昨日は、朝の便で高松空港を出発し、羽田に到着した後、終日、お客さまと同行し、再び、最終便で帰宅しました。
春休み期間中で、花見時期の行楽シーズンとあって、高速道路のエリアは、行楽客が一杯で、どの飲食店も、書き入れ時でした。
飲食店を見て回ると、どの飲食店も大きな差別化が出来ておらず、ほとんどが同質化競争で、似たような商品、似たようなサービスで競い合っていました。
もし、どこかの店舗が、圧倒的な差別化が出来ていれば、大きな優劣の差がついていることであろうと思います。
大切な時間、大切なお金、大切な多くの人たちの人生を賭けて、たいへん勿体ないことをしていると、思いました。
かなり、たくさんの店舗を見て回りましたが、圧倒的な差別化で、一人勝ちが出来ている店舗は皆無でした。
同質化競争は、意味のない競争で、誰も得るものがない競争であり、私も創業当初より、圧倒的な差別化を心がけてきました。
だから、当社の真打とか、リッチメンは開発当初から、他社にないスタイル、デザインを心がけてきましたが、いつしか、他社が似通った商品を作ったので、似た商品が増えて来てしまったのです。
会社の仕組みも、際立った個性を出せるように、さまざまな工夫を行なっていて、他社にない当社独自のオリジナルな仕組みを作り上げているのです。
私は、昔から他人と同じようなことを実行し、同じような物を持つことは好きでないので、敢えて違ったことを行なっています。
ところが、麺學校に来た生徒さんたちも、同様で、際立った個性のある店舗で、或いは、個性の強い商品で、開店する人たちはほとんどなく、どこにでもあるような店ばかり、商品ばかりを作りたがるのです。
日本のサラリーマンの場合、よく例えられるのが、ドブネズミ色のスーツで、他人と同じような服装でないと安心出来ないというのです。
たった1回しかない人生なので、他人と同じような人生ではなく、自分らしい生き方でないと勿体ないと思います。
レストラン・ビジネスの天才と言われたフィル・ロマーノ著の「外食の天才が教える発想の魔術」より、外食において大切なことを、レストラン経営におけるフィル・ロマーノの信条として、以下のように記しているのです。
同じもの、同じやリ方、同じ味を、人は望まない。
普通とは違うもの、新しいもの、見たことのないものを経験して、胸をときめかせたいと思っている。
人と違うことを誰よりもうまくやる。
私はそれを、自分のビジネスの「差異化ポイント」と呼んでいる。
私かこれまでやってきたことはすべてこの考え方に基づいている。
私にとっては、ありきたりなもので成功するより、一風変わった斬新で刺激的なもので失敗するほうがましなのだ。
自分の差異化ポイントを理解し、それをブランドの土台に据えることが重要である。」
今年の初めに、ロンドンで一番人気のあった和食の店舗も、日本の和食の視点から見れば、上記の「差異化ポイント」が大きく表現されていたのです。
LAで見たハンバーガー店「Umami Burger」も同様に、今までのハンバーガー店から見れば、大きな「差異化ポイント」があったのです。
今の時代に成功しているビジネスのほとんどは、「差異化ポイント」が大きいのです。
アップルの「iphone」、「ダイソン」の掃除機、扇風機、ロボット掃除機「ルンバ」、成功しているビジネスは大きな「差異化ポイント」で勝負しているのです。
大きな「差異化ポイント」がないと心配だというくらいにならなければ、これからのグローバル競争には、勝てないと思います。
とにかく、インターネットの時代なのですから。
来月、4月7日(火)~9日は、東京支店でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-tokyo/
私3つのセミナー・タイトルは、【オリンピック景気 必勝法!】、【スタッフのモチベーションアップセミナー~オーナー様、店長、スタッフ必聴~】、【富裕層客の獲得必勝法!】で、今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致します。
新規開業の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
◆社会的イノベーションのリードタイム
知識にもとづくイノベーションに長いリードタイムが必要とされるのは、科学や技術の領域にかぎらず、科学や技術以外の知識によるイノベーションについてもいえるのです。
ナポレオン戦争の直後、サン・シモンは経済発展のための資本の利用、すなわち起業家を支援するための銀行の設立という考えを発展させたのです。
それまで銀行は、(王侯の徴税権など)確実なものを担保に金を貸すだけの存在だったのですが、サン・シモンの銀行は、投資、すなわち富の創出能力を生み出すためのものだったのです。
1825年のサン・シモン没後には、彼とその思想を慕う人たちからなる結社さえ生まれたのですが、彼を信奉するヤコブ・ペレールとアイザック・ペレールの兄弟が、起業家の支援を目的とする最初の銀行としてクレディ・モビリエを設立し、今日のいわゆる金融資本主義への道を開いたのは、ようやく1852年にいたってのことであるのです。
同じように、今日われわれがマネジメントと呼ぶものの材料の多くが、第一次大戦の直後には揃っていたのです。
事実、1923年にはプラハにおいて、アメリカ大統領就任前のハーバート・フーヴァーと、チェコスロバキア建国の父であり大統領だったトーマス・マサリクが、第一回国際マネジメント大会を開催していて、その頃には、アメリカのデュポンやGMをはじめとするいくつかの大企業が、マネジメントの概念にもとづいて組織の構造を変えはじめていたのです。
これに続く10年間に、世界で最初のコンサルタント会社を創設したイギリスのリンドール・アーウィツクをはじめとする何人かの先駆者たちが、マネジメントについて書きはじめたのです。(アーウィツクの名を冠したコンサルタント会社は、今日も活躍している)
しかしマネジメントが、世界中の経営管理者にとって学ぶことのできる体系となるには、ドラッカーが1946年に書いた『会社という概念』と、1954年に書いた『現代の経営』を待たなければならなかったのです。
それまではマネジメントの研究や実践に携わる人たちは、アーウイツクが組織論、ほかの人たちが人事管理論というように、それぞれ、マネジメントの一つの局面に的を絞っていたにすぎず、マネジメントを集大成し、体系化したのはドラッカーの著作であり、その数年後、マネジメントは世界中で力を発揮しはじめのです。
今日われわれは、学習理論について、同じようなリードタイムのさなかにいて、学習についての科学的な研究は、1890年頃、ドイツのヴイルヘルム・ヴントとアメリカのウィリアム・ジェイムズによって始められ、第二次大戦後、ハーバード大学の2人のアメリカ人.B・F・スキナーとジェローム・ブルナーが学習理論の基礎を開発し、検証し、スキナーは行動論を、ブルナーは認識論を研究したのです。
しかし現実の学校に対し、学習理論がいささかなりとも影響を与えるようになったのは最近のことであり、おそらく、今日ようやく起業家精神をもつ誰かが、陳腐化した学習理論ではなく、この新しい学習理論にもとづいて、学校をつくり直すべきときがきたといってよいのです。
知識によるイノベーションが、知識が生まれてからイノベーションが完成し、広まるには、30年くらいの年月がかかるのであれば、知識が生まれて既に、30年近く経過した事柄が自分の専門分野で探し出すことが出来れば、成果が上がり易いことになるのです。
ドラッカーもマネッジメント理論について、それまでは断片的に存在していたものを、体系的にまとめた最初の人物であったのです。
従って、既に存在し始めているが、まだまとまっていなかったり、知識が生まれてから30年近くになろうとしているものを探し出して、研究を深めていくことにより、イノベーションを起こしたり、加速させることが出来ることになります。
このような知識を見つけ出すこと自体は、難しいし、また上手くそのような知識が存在するかどうかは分からないし、なかなか難しいテーマではありますが、遣り甲斐のある面白いテーマであると思います。
◆30年というリードタイム
このように、知識が技術となり、市場で受け入れられるようになるには、25年から35年を要し、リードタイムの長さは、人類の歴史上さして変わっていないのです。
今日、科学上の発見は、かつてないほど早く、技術、製品、プロセスに転換されるようになったとされているのですが、それは錯覚にすぎないのです。
1270年頃、イギリス人のフランシスコ会修道士ロジャー・ベーコンは、眼鏡によって視力が矯正でさることを明らかにしたのですが、それは当時の人たちの最新の知識とは相容れなかったのです。
ちょうど当時の権威ある医学者たちによって、視力の矯正は不可能なことが、最終的に証明されたところであり、しかもベーコンは、文化の僻地、北部ヨークシャーにいたのです。
しかるにその30年後、アビニョンの教皇庁では、高齢の枢機卿たちが読書用の眼鏡をもつ姿が、壁画に描かれ、さらに10年後には、カイロのスルタンの宮廷で、眼鏡をもつ高齢の廷臣が細密画に描かれたのです。
紀元1000年頃、最初のオートメーションたる水車が、北ヨーロッパのベネディク上派の修道士によって、穀物をひくためにつくられ、30年後、水車はヨーロッパ中に広まったのです。
西洋では、中国の印刷術を学んでから30年後に、グーテンベルクの活字と木版が現れ、知識がイノベーションとなるまでのリードタイムは、知識そのものの本質に由来するかのようでありますが、なぜかはわからないのです。
科学上の新理論が、ほぼ同じリードタイムを要することは、偶然ではないと思われ、トーマス・クーンは、その画期的な書『科学革命の構造』(1962)において、科学上の新理論がパラダイムとなり、ほかの科学者によって認められ、それぞれの研究に組み入れられるには、30年を要することを明らかにしているのです。
われわれが現在恩恵を受け始めている、電池自動車、太陽電池、近々に恩恵を受ける、燃料電池自動車、スマート・グリッド等、未来に繋がる技術の知識は既に出来上がったものですが、実際に世の中に広まり、イノベーションを起こすのは、まだ先になりそうです。
先に触れているように、われわれの身の回りにあって、当たり前になっている銀行、郵便、電力会社、学校、さまざまな会社のシステム、高速道路、病院、宅配、コンビニ等もすべて社会のイノベーションの結果であり、既に社会のインフラになっているのです。
今日のわれわれの生活は、このような社会のイノベーションなくしては、成り立たないのです。
そして、イノベーションの中でも、知識によるイノベーションは、30年間という比較的に長い時間を要するのです。
昨晩の羽田空港国際線ターミナルでは、桜が満開でした。
ターミナル・ビルが拡張され、ホテルにつながる日本橋が出来ていて、新しい店舗がたくさん入っていました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。