本日のテーマは「思考」です。
昨日から経営講義が始まりましたが、今回はラーメン学校が3回目の生徒さんが2名、2回目の生徒さんが2名、そして、うどん学校、蕎麦学校、ラーメン学校と3つの学校を制覇した生徒さんが1名と、当社の麺学校をリピートしている生徒さんがこんなに多くいたの驚きました。
同じ生徒さんに何度も参加して戴けることは、学校主催者としては、たいへん光栄なことで、まるでデイズニーランドのような人気であり、これからも学校のレベルを上げ続け、更にリピート参加の生徒さんを増やし続けていきたいと思います。
さらにこれからも、参加者のリピートを上げ続けることは、生徒さんたちの期待値も上がり続けているので、われわれ麺学校の講師陣にとっても更に厳しい進化が問われ続けているのです。
私の経営講義の本質は思考であり、私にとっても参加する生徒さんにとっても、一番要求されることは思考活動で、生徒さんの質問に対し、私が回答し、更にその回答に対しての疑問点があれば、質問が継続するのは、思考し続けることによって、深い質問が次つぎと生まれるのです。
従って、私にも生徒さんの質問により、思考作業に入り、回答を導き出し、その回答を聞き、生徒さんも思考作業に入るのです。
質問により、更に質問が生まれ、その質問により新しい回答が生まれ、その回答について更に質問があり、回答がありというように、質問と回答が納得するまで繰り返されるのです。
私の経営講義の2日間は、私にとっても深い思考作業の連続であり、生徒さんにとってもどうように、思考作業が要求される2日間であり、脳みそに汗をかき続けなければいけない2日間でもあるのです。
今日のわれわれの生活において、テレビが出現し、さまざまな便利なツールが次つぎと現れ、それらに多くの時間を取られるようになり、われわれが思考する時間があまりにも少なくなってきたのです。
生活の便利さはますます進み、思考の時間はますます1日の時間の中で少なくなってきているのです。
日々の生活の中での思考時間が少なくなっていることに気づき、思考時間を少しでも増やすために、毎朝書いているフェイスブックも思考作業であり、思考作業の時間を取ることは、頭の中の思考回路を鍛えるためには、欠かせない時間なのです。
われられは、普段の生活の中で思考を伴なわないルーテイン・ワーク、例えば、自動車の運転とか、自転車に乗ることとか、慣れに伴ない、思考せずに済む行動が増えて、思考回路を使わないで生きて行くことが出来るようになっているのですが、思考回路を使わない仕事ばかりをしていると、思考回路が錆びついてしまうので、日々、思考回路を使うことは欠かせないのです。
私にとって、フェイスブックでの文章作成は、思考回路の活用には有効な活動であり、同様に、経営講義の2日間も思考回路活用には、有効な活動なのです。
思考回路を鍛えることは、身体における筋トレとかストレッチのようなもので、脳細胞の筋トレとかストレッチに当り、思考を深め続けるのに役立つのです。
ビジネスにおいても、人生においても確立しなければいけないのは、他とは徹底的に異なる、自分自身の特徴を引き出し続けることで、他との大きな違いを引き出すことは重要なテーマなのです。
要するには、他とはまったく異なる、自分自身の際立った特徴を自分の中に見つけ出すことで、木工彫刻家が丸太の木の中から、際立った個性のある仏像を彫り出すようなものなのです。
これには、深い思考が伴なう長時間の思考作業が必要で、今回の経営講義の授業の中では、自分自身の価値観、使命、コンセプトを深く思考していのですが、事前に教科書を読み、考えて来て貰っていても、簡単には完成しないのです。
生徒さんの価値感、使命、コンセプトも経営講義の中だけで完成するのではなく、麺学校の経営講義は思考の出発点であり、経営講義に参加したことをきっかけとして、思考する癖付けが生徒さんの出来ればと思っています。
要するに、日本の教育システムは常に模範回答があり、記憶力が良ければ良い成績が取れるような仕組みになっているので、日本の教育システムに染まった生徒さんたちは、考える癖付けが出来ていないのです。
だから、新規に開業する人たちのほとんどは、深く思考しないで、今まで世の中にたくさんあるのと同じような店を作ってしまっているのです。
際だった個性のある、他とはまったく異なる店を作ろうとしている人は少なく、深く思考した結果で理解出来た、自分の価値感、使命、コンセプトを表現出来ている店はほとんどないのです。
私は常に経営講義で生徒さんたちに伝えていることは、生徒さん1人ひとりの個性の発揮であり、自分自身を見つけ出すことなのです。
私も創業40年を経過して、少しづつ分かりかけたきたことは、他人の成功を見て、羨ましいと思ったこともあるのですが、人にはそれぞれ違った使命と人生があり、自分は自分、人は人であり、他との違いをシッカリ理解することであり、自分自身の良さを100%発揮することであると思うのです。
本日も当社の価値感を掲げ続けます。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、苦しい奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
◆リードタイムが短縮されるとき
実用化までのリードタイムが短縮されるのは、外部から危機がやってきたときだけであり、1906年にデ・フォレストが発明した3極管は、直ちにラジオを生み出すはずだったのですが、もし第1次大戦が起こらず、各国政府とくにアメリカ政府が無線による音声通信の開発を推進しなかったならば、1930年代になってもラジオは生まれていなかったに違いないのですが、戦場では、有線電話は役に立たず、無線のモールス信号に頼るしかなく、ラジオが市場に現れたのは、必要な知識が出現した1920年代の初めだったのです。
ペニシリンもまた、第2次大戦が起こらなかったならば、1950年代まで開発されなかったにちがいなく、1920年代の末、アレキサンダー・フレミングが、抗生物質のカビ、ペニシリンを発見し、その10年後、イギリスの生化学者ハワード・フローリがペニシリンの研究に着手し、ペニシリンの開発を早めたのは第2次大戦で、感染症の特効薬を必要としたイギリス政府が、フローリの研究を推進し、彼のもとに、戦場から臨床試験のための傷病兵が送り込まれたのです。
コンピュータもまた、アメリカ政府が、第2次大戦の勃発によって人員と資金を注ぎ込まなかったならば、1947年のベル研究所によるとトランジスタの発明まで開発を待たなければならなかったにちがいないのです。
◆社会的イノベーションのリードタイム
知識にもとづくイノベーションに長いリードタイムが必要とされるのは、科学や技術の領域にかぎらず、科学や技術以外の知識によるイノベーションについてもいえるのです。
ナポレオン戦争の直後、サン・シモンは経済発展のための資本の利用、すなわち起業家を支援するための銀行の設立という考えを発展させ、それまで銀行は、(王侯の徴税権など)確実なものを担保に金を貸すだけの存在だったのですが、サン・シモンの銀行は、投資、すなわち富の創出能力を生み出すためのものだったのです。
1825年のサン・シモン没後には、彼とその思想を慕う人たちからなる結社さえ生まれたのですが、彼を信奉するヤコブ・ペレールとアイザック・ペレールの兄弟が、起業家の支援を目的とする最初の銀行としてクレディ・モビリエを設立し、今日のいわゆる金融資本主義への道を開いたのは、ようやく1852年にいたってのことであるのです。
同じように、今日われわれがマネジメントと呼ぶものの材料の多くが、第1次大戦の直後には揃っていて、1923年にはプラハにおいて、アメリカ大統領就任前のハーバード・フーヴァーと、チェコスロバキア建国の父であり大統領だったトーマス・マサリクが、第1回国際マネジメント大会を開催していて、その頃には、アメリカのデュポンやGMをはじめとするいくつかの大企業が、マネジメントの概念にもとづいて組織の構造を変えはじめていたのです。
これに続く10年間に、世界で最初のコンサルタント会社を創設したイギリスのリンドール・アーウィツクをはじめとする何人かの先駆者たちが、マネジメントについて書きはじめたのです。(アーウィツクの名を冠したコンサルタント会社は、今日も活躍している)
しかしマネジメントが、世界中の経営管理者にとって学ぶことのできる体系となるには、ドラッカーが1946年に書いた『会社という概念』と、1954年に書いた『現代の経営』を待たなければならず、それまではマネジメントの研究や実践に携わる人たちは、アーウイックが組織論、ほかの人たちが人事管理論というように、それぞれ、マネジメントの1つの局面に的を絞っていたにすぎず、マネジメントを集大成し、体系化したのはドラッカーの著作であり、その数年後、マネジメントは世界中で力を発揮しはじめのです。
今日われわれは、学習理論について、同じようなリードタイムのさなかにいて、学習についての科学的な研究は、1890年頃、ドイツのヴイルヘルム・ヴントとアメリカのウィリアム・ジェイムズによって始められ、第2次大戦後、ハーバード大学の2人のアメリカ人.B・F・スキナーとジェローム・ブルナーが学習理論の基礎を開発し、検証し、スキナーは行動論を、ブルナーは認識論を研究したのです。
しかし現実の学校に対し、学習理論がいささかなりとも影響を与えるようになったのは最近のことであり、おそらく、今日ようやく起業家精神をもつ誰かが、陳腐化した学習理論ではなく、この新しい学習理論にもとづいて、学校をつくり直すべきときがきたといってよいのです。
知識によるイノベーションが、知識が生まれてからイノベーションが完成し、広まるには、30年くらいの年月がかかるのであれば、知識が生まれて既に、30年近く経過した事柄が自分の専門分野で探し出すことが出来れば、成果が上がり易いことになるのです。
ドラッカーもマネッジメント理論について、それまでは断片的に存在していたものを、体系的にまとめた最初の人物であり、従って、既に存在し始めているが、まだまとまっていなかったり、知識が生まれてから30年近くになろうとしているものを探し出して、研究を深めていくことにより、イノベーションを起こしたり、加速させることが出来ることになります。
このような知識を見つけ出すこと自体は、難しいし、また上手くそのような知識が存在するかどうかは分からないし、なかなか難しいテーマではありますが、遣り甲斐のある面白いテーマであると思います。
◆30年というリードタイム
このように、知識が技術となり、市場で受け入れられるようになるには、25年から35年を要し、リードタイムの長さは、人類の歴史上さして変わらず、今日、科学上の発見は、かつてないほど早く、技術、製品、プロセスに転換されるようになったとされているのですが、それは錯覚にすぎないのです。
1270年頃、イギリス人のフランシスコ会修道士ロジャー・ベーコンは、眼鏡によって視力が矯正でさることを明らかにしたのですが、それは当時の人たちの最新の知識とは相容れなかったのです。
ちょうど当時の権威ある医学者たちによって、視力の矯正は不可能なことが、最終的に証明されたところであり、しかもベーコンは、文化の僻地、北部ヨークシャーにいたのです。
しかるにその30年後、アビニョンの教皇庁では、高齢の枢機卿たちが読書用の眼鏡をもつ姿が、壁画に描かれ、さらに10年後には、カイロのスルタンの宮廷で、眼鏡をもつ高齢の廷臣が細密画に描かれたのです。
紀元1000年頃、最初のオートメーションたる水車が、北ヨーロッパのベネディク上派の修道士によって、穀物をひくためにつくられ、30年後、水車はヨーロッパ中に広まったのです。
西洋では、中国の印刷術を学んでから30年後に、グーテンベルクの活字と木版が現れ、知識がイノベーションとなるまでのリードタイムは、知識そのものの本質に由来するかのようでありますが、なぜかはわからないのです。
科学上の新理論が、ほぼ同じリードタイムを要することは、偶然ではないと思われ、トーマス・クーンは、その画期的な書『科学革命の構造』(1962)において、科学上の新理論がパラダイムとなり、ほかの科学者によって認められ、それぞれの研究に組み入れられるには、30年を要することを明らかにしているのです。
われわれが現在恩恵を受け始めている、電池自動車、太陽電池、近々に恩恵を受ける、燃料電池自動車、スマート・グリッド等、未来に繋がる技術の知識は既に出来上がったものですが、実際に世の中に広まり、イノベーションを起こすのは、まだ先になりそうです。
先に触れているように、われわれの身の回りにあって、当たり前になっている銀行、郵便、電力会社、学校、さまざまな会社のシステム、高速道路、病院、宅配、コンビニ等もすべて社会のイノベーションの結果であり、既に社会のインフラになっているのです。
今日のわれわれの生活は、このような社会のイノベーションなくしては、成り立たず、イノベーションの中でも、知識によるイノベーションは、30年間という比較的に長い時間を要するのです。
昨日から、今月の本社での2クラスでのラーメン学校の経営講義が始まり、生徒さんたちからの熱心な質問が飛び交いました。
生徒さんとのやり取りを通して、私も多くの気づきを得られたのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。