本日のテーマは「大和魂と社会の四季の関係」です。
昨日のテーマは大和魂であったのですが、過去の歴史上を振り返ってみると、大和魂について思考してみると、江戸の末期から明治時代にかけての近代日本が生まれた前後で、多くの大和魂を持った若者が多く存在していたことが分かるのです。
例えば、昨日取り上げた吉田松陰から始まり、高杉晋作、勝海舟、西郷隆盛、坂本竜馬等々、挙げればきりがないほど、幕末の志士たちが奮闘した時代であり、会津若松の白虎隊等もそのような大和魂を持った若者で、多くの有為の若者たちが国のために命を捨てていったのです。
150年前の幕末から明治にかけての日本は、大きな秩序の変わる時代であり、季節で言えば、冬から春に向かうような時代でもあったのです。
明治維新になり、日本に春が来て、20年間くらい春の時期が続き、次に夏の季節になり、夏の時代も同じく20年位続き、明治時代の日本の高度成長期を迎え、日清戦争に勝利し、国中が沸き返ったのもこのころです。
やがて、日本も夏から秋を迎えるころが日露戦争に勝利したころで、日露戦争は世界中の誰もが日本が負けると思っていた戦争に日本が勝利し、徐々に日本が秋から冬の季節に入るのですが、秋の季節も約20年間で、日本の冬は関東大震災ころに始まり、第2次世界大戦の間が冬の時代であったのです。
そして、終戦と共に春の季節を迎えるのですが、戦争末期には特攻隊を初め、山本五十六等、大和魂を持った軍人をたくさん輩出し、戦後処理に当たったのが、白洲次郎のようなイギリスでの留学経験者ですが、吉田茂とともに日本が不利にならないように、アメリカ駐留軍を敵に回して頑張ったのです。
この時代も日本の秩序が大きく変わる時代の境目であったのです。
日本は第2次世界大戦後の約70年間で奇跡の復活を遂げるのですが、戦後はアメリカ方式の教育により、日本人の心の中から、大和魂は忘れ去られ、失われていったのです。
終戦後、日本の春の季節は約20年間続き、1964年の東京オリンピックで日本の夏になり、戦後の高度成長期が始まったのです。
夏の季節も約20年間続き、1985年のウインドウズ1.0発売ころから秋になり、秋も約20年間続くのですが、その間にバブル崩壊があり、2005年の郵政解散で日本の冬が始まり、東日本大震災、そして今回の九州大震災と続き、日本の現在は冬の真っ只中なのです。
次の日本の春は、オリンピックの後の2025年ころで、それまで日本の冬は続くのですが、過去の事例でいけば、今から春を迎える冬の間で、日本人の間に多くの大和魂を持った若者が誕生するのです。
以上の概念は、社会の季節と言われている概念で、社会の季節は80年周期で巡ってくるのです。
春夏秋冬のそれぞれの季節は、約20年スパンで、春の後は夏になり、夏の後は秋になり、少し早い夏があったり、遅い秋があっても、この順序が入れ替わることは絶対にないのです。
現在の日本が冬の時期であるとすれば、冬の時期に生きているわれわれこそが、大和魂を持ち、果敢に奮闘する時代であるのです。
日本は現在、国内の生産年齢人口の減少だけでなく、総人口の減少が始まり、人口減少が大きくわれわれの生活、ビジネスに影響を及ぼし始めていて、人手不足はますます厳しくなり、国内のほとんどのビジネスは縮小を続けていて、多くのローカルの都市ではすでに、古い商店街だけでなく、目抜き通りまで、完全なシャッター街になっているのです。
だから、現在のような危機の下にある日本は、江戸末期の日本、太平洋戦争末期の日本と共通するものがあるのです。
私は、日本の危機を、自分のビジネスを通じて、或いは、海外に行くことにより、痛いほど肌で理解しているのですが、国内だけでいれば、それほど感じないのです。
しかし、あと10年もすれば、多くの日本人は私が現在言っていることを、実感する日がくることでしょう。
あと10年すれば、暗かった日本の冬も終わりを告げ、新しい春の時代を迎えるのです。
次の新しい春の時代を迎えるときは、多くの成功している日本のビジネスは完全なグローバルビジネスになっていることと思います。
人口減少時代の日本において、1つの活路はグローバル化であり、もう1つの活路はイノベーションであると信じています。
国内も人口減少を続けますが、それでも日本の人口は世界の国々の中では、上位であり、まだまだ日本にはたくさんの人たちが住んでいるのです。
従って、これからのキーワードはグローバル化とIT,イノベーションです。
本日も当社の価値感を掲げ続けます。
1. 顧客に深くフオーカスし、絶えざる奮闘精神で、価値ある奮闘を長期にわたって続ける(顧客との深いコミュニケーション)
2. 自己批判(内省、フィードバック、自己とのコミュニケーション)
3. オープンな姿勢と進取の精神(アライアンス、イノベーション)
4. 効率の追求(利益、コスト)
丁度1年前の昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
弱みへの攻撃戦略
I創造的模倣戦略
「弱みへの攻撃」は、起業家戦略としては、「創造的模倣戦略」と「起業家的柔道戦略」という2つの戦略が、これに該当するのです。
◆イノベーターよりも創造的
創造的模倣は、ハーバード・ビジネススクールのセオドア・レヴィットの造語で、明らかに矛盾した概念であり、創造的ということは、オリジナルということであり、あらゆる模倣に共通していることは、オリジナルではないということであるのですが、これは、まさに内容とぴったりの言葉であり、この戦略は模倣であり、この戦略では、起業家は、すでにほかの誰かが行ったことを行うのですが、この創造的模倣の戦略を使う起業家は、最初にイノベーションを行った者よりも、そのイノベーションの意味をより深く理解しているがゆえに、創造的となるのです。
日本の場合でも、模倣戦略はたびたび実行されるのですが、最近ではそのほとんどが失敗しているのは、イノベーションを行なった者よりもはるかに低いレベルの模倣を行ない、形だけ真似て、イノベーションのコンセプト、要するに本質を理解していないためで、創造的模倣においては、本質の理解が欠かせず、IBMがこの戦略を最も多く使い、大きな成果をあげていて、P&Gが、石鹸、洗剤、トイレタリーの市場でトップの地位を獲得し維持するために使い、日本の服部セイコーが昔の世界の時計市場において、トップの地位を得るために使っているのです。
1930年代初め、IBMはニューヨークのコロンビア大学の天文学者のために高速の計算機をつくり、その数年後の1930年代半ばには、ハーバード大学の天文学者のために、コンピュータの原型ともいうべき計算機をつくり、第2次大戦が終わる頃には、記憶装置とプログラム能力を備えたコンピュータをつくったのですが、そのIBMが、コンピュータのイノベーターとして歴史の本で取り上げられることはあまりないのには、それなりの根拠があり、IBMは、その先駆的な1945年のコンピュータを完成し、二ユーヨークの街中で大勢の人たちを集めて実演した後、自らの設計を捨て、ペンシルベニア大学で開発されたENIACに乗り換えたのは、ENIACの設計者は認識していなかったのですが、給与計算に使いやすかったのです。
IBMは、計算事務という平凡な仕事に使えるよう、ENIACの設計を取り入れ、生産し、アフターサービスすることにし、1953年、ENIACのIBM版が世に出るや、直ちにそれは、企業用の多目的メインフレーム・コンピュータの標準となったのであり、これが創造的模倣の戦略であり、誰かが新しいものを完成間近までつくりあげるのを待ち、そこで仕事に取りかかり、短期間で、顧客が望み、満足し、代価を払ってくれるものをつくりあげ、直ちにそれは標準となり、市場を奪うのです。
IBMは、パソコンについても創造的模倣の戦略を使い、アイデアそのものはアップルのものであり、IBMは、パソコンが経済的でなく、最適にほど遠く、金のかかる間違った製品と見ていたのですが、なぜかそれは成功していたので、
IBMは直ちに、パソコンの標準となり、支配者となり、少なくとも先端的となるべき製品の設計にかかり、その成果がPCで、2年後には、IBMのPCはアップルのリーダーシップを奪い、最も売れる製品、標準たる製品となり、P&Gもまた、石鹸、洗剤、トイレタリー、加工食品などの市場で、ほとんど同じ戦略を使ったのです。
時計業界は、半導体が開発されたとき、それまでの時計よりも正確で信頼性が高く、しかも安い時計がつくれることを知り、スイスの時計メーカーもクォーツ・デジタル時計を開発したのですが、すでに従来型の時計に多額の投資を行っていた彼らは、新製品を贅沢品として位置づけ、時間をかけて導入していくことにしたのですが、他方、国内市場向けに腕時計をつくっていたセイコーは、約50年前に、半導体にイノベーションの機会を見出し、創造的模倣の戦略をとって、クォーツ・デジクル時計を普及品として世に出し、スイスのメーカーが気づいたときには、すでに遅く、セイコーの腕時計が世界のベストセラーとなり、スイスのメーカーは、ほとんど市場から追いやられ、腕時計は単価の安い、コモデイテイとなってしまったのですが、現在は機械式時計の強みと巧みなデザイン力で、反対にスイスの時計メーカーが世界を席巻しているのです。
創造的模倣の戦略は、「総力による攻撃」と同じように、市場や産業の支配まではできなくとも、トップの地位の獲得を目指すのですが、リスクははるかに小さく、創造的模倣を行う者が動き出す頃には、市場は確立し、製品が市場で受け入れられているどころか、通常、最初のベンチャー・ビジネスが供給できる以上の需要が生まれ、市場もすでに明らかになっていて、少なくとも明らかにできるようになっていて、しかも、顧客が何を買っているか、いかに買っているか、何を価値としているかを、市場調査によって明らかにすることができるようになっているのです。
最初のベンチャー・ビジネスが直面した無数の不確定要素も、ほとんどが明らかにされているか、少なくとも、分析し調べることが可能になっていて、もはやパソコンやクォーツ・デジタル時計が何であるか、何をするものなのかを説明する必要はなく、もちろん、イノベーションを行った者が、最初からすべてを行ってしまい、創造的模倣の戦略に対して戸を閉めていることもあり、ビタミンのホフマン・ラロッシュ、ナイロンのデュポンのように、行うべきことをすべて行ってしまっているのですが、これまで創造的模倣に成功した起業家の数を見るかぎり、最初にイノベーションを行った者が、すべてのことを行い、市場を占有してしまっていることは、それほど多くはないのです。
創造的模倣のもう1つのよい例が、「非ピリン系アスピリン」ともいうべきタイレノールであり、これほど創造的模倣の戦略が何であり、成功するための条件が何であり、いかにうまくいくかを示してくれる例はなく、アメリカでタイレノールなる商標名で売られている、アセトアミノフェンは、長年鎮痛剤として使われていたが、ごく最近まで、処方箋がなければ手に入れられない医薬品であり、アセトアミノフェンよりもはるかに古いアスピリンが市場を独占していたのですが、アセトアミノフェンは、アスピリンほどの効き目はなく、鎮痛剤としては効いても、解熱剤としては効かないのですが、その反面、血液の凝固作用がないので、アスピリンのように、長期間にわたって大量に投与しても胃の異常や出血をもたらすという副作用もないのです。
したがって、ようやくアセトアミノフェンが処方箋なしで売られることになったとき、最初に市場に出された製品はアスピリンの副作用に苦しむ患者のための薬として売られ、それは成功し、成功は予想をはるかに上回り、まさにその成功が創造的模倣の機会を生み出したのですが、ジョンソン・エンド・ジョンソンは、アスピリンに代わる鎮痛剤の市場が存在すること、しかもアスピリンのほうが、やがて解熱や血液凝固を必要とする限定された市場になってしまうであろうことを理解し、そこで、タイレノールを一般薬として売り、2年のうちに、このタイレノールが市場を獲得したのです。
この戦略は以上の様に、たいへん有効性が高い割りに、リスクが少ないので、使い易い戦略なのですが、いかに本質を極めているかが重要であり、本質を極めていないと、単に時間とお金の膨大なロスに繋がるだけなのです。
ステイーブ・ジョブズが再復帰後、アップルが大成功した戦略もすべて創造的模倣戦略ばかりで、ipodはソニーのウオークマン以来の携帯型音楽プレーヤーを再設計し、iphoneは通常の携帯電話の問題点を見つけて再設計したものであり、ipadはPCを再設計したのでした。
そして単なる模倣ではなく、それぞれの本質的な役割の時代に合った変化を深く理解し、その本質を独自に掘り下げ、現在のライフスタイルに合わせて再設計を行なったのです。
創造的模倣を活用したイノベーションが次つぎと起きるのは、時代が次つぎと大きく変化しているためであり、最初はウオークマンで満足した人たちも、そのうちに、ウオークマンでは満足しなくなったのです。
ipadとか、iphoneも同様ですが、アップルが起こしたイノベーションのこれらの製品のうち、最も成功を収めたのは、iphoneであり、iphoneがこれだけ成功を収めることが出来た大きな理由は、ipod、ipad等の良さをすべて取り込み、最初に成功したipodもipadもiphoneですべて兼ねることが出来ているのです。
画像は、昨日の経営講義の様子で、一昨日はマインドセットであり、大和魂の説明であったのですが、昨日は事業計画書、商圏分析等、技術編の話が中心であったのです。
教科書に沿っては、そんなに質問がないのですが、教科書から離れると、生徒さんの質問が一気に増えるのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。