本日のテーマは「「IT」「グローバル」「高齢者」」です。
特集『あなたの仕事の未来はどうなる?』
グローバル化とIT化によって急速に世界が身近になり、今後これまでと同じ働き方では生き残れない時代になり、盤石であった産業や企業も、一歩踏み間違えれば凋落の一途をたどることとなり、今後、日本の各業界はどのような変化を遂げ、我々はどのような心構えを持っておくべきかのキーワードは「IT」「グローバル」「高齢者」なのです。
一般的に日本のビジネス環境は今後厳しいように捉えられているのですが、視点を変えれば、以下のようなバラ色の未来が見えてくるのです。
「日本経済の先行きは、驚くほど明るい展望が見えていて、少子化で国内市場は縮小しますが、世界の人口は現在の約72億人から、2025年には80億人に増え、需要は拡大の一途で、さらにインドや中国、ASEAN諸国の経済成長が続き、“アジアの時代”に突入し、同じアジアに位置する先進国の日本は、欧米諸国に比べてその波を早く的確につかめる可能性が高く、また、アベノミクスによる構造改革・規制緩和が進み、国内市場も大チャンスが巡ってきて、外国企業や外国人が活躍しやすい環境を整えられれば、世界の需要を呼び込むことが可能になってくるのです。」
『10年後に食える仕事 食えない仕事』で日本人の仕事を論じたジャーナリストの渡邉正裕氏は「このままでは従来の国内産業はすべからくジリ貧をたどることは間違いなく、今の事業を足がかりに、いかに成長事業に踏み出せるかで勝敗が決まり、たとえば観光業で言えば、これまでのようにお客を待っているだけでは着実に衰退し、外国人観光客や高齢者好みのサービスを充実させたり、ネットで広くPRしたり“かけ算”を仕掛けていくことが必要です」と指摘する。
渡邉氏は、どの業界も「IT」「グローバル」「高齢者」のいずれかの要素をビジネスに結びつけることができれば、ブレイクスルーが期待できるのです。
「ジャパンプレミアム」を世界に売り込む
世界の人口増加やアジアの時代という好機に日本が乗るには、「日本には、世界で勝負できる〝資源〟が豊富にある」「農業から工業まで世界最高水準と言える技術力、さらには世界中が驚愕するサービス力、日本にいるとあまり自覚しないのですが、諸外国から見ると、それらは大きな付加価値があり、日本企業のモノづくりは負けたと思い込んでいる人が日本には多いのですが、日本電産、村田製作所やTDKなどの部品メーカーのシェアは世界を圧倒し、和牛や日本酒などに代表される農畜産物や食文化、『おもてなし』と称されるきめ細かなサービス精神、こうした日本独特のコンテンツの素晴らしさは、外国人投資家の間でもしばしば話題にのぼり、伸びる業界を見極めるには、日本視点ではなく、世界から日本を見ることが重要となるのです。
また、もう1つ重要なことは、1つの企業単体で考えないことで、『企業』『その業界』『その企業の活動する国・地域』、そして『世界の情勢』、この4点において未来予測をすると、伸びる業界、沈む業界が見えてくると思います」
渡邉氏は「日本人のメリットを最大限に生かした仕事」の優位性を説き、「日本人のサービスやチームワークは強みで、日本人メリットが生かされる領域を『ジャパンプレミアム』と名づけ、住宅営業や保険セールス、日本料理人や旅館の女将、ホテルマンといった職種で、これらは日本人向けに培われたノウハウで、外国人には代替が難しいので、国内人口1億人を維持できる今後10年間は、ジャパンプレミアムの領域にいる人は食いつなぐことができるのです。
しかしそれ以降、国内市場は目に見えて縮小するので、永続的な安住の地ではなく、今からIT、グローバル、高齢者のいずれかに強くなることで、『グローカル』や『無国籍ジャングル』への移行も可能で、この10年をいかに過ごすかが大切なのです」
『今後10年は新ビジネスに果敢に挑戦すべき時代』そんな中、我々の雇用を脅かす可能性があるのが「移民」で、少子高齢化による人口減少の解決の手立ての1つとして移民政策が議論されてきて、国内市場と労働人口の縮小問題を打破できる一方で、日本人の仕事を奪う脅威ともなり、 「『重力の世界(外国人に置き換わる可能性の高い職業)』で、日本人の7割はこのエリアに属し、ここは外国人が取って代わり得る職種です。
2004年、韓国は単純労働の外国人の受け入れを開始した結果、まさに重力に引き寄せられるように、国内の賃金や労働条件が下落していったのです。
「移民問題はオール・オア・ナッシングではなく、移民はエグゼクティブクラスの外国人、専門職と単純労働の一般労働者に分けられ、エグゼクティブと専門職には積極的に門戸を広くことが国際化を進め、一方、単純労働者については期間を限定するなど政策的にコントロールしていく必要があります」
1人当たりのGDPで日本を抜き、世界9位の富裕国となったシンガポールは、レベルの高い外国人や外国企業を呼び込むことでアジアでも突出した経済発展を実現し、日本も高度なレベルの人材の呼び込みが欠かせないのです。
移民政策の行く末は不透明ですが、いずれにしても汗と時間で稼ぐ働き方ではこの先10年の間に振り落とされていくことは必至で、「与えられた仕事をこなすだけの働き手は生き残れない」のです。
「日本の先行きは明るいのですが、誰もが明るい単純な未来ではなく、新しいビジネスを提案する能力のある人や企業に、明るい未来がやってきて、その明暗が分かれるのがこの10年でしょう」(池上氏)
「成長するのは既存のビジネスではなく、半分以上は新規事業で、今ない仕事を作ることができる人は大ブレイクし、可能性とリスクが隣り合わせの時代なのです」(渡邉氏)
以上のような内容ですが、これは既に起きている未来であり、当社でも海外からの優秀な労働力を取り込み、現在、中国人が2名、韓国人が2名、ベトナム人が1名働いていて、今後とも海外の優秀な人材の確保、そして日本人でも上記の重力の分野に入らない人材の確保は欠かせないのです。
本日も当社の価値感を掲げ続けます。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、価値ある奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
そのために、知識によるイノベーションを起こす場合の必須条件は、次の3つの要件を満たすことであったのです。
◆整理期
整理期は、開放期が終わるとともに始まり、開放期に設立されたベンチャー・ビジネスのきわめて多くが、鉄道や電機、自動車などの昨日のハイテクで見られたように、この整理期を生き延びることができないのです。
本書が出版された1985年ごろ、マイクロプロセッサー、ミニコンピュータ、PCの各産業は、開放期が始まってまだ5、6年しかたたないにもかかわらず、すでに整理期が始まっていて、この産業に属する企業は、アメリカだけでも、おそらく100社以上あったのですが、10年後には、一応の規模を持つそれなりの企業でさえ、1ダースを超えることはなかったのです。
いずれが生き残り、いずれが死ぬか、いずれが生きることも死ぬこともできずにいるかはわからず、予測をしても無駄で、規模が大きいために、生き残れるという企業もあるかもしれないのですが、規模の大きさは成功を保証しないのです。
もしそうであるならば、今日、デュポンではなくアライド・ケミカルが、世界で最も業績のよい最大の化学品メーカーになっていたはずであり、1920年、アメリカで化学産業の開放期が始まった頃には、たとえ第1次大戦中、アメリカ政府によって没収された、ドイツの化学特許を手に入れたことが唯一の理由だったとしても、とにかくアライド・ケミカルが無敵の存在だったのですが、7年後の整理期の後、アライド・ケミカルは2流に落ち、以来、2度と活力を取り戻すことができなかったのです。
1949年当時、GEやジーメンスのような老舗の大企業が、コンピュータで失敗することはもちろん、IBMがコンピュータ産業の巨人として登場してくることさえ、予測できた者はおらず、1910年から14年にかけて、自動車株がニューヨーク証券取引所の人気銘柄だった頃、GMやフォードが生き残って成功し、当時人気の頂点にあったパッカードやハプモービルが姿を消すと予測した者はいなかった。
同じように、近代銀行が生まれた1870年代や80年代において、やがてドイツ銀行が、数十にのぼるドイツの老舗の商業銀行を吸収合併し、ドイツの代表的な銀行になることを予測した者はいなかったのです。
いかなる産業が重要な産業となるかは、容易に予測することができ、歴史を見るかぎり、ドラッカーが開放期と呼ぶ爆発的ブーム期を経験した産業はすべて、重要な産業となっていて、問題はそれらの産業において、どの企業が生き残り、主要な地位を占めるにいたるかであるのかですが、それは誰にも分からないのです。
以上のことより、マネッジメントはイノベーションを起こし、その成果を活用する企業にとって、欠くことの出来ない重要な要素であり、このことに気づいて、マネッジメントのレベルを高め続けている企業はいつしか、他のライバルの気付かないうちに、はるか遠くへ行くことが出来るのです。
気づかないで、マーケテイングとか、イノベーションに無関心な企業は、例え現在、素晴らしいポジションにあろうと、謳歌を楽しんでいようと、未来は明るくないのです。
◆ハイテクのリスクと魅力
投機熱を伴う開放期のあとに厳しい整理期が続くというパターンは、とくにハイテク産業で現れやすいのは、ハイテクは、ほかの平凡な産業に比べて、脚光を浴び、多くの新規参入と投資を引きつけるからであり、期待も大きいのです。
おそらく、ハイテクよりも靴墨や時計のような事業で金持ちになった人のほうが多いにちがいないのですが、誰も靴墨メーカーが10億ドル企業に育つことを期待はしないのです。
したがって、健全経営ではあっても小さな同族会社で終わることを失敗と見る人はいないのですが、これに対してハイテクは、中ぐらいの成功には何の価値もないという伸るか反るかの勝負であるので、そのゆえにこそ、ハイテクにおけるイノベーションには、大きなリスクが伴うのです。
しかもハイテクは、かなり長い期間、利益をあげることができず、コンピュータ産業は、1947年から48年にかけて始まったのですが、産業全体として見るかぎり、30年以上もたった1980年代初めまで、収支が合わなかったのです。
たしかに、アメリカの企業のなかには、早くから利益をあげはじめたところもあり、コンピュータ産業の雄たるIBMは、かなり早くから利益をあげていたのですが、産業全体で見るならば、これらわずかな数のコンピュータ・メーカーの利益は、世界の電機メーカーが、コンピュータ・メーカーへの脱皮という試みに失敗して蒙った膨大な損失をはるかに下回っているのです。
これと同じことが、コンピュータ前のハイテク、すなわち19世紀初めの鉄道、1880年から1914年にかけての電機メーカーと自動車メーカー、1920代のラジオ局にも起こったのです。
このようなことが起こるのは、調査、技術開発、技術サービスに多額の資金を注ぎ込まなければならないからであり、ハイテク企業は、たとえ現状を維持するためであっても、つねに速く走らなければならず、もちろん、これもハイテクの魅力であるのですが、このことは、整理期が訪れたとき、ごく短期の嵐を乗り切るのに必要な資金的余裕さえ、残している企業はほとんどないということを意味し、ほかの産業に比べて、ハイテク産業が、とくに資金的な見通しを必要とする反面、資金的な見通しが困難な原因は、ここにあり、この整理期に生き残るための処方は1つしかなく、マネジメントであるのです。
ドイツ銀行がほかの新しい銀行と比べて、際立った存在となりえたのは、ゲオルク・ジーメンスが、世界で最初のトップ・マネジメント・チームを構想し、それを実際につくりあげたからだったのです。
デュポンがアライド・ケミカルより際立った存在となったのは、1920年代の初め、体系的な組織構造や長期計画、それに情報システムを世界で最初につくりあげたからだったのですが、対して、アライド・ケミカルは1人の天才によって恣意的にマネジメントされていたのです。
しかし、これで話は終わらず、最近のコンピュータ産業における整理期に生き残れなかった大企業のほとんどは、GEやジーメンスなど、第1級のマネジメントをもつとされていた大企業なのであるのですが、しかも逆に、自動車産業の整理期において間違ったマネジメントが行われていたフォードが、たとえ辛うじてではあったにせよ、とにかく生き残ったのは、マネジメントもまた、生き残りの条件ではあっでも、保証というわけにはいかないのです。
しかも整理期がやってきたとき、ブームのうちに急成長を遂げた企業が、デュポンのように正しくマネジメントされていたか、それともアライド・ケミカルのように間違ってマネジメントされていたかを知りうるのは、その企業にいる人間だけであり(あるいは、彼らさえ知らないかもしれない)、そして、それを知る頃にはすべてが手遅れであるのです。
昨日も1日中本社でいて、食堂では旬のフルーツがたくさん準備されていて、ラーメン学校の生徒さんたちも社内のスタッフたちに混じり、美味しそうにモリモリ食べていて、ラーメン学校は実技の4日目であり、生徒さんたちが熱心に自分のラーメンに取り組んでいたのです。
夕方には、当社の古いお客さまで最近、少し業績を落としているお客さまからのSOSがあり、スタッフたちとチェックに行きましたが、改善すべき問題点は、どの店を見ても同じであり、簡単で、店主の方にあとでまとめて連絡するようにしています。
もし、何かお困りの点があれば、早期にご連絡を戴ければ、われわれは対応し、その対応によって、最近は見違えるようになった事例をたくさん持っております。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。