本日のテーマは「団塊の起業は、これから花盛り」です。
本日は朝から大和の経営会議で、本日もいろんなテーマについて打ち合わせを行なったのですが、注目を引いたのが、昨日のフェイスブックで取り上げた「団塊起業」です。
私は昭和23年5月10日生まれで、団塊の世代のほぼ中央で、自分がこの年齢になって一番感じることは、まだまだ体力的にも、精神的にも非常に若いということです。
明治維新のころの日本人の平均寿命は39歳であったのですが、現在は2倍以上で、100歳を超えた人でも、若い人と同じように生活をしている人が何人もいる世の中になり、明治維新のころでは考えれないような世の中になっているのです。
私が小さいころのイメージでは、60歳はお爺さんであったのですが、現在の60歳はお爺さんどころか、まだまだ若々しく、現役でいくらでも活躍できるのです。
そして現在の日本では、平均寿命は延びているのですが、健康寿命がそれだけ延びたのではなく、病院のベッドの中で、余生を送っている人が多いのも事実で、そのために日本初め先進国の医療費は、うなぎ上りに上昇し、国の財政を圧迫しているのです。
同じ長命でいるにしても、本人にとっても、周りにとっても、国にとっても、最も良い長生きの仕方は、絶対に介護状態にならない、健康な状態で長命でいることなのです。
現役時代に元気で働いていた人がリタイヤーすると、急に老け込んだり、体調がおかしくなるのは、責任のある仕事が急になくなり、社会との関係性が途切れてしまうことが原因であることが多いのです。
私の周りを見回しても、同じ年齢でも責任ある仕事に取り組んでいる人の方がはるかに若々しく溌剌としているのです。
従って、「団塊起業」は人として、残りの人生を有意義に過ごすための一つの選択肢でもあり、一般的に、団塊の世代にとって、麺ビジネスの起業が選択肢に入るのは、次のような条件があるためなのです。
1.責任がなくなった今だからこそ
2.ゆとりがある今だからこそ
3.まだまだ元気な今だからこそ
4.これからの高齢化社会に向けての賢い選択肢
5.独り立ちが出来ていない、子どものために
このように団塊の世代の起業について考えてみると、必要性とともにさまざまなメリットが見られるのです。
団塊の世代は人数が多いだけに、ある程度の数の人たちがその気になれば、社会を変えるインパクトがあるのです。
現在もたいへんな人手不足ですから、麺開業だけではなく、貴重な労働力として、団塊の世代を労働市場にもう一度、返り咲いて戴くことは現在の日本にとって大きな意味があるのです。
われわれ人間は誰一人、老いから逃げることは出来ず、必ず、老いていつかはこの世を去らねばならない日が来るのです。
老いていくに従い、身体は動かなくなり、思考力も鈍り、身体機能のあらゆるレベルが老化に伴い、低下していくことから逃げることは出来ないのです。
しかし、有意義で張り合いのある仕事を持つことにより、機能の低下を遅らせ、より長く有意義で楽しい人生を送るチャンスが広がるのです。
だからこれからは、余計に「団塊起業」とか「団塊の職場復帰」は非常に大きな意味があるのです。
現在、満67歳の私自身が毎日元気に働いているので、余計に私と同じ年齢の人たちが日本全国にはたくさんいて、貴重な資源が使われずに埋もれてしまっている場合が多いのではないかと思う次第なのです。
そして、これからの日本を見た場合に、余計にそのような貴重な資源の活用は欠かせないのです。
この様に「団塊起業」を勧める私も、年末から来年にかけて、いくつかの新規事業の開業を行ないます。
そして、これからも同年齢の方がたのお役に立つような、新たな新規ビジネスを次つぎと始めてみようと考えています。
新しいビジネスをこれから、皆さんに色んな形で披露していきたいと思っていますし、「団塊起業」の事例をたくさん披露していきたいと思います。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
残された課題
しかし、これら2つの社会的イノベーションでさえ、例示にすぎないといえるのであり、その前に、政策、姿勢、とりわけ優先順位の大幅な見直しが必要で、そして何よりも、個人と組織が柔軟で、学習を続け、変化を正常、かつ機会として受け入れる土壌をつくることが必要なのです。
◆税制の見直し
たとえば、その一つが税制の見直しで、税制は、それが行動に与える影響だけでなく、社会の価値観や優先順位の象徴としても重要な意味をもつのですが、先進国では、税制が昨日を切り捨てることを厳しく罰し、事業や製品ラインの売却や清算による収入を所得として扱うのですが、この金は回収にすぎないのに、税制はこの金について利益と見なし、法人税を払わせ、株主に分配すれば、あたかも利益の配分であるかのように個人所得税を払わせ、その結果、企業は古いもの、陳腐化したもの、もはや生産的でないものを廃棄しにくくなり、手放すことなく金を注ぎ込まされ、さらに悪いことには、その結果、企業の最も有能な人材に、陳腐化したものを守る役目を果たさせ、最も稀少で最も価値ある資源、その明口をつくる役目を果たすべき人たちを、誤って配置させているのです。
あるいはまた、たとえ陳腐化した事業や製品ラインを清算あるいは売却したとしても、その金を株主に配分できなくし、そのため、起業家的な機会への投資に振り向けることのできる資本市場に還流させられなくし、その結果、企業はそれらの金を内部に留保し、昔からの陳腐化しつつある事業や製品、すなわち、資本市場では資金を調達できない事業や製品に投入し、ここでも、稀少な資源の大々的な配分の誤りを招き、起業家社会で必要とされているものは、資金を昨日のものから明日のものへ、移動しやすくさせる税制であり、現行のもののように、それを妨げ、罰する税制ではないのです。
さらにまた、税制は、成長しつつあるベンチャー・ビジネスにとって最も重大な財務上の問題、すなわちキャッシュの不足を緩和する必要があり、その方法の一つは、国が経済活動の現実を認めることであり、すなわち、設立後5、6年の新事業にとって、利益は会計上の虚構にすぎないという現実を認めることで、その間、事業継続のコストは、ほぼ必然的に、昨日の事業からの余剰(利益)、すなわち昨日のコストを上回り、今日の収入分よりも大きなものとなるので、新しい事業が成長するためには、その余剰分をすべて投資しなければならないということで、成長が早ければ、経常の余剰、すなわち利益として生み出すことができる額を超えた投資が必要となるのです。
したがって、成長する新しい事業は、ベンチャー・ビジネスであれ既存企業の1部門であれ、スタート後の数年間は、成長期の小さな子供に大人を養う余剰を生み出すことを期待すべきでないように、法人税をとるべきではなく、そもそも税は、社会における生産者が、ほかの誰か、すなわち非生産者を助けるためのものであり、しかも、新しい事業が成長するまで法人税を免除するならば、結局は、免税分よりもはるかに大きな税収を得られるのですが、もしこの提案が大胆すぎるのであれば、少なくとも、事業が乳幼児の段階にある間の「利益」については、税の支払いを繰り延べられるようにすべきで、資金繰りが厳しい時期を過ぎるまでは、資金を手元においておけるようにする必要があり、いかなる罰も金利もなしに、これを行えるようにしなければならず、つまるところ、起業家社会と起業家経済の実現には、資本形成を助長する税制が必要であるのです。
普段、税制が企業の大きなコスト負担になっているとは思っていないのですが、税金に関する業務に大きな人件費を割かれているのは間違いなく、消費税等の計算も非常に面倒な計算になっていて、税金負担が多い国より少ない国の方が、税務処理が難しい国より、簡単な国の方が、これからのグローバル競争には、受け入れられやすいので、企業に大きな負担をかけている国からは、企業が逃避する可能性が高く、国力を落とす原因になりかねず、海外に出て、国ごとの税制を調べてみると、国ごとに大きく異なり、これから発展する可能性の高い国とそうでない国の差が顕著に分かります。
◆ベンチャーを守る
起業家精神を奨励する税制、少なくとも阻害することのない税制の実現と同じように重要な施策として、増大する政府規制、報告義務の類からベンチャーを守る制度の導入があり、ドラッカーの処方は、ドラッカー自身、実現の可能性を信じているわけではないのですが、ベンチャー・ビジネスであれ、既存企業の社内ベンチャーであれ、収益の一定割合、たとえば5パーセントを超えるコストを発生させる規制、報告、事務処理については、そのコストを政府に請求できるようにすることであり、そのような措置は、社会的部門のベンチャー機関、たとえば外来専門の外科クリニックの育成には、とくに有効であり、先進国では、社会的機関は、政府が定めた各種手続きによって、企業以上に重い負担を負わされ、政府のために行わざるをえない各種の雑用によって重い負担を強いられていて、しかも通常、それら社会的機関は、資金的にも人的にも、それらの負担を負えるだけの力がないのです。
ドラッカーのこの処方は、先進国で知らぬ間に進行しつつある重病、すなわち政府に起因する見えざるコストの着実な増加に対する最善の治療法であり、おそらくは唯一の治療法といってよく、それらのコストは、費用としてのコストになっているのみならず、有能な人材に、その時間やエネルギーを費やさせることによって、さらに大きなコストとなり、それらのコストは、時間の半分を政府の書式や報告書への記入にとられている看護婦の人件費として、開業医の会計のなかに埋もれていたり、あるいは、16人の上級管理者が、政府の命令や規制に協力させられている大学の予算書に隠され、さらには、275人の従業員のうち19人が会社から給料をもらいながら、実際には政府の徴税人として、仲間の従業員の給与から、所得税と社会保険料を源泉徴収し、取引業者や顧客の税務番号を照会して、政府に報告している中小企業の損益計算書に隠されているのです。
ヨーロッパにおいては、付加価値税まで徴収させられている中小企業の損益計算書のなかに隠されていて、いずれも見えないコストであり、見えないコストは、純粋に非生産的であり、はたして、企業の税務担当者が、国富なり生産性なりに貢献し、物質的あるいは精神的に、社会の福祉に貢献していると考える者がいるだろうかと思えるのですが、先進国では、政府は、われわれの最も稀少な資源、すなわち有能かつ勤勉な訓練された人材のますます多くを、それら不毛な仕事に振り向けることを命じていて、政府にかかわる見えざるコストという癌を切除することはもとより、その進行を食いとめることさえ望み薄かもしれないのですが、少なくとも起業家的なベンチャーだけは、この癌から守る必要があり、われわれは、政府の新しい政策や措置のすべてについて、「イノベーションの能力を高めるか」「社会や経済の柔軟性を促進するか」「イノベーションと起業家精神を阻害し、罰することにならないか」を問わなければならず、もちろん、イノベーションを行う能力に対する影響だけが、政策や措置を判断するうえでの唯一の基準ではなく、決定的な基準でもないのであり、そうであってはならないのですが、それは、政策や措置を決定する前に考慮しなければならないことであり、今日それは、いかなる国でも、またいかなる政策決定者によっても考慮されていないのです。
画像は、本社での蕎麦打ちの画像で、開発の川上さんが、手打ち式製麺機「坂東太郎」で本格的な蕎麦を打っているのです。
「坂東太郎」では、包丁切りの十割蕎麦もラクラクに打てて、私もこの蕎麦が大好きです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。