ラーメン・うどん・そば・パスタ開業で成功店に!|「イノベーションと起業家精神(上)」「産業構造の変化が起こるときの変化の兆候」

大和製作所うどん学校・ラーメン学校の経営講義

昨日は、本社でのうどん学校とラーメン学校の経営講義の2日目で、たくさんの質問が出て、経営講義が終わったのは、ほぼ夜8時でした。

改めて、学校の質は生徒の質によって、大きく変わり、学校の質を上げるには熱心な生徒を集める必要性を改めて感じ、余計に熱心な生徒を集める仕組みを作ることの大切さが分かります。

誰でも生徒ではなく、熱心な生徒を集めないと授業の内容は高まっていかないのです。

今回の経営講義で初めての取り組みは、1台目のPCをスタッフに任せて授業を進め、私はもう一台のPCを使い、細切れの時間ではありますが、その間に少しづつ、仕事を進めることが出来るようになりました。

昨日も、目を通しておかなければならない資料に目を通すことが出来、以前にも増して、たいへん有意義な経営講義になりました。

2日間の経営講義を行なう場合は、或いは普段、PCを2台持つことの優位さがよく分かりました。

以前から、経営講義の中で少し、ロスの時間があることが分かっていたのですが、PCを2台使う事まで思い至っていなかったのです。

そして、今回から、経営講義中に新たに見つかった課題を、すぐにPCに打ち込み、残していくようにしたのです。

昨日の経営講義中に気づいたことは、自社並びに、自分自身の強みについてです。

改めて当社と私自身について、深く思考してみると、たくさんの強みを持っていることに気づきます。

過去、やってきたことの中で、予想外に上手くいったことはすべて強みであり、上手くいっていないことは強みではないことになるのです。

過去10年間で、上手くいったことはたくさんあり、そのうちの大きなものはラーメン学校であり、デジタル・クッキングであり、無化調で美味しいラーメンを作ることが出来る能力を見つけ出したことなのです。

麺學校の経営講義も、過去10年間で大きく変貌を遂げました。

盛り付けの原理原則、きれいさも随分進化しました。

各地にある国内8ヵ所、ソウルを入れて9ヶ所のドリーム・スタジオの概念も良かったし、お客さまとの接点もたくさん生まれました。

ドリーム・スタジオも最初に大阪に出した5年前と比較しても、大きく進化を続けていることがよく分かります。

オーガニック・レストランも、結果として素晴らしい実績を残しているのです。

外部から来たお客さまが最近、当社のスタッフを見て言われるのは、スタッフたちのあいさつのときの笑顔と優しさとそれが表情に現れていると言われます。

私は、当社の健康に良い食事が、このことに良い影響を及ぼしていると、信じています。

当社が社内でオーガニック・レストランを始めて、既に4年が経過しました。

われわれ自身は、それほど自覚していないのですが、4年間も身体に良い食事を摂っていると、必ず、心身に良い影響が現れているはずです。

もし、当社にご来社戴いたお客さまから、当社のスタッフたちの立居振舞をお褒め戴くことがあるとすれば、当社のオーガニック・レストランも少なくとも貢献しているものと思います。

この10年間で、大きく変貌した分野が海外部門で、海外のお客さまの数は増え続けているのです。

海外の状態は、20~30年前の国内の状態と変わらないのです。

急速な成長が起きて、構造変化が起きている業界にはイノベーションのチャンスがあるのですが、業界内の者にはよく分かるのですが、業界内でいると、今までの環境が邪魔をして、イノベーションが起こせないので、第三所の立場に立ち、業界の外から、見るような感覚が重要ではないかと思います。

自分自身が自社のコンサルタントとして、自社との感情的な関係を断ち切り、第三者的に、冷静に対処することが大切なのです。

来週、3月24日(火)には、東京支店では新規開業セミナーを開催し、熱血講師の藤澤常務が担当します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2022&ref=top

新規に開業を志している方がたへ、自分にとって麺専門店を開業することが、正しい人生であるかどうかの素晴らしい判断材料になり、方法を誤らないための指標になります。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。

「産業構造の変化が起こるときの変化の兆候」

イノベーションの機会としての産業構造の変化は、次のようなとき、ほぼ確実に起こるのです。

(1)最も信頼出来、最も識別しやすい前兆は、急速な成長です。

この前兆は前述のすべてのケースに共通して見ることが出来、ある産業が経済成長や人口増加を上回る速さで成長するとき、遅くとも規模が2倍になる前に、構造そのものが劇的に変化するのです。

それまでの仕事の仕方でも、ある程度成功を続けることは出来るので、そのため、誰もそれを変えようとしないのですが、仕事の仕方は確実に陳腐化し始めるのです。

シトロエンやAT&Tは、この事実を認めようとしなかったので、新規参入者、外部の者、それまで二流だった者が、まさに彼らの産業において、彼らを破ることが出来たのです。

生産年齢人口が急激に減少していく日本において、急速な成長を遂げている分野は非常に少なくなり、高齢者対象の介護ビジネス等においては、成長が続いているのです。

私が定点観測しているセブン・イレブンの個食惣菜とか食事の宅配ビジネス等を見ていると、一部では急成長している分野は必ず存在しているのです。

急成長している分野は、国内よりもむしろ海外が多く、当社のジャンルでも急成長しているのは、国内ではなく、海外なのです。

海外の急速な成長をみると、産業構造の変化に繋がっていることがよく分かりますが、国内ビジネスに比べて、はるかにリスクは大きく、安心領域から大きくはみ出す必要があるのです。

そのような急成長して分野を見つけるための、専門のセンサーのような部門が社内には必要なのです。

(2)産業の規模が2倍に成長する頃とときを同じくして、それまでの市場のとらえ方や市場への対応の仕方では、不適切になってくる のです。

それまで、業界トップの地位にあった企業の市場のとらえ方や分類の仕方が、現実を反映せず、歴史を反映しただけのものになってきて、報告や数字は、古くなった市場観に従ったままであるのです。

ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットや、「賢明な投資家」を顧客とする中西部の証券会社が成功した要因もここにあったのです。

彼らは、既存の証券会社には見えなかった市場、従って適切に対応することの出来なかった市場、すなわち既存の証券会社にとって、新しい存在だった年金基金や、ウオール・ストリート的な投資家とは異なる「賢明な投資家」を見つけたのです。

急激な成長のあとではすべてが変化するという典型が、病院だったのです。

第二次世界大戦後、病院では、医師以外の医療従事者として、X線技師、検査技師、療法士などが急速に増加し、いずれも、第二次世界大戦前にはほとんど存在さえしていなかったのです。

病院経営さえ経営管理者によって行なわれるようになり、こうして管理業務が、病院経営上、大きな問題になり、さらには、病院の従業員、とくに賃金の低い従業員が、労働組合によって組織化されるに伴い、費用のかかる厄介な問題となったのです。

書店チェーンの成功も、急速な成長による構造変化によってもたらされ、出版社や書店は、従来の顧客である「読書家」に加えて、新しいタイプの顧客として、「買物客」が現れたことに気がつかず、昔から書店は、この新しい顧客の顔が見えず、相手のしようとしなかったのです。

急激な成長に出会った企業は、それだけで満足し、安易に利益を得ようとし、AT&Tが長距離電話の増加に対してとった対応がそうだったのですが、そのような対応は、つまるところ、競争相手の登場をもたらすだけであるのです。

急激な成長がもたらすイノベーションの例は、美術の世界にもあり、かって上流階級のものだった美術館に、第二次世界大戦後は中流階級も行くようになり、各地に美術館が作られたのです。

さらには、かっては限られた金持ちの趣味だった美術品の収集を、第二次世界大戦後は、大勢に人たち、さほど豊かでない人たちが、行なうようになったのです。

美術館で働くある若者が、この変化をイノベーションの機会として捉え、彼はその機会を予想外の分野、それまで美術とはあまり縁のなかった分野で見つけたのが、損害保険だったのです。

彼は美術館や美術収集家を専門とする保険代理店を作り、それまで美術品の保険に乗り気でなった大手の保険会社が、彼の専門能力を信頼し、通常の保険料よりも70%安く保険を引き受け、この代理店は、今日大きな成功を収めているのです。

(3)幾つかの技術が合体したときも、産業構造の急激な変化が起こるのです。

その一つの例が、構内交換機(PBX)、すなわち大口の電話利用者が、社内に設置する交換機であり、基本的にはPBXに関わる技術のすべては、AT&Tの研究機関であるベル研究所によって開発されたのですが、その恩恵を受けたのは、ROLMのような新規参入者であるのです。

新しく生まれたPBXでは、2つの技術、すなわち電話の技術とコンピュータの技術が合体し、それはコンピュータを使う通信機器としても、通信用に使うコンピュータとしても見ることが出来、技術的には、AT&Tこそ、この新製品を扱うことが出来たはずだったのです。

もともと、AT&Tが先駆者だったのですが、AT&Tは、コンピュータ市場や顧客を自分たちには無縁の異質な存在と見ていたのです。

そのため、せっかくPBXの設計と導入を手がけながら、販売に力を入れなかった結果、戦闘機用小型コンピュータのメーカーとして、4人の若手技術者によって創設され、偶然、通信産業に迷い込んできたROLMのようなまったくの新規参入者が、PBX分野でAT&Tの競争相手となった

今日、AT&Tはその技術的な優位にもかかわらず、3分の1のシェアを持つに過ぎないのです。

(4)仕事の仕方が急速にかわるときにも、産業構造の変化が起こっているのです。

30年前アメリカでは、圧倒的に多くの医師が自ら医院を開業していたのですが、1980年には、その割合が60%に落ち、今日では、医師の40%(特に若手の医師の場合には、75%)が、共同経営の医院やヘルス・メンテナンス・オーガニゼーション(HMO)や病院で働いています。

早くも、1970年頃、この傾向に気づいた何人かの人たちが、そこにイノベーションの機会があるはずだと考え、共同で働く医師のための事務所の設計、マネッジメント、さらには経営管理者の訓練を行なう会社が設立されたのです。

今日の日本でも、勤務医と開業医の違いは、勤務医の場合、基本的に給与所得者(サラリーマン)であるため、多くの医療機関において定年が存在し、一般的に定年後も医業を継続したいと思う医師がほとんどであるため、特に大学教授等で定年後の再就職先が安定しているような場合を除いて、40~50歳代頃までに個人事業主たる「開業医」へと転向する傾向にあるのです。

近年、新卒医師の傾向において、皮膚科・眼科など主に外来診療を基本業務とし、開業しやすい診療科への希望が多くなり、外科・脳神経外科等の診療科への希望が少なくなってきている傾向にあるのです。

都心・大都市圏においては、開業医が乱立してきており、特に歯科においてはコンビニエンスストアの出店数より多いとされる中で、患者数の確保は厳しい競争となってきています。

以前は地方・過疎地においては比較的開業医の数は少ないとされていましたが、それでも新規開業の際には各地域の医師会(主な構成員は各地域の開業医)が懸念してくる場合も少なくないのです。

また、給与所得者である勤務医は仕事量に関わらず収入はほぼ固定であるが、個人事業主たる開業医は診療実績がそのまま収益となるため「利益追求型の診療」と取られ得るような診療が行われている場合もあり、危惧されているのです。

近年、医療技術の進歩に伴い、各種医療機器無しには標準的な診療が困難でもあるため、高額な設備投資が要求されてくるので、個人開業は難しくなっているのです。

昨日、一昨日と実に楽しい経営講義で、思い出深い経営講義になりました。

フレキシブルで、自由な発想になり、思い切り楽しめた2日間でした。

盛り付けの日を含めると、本当に楽しい3日間で、鹿児島から参加の山元さんも盛り立ててくれた一人でした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

他の受講生の声も見る

全国8ヶ所にある麺開業.comの相談場所で、メニュー開発や、スープ・だし講習、経営についてなどの無料のイベント・セミナーを多数行っています。

開催場所ごとのイベントを見る

【業界唯一】古い製麺機の処分コストが0円に

[sc_rand_image type="sp"]
[sc_rand_image type="pc"]