すでに新しい期が始まり、1週間が過ぎましたが、今期こそはと、油断なく、新鮮な気持ちで業務に取り組んでいます。
本日から東京支店でのイベントが始まり、私は明日からの参加ですが、目下、明日からの新しいセミナーのレジメを仕上げています。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-tokyo/
今回の私のセミナーの新しいレジメは、「オリンピック景気 必勝法!」と「富裕層客の獲得必勝法!」でいずれもスタッフが、時流に合わせたタイトルで、既存店の参加者が聞きたくなるようなタイトルです。
いずれのタイトルについても、テレビや新聞で報道されたり、雑誌で掲載されているような内容ではなく、私の独自の視点から見た、「オリンピック景気必勝法!」と「富裕層客の獲得必勝法!」について、セミナーのコンテンツを作成しています。
当然、深い考察を伴うので、結構時間がかかり、さまざまなデータを分析し、それをベースにして、新しい概念を組み立てていくのです。
すると、常に新しい発見があり、例えば、外食産業にとっての、オリンピック商戦は既に始まっていて、オリンピックの閉幕ではなく、開幕と同時に終わるのです。
2020年の東京へのオリンピック誘致が決定して以来、海外からのお客さまの数は、大幅に増えています。
そして、中国からの観光客も円安効果と共に、大きく増えて、各地で行儀等のさまざまな問題を定義しているのです。
1964年の東京オリンピックと2020年のオリンピックでは、さまざまな要素が異なり、われわれは過去体験しなかったような新しい体験をするのですが、そのほとんどは、開幕までで、開幕と同時に、オリンピック商戦は終わるのです。
そして、オリンピック誘致による、過去経験したことの無いような、観光客の増員、それに伴い発生するさまざまな問題、建設需要の増大による景気の上向きによる特需等の恩恵も発生します。
しかし、これらのことは日本全体ではなく、東京周辺と大きな観光地に限定される可能性が大きいのです。
そして、人口の減少が続く日本では、成功している海外に学ぶとすれば、スイスとか北欧のような付加価値の高いビジネスに絞るのと、日本の豊かな自然、日本人の持つ素晴らしい国民性を活用した観光大国は、これからの日本の生きる道ではないかと思います。
観光には、伝統的な食文化は切り離せないので、美味しい麺料理は海外からのお客さまを迎えるには、最高の食べ物ではないかと思います。
海外でも、うどんとか、ラーメンがブームになっている今、日本に来たら、更に凄いうどんとか、ラーメンがあったと、驚くような料理を、われわれは提供しなければいけないのではないかと思います。
どこの国に行っても、素晴らしい景色とか、施設、民族の伝統的な芸術、文化で感動した後は、最終的には料理は重要で、美味しい料理によるおもてなしは、観光には欠かせないのです。
海外からの観光客の一部は、料理にたいへん感心があり、日本の麺料理の店を自国で開店したいと思って、日本の麺専門店を食べ歩いている外国人もいるのです。
実際にあった事例ですが、日本中のラーメン店を食べ歩いた結果、当社のラーメン学校の卒業生の店で食べた、ラーメンの味に感心した若い香港人は、その店に何日も何日も通い詰めて、ノウハウを教えて貰いたいと、頼み込んだそうです。
最初は乗り気でなかった御主人も、その香港人の情熱にほだされて、ノウハウを伝授することと了解し、ロンドンと香港で既に開店して、たいへんな繁盛店になっているのです。
今年初めに、ロンドンに行った折にその店に寄って来ましたが、一風堂の対面のロンドンの一等地にあり、小さい店ですが、1日中、行列が途切れない店になっているのです。
従って、東京オリンピックは、それまで日本に来たことない観光客が大勢日本に訪れたり、或いは、日本がもう一度、大きく見直される大きなチャンスになります。
そのチャンスをつかむことが出来るのは、十分な準備が出来ている人たちだけなのです。
今回のラーメン学校でも、ラーメン店を10店舗余り出店している10年選手の熱心なラーメン店店主が、自己流のラーメンのノウハウを見直すために参加しています。
チャンスが訪れる人は、あらゆる準備を怠りなく出来ている人だけなのです。
来週、4月14日(火)~16日(木)は、一年ぶりに新潟でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/
今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致しますので、既存店の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
◆ 時間との闘い
前項を復習すると、100年前には、知識をもつ人、とくに科学や技術によるイノベーションのために、直ちに働きはじめる用意のある訓練された人材を、ごくわずかの国しかもたなかったのですが、今日では、きわめて多くの国が、持っているのです。
知識によるイノベーションの場合、常に「解放期」が起こり、多くの企業が参入し、その後の「整理期」で、ほとんどの企業が淘汰されることを繰り返しているのです。
これらのことは、「2つの意味」をもつのです。
第一に、科学や技術によるイノベーションを行おうとする者にとっては、時間が敵であり、ほかのイノベーション、すなわち、予期せぬ成功や失敗、ギャップの存在、ニーズの存在、産業構造の変化、人口構造の変化、認識の変化にもとづくイノベーションにとって、時間が味方であるのとは大違いであるのです。
科学や知識以外のイノベーションでは、イノベーションを行う者は放っておかれ、たとえ間違っても、修正する時間があり、新しいベンチャーに着手するチャンスも、数回はあるのですが、知識、とくに科学や技術によるイノベーションでは、そうはいかないのです。
新規参入が可能な開放期は短かく、チャンスは2度となく、最初から失敗してはならないのであり、環境は厳しく仮借なく、開放期が過ぎれば、チャンスは永久に失われるのです。
しかし知識産業のなかには、最初の開放期が終わって20年、30年後に、再び開放期が始まるものがあり、コンピュータがその一例であり、コンピュータ産業の最初の開放期は、1949年から55年頃まで続き、当時、世界の電機メーカーのほとんどすべてが、コンピュータ産業に入っていったのです。
アメリカでは、ウエステイングハウス、RCA、イギリスではブリティシュ•ゼネラル•エレクトロニクス、プレッシー、フェランティ、ドイツではジーメンスとAEG、オランダではフィリップスだったのですが、しかし1970年には、それら大手電機メーカーは、すべて不名誉な撤退を余儀なくされたのです。
残ったのは、1949年には存在さえしていなかったような企業であり、あるいは、限界的な存在だった中小の企業であり、アメリカでは、IBMのほかでは、中小のコンピュータ•メーカー7社で、イギリスでは、ICL、GEのコンピュータ部門、プレッシーやフェランテイの残骸であり、フランスでは政府の手厚い保護のもとに、ようやくいくつかのメーカーが残り、日本でも、長期にわたる政府の保護のもとに、辛うじていくつかが残ったのです。
そして1970年代の末、ワープロ、ミニコンピュータ、パソコン、コンピュータと電話交換機の結合をもたらすことになった半導体の出現に伴い、2回目の開放期が始まったのですが、1回目のラウンドで失敗したメーカーは参入せず、1回目のラウンドに生き残った者の多くも、2回目には参入しなかったか、或いは、いやいや遅れて参入したのです。
ユニバック、コントロール•データ、ハネウェル、バローズ、富士通、日立のいずれも、ミニ・コンピュータやパソコンでトップをとろうとはしなかったのですが、例外は、1回目のラウンドのまぎれもない勝者、IBMであり、このようなパターンは、知識にもとづくほかの分野のイノベーションにも見られたのです。
第二に、知識によるイノベーションの開放期が混み合ってきたために、イノベーションを行う者の生き残りの確率が小さくなったのです。
開放期における新規参入者の数は、今後増える一方となるのですが、産業構造は、ひとたび安定し成熟してしまえば、少なくとも一世紀は安定的に続くのです。
もちろん産業構造は、産業によって大きく異なり、技術、資金、参入の容易さ、市場のローカル度によって変わり、それぞれの産業には、それぞれ特有の構造があり、産業によっては大企業、中企業、小企業、専門化した企業など、多様な企業がありうるのです。
ところが、コンピュータ産業や近代銀行業のような知識にもとづく産業の場合は、市場は一つになり、グローバル市場であり、したがって、知識によるイノベーションを行う者のうち、その産業が成熟し安定するまで生き残れる者は、もはやあまり多くはないのです。
しかも主としてグローバル市場と通信の発達により、開放期における新規参入者の数は、大幅に増加しつつあり、ひとたび整理期がくれば、死亡率は昔よりもはるかに高くなり、しかも、整理期は必ずくるので、それは避けられないのです。
自社がどの産業に属するかにより、グローバル市場で闘うのか、ローカル市場で、生き残れるかが決まってくるのですが、簡単に世界流通出来るようなコンピュータの世界は、グローバル市場になり、鉄道のようにその地域のお客さまだけを対象にする場合は、ローカル市場だけの競争になるのです。
◆整理期
整理期は、開放期が終わるとともに始まり、開放期に設立されたベンチャー・ビジネスのきわめて多くが、鉄道や電機、自動車などの昨日のハイテクで見られたように、この整理期を生き延びることができないのです。
本書が出版された1985年ごろ、マイクロプロセッサー、ミニコンピュータ、パソコンの各産業では、開放期が始まってまだ5、6年しかたたないにもかかわらずすでに整理期が始まっていて、この産業に属する企業は、アメリカだけでも、おそらく100社以上あったのですが、10年後には、一応の規模をもつそれなりの企業でさえ、1ダースを超えることはなかったのです。
いずれが生き残り、いずれが死ぬか、いずれが生きることも死ぬこともできずにいるかはわからず、予測をしても無駄で、規模が大きいために、生き残れるという企業もあるかもしれないのですが、規模の大きさは成功を保証しないのです。
もしそうであるならば、今日、デュポンではなくアライド・ケミカルが、世界で最も業績のよい最大の化学品メーカーになっていたはずであり、1920年、アメリカで化学産業の開放期が始まった頃には、たとえ第一次大戦中、アメリカ政府によって没収された、ドイツの化学特許を手に入れたことが唯一の理由だったとしても、とにかくアライド・ケミカルが無敵の存在だったのですが、7年後の整理期の後、アライド・ケミカルは2流に落ち、爾来、2度と活力を取り戻すことができなかったのです。
1949年当時、GEやジーメンスのような老舗の大企業が、コンピュータで失敗することはもちろん、IBMがコンピュータ産業の巨人として登場してくることさえ、予測できた者はいなかったのです。
1910年から14年にかけて、自動車株がニューヨーク証券取引所の人気銘柄だった頃、GMやフォードが生き残って成功し、当時人気の頂点にあったパッカードやハプモービルが姿を消すと予測しか者はいなかった。
同じように、近代銀行が生まれた1870年代や80年代において、やがてドイツ銀行が、数十にのぼるドイツの老舗の商業銀行を吸収合併し、ドイツの代表的な銀行になることを予測した者はいなかったのです。
いかなる産業が重要な産業となるかは、容易に予測することができ、歴史を見るかぎり、ドラッカーが開放期と呼ぶ爆発的ブーム期を経験した産業はすべて、重要な産業となっていて、問題はそれらの産業において、どの企業が生き残り、主要な地位を占めるにいたるかであるのかですが、それは誰にも分からないのです。
以上のことより、マネッジメントはイノベーションを起こし、その成果を活用する企業にとって、欠くことの出来ない重要な要素であることが分かります。
このことに気づいて、マネッジメントのレベルを高め続けている企業はいつしか、他のライバルの気付かないうちに、はるか遠くへ行くことが出来るのです。
気づかないので、マーケテイングとか、イノベーションに無関心な企業は、例え現在、素晴らしいポジションにあろうと、謳歌を楽しんでいようと、未来は明るくないのです。
昨日は、スタッフたちが、11日に本社で開催される、スイーツとドリンクの提案イベントのための準備を行ないました。
フルーツを使うと、素人でも簡単に楽しそうなデザートが出来上がります。
楽しい発想で、面白い、スイーツとドリンクが出来上がりました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。