってグローバル化し、10年後の1970年代の半ばには、ヨーロッパ市場で1位の座を奪うまでになり、フィアットもまた、単なるイタリア企業からヨーロッパ企業へと脱皮し、イタリア市場第1位の座を確保しつつ、ほかのあらゆるヨーロッパ諸国で2位の座を狙ったのですが、GMは当初、あくまでもアメリカ企業としてとどまり、アメリカ市場で50%のシェアを占め、アメリカとカナダの自動車産業の総利益の70%を確保しようとして成功し、10年後の1970年代の半ばには、海外戦略を変更し、ヨーロッパでフォードやフィアットに挑むことを決意し、そこでも成功し、さらにその10年後の1983年から84年にかけて、ついに真のグローバル企業となることを決定し、何社かの日本車メーカー、初めに比較的小さな2社(スズキ、いすゞ)、そしてついにはトヨタと提携したのです。

ドイツのメルセデスも世界戦略を変え、高級車、タクシー、バスに特化しつつも、やはりグローバル企業となる事を決意し、これらの戦略は、いずれもかなりの成功を収め、これらのうち、いずれが最も成功したかを判定することは難しいのですが、困難な選択を行なうことを拒否し、或いは何かが起こっていることを認めることさえ拒否した幾つかのメーカーは、高い代償を払わされ、生き残れたのは、単に政府が倒産を許さなかったからで、その最も顕著な例がクライスラーで、クライスラーの人たちも、何が起こっているかを知っていて、自動車産業の人たちはみな知っていたのですが、クライスラーは、戦略を立てる代わりに一時しのぎの対策に走り、「アメリカ」戦略を取ることによって、世界最大の市場たるアメリカ市場に全資源を投入することも出来たのです。

あるいは、ヨーロッパの自動車メーカーと提携し、欧米という2つの大市場において、3位の座を確立することも出来たのですが、当時はメルセデスが、クライスラーとの提携に関心を持っていたのに、クライスラーは関心を示さなかっただけでなく、代わりに、その資源を小刻みに浪費し、多国籍軍(グローバル企業)に見せかけるために、業績の悪いヨーロッパの企業を買収し、その結果、何も得ることなく失敗し、アメリカ市場で機会をつかむうえで必要な資金まで失い、1979年の石油ショックとともに審判の日がやってきたとき、クライスラーはヨーロッパ市場に何も持たず、アメリカでもほとんど何も持たない状態で、周知のように、クライスラーを助けたのは、アメリカ政府だったのです。

かってイギリス最大の自動車メーカーであり、ヨーロッパ大陸の覇権を争ったことさえあるブリテイッシュ・レイランドにも、同じようなことが起こり、フランスの大手メーカー、プジョーにも起こり、両社はともに、意思決定が必要であるという事実を受け入れることを拒否し、その結果、急速に市場を失い、利益を失い、今日では、クライスラーはフィアットの傘下に、ブリテイッシュ・レイランドは倒産し、市場から消え去り、傘下の多くのブランドのうち、Jaguar、Daimler、Lanchester、Rover、Land Roverはタタ・モーターズが買収し、MG、Austin、Morris、Wolseley、Vanden Plas(北米市場以外)は南京汽車が買収し、MINI(Mini)、Riley、TriumphはBMWが買収し、プジョーは限界的な企業になっているのです。

「ニッチ市場での成功」

しかし、ここで最も重要かつ興味があるのは、これらの企業よりはるかに小さな企業の例であり、当時は、大手も中小もすべて、変化に対応しない自動車メーカーは斜陽の運命にあったのですが、ボルボ、BMW、ポルシェという3つの小さな企業が、この自動車市場の変化をイノベーションの機会として捉え、世界の自動車市場が急激に変化しつつあった1960年頃、これら3社は、来るべき生存競争のなかで完全に姿を消すものと見られていたのですが、3社はいずれも危機をしのぎ、今日では、自ら創造したニッチ市場においてトップの座を占めているのです。

これが可能だったのは、自らの事業そのものを大きく変えたイノベーションのお蔭で、1965年当時、ボルボは赤字すれすれの小企業であり、危機的な状況のもとで、かなりの赤字を出していたので、そこで、ボルボは再生をはかり、「センスのある車」、安くはないが高くもなく、流行を追わない代わりに、しっかりした作りの車として、世界中とくにアメリカで攻撃的なマーケテイングを行ない、自らの成功を車によって誇示する必要はないが、その判断力についての評判は気にするという人たち、とくに自由業の人たちの車としてマーケテイングしたのです。

同じく1960年代には、ボルボと同じように弱体の自動車メーカーだったBMWが、イタリアやフランスで成功し、仕事でかなりの成功を収めているものの、まだ若いと思われたい「これからの人たち」、違いが分かると思われるためには、喜んで金を払う人たち、金持ちではあるが、自由人だと思われたい人達のための車としてマーケテイングし、キャデラックやメルセデスが、元首や社長のための車だったのに対し、BMWは、タフガイのための「究極のマシーン」とされたのです。

その最後が、(フォルクス・ワーゲンに毛の生えたような)ポルシェで、ポルシェは、自動車を単なる輸送手段ではなく、心躍るものとする人たちのための、唯一の車、唯一の「スポーツカー」のメーカーとして位置付けたのです。

しかし、これら3社のようなイノベーションを行なわず、自らの新しい位置付けを世に示すことが出来ず、旧態依然たるままだった中小の自動車メーカーはすべて、市場構造変化の犠牲となり、イギリスのMGは、50年前には最高の「スポーツカー」として、今日のポルシェと同じ地位にあったのですが、今では消え去ったと同然で、60年前、シトロエンは技術のしっかりした頑丈な作りで、中流階級からの信頼の厚い車であり、ボルボが今日奪い取った市場こそ、シトロエンの市場だったのですが、シトロエンは、自らの事業について、分析しなかっただけでなく、イノベーションも行なわなかったので、その結果、戦略もなければ、売るべき車もない状況に追い込まれ、プジョーの傘下になったのです。

自動車産業の歴史を振り返ると、われわれのビジネスの先を行き、先生のような立場にあることがよく分かり、第1の波でそれぞれの使命を明確にし、第2の波で自国内に閉じこもることを諦め、リスクを取って、グローバル化を図り、チャレンジをした会社だけが生き残ることを許され、もう一度、世界の自動車生産台数のランキングを見ると、以上の歴史からは、想像できないようなことが、実際には起きていて、世界上位10社中、日本の会社が4社も入っていて、私が30年前に韓国に行き始めた頃には、ブリキ細工のような自動車と思っていた、現代自動車が5位に入っているのです。

1位(1)トヨタ 998万台 (2%)
2位(3)VW 973万台 (5%)
3位(2)GM 971万台 (4%)
4位(4)日産・ルノー 826万台 (2%)
5位(5)ヒュンダイ 756万台 (6%)
6位(6)フォード 633万台 (12%)
7位(-)FCA 435万台 (3%)
8位(7)ホンダ 428万台 (12%)
9位(8)PSA 282万台 (▲5%)
10位(9)スズキ 269万台 (2%)

上記のランキングを見ると、成功するビジネスはリスクを取り、果敢にチャレンジする企業しか、生き残れないことがよく分かり、私が自動車会社の中で注目しているのは、VWとBMWで、危機を何度も乗り越え、強い個性を貫き、マネッジメントにおいても、非常にしたたかなのですが、最近の排ガス規制の偽装問題で、信頼を大きく失っていますが、VWはトヨタと世界一を争うほど、大規模になっているのに、強烈な個性を放ち続けていて、傘下にベントレー、アウデイ、ポルシェ等、有力なブランドを持ち、マネッジメント・レベルでも突出しているのです。

BMWも、ホンダのようにオートバイも持っているのですが、オートバイは、大型だけで、特徴のあるメカニズムで根強いファンを世界中に持っており、自動車のジャンルでも、量産よりも強い個性で勝負していて、日本のメーカーの中でも、最近は、強い個性で勝負しているのがスバルであり、次にマツダで、弱小メーカーではあるのですが、存在感は徐々に大きくなってきているので、これからの時代は、規模の大小よりも、圧倒的な存在感、したたかなマネッジメントが大切な時代になっていくものと思います。

昨日は東京支店の経営講義2日目で、生徒さんたちから多くの質問があり、たいへん盛り上がった1日で、価値観の順序、コンセプトの作り方では、事例を交えての説明をしました。

昼食はいつものように、スタッフたちの手料理で私のために、野菜が一杯で、昼食後は、品川駅まで散歩をすると、途中でフリーマーケットがあり、桜も散り始めていましたが、最後の花見の日曜日でした。

昨日もうどん学校の生徒さんたちが、元気に巣立っていきました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

Picture of 藤井 薫(ロッキー藤井)

藤井 薫(ロッキー藤井)

株式会社大和製作所、株式会社讃匠 代表取締役。
令和5年 秋の叙勲にて「旭日単光章」受章。

1948年5月、香川県坂出市生まれ。国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業。川崎重工株式会社に入社し、航空機事業部機体設計課に配属。その後、独立し、1975年に大和製作所を創業。

過去48年以上にわたり、麺ビジネスを一筋に研究し麺ビジネスの最前線で繁盛店を指導。麺専門店の繁盛法則について全国各地で公演を行う。小型製麺機はベストセラーとなり、業界トップシェアを誇る。
「麺店の影の指南役」「行列の仕掛け人」として「カンブリア宮殿」「ありえへん∞世界」「スーパーJチャンネル」等、人気TV番組に出演するほか、メディアにも多数取り上げられる。
また、2000年4月にうどん学校、2004年1月にラーメン学校とそば学校を開校し、校長に就任。

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全国8ヶ所にある麺開業.comの相談場所で、メニュー開発や、スープ・だし講習、経営についてなどの無料のイベント・セミナーを多数行っています。

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