ラーメン・うどん・そば・パスタ開業で成功店に!|「イノベーションと起業家精神(上)」「新しい知識を活用する 第七の機会 知識によるイノベーションのリードタイム」

大和製作所:工場
本日4月1日、昨日までの前期が終わり、新しい期にリセットされ、元旦同様、新しい気持ちでスタートです。

今期最後の1日であった昨日は、外部の専門コンサルタントを招いて、1日中、私自身の学びの日でした。

普段、生徒さんとか、お客さまのご指導をしていても、自身の会社については、まだ思考が不足していて、見落としている部分が多く見られました。

本日からスタートする新しい期を迎えて、問題点をスッキリと整理することが出来たのです。

自社の経営に対する取り組みについては、経営トップは経営改善を請け負った外部コンサルタントのつもりで、第三者的に自社の経営を見ると、問題点がよく見えてくるのです。

自分が経営者であり、会社の当事者としての立場で自社の経営を見続けていると、難しい場所が分かっているために、難しいとか、無理だとかがすぐに出てしまうのです。

従って、少し離れて、第三者的な立場に立って、コンサルタントとして自社を指導するのは、新しい視点から自社を見ることが出来るので、何でも出来るような気持になり、イノベーションを起こしやすいのです。

会社のトップは、外部の飛び切り優秀なコンサルタントの視点で会社を見て、トップの次の立場の役員とか経営幹部は、自分がトップであればという立場で、常に会社を見て、思考することが大切なのです。

先週は、前期の会社の数字を分析してみて、前期に取った行動の問題点を洗い出すことが出来ました。

前期はどちらかと言えば、予期せぬ失敗を招いてしまったような1年でしたが、その原因もよく分かりました。

前期の当社の大きな課題は、デジタル・マネッジメントが出来ていなかったことでした。

麺學校では、デジタル・クッキングを生徒さんたちに指導しているのですが、自社では、デジタル・マネッジメント、デジタル・マーケテイングをやっているつもりであったのですが、実際は出来ていなかったのです。

改めて、数字で日々、実行するだけではなく、実行したことをフォローしていく大切さを、痛いほど、理解しました。

日々のデジタル・マネッジメントにおいても、当社にとって押さえなければいけない、肝心な数字はそれほど多くはないのです。

デジタル・マネッジメントにおいて、大切な点は、業績を左右する大切な数字を理解し、日々の経営数字を完全に記録し、分析し続けることなのです。

この数字を週次、月次での経営会議への提出を義務付けていても、往々にして、担当者がすっぽかしてしまうことがあるので、トップは常に厳しくこの数字を要求し続けて、分析をし、正しい現状を理解して、正しい対策を立てることであるのです。

そして、外部環境は変わり続けているので、一旦決めた通り一遍の分析方法だけではなく、常に分析方法も進化を続けていかねばならないのです。

外部環境の変化、お客さまの価値観、意識の変化に敏感になり、イノベーションのチャンスを計り続けることが大切なのです。

この1年をとってみても、お客さま方の意識の変化は大きなものがあり、LAで見た、Umami Burgerは、その最たるものではなかったかと思います。

この意識の変化が,一時の流行か、大きなトレンドであるかは、間違わないことが重要なのですが、そのためにも、ドラッカーは最初、規模を小さく試してみることを勧めているのです。

本日は、朝の便で高松から羽田に移動し、羽田でお客さまと合流し、お客さまのお店の現地調査を行ないます。

現場での様子を観察し、現状の状態を理解してから、今日から始まる新しい期への事業提案を行なうのです。

既に、前期までの数字はすべて戴いており、今日までに数字はすべて分析しているので、数字上の問題点は把握しているのですが、数字上だけではなく、現実のお店の観察も必要なのです。

このようにして、外部からのコンサルを受けたり、また、外部のお客さまにコンサルを行なったりすることにより、自社の事業、お客さまのビジネスのことが、よりよく分かるようになるのです。

日々、忙しく、うどん蕎麦店、ラーメン店を経営している方がたは、なかなか自店の経営数字を把握したり、分析したりする時間を取ることが出来ないので、自店の数字を理解することが難しいのでが、これを当社が請け負うことが出来ればと、考えています。

来月、4月7日(火)~9日は、東京支店でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2024&ref=top

私3つのセミナー・タイトルは、【オリンピック景気 必勝法!】、【スタッフのモチベーションアップセミナー~オーナー様、店長、スタッフ必聴~】、【富裕層客の獲得必勝法!】で、今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致します。

新規開業の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。

新しい知識を活用する 第七の機会 知識によるイノベーションのリードタイム

発明発見という新しい知識にもとづくイノベーションは、いわば起業家精神のスーパースターであり、たちまち有名になり、金にもなり、これが一般にイノベーションといわれているものなのです。

もちろん、新しい知識によるイノベーションのすべてが重要なわけではなく、取るに足りないものも多いのです。

歴史を変えるようなイノベーションのなかでは、知識によるイノベーションはかなり上位に位置づけられ、イノベーションのもとになる知識は、必ずしも科学上、技術上のものである必要はなく、社会的なイノベーションも、同じくらい、或いは、それ以上に大きな影響をもたらすのです。

知識によるイノベーションは、その基本的な性格、すなわち、実を結ぶまでのリードタイムの長さ、失敗の確率、不確実性、付随する問題など、ほかのイノベーションと大きく異なり、さすがスーパースターらしく、気まぐれであって、マネジメントが難しいのです。

「リードタイムの長さ」

知識によるイノベーションの第一の特徴は、リードタイムがきわめて長いことであり、新しい知識が出現してから、技術として応用できるようになるまでには、長いリードタイムを必要とし、市場において製品やサービスとするには、さらに長いリードタイムを必要とするのです。

1907年から10年にかけて、生化学者ポール・エーリッヒが、化学合成物によるバクテリアの制御、すなわち化学薬品による治療を確立し、彼は梅毒治療のために、史上初の抗菌性薬品、サルバルサンを開発したのですが、エーリッヒの化学療法の応用によって開発された細菌性疾患の治療薬サルファ剤が、広く市場に出回るようになったのは、26年後の1936年であるのです。

1897年には、ルドルフ・ディーゼルが、自らの名を冠したエンジンを設計し、直ちに誰もが、大きなイノベーションであることを認めたのですが、その後長い間、実用化は進まず、1935年になって、ようやく一人のアメリカ人、チャールズ・ケタリングが、ディーゼルのエンジンを根本から再設計し、船舶、機関車、トラック、バス、乗用車などのための動力源として使えるようにしたのです。

コンピュータも、多くの知識が集まってようやく実用化され、まず最初の知識が、あらゆる数字を1と0で表す17世紀の数学理論、2進法であり、19世紀の前半にいたり、チャールズ・バベッジがこの理論を計算機に応用し、1890年には、ヘルマン・ホレリスが、19世紀初めのフランス人、J・M・ジャカールの発明をもとに、数字による指示が可能なパンチカードを発明したのです。

1906年、アメリカ人のリー・デ・フォレストが3極管を発明し、エレクトロニクスを生み出し、1910年から13年にかけて、バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが、共著『数学原理』において、あらゆる論理的概念を、数字で表すことを可能とする記号論理学を確立したのです。

そして最後に、第一次大戦中、対空砲火技術のためにプログラムとフィードバックの概念が発展し、こうして1918年、コンピュータの開発に必要な知識がすべて手に入ったのですが、最初のコンピュータが実用化されたのは、1946年になってからだった。

1951年、フォードの生産担当役員がオートメーションなる言葉をつくり、オートメ化に必要な要件を詳細に明らかにし、その後25年間にわたり、ロボット化やオートメ化か論じられたが、何も起こらなかったのです。

日本の日産やトヨタが、工場にはじめてロボットを導入したのが1978年、GEがペンシルベニア州エリーに、機関車製造用のオートメ工場をつくったのが1980年代の初めであり、同様に、GMがエンジンと部品の工場のいくつかをオートメ化したのもその頃で、フォルクスワーゲンが完全なオートメ工場「ホール54」の操業を開始したのが1985年の初めだったのです。

数学者であり哲学者でもあったバックミンスター・フラーは、位相数学を応用して、「ダイマクシオン・ハウス」なるものを設計したのですが、それは、家の表面積を最小にしつつ、居住空間を最大にしたもので、最大の独立空間、最適の冷暖房効果、最高の音響効果をもっていて、建材は軽く、基盤は不要、梁は最小限、耐震、耐風だったのです。

1940年頃、フラーは、このダイマクシオン・ハウスをニューイングランドの小さな大学の校庭に建てたのですが、そのまま何も起こらず、その後、ダイマクシオン・ハウスを建てた者はほとんどいなく、どうやらアメリカ人には、円形の家は住みにくく、従来型の建物ではあまりに建築コストか高くつき、かつ実際上も建てにくく、南極と北極において、この家が最初に使われたのが、1965年であり、講堂、コンサート会場、体育館の建築に使われるようになったのは、さらにその後のことだったのです。

発明、発見という知識に基づくイノベーションは、われわれの身近にはありませんが、長いリード・タイムが必要であることはよく分かりました。

従って、知識に基づくイノベーションよりも、意識の変化に基づくイノベーションの方がはるかに、われわれには取り組み易いのです。

イノベーションの7つの機会を復習すると、次の通りです。

第一が予期せぬことの生起であり、予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事であるのです。

第二がギャップの存在であり、現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップであるのです。

第三がニーズの存在です

第四が産業構造の変化

残り3つの機会は、企業や産業の外部における事象であり、即ち、

第五が人口構造の変化

第六が認識の変化、すなわち、ものの見方、感じ方、考え方の変化

第七が新しい知識の出現

最初の4つは、企業や社会的機関の組織の内部、或いは産業や社会的部門の内部の事象であり、内部にいる人たちにはよく見えるものであり、表面的な事象に過ぎないのですが、すでに起こった変化や、たやすく起こさせることの出来る変化の存在を示す事象であるのです。

但し、これら7つの機会の順番には意味があり、信頼性と確実性の大きい順に並べてあり、一般に信じられていることとは逆に、発明発見、とくに科学上の新しい知識というものは、イノベーションの機会として、信頼性が高いわけでも成功の確率が大きいわけでもないのです。

新しい知識に基づくイノベーションは目立ち、派手であって、重要ではあるが、最も信頼性が低く、最も成果が予測しがたいのです。

これに対し、日常業務における予期せぬ成功や、予期せぬ失敗のような、不測のものについての平凡で目立たない分析がもたらすイノベーションの方が、失敗のリスクや不確実性ははるかに小さく、そのほとんどは、成否は別として、事業の開始から生まれるまでのリードタイムが極めて短いのです。

◆リードタイムが短縮されるとき

実用化までのリードタイムが短縮されるのは、外部から危機がやってきたときだけであり、1906年にデーフォレストが発明した3極管は、直ちにラジオを生み出すはずだったのですが、もし第一次大戦が起こらず、各国政府とくにアメリカ政府が無線による音声通信の開発を推進しなかったならば、1930年代になってもラジオは生まれていなかったに違いないのですが、戦場では、有線電話は役に立たず、無線のモールス信号に頼るしかなく、ラジオが市場に現れたのは、必要な知識が出現した1920年代の初めだったのです。

ペニシリンもまた、第二次大戦が起こらなかったならば、1950年代まで開発されなかったにちがいなかったのです。

1920年代の末、アレキサンダー・フレミングが、抗生物質のカビ、ペニシリンを発見し、その10年後、イギリスの生化学者ハワード・フローリがペニシリンの研究に着手し、ペニシリンの開発を早めたのは第二次大戦で、感染症の特効薬を必要としたイギリス政府が、フローリの研究を推進し、彼のもとに、戦場から臨床試験のための傷病兵が送り込まれたのです。

コンピュータもまた、アメリカ政府が、第二次大戦の勃発によって人員と資金を注ぎ込まなかったならば、1947年のベル研究所によるとトランジスタの発明まで開発を待たなければならなかったにちがいないのです。

画像は、昨晩の当社の工場の様子で、工場内では毎日遅くまで、スタッフたちが頑張っています。

スタッフたちのためにも、お客さま方のためにも、素晴らしい成果を上げるのは、経営者としての責任であり、義務なのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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