本日のテーマは「国ごとの利益率の大きな差」です。
昨日で、2日目のOne day ramen schoolが終わり、今日は最終日のOne day udon schoolで、昨日もたくさんの質問がありました。
質問を受けていると、日本で住んでいるわれわれが知らない海外事情が、非常に良く分かります。
国内でも現在、お客さまのニーズは、非常に細分化されてきていますが、海外ではわれわれの想像を超えて細分化していて、その国ごと、或いは地域ごと、或いはそのお客さまごとにニーズが異なり、それぞれのニーズを理解することが欠かせず、お客さまごとの異なるニーズへの対応が欠かせないのです。
今回は、インドネシアのジャカルタで製麺業を20年間営業している参加者がいて、私の空いた時間が少しでもあると質問攻めになり、その参加者のためのプライベート・レッスン状態になったのです。
その生徒さんは、日本の地方にある中堅製麺所からノウハウを貰い、製麺所を開業し、以来ずっと日本と親しくしているのです。
ラーメンとうどんを従業員10名程度で、製造している麺工場を持ち、売上に対する利益率が30%の非常に楽なビジネスをやっているのです。
日本の製麺所のほとんどは、右肩下がりのビジネスですが、インドネシアではまだ右肩上がりの状態で、日本の高度成長期である、今から30~40年前のような状態で、利益率の良いのは製麺業だけではなく、麺を卸しているレストランビジネスも、売上に対する利益率は30%以上のビジネスだそうです。
日本の製麺所であれば、5%の利益を出すのもたいへんなのですが、インドネシアでは、いろんなビジネスが桁違いの利益を出しているのです。
日本の場合、スーパーの発展期以降、製造業よりも小売業の方が大きな力を持ち、製麺所はバブル崩壊の後、規模の小さいところが淘汰され、規模の大きいところか、或いは規模は小さくても、ユニークな商品を持ち、強いポジションで営業しているところしか生き残れていないのです。
特に現在は、大手の製麺所のほとんどは、コンビニエンスのベンダーになったり、流通の傘下になっている会社が多いのです。
しかし、海外ではまだ小売業が日本のように整備されておらず、製造業が楽にビジネスが出来ているのです。
日本の製麺業のほとんどの業者は、海外志向ではなく、一部の業者は北米とか、シンガポールで活躍しているのですが、国内では厳しい業種でも海外に出れば、大きなチャンスのある業種は多く、多くの人たちが狙っていない場所こそ穴場であるのです。
しかし、この様に参加者と対話していると、日本のビジネスと海外ビジネスの利益率の大きな差を感じざるを得ず、この利益率の違いは一体どこから出てくるのかを、今後明確にするのが、私の課題です。
私は以前、自分でビジネスを始めたころは、関西地区は商売が厳しく、値引き競争が激しく、誰も儲からないような構造になっているのに反して、関東地区は関西地区ほど、値引き競争が厳しくなく、みんなが平等に儲かり易い構造になっていると思っていた時期があります。
現在の関西は、以前とはだいぶ変わり、このようなことはないのですが、現在は、日本全体が儲かり難い体質に変わったような気がします。
だから、これからの日本でのビジネスで成功を収めるためには、人口減で競争が激化していくなかで、高い利益を上げることが出来るビジネスを作り上げることと、もう1つの方向は、ビジネスが拡大している海外への進出なのです。
海外進出の場合は、あまり高齢になると難しくなるので、ある程度の若い年齢で進出することは大切です。
また、世界の先進国の中でも、日本が世界の中で一番くらい、高齢化が急速に進んでいるので、日本での成功事例を作り上げることが出来れば、日本の後を追っている他の先進国へのビジネス・モデルの輸出が出来るのです。
或いは、中進国、後進国へ順次、時間軸を置いて、展開が可能なのです。
国内は急速に変化しているので、消費者のニーズも大きく変貌を遂げ続け、そのニーズの変化に上手に対応し続けているのが、現在の勝ち組企業である、コンビニエンスであれば、セブンイレブンであり、外食であれば、スターバックス等であり、これらの企業を見ていけば、これからやらなければいけない方向性が見えてくるのです。
少し街に出てみると、勝ち組企業の様子はよく分かり、勝ち組企業の店内の様子、即ち、商品の様子をみれば、未来が透けて見えてくるので、街に出て、新しい空気を呼吸することも欠かせないのです。
人類の長い歴史の中で、現在の日本のような状態は、ほとんどの国が経験しておらず、現在の日本が経験していることは、今後の世界の国々で、非常に役立つことなのです。
昨年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
そのために、知識によるイノベーションを起こす場合の必須条件は、次の3つの要件を満たすことであったのです。
1.分析の必要性
第1に、知識によるイノベーションに成功するには、知識そのものに加えて、社会、経済、認識の変化などすべての要因分析をする必要があり、起業家たる者は、その分析によって、いかなる要因が欠落しているかを明らかにしなければならないのです。
2.戦略の必要性
第2に、知識によるイノベーションを成功させるためには、戦略を持つ必要があるのです。
3.マネジメントの必要性
第3に、知識によるイノベーション、とくに科学や技術の知識によるイノベーションに成功するには、マネジメントを学び、実践する必要があり、事実、知識によるイノベーションは、ほかのいかなるイノベーションよりも、マネジメントを必要とするのです。
◆ 時間との闘い
前項を復習すると、100年前には、知識をもつ人、とくに科学や技術によるイノベーションのために、直ちに働きはじめる用意のある訓練された人材を、ごくわずかの国しかもたなかったのですが、今日では、きわめて多くの国が、持っているのです。
知識によるイノベーションの場合、常に「解放期」が起こり、多くの企業が参入し、その後の「整理期」で、ほとんどの企業が淘汰されることを繰り返しているのです。
これらのことは、「2つの意味」をもつのです。
第1に、科学や技術によるイノベーションを行おうとする者にとっては、時間が敵であり、ほかのイノベーション、すなわち、予期せぬ成功や失敗、ギャップの存在、ニーズの存在、産業構造の変化、人口構造の変化、認識の変化にもとづくイノベーションにとって、時間が味方であるのとは大違いであるのです。
科学や知識以外のイノベーションでは、イノベーションを行う者は放っておかれ、たとえ間違っても、修正する時間があり、新しいベンチャーに着手するチャンスも、数回はあるのですが、知識、とくに科学や技術によるイノベーションでは、そうはいかないのです。
新規参入が可能な開放期は短かく、チャンスは2度となく、最初から失敗してはならないのであり、環境は厳しく仮借なく、開放期が過ぎれば、チャンスは永久に失われるのです。
しかし知識産業のなかには、最初の開放期が終わって20年、30年後に、再び開放期が始まるものがあり、コンピュータがその一例であり、コンピュータ産業の最初の開放期は、1949年から55年頃まで続き、当時、世界の電機メーカーのほとんどすべてが、コンピュータ産業に入っていったのです。
アメリカでは、ウエステイングハウス、RCA、イギリスではブリティシュ•ゼネラル•エレクトロニクス、プレッシー、フェランティ、ドイツではジーメンスとAEG、オランダではフィリップスだったのですが、しかし1970年には、それら大手電機メーカーは、すべて不名誉な撤退を余儀なくされたのです。
残ったのは、1949年には存在さえしていなかったような企業であり、あるいは、限界的な存在だった中小の企業であり、アメリカでは、IBMのほかでは、中小のコンピュータ•メーカー7社で、イギリスでは、ICL、GEのコンピュータ部門、プレッシーやフェランテイの残骸であり、フランスでは政府の手厚い保護のもとに、ようやくいくつかのメーカーが残り、日本でも、長期にわたる政府の保護のもとに、辛うじていくつかが残ったのです。
そして1970年代の末、ワープロ、ミニコンピュータ、パソコン、コンピュータと電話交換機の結合をもたらすことになった半導体の出現に伴い、2回目の開放期が始まったのですが、1回目のラウンドで失敗したメーカーは参入せず、1回目のラウンドに生き残った者の多くも、2回目には参入しなかったか、或いは、いやいや遅れて参入したのです。
ユニバック、コントロール•データ、ハネウェル、バローズ、富士通、日立のいずれも、ミニ・コンピュータやパソコンでトップをとろうとはしなかったのですが、例外は、1回目のラウンドのまぎれもない勝者、IBMであり、このようなパターンは、知識にもとづくほかの分野のイノベーションにも見られたのです。
第2に、知識によるイノベーションの開放期が混み合ってきたために、イノベーションを行う者の生き残りの確率が小さくなったのです。
開放期における新規参入者の数は、今後増える一方となるのですが、産業構造は、ひとたび安定し成熟してしまえば、少なくとも1世紀は安定的に続くのです。
もちろん産業構造は、産業によって大きく異なり、技術、資金、参入の容易さ、市場のローカル度によって変わり、それぞれの産業には、それぞれ特有の構造があり、産業によっては大企業、中企業、小企業、専門化した企業など、多様な企業がありうるのです。
ところが、コンピュータ産業や近代銀行業のような知識にもとづく産業の場合は、市場は1つになり、グローバル市場であり、したがって、知識によるイノベーションを行う者のうち、その産業が成熟し安定するまで生き残れる者は、もはやあまり多くはないのです。
しかも主としてグローバル市場と通信の発達により、開放期における新規参入者の数は、大幅に増加しつつあり、ひとたび整理期がくれば、死亡率は昔よりもはるかに高くなり、しかも、整理期は必ずくるので、それは避けられないのです。
自社がどの産業に属するかにより、グローバル市場で闘うのか、ローカル市場で、生き残れるかが決まってくるのですが、簡単に世界流通出来るようなコンピュータの世界は、グローバル市場になり、鉄道のようにその地域のお客さまだけを対象にする場合は、ローカル市場だけの競争になるのです。
画像は、プロジェクターとホワイトボードを使い、スープ作りを生徒さんたちに説明してところです。
生徒さんからは予期せぬ質問が多く、その都度、どのように説明すれば分かり易いか、考えながら説明を加えているのですが、生徒さんの質問により、次のテキストブックの内容が出来ていきます。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。