本日のテーマは「素晴らしいイラン人たち」です。
昨日はシンガポールのラーメン学校2日目のスープ取りと、元ダレの仕込み、トッピングの仕込み等、一番遅くなる日で、学校を終えたのは日本時間の夜中の12時過ぎで、それからホテルに帰ったので、ベッドに入ったのは1時を軽く回っていたのです。
しかし、どの生徒さんも疲れも見せず、最後まで熱心に取り組み、講師たちが熱心に取り組んでいるので、それに応えようとする優しい気持ちが、こちらにまで伝わってきます。
特に驚いたのは、イラン人の母と長男で、われわれ日本人のイメージからすれば、イランは常に戦争とか、暴動のある、荒っぽい国のように思っていたのですが、この2名は、紳士と淑女で、われわれの今までイラン人に対して持っていた概念を覆すような人たちでした。
そして、さらに驚いたのは、イランは厳格なイスラムの国で、アルコールは一切禁止だと思っていたのですが、それは家庭より外に出た時だけで、家庭内ではイラン人はシッカリとアルコール類を飲んでいるそうです。
また、この母と息子は、自分たちは豚を食べるが、飲食店では提供出来ないと言っていたので、われわれが思っているイスラムのイメージをまったく覆し、イスラムの人たちもわれわれとそんなに変わらないことを教えてくれたのです。
夜遅くまで生徒さんと対応しているスタッフたちも疲れているはずなのですが、生徒さんたちが熱心で、前向きなので、スタッフたちも疲れが出ないようです。
また、参加する生徒さんが積極的であればあるほど、スタッフたちもそれに応えるようにたくさん教えてあげようという気持ちになり、モチベーションが非常に上がるのです。
ビジネス上における日本人の悪い癖のひとつが遠慮がちで、本当は聞きたいのに、遠慮して聞かないのです。
最近も国内の麺学校の卒業生からのさまざまな情報で残念に思うことは、立地とか、レイアウトを決めた後で相談があり、その時点で相談に来られてもどうしようもないことなのです。
もし、決める前に相談に来られると、それは勧めないというようなことが多く、なぜこのような立地とか、レイアウトを決めてしまったのかというようなことが多く見受けられるのです。
麺学校を卒業した時点で、問題があるときは何でも早く連絡を貰うように依頼しているのですが、私の方に連絡が来るのが遅く、ほとんどが事後なのです。
また、われわれは限られた時間の中で、生徒さんの問題に対応しているので、生徒さんが熱心なほど、われわれの対応も真剣になり、まさに生徒さんたちの本気度が試されていて、熱心な生徒さんの場合は、時間的な無理をしても訪問するのです。
今回の生徒さんからは熱心にさまざまな質問があり、麺ビジネスを成功させてビッグビジネスにしたいとの意思が見えるのです。
ドイツから来ている生徒さんにはドイツの事情を説明し、われわれは多くの国を体験して、画像も豊富に持っているので、生徒さんたちも安心して、多くのことを質問してくるのです。
また、英語で生徒さんたちとやり取りしていると、語彙の不足を感じ、もっとマネッジメントの講義が通訳のハンさんが居なくて、私ひとりで完璧に出来るようにならなければと思うのです。
それでも、日本の経営講義で教えている内容は、まったく違和感なく、海外からの生徒さんにも通用することが分かり、私の経営講義の内容に非常に理解を示し、特に難しい価値感の問題等も難なく理解しているのです。
従業員の採用に関する問題も、日本とほぼ同じで、日本語で教えている内容を英語に直すだけで、まったく同じように通用するのです。
海外からの生徒さんも国内の生徒さんと同じような、人の採用に関する問題を抱えていて、価値観を明確にして価値感を共有出来る従業員だけを採用しなければいけない等は、非常に良く分かるようです。
だから、日本で蓄積した13年間のラーメン学校のノウハウは、海外でも横展開出来ることが分かり、われわれが教えている内容をもっと日本人が先に真剣に学んでくれればという想いが強くなります。
また、日本では当たり前のことでも、海外の生徒さんたちは先入観念がなく、何でも疑問を持つので、われわれもゼロベースで再構築する必要があり、海外に出てくることで、イノベーションを起こすことが出来易くなるのです。
実際にスタッフたちを引き連れて海外に出ることは、たいへんなことが多いのですが、それ以上に、形に見えない多くのメリットを得ているのです。
リスクを取って先に海外に出た企業とそうでない企業の差は大きくなってくるはずで、先にリスクを取ることのメリットはたくさんあるのです。
異文化に触れることは、われわれ自身を大きく変え、イノベーションを起こすのに大きく役立つのです。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、価値ある奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
4創業者はいかに貢献できるか
◆創業者の問題
ベンチャー・ビジネスのマネジメントに関して重要なことを1つだけあげるとすると、チームとしてのトップ・マネジメント・チームの構築であるのですが、それは創業者自身にとっては、それは事の始まりにすぎず、ベンチャー・ビジネスが発展し、成長するに伴い、創業者たる起業家の役割は変わらざるを得ず、これはたいへん難しいことではあるのですが、これを受け入れなければ、事業は窒息し、破壊されるのです。
もちろん創業者たる起業家は、これらのことについて「そのとおり」と同意するのは、事業の変化に対応せず、事業とともに自らをも挫折させてしまった他の創業者たちの悲惨な話を知っているのですが、何かをしなければならないことは知っていても、自らの役割をいかに変えたらよいかを知っている者は、ほとんどおらず、殆どの人は「何をしたいか」から考え、あるいはせいぜい「自分は何に向いているか」を考えるのですが、正しい問いは、下記の4つとその順序が大切なのです。
1.「客観的に見て、今後、事業にとって何が重要か」であり、急成長しつつあるベンチャー・ビジネスでは、創業者たる起業家は、この問いを、事業が大きく伸びたとき、さらには、製品、サービス、市場、あるいは必要とする人材が大きく変わったとき、必ず自問しなければならないのです。
2.「自分の強みは何か。事業にとって必要なことのうち自分が貢献できるもの、他に抜きんでて貢献できるものは何か」であり、この問いについて徹底的に考えたあと、はじめて次項目を質問するのです。
3.「本当は何を行いたいか。何に価値をおいているか。残りの人生とまではいかないまでも、今後、何をしたいか」
4.「それは事業にとって本当に必要か。基本的かつ不可欠な貢献か」を問うことができるのです。
第2次大戦後、大きな成功をおさめたニューヨークのペイス大学の例があり、エドワード・モートラ博士が1947年に創立したこの大学は、今日では水準の高い大学院をもつ学生数2万5000人というニューヨーク第3の大学にまで育ち、彼のイノベーションは攻撃的なものだったのですが、彼は、1950年前後という、ペイス大学がまだ小さかった頃、すでに強力なトップ・マネジメントチームをつくりあげていて、そのメンバーは、それぞれが責任を負い、リーダーシップを発揮すべき担当分野をもっていて、彼自身は総長になり、そのうえ、助言と支援を得るために、独立した強力な評議員会を設置したのです。
◆千差万別
ベンチャー・ビジネスが必要とすることや、創業者たる起業家が強みとすること、あるいはその起業家がしたいと考えていることは、まさに千差万別であり、ポラロイドカメラの発明者エドウィン・ランドは、1950年代の初め頃まで、すなわち会社創立後の12年ないし15年間、自らマネジメントにあたっていたのですが、会社が急成長を始めた後は、トップ・マネジメントのチームをつくってマネジメントを任せたのは、自分にはトップ・マネジメントの仕事は向いていないと判断したためであり、彼が貢献できるのは科学的なイノベーションだったので、彼は、自らを研究者と位置づけ、基礎研究担当の相談役になり、マネジメントはほかの者に任せたのです。
マクドナルドを構想し、創業したレイ・クロックも同じ結論に達し、彼は80歳すぎで他界するまで社長をしていたのですが、日常の業務はトップ・マネジメントに任せ、彼自身は「マーケティングの良心」の役割を果たし、他界する直前まで、毎週自分の店を2、3軒訪れ、品質や清潔度や親しみやすさを点検し、顧客を観察し、話しかけ、耳を傾け、こうしてマクドナルドは、少なくとも彼が亡くなるまでは、ファーストフード業界トップを維持するうえで必要な変革を行いつづけることができたのです。
アメリカ太平洋岸北部のある建材商社では、若い創業者が、自分の役割はマネジメントではなく、小さな町や郊外にある、200か所の営業所の所長たちの面倒を見ることであると結論し、事実上、事業を行っていたのは、彼ら営業所の所長で、彼らは、調達、品質管理、債権管理については、本社の支援を受けていたのですが、営業そのものは、本社の支援をほとんど受けずに、各地域においてセールスマン1人とトラックの運転手2人という陣容で彼ら白身が行っていたのです。
したがって、この建材商社の営業は、彼ら孤立した素朴な人たちの意欲、活力、能力、熱意にかかっていて、大卒は1人もおらず、高卒さえわずかで、この商社の創業者は、1月のうち12日から15日は、彼ら営業所長を訪ね、半日をともに過ごし、仕事や計画や目標について話し合うことを自分の仕事にして、この建材商社がほかの商社と違ったのはこれだけで、ほかはすべて同じだったのですが、創業者たるCEOの働きによって、同社は競争相手よりも3倍から4倍の速さで成長したのです。
今日、大手の半導体メーカーとして成功しているある会社は、3人の科学者によって設立され、この会社の場合、事業にとって必要なものは何かという問いに対する答えは3つあり、1つは経営戦略、1つは開発研究、もう1つは人材、とくに科学技術分野の人材育成で、3人は、それぞれについて誰が最も向いているかを明らかにし、それぞれの強みに応じて活動を分担したのですが、実際には、人材育成を引き受けたのは、イノベーションに強い科学者で、その分野では学界の大物だったのですが、彼は、自分がマネジメントや人事にかかわる仕事に向いていると考え、ほかの2人もその考えに同意して、人材育成を担当することになり、彼は「本当にやりたい仕事ではなかったのですが、それが私の最も貢献できることだった」と言っているのです。
◆手を引くこともある
創業者がいかに貢献できるかという問いが、創業者とそのベンチャー・ビジネスの双方にとって、つねに完全に満足のいく結果をもたらすとはかぎらなく、ときには、創業者が手を引くこともあり、アメリカで最も成功している金融関連のベンチャー・ビジネスの1つにおいて、創業者の下した結論がこれで、彼は、トップ・マネジメントチームをつくり、会社が必要としているものは何かを自問し、自分自身と自分の強みについても考え、会社が必要とするものと、自分がしたいことの間はもとより、自分の能力との間にさえ、共通するものがないことを知り、やがて彼は、「1年半をかけて、後継者を育て、事業を引き継がせ、辞任したのです。」
彼はその後、金融以外の分野でベンチャー・ビジネスを3つ創業し、いずれも中堅企業に育て、そのいずれからも手を引き、新しい事業を育てることを好んだが、マネジメントは好まず、彼は、事業と別れることが、事業にとっても、自分にとっても幸せであるという事実を受け入れていたのです。
以上のように同じ状況にあっても、起業家によって達する結論は異なり、ある有名な医療機関の創業者であり、その分野では主導的な地位にある人が、同じようなジレンマに直面し、その医療機関がマネジメントと資金調達の両方ができる人を必要としていたのに対し、彼自身は研究者や臨床医であることを望んでいたのですが、自分が資金調達を得意とし、かつ大きな医療機関のCEOになる能力をもっていることを知っていて、「そこで私は、自分自身の希望を抑え、CEOとしての仕事と資金調達の仕事を引き受けることが、自分のつくったベンチャーと同僚に対する義務と考え、もちろん、自信がなかったり、理事会や相談相手が、君なら大丈夫と言ってくれなかったならば、そのような役は引き受けなかった」と、言っているのです。
本章を通して、私が一番重要に考えていることは、起業家は変わり続けることが出来なければ、起業家で居続けることも、事業家で居続けることも出来ないということで、もし、変わり続けることが嫌であれば、起業家にはなってはいけないのであり、早い段階で、誰かに譲るべきで、そしていつかはこの世を去る時が来るのですから、いずれにしてもトップ・マネッジメント・チームは早い時期から作っておくことなのです。
昨日は、ラーメンのことを余り理解していない生徒さんもいたので、スープ取りの合間のランチで、シンガポールでの繁盛店で、当社のユーザーさまでもある「三宝亭」へお客さま方をご案内し、いろんな種類のラーメンの説明をし、試食したのです。
「三宝亭」は、煮干しの香りの強い新潟ラーメン、味噌ラーメン、スパイシー味噌ラーメン、トンコツラーメン、混ぜ麺、つけ麺等、さまざまなメニューを全部見ることが出来るので、生徒さんたちを案内するのは便利なのです。
その後、教室ではスープを完成させて、多加水製麺を真打と若大将を使って行ったのですが、初めての作業ですが、生徒さんたちは喜々として行っていました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。