昨日から、東京支店での経営講義が始まりましたが、今回は経営コンサルタントの方がたも参加していて、参加者の意識レベルの高い、テンションの高い、素晴らしい経営講義になりました。
私は毎回、ワクワクした気持ちで経営講座に臨み、生徒さんたちとの真剣で、楽しい質問の応酬を行なうので、2日間の経営講義は私にとって、かけがえのない充実した時間です。
従って、参加している生徒さんたちの意識レベル、当事者意識が高ければ高いほど、素晴らしい経営講義になり、今回の経営講義も、そのような経営講義の一つでした。
前にも書いたのですが、このような生徒さんたちの中から、麺レストランの大成功者を生むのが目的ですから、私の経営講義も自ずと力が入るのです。
尚、本日のイノベーションの予期せぬ失敗で触れている、第二次世界大戦後のアメリカの住宅産業と同じような、大きな社会変化に遭遇しているのが、現在の日本の外食産業であり、麺専門店業界であると思います。
日本の外食産業全体の市場規模の推移に大きく影響を及ぼしているのは、生産年齢人口の大幅な現象と、バブル崩壊後の日本経済の沈滞による、サラリーマンの小遣いの半減でした。
生産年齢人口の減少により、外食人口(若い人口)が大幅に減少しているのです。
外食産業のピークである1997年(18年前)以来、外食全体が大きく落ち込んでいるにも関わらず、うどん蕎麦市場の市場規模がほとんど変化していないのは、生産年齢人口減少を65歳以上の高齢者人口が、増加し、カバーしているためなのです。
従って、これからの日本市場における外食並びに、麺専門店市場の担い手として、われわれが常に念頭に置かねばならないのは、女性とシニアなのです。
これは、都市部よりも地方においてもっと顕著で、地方ほど、少子高齢化が加速してしるので、余計にこれらの人たちをメイン・ターゲットとしなければいけないのです。
ところが、今までのほとんどの新規開業者は、サラリーマンをターゲットにしたビジネス・モデルを組んでいるので、大きなミスマッチが起きているのです。
併せて、お客さまの価値観、ライフスタイルの変化が起きていることを理解しなければいけないのです。
それを上手く捕えているのが、セブン・イレブンの金のシリーズで、お客さま方の上質化志向と合っているのです。
そして、昨日触れたように、機能的ベネフィットの時代から、感情的ベネフィットの時代に移り変わりつつあるのです。
かって、ドラッカーが96歳の生涯を閉じるまで、学び続け、教え続けたように、われわれの人生には学びの終わりはなく、学びの終わりは人生の終わりを意味するのです。
従って、学ぶことを止めた人は人生を終えた人であり、生きていくことを諦めた人なのです。
学び続けることに、日々の貴重な時間を費やすことは、生きていく上で大切なことであることを心底から理解することもマネッジメントにおける大切なことなのです。
ドラッカーは生涯をかけて、学び続ける人生を送り、多くの素晴らしい理論、概念をわれわれに残してくれました。
現在、新しく書店でベスト・セラーになっているビジネス書のほとんどは、ドラッカー・マネッジメントが骨格になっているのです。
われわれは、ドラッカーのような巨人の肩の上に乗るから、更に遠くが見通せるのです。
このような素晴らしい巨人の教えを学び続け(Modeling)、更に、自分の考えを取り入れて改善、改良を加え(Modify)、自分自身のオリジナルで強力な概念(Innovation)を作り上げるのです。(守破離の概念)
果てしないチャレンジですが、夢のあるライフ・ワークです。
今日も1日、生徒さんたちとの、真剣で楽しい経営講義が待っています。
生徒さんたちの新しい人生の門出が作れるような、インパクトフルな経営講義を本日も行ないます。
来週、3月10日(火)より、福岡でイベントが始まり、私も当然、参加します。(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-fukuoka/)
尚、福岡のイベントでは、今回のLAの出張で垣間見た面白いレストラン事情を共有します。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきましょう。
「外へ出て調べる」
しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話から半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの、大きな産業の話であり、この話もまったく同じことを教えているのです。
第二次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達した頃、1973年から74年の不況が やってきて、同時に、インフレも悪化し始めていたので、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなったのです。
対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったのです。
さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったのです。
殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことは、すべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが、関の山だったのです。
そこで、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。
彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求めていたのです。
1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう一つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることだったのです。
最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためです。
従って「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならなかったのです。
1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い 期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったの です。
しかし1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来たのです。
そして、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へと変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化していたのです。
この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功したのです。
しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくはしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのです。
しかしそれは、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。
家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れていたのです。
更には、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示したのです。
この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言っていたのです。
この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになったのです。
1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのです。
「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。
マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応なのです。
予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならないのです。
以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。
私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、ちょうどその頃の話だったのです。
私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのです。
この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返しているのです。
マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではないのです。
肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することなのです。
そして、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。
今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることなのです。
自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることです。
自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことです。
ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることなのです。
儲けを先に優先しようとしないで、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことであったのです。
時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることなのです。
上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることなのです。
自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。
「取引先や競争相手の成功と失敗」
もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であるのです。
例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけでした。
当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、はるかカリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づいたのです。
調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです。
競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならないのです。
ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切です。
事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切なのです。
ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。
画像は、昨日の経営講義の最後に、生徒さんたちに昨日の経営講義の感想を聞いている場面です。
生徒さんたち、硬くなって、緊張していた人が多かったので、ほぐしているところです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。