昨日夕方高松空港から飛び立ったアシアナ便は、小さい飛行機であったのですが、機内はそれなりに混んでいて、日本人もいましたが、日本人の観光客よりも韓国人の方が多かったようです。
恐らく、年末、年始を韓国で過ごそうとしている、旅慣れた韓国人が多かったように思います。
全席エコノミーの小型機、B737ですが、私はANAのダイアモンド・メンバーなので、前方のビジネス・クラスの席に座ることが出来ました。
私は機内でも常にPCを使って、入力しながら思考をするのですが、PCを使ってブラインド・タッチで入力すると、10本の手の指を全部使うので、頭の運動にも非常に良いのです。
そして、PCに入力することにより、書いた上から幾らでも書き加えることが出来、新しい考えを更に追加したり、簡単に出来るのです。
そして、検索機能が付いているので、今まで蓄積したデータとか、作り上げた資料を簡単に呼び出すことが出来るのです。
従って、PCは私のとってかけがえのない思考ツールで、本日も私のミスで、過去のメールが全部消えてしまい、詳しい讃匠の岡さんにPCの復旧作業をやって貰い、何とか使えるようになりましたが、PCなしでは思考のツールが無くなるのです。
私は、PCの中で日記のようなメモを日々作成していて、そのメモは日付順に打ち込んでいるので、過去のメモを探すのが非常に簡単で、いつ何を思考したか、何が起きたかが一目瞭然で分かるようになっています。
私の仕事の成果が上がり出したのは、多分、PCを使うようになってからの方が、大きいと思います。
私が本格的にPCを使い始め、社内に本格的にPCの導入を始めたのが、1995年のウインドウズの頃からです。
従って、社内にPCを本格的に導入始めてからは既に20年近くを経過していますが、この20年間の変化は大きかったと思います。
多分、導入当時は、それほどの効果は無かったと思いますが、徐々に効果が現れ、今では、当社のような規模の起業としては、かなり使いこなしている方であると思います。
そして、最近になればなるほど、ITの進化は激しく、更に広い範囲に及んでいます。
ITはさまざまな分野に使われていますが、私のように思考ツールとして、使っている人は多くないと思います。
当社へ来られる場合は、麺専門店開業については、真っ白な状態で来て戴いたら良いのですが、自分自身のポリシー、即ち、価値観は明確にしておいて欲しいのです。
価値観の大切さを教えることは出来るのですが、その生徒さん自身の一人づつの価値観を教えることは出来ないのです。
14年前にうどん学校を始めたころは、当然、当社もこのようなことを理解していたかと言えば、まったくそうではなかったのです。
時代の変化の大きさを改めて、さまざまな面で教えられ、世の中の心理の理解の大切さが思い知らされます。
本日も、ドラッカーの名言の解説で、今日のテーマは「知識労働者をマネジメントできるのは自分自身だけ」です。
30.知識労働者をマネジメントできるのは自分自身だけ
知識労働者を直接、あるいは細かく監督することはできない。
彼らには助力を与えることができるだけである。
知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。
自らの仕事を業績や貢献に結び付けるべく、すなわち成果を上げるべく、自らをマネジメントしなければならない。
(解説)昨日の話とダブりますが、上記のように、自らをマネッジメントするのは、経営者そのものであるのです。
当社も含め、ほとんどの日本企業で働いているサラリーマンのほとんどは、知識労働者です。
従って、知識労働者は自らをマネッジメントしなければいけないので、実質的な経営者にならなければいけないのです。
自らの卓越性を理解し、自ら意思決定が出来ることが必要になるのです。
今、アメリカを初め、先進国では収入の2極化が大きく進んでいる原因がこの部分にあるのです。
富裕層と貧困層の2極化は先進国における大きな課題ですが、ほとんどの貧困層は独自の卓越性を持ち合わせておらず、自分の卓越性を発揮出来ない仕事に就いていないので、際立った成果を得ることが出来ないのです。
卓越性を発揮し、自分の得意部門では常にリーダーシップを発揮出来、燦然と光り輝く存在であることが重要なのです。
そうでないと、幾ら知識労働者であっても、その他大勢の中に埋もれてしまい、光り輝く存在になることは出来ないのです。
従って、従業員であろうと、経営者であろうと、個人として生きていく上での戦略も大切なのです。
次に、私のドラッカー・マネッジメントの師である、国永先生のドラッカー名言録4「自分はここで何を貢献できるかを考えよ」より、引用します。
ドラッカーが4半世紀前に、新しくアメリカ企業の輪出部長に就いた若い人に「いま、自分はいったいどう考えて、この新しい仕事に就いたらよいのでしょうか……?」と問われたときに与えた答えが、今回の「自分はここで何を貢献できるかを考えよ」です。
このアドバイスは今日まで脈々と生きていて、ドラッカーの新刊である『明日を支配するもの』の最終章でも「自らの果たすベき貢献」として再現されているのです。
この「貢献」は、英語の原文ではcontribution(コントリビューション)でありますが、「貢献」のほかに「寄与、役に立つこと、一助となること」などという訳をつけることができるのです。
また、このコントリビューションは、「発言」とか「寄付」などという使われ方もする面白い言葉でもあります。
ドラッカーは、「知識の段階から次の行動の段階に移るときの起点となるのが」この貢献だというのです。
しかも「何に貢献したいかとただ漠然と思うのでもなく、また何に貢献せよといわれたからやるのではなく」自分で真剣に考え抜いて、それぞれの場で自分が何に貢献すべきかをギリギリしぼり出して、それを実行せよと説くのです。
現代のように知識社会になり、働く人々がすべて知識労働者になってくると、上司や組織からの指示を求めて自らの行動を決めることは少なくなってきています。
割り当てられたことでもなく、さりとて好き放題をやるのでもなく、自ら考え出し、組織に対して最も付加価値を高め、自分の強みを投入するように貢献せよというのです。
しかもドラッカーは、どこで、いかに貢献するかについて、もう2つほど具体的な注文をつけます。
それは、「貢献のためのプランは明確かつ具体的なものであり、しかもあまり先を見ず、長くてもせいぜい1年半か2年を、その対象期間とせよ」と限定するのです。
そして、貢献目標は、やさしすぎず、そうかといって、ギャンブルでもするようなイチかバチかではなく、少々背伸びをしたもので、達成可能なものをという条件をつけます。
即ち、それなりに難しくて野心的で大胆ですが、無謀で無理な内容のものはいかんというのです。
このようにみてくると、自らの貢献の内容を選び出すには、
(1)状況が求めているものは何か
(2)自分の強みや価値に根差したものは何か
(3)そこから生まれる成果の意味は何か
という3つのファクターを、十分考え合わせればよいというのです。
現在のように、無限ともいうべき選択肢が提供されているとき、運命に支配されずに自らの運命の主人に少しでもなるには、気ままであってはいけないのです。
「自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任を持つがゆえに、自由となる」という味わい深いドラッカーの発言を、われわれとしては十分噛みしめるべきではないでしょうか。
併せて、ドラッカー名言録13「学習を阻害するもの」より、引用します。
「学習は、学習するものが学ぶことによってのみなされる。学習は教師によってなされ得るものではない。教師はせいぜい学習の助けとなるだけで、むしろ学習の邪魔になることすらある」(『断絶の時代』より)。
知識時代の到来をいち早く説き、知識労働者へのシフトをいち早く見抜き、知識資本をいち早く重視することを唱道したドラッカーは、知識の根幹に関わる、学ぶことを昔から極めて重要なものと考えているのです。
しかも、マネジメントに関する最初の作品である『現代の経営』においても、成長も学習も本人の努力の結果であるから、自ら努力しない人々の進歩について、企業が責任を感じることほど馬鹿げたことはないとすら断定しています。
そして、人的資源は他の資源と違って、外からはどうすることもできない・・・・という見地から、人間の発展や能力開発はいつも成長であり、しかも、こうした成長は内側から行われるものであるのです。
したがって、人間の携わる仕事は各個人の成長を促進し、また支援するものでなければならないと主張している。
しかもそうした仕事についても、ドイツ語で書かれた唯一の論文集である『明日のための思想』の中で、「自分の仕事のほかに何も知らない人は、会社という立場からみても、決して成績のよい人間と言えぬ」と言っている。
すなわち、自分の仕事以外には、何の生活にも関心を持たないようなときには成長できないとしているのである。
以上のドラッカーの言葉の端々から、
①まず学習者当人の自覚と努力がなければ成り立たないこと、
②いわゆる勉強もいいが、仕事なり、所定の課題達成とリンクしたものでないと、個人的また職能 的成長や自己開発もしにくいこと、
③しかも、いつものドラッカーの主張である“表の風”に吹かれ、狭い己の中に閉じ込もっていないこと、
が成長と学習発展 の要諦だとしていることがわかる。
九十歳の今日に至るまで、いわば“一匹狼”として、博覧強記、博学多識、博引旁証を保っている背後には、絶えず学び続ける努力が存在していることを自ら語ったものともいえる。
そして、人間とは行動すると同時に認識し、また習慣的に事を処理すると同時に内省し、というような両面を持っているが、この両者が合わさってこそ真の知識 が形成されるという考えから、最近、はやっている、いわゆる現実から学ぶ「アクション・ラーニング」の基本を早くから説いていたともいえる。
さらにドラッカーは、学校教育についても、かねてから厳しい批判をしているが、落第に関して面白い見解を示している。
すなわち、「落第は、いわば教育における品質管理の問題である」として、「現在、このテストに合格する学校や教師はほとんどいないといってよい」と厳しい論評をしている。
そして、言葉を続けて、「落第しないで学校にとどまっている者の大部分は、自ら望んで学校へ通っているのではなくて、親が、社会が、そう仕向けているから学校に通っているにすぎない」と極言までしている。
昨晩、インチョン国際空港に到着すると、外気温はマイナス7度Cでした。
出迎えの金社長、金さんたちと一緒に、温かいソルロンタンで暖まりました。
久しぶりのキムチもたいへん美味しかったのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。
▼うどん製麺機 真打・若大将