本日のテーマは「団塊起業」です。
昨日の夜は、本社のある地元の宇多津町、町長の町政報告会と懇親会があり、会社を代表して家内と参加してきました。
町内だけでなく、近隣からも実に多くの参加者があり、大きな会場であったのですが、1つの会場だけで収まらず、2会場が一杯になっていました。
私の地元は隣町の坂出市で、5年前に宇多津町へ本社が引っ越ししてからのお付き合いで、まだ、多くの人たちとそれほど馴染みはないのですが、一部会社関係でお付き合いのある方がたで、旧知の方も何人かいらっしゃいました。
たまたま私に割り当てられたテーブルの隣の席に座っていた方は、オーラと雰囲気のある方で、どこか違うと思っていたのですが、後からお伺いして分かったのは、香川県在住で、世界的に有名な芸術家の濱野年宏先生で、英国ノーサンブリア大学名誉博士、ポーランド・クラクフ芸術大学名誉博士、スロヴェニア・リュブリャーナ大学教授会名誉理事、香川県文化功労者、ポーランド共和国文化功労賞・文化勲章、スロヴェニア科学芸術院 国外会員だったのです。
隣に座るだけで、他の人と異なる雰囲気で、その人の過去と業績が分かるのが不思議なのです。
1時間余りもずっと隣にいたので、芸術の仕事に関するさまざまな話をお伺いしました。
その芸術家の先生の顔つき、雰囲気が普通の方と大きく違った原因のひとつとして考えられるのは、集中力の為せる技ではないかと思います。
昨日お伺いしたので、ある有名なお寺からの依頼で聖徳太子の生誕から始まる一生を描いたのですが、この大作を仕上げるのに、15年間の月日を要したのでした。
この間、他の仕事と並行して行ったかどうかをお伺いしたのですが、他の仕事を一切行わず、この仕事1本に絞って描き続けたそうです。
そして、看板屋とか、われわれは描き間違えると、消して上から描き直すのですが、このような神聖な作品は絶対に描き直しが出来ず、15年という驚くような長期間にわたる真剣勝負で、武士が果し合いをするような真剣さで日々、描き続けているのです。
こんなに長期にわたって、集中力を持ち続けることは、並の人には非常に難しいことで、よほどの鍛練された人でないと出来ないことです。
年齢をお伺いすると、私より11歳年長の78歳でしたが、見た目も非常にお若く、現在も夜中の2時半までアトリエで、ずっと仕事をしているそうです。
今年の秋はロンドンで展示会を開催し、40点ほどの作品を展示するのだそうですが、過去の有名な作品は一切展示せず、出展する作品はすべてここ2~3年の新作ばかりで、現在も新作作りに励んでいるそうです。
日本の現在では、この程度の年齢の方の多くは、仕事から離れて、孫の世話をしたり、リタイアーしてのんびりしている人たちが多いのですが、一方で現役で頑張り続けている人がいるのです。
だから、私はこれから高齢化に向かう人たちにお勧めしたいのは、60歳或いは、65歳を超えてからの創業で、昔は60歳はお爺さん、お婆さんでしたが、今の時代は、60歳を超えても非常にお元気で、まだ10年は楽に働くことが出来るのです。
だから、60歳を超えた団塊の世代に訴えたいのは、人数の多い団塊の世代こそ、新規に麺ビジネスに取り組めば、老化を遅らせ、介護の世話になるチャンスが少なくなり、日本の未来に多くに役立つのです。
従って、少子高齢化が進み、若い人口が少なくなる今の日本で一番必要なことは、「団塊起業」であり、60歳以上の元気な人たちに頑張って貰うことです。
その人たちが頑張れば、これからの日本は大きく変わっていく可能性があり、われわれは、もっと「団塊起業」を勧めなければいけないのです。
団塊の人たちがもし、1人で起業するのに、体力的、精神的に心配があれば、何人か集まり、起業することも出来るのです。
若い人と同じように頑張らなくても、当番制のような形で、今日は誰の番というのを決めていて、体力に合わせて、シフトを組んで行けば良いのです。
本来であれば、リタイアーしてのんびりしているはずの人が戦力になって働くと、これからの日本の人手不足が大きく解消されるのです。
従って、「団塊起業」もこれからの日本の人手不足対策の重要なテーマなのです。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
3 必要とされる2つの社会的イノベーション
起業家社会を実現するためには2つの領域において社会的イノベーションを実現することが必要である。
◆雇用問題の解決
第1は、余剰労働者の問題を解決することであり、絶対数はさして多くないのですが、煙突産業の労働者は、ごく限られた地域に集中し、アメリカ自動車産業におけるブルーカラー労働者の4分の3は、20の郡に住んでいるので、目立つ存在であり、組織率も高く、さらに重要なこととして、彼らは、新しい仕事を見つけ、専門を変え、土地を変わる能力に欠け、教育も技能も社会的な能力も十分ではなく、何よりも自信がなく、彼らの多くは求職活動をしたこともなく、働きに出る年齢に達すると、すでに自動車工場で働いていた親戚が現場管理者に紹介してくれ、あるいは教区の牧師が、製鉄所で慟いている信者の1人に紹介状を書いてくれたのです。(ドラッカーが本書を書いたのは1980年代後半であり、既に25年が経過しているのですが、余剰労働者の問題は、グローバルでみると、ぜんぜん解決されていないのです。)
イギリスの煙突産業労働者、ウェールズの炭鉱労働者、ドイツのルール、フランスのロレーヌ、ベルギーのボリナージュのブルーカラー労働者も同じことが言えて、彼らは、先進国社会における今世紀の教育と知識の向上から取り残された階層であり、彼らはその能力、経験、技能、教育において、1900年当時の未熟練工とさして変わらず、この間に起こったことといえば、彼らの所得と政治力の爆発的な増大だけであり、彼らは、福利厚生を含めると、実に今日の産業社会における最大の受益者であるのです。
したがって、個人および階層として自助能力には欠けているものの、何ごとについても反対し、拒否し、阻止する力をもち、もし社会が新しい職場を与えることができなければ、彼らは、社会にとって完全にマイナスの勢力となるのですが、この問題は、起業家経済の実現によって解決でき、新しい事業が、新しい職場を創出し、伝統的な煙突産業における大量失業が、これまでのところアメリカで政治問題化せず、保護主義的反応の引き金ともなっていない理由はここにあり、もちろん起業家経済が新しい職場を創出したとしても、煙突産業の余剰労働者を訓練し、転職させるためには、組織的な努力が必要であり、彼らだけでできることではなく、そのような組織的な努力がなければ、煙突産業の余剰労働者は、自らの救済さえ含めて、新しいことにはすべて反対することになるのです。
たとえば電炉は、一貫製鉄所の余剰労働者に職場を提供し、オートメ化した自動車工場は、レイオフされた自動車労働者に職場を提供するのですが、彼らは、現在の職場が長続きするはずのないことを知りながら、電炉の増設や工場のオートメ化に反対するので、したがって、煙突産業の余剰労働者に雇用機会を与えなければならず、さもなければ、すでにイギリスで見られるように、そしてアメリカの郵便事業で見られるように、彼らは、その喪失感、恐怖、失望のゆえに、あらゆるイノベーションに抵抗するのです。
そのための組織的な努力は、これまで2度行われ、1度は、1906年の日露戦争後の不況下において、三井財閥によって行われ、もう1度は、第2次大戦後のスウェーデンにおいて、農民と木こりの国を高度な工業国に変えるために行われ、面倒を見るべき余剰労働者の数はさほど多くなく、余剰労働者の3分の1は、早期退職制度の対象となりうる55歳以上の人たちであり、あまり心配しなくともよく、また3分の1は、自ら職を探すことのできる30歳以下の人たちであって、同じくあまり心配しなくともよいのですが、残る3分の1の人たちについては必ず、訓練し転職させなければならないのです。
ドラッカーが本書を書いたのは1980年代後半であり、既に25年が経過し、上記に書かれているような煙突産業から、他の産業への人口移動、すなわち、肉体労働から知識労働への移行はすでに終了し、日本で現在起きている現象は、生産年齢人口の急激な減少による、働き盛りの人口の不足であり、そのために、多くのサービス産業、例えば、外食産業とか、介護事業をはじめ、多くの業種で、人手の不足が起き、併せて、働いていなかったり、希望する職種に就いていない、働き盛りの人口も多く、就業のミスマッチは起きているのです。
また、同じ外食産業であっても、うどん蕎麦店、ラーメン店で幾ら募集しても集まらないのに、カフェで募集すると、優秀な人たちがたくさん押し寄せるので、時代に合ったビジネスを行なうこともたいへん重要であるのです。
◆廃棄の仕組み
第2は、はるかに過激で、まったく前例のない至難の業であり、時代遅れとなった社会政策と、陳腐化した社会的機関を組織的に廃棄する仕組みをつくることであり、これは、以前起こった起業家の時代には存在しなかった問題であり、100年前には、そもそもそのような政策や機関がまだほとんど存在していなかったのですが、今日、それらのものはあり余るほど存在していて、永久に存在すべきものは、たとえあったとしても、ごくわずかであり、短い期間を超えて機能し続けるものさえ、本来はほとんどないはずであるのです。
この20年間における最も基本的な世界観と認識の変化、真に歴史的な転換ともいうべき変化は、政府の政策や機関もまた、神ではなく人がつくったものであり、いずれも急速に陳腐化していくものであることが認識されるようになったのですが、しかし、今日でも、政治の世界だけは、依然として、政府が行うものは人間社会の本質に根ざすものであり、したがって永遠であるとの昔からの前提を堅持し、その結果、政府が行っている古くなったもの、陳腐化したもの、もはや生産的でなくなったものを切り捨てるためのメカニズムが存在していないのです。
あるいは、新しいメカニズムは、まだ十分に機能するようになっていないというべきかもしれず、アメリカでは最近、法律や政府機関を一定期間後に廃止するというサンセット方式が導入されはじめたのですが、このサンセット方式も、まだ十分機能するにはいたっていないのは、1つには、法律や政府機関が役に立たなくなったことを判定すべき、客観的な基準が存在していないためであり、1つには、廃棄の具体的かつ組織的な方法が確立されていないためであり、あるいは、法律や政府機関が実現するはずだったことを実現するための新しい方法の導入の仕方が、確立されていないためであり、今や、このサンセット方式を効果あるものとするための原理と方法を開発することこそ、最も重要な社会的イノベーションであり、しかも、直ちに行うべきイノベーションであり、社会はそれを待っているのです。
廃棄に関する課題は、政府機関が抱えているだけでなく、一般企業も同様であり、当社もまったく同じ課題を抱えていて、廃棄は、企業経営の中で難しい課題のひとつであり、難しくしているのは、そこに配置された人材の存在であり、往々にして痛みを伴い、新しく何かを始めるときも痛みを伴うことが多いので、反対する人たちは多く、新しく何かを始めるときは、同時に廃棄が必要であり、これは二重の痛みを伴うようになるので、マネッジメントの力がないと出来ないのです。
画像は、本日の食堂での画像で、最近、育児休暇で休んでいた食堂の大場さんが赤ちゃん同伴で出勤しているのです。
目鼻がくっきりした、可愛い女の子です。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。