私は昼間、思考を深めなければいけないときは、事務所を離れ、静かな環境のカフェとか、ホテルを利用すると、今までに得られなかった発想が生まれるので、以前から、思考を深めたいときは、落ち着いた喫茶店等を利用していたのです。
普段と違った環境にいることにより、新しい発想が生まれるので、斬新な発想が必要な場合は、常に異空間を利用し、以前、パリのシャンゼリゼ通りのカフェとか、韓国の電話もメールも通じない山の中等も、新しい戦略を練ったりするのに、最適の場所でした。
本日のセミナーのレジメ「オリンピック景気必勝法」にしても、今までの延長線上の視点ではなく、新しい視点で、オリンピック景気への対応を検討してみた結果、導き出された結論は、厳しい人手不足と、グローバル化への対応でした。
東京へ2度目のオリンピックが誘致され、日本中が沸きましたが、2020年までに起きることは、極端な人手不足が予測されます。
既に、生産年齢人口はピークを打ち、日本全体で人手不足が起きていますが、オリンピックを迎えるために、都内では建設工事が進み、海外からの観光客が増えている中、人手不足は更に加速され、人件費の高騰だけでなく、人そのものが今より集まり難くなります。
今でも既に、人手不足で困っている会社は多いのですが、更に人手不足が加速し、お客さまはいて、仕事はたくさんあるのに、人手がいないために、仕事が進まないという現象が起きてくるのです。
しかし、そのような全体的には、人手不足の中でも一方では、人手にぜんぜん困っていない企業があり、ラーメンのチェーン店等でも、人手に困っていない本部があります。
従って、これからの日本におけるビジネスを成功させるためには、人事マネッジメントの長けた会社は、成功する確率が高くなり、社員一人ひとりのニーズへの対応力が必要で、働き易さの研究が大切になってくるのです。
従って、もし、人材を募集すると、常に採用したい人の何倍も応募があるような会社にする必要があり、常に人手で困らない会社です。
そのために大切なことは、シッカリと利益が出るビジネス・モデル作りに、トップはエネルギーを傾ける必要があります。
何か新しいことに取り組むにも、人に投資するにも、設備投資にしても、利益を上げていないと出来ないので、シッカリと利益を上げることは、企業においては、欠かせないのです。
ビジネス・モデル作りは、トップの仕事であり、勝てるビジネス・モデルが作れないと、幾らスタッフたちが寝ないで頑張っても、成果が上がらないのです。
ビジネス・モデルが良く出来ていればいるほど、お客さまを最高に喜ばせ、スタッフたちは、ストレスなく働くことが出来、常にお客さまと会社は、Win=Winの関係でいることが出来るのです。
そして、このビジネス・モデルも、作った時は上手く機能しても、何年かしていると、だんだん成果が落ちてくるのです。
すると、時代が変化してきていて、ビジネス・モデルが古くなってきているというアラームなのです。
多分、売上の伸びが止まった時が、危険信号で、売上の伸びが止まると、直ぐに手を打たなければならないのですが、ほとんどの場合は、売上のダウンは一時的なもので、頑張れば、また復活すると思ってしまうのです。
しかし、私の長い経験から言えば、少しでも伸びが止まった時が、アラームであることを気付かなければいけないのです。
これは、うどん蕎麦店、ラーメン店等も同じで、常に既存店売上の伸びを注意し、伸びが止まらないようにしなければいけないのです。
これを熱心にやり続けているのが、セブン・イレブンで、コンビニ業界では一人勝ちしています。
このために、セブン・イレブンでは年中、既存店売上を上げることにたいへんなエネルギーをかけて、挑戦し続けているのです。
来週、4月14日(火)~16日(木)は、一年ぶりに新潟でパワー・アップ・イベントを開催し、私もセミナーで参加します。
https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/
今年になってから訪問した、ロンドン、香港、台中、LAの最新店舗のご紹介を致しますので、既存店の方がたにとっても、今から開業する方がたにとっても、世界の最新外食情報を知るチャンスです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(上)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
◆ハイテクのリスクと魅力
投機熱を伴う開放期のあとに厳しい整理期が続くというパターンは、とくにハイテク産業で現れやすいのは、ハイテクは、ほかの平凡な産業に比べて、脚光を浴び、多くの新規参入と投資を引きつけるからであり、期待も大きいのです。
おそらく、ハイテクよりも靴墨や時計のような事業で金持ちになった人のほうが多いにちがいないのですが、誰も靴墨メーカーが10億ドル企業に育つことを期待はしないのです。
したがって、健全経営ではあっても小さな同族会社で終わることを失敗と見る人はいないのですが、これに対してハイテクは、中ぐらいの成功には何の価値もないという伸るか反るかの勝負であるので、そのゆえにこそ、ハイテクにおけるイノベーションには、大きなリスクが伴うのです。
しかもハイテクは、かなり長い期間、利益をあげることができず、コンピュータ産業は、1947年から48年にかけて始まったのですが、産業全体として見るかぎり、30年以上もたった1980年代初めまで、収支が合わなかったのです。
たしかに、アメリカの企業のなかには、早くから利益をあげはじめたところもあり、コンピュータ産業の雄たるIBMは、かなり早くから利益をあげていたのですが、産業全体で見るならば、これらわずかな数のコンピュータ・メーカーの利益は、世界の電機メーカーが、コンピュータ・メーカーへの脱皮という試みに失敗して蒙った膨大な損失をはるかに下回っているのです。
これと同じことが、コンピュータ前のハイテク、すなわち19世紀初めの鉄道、1880年から1914年にかけての電機メーカーと自動車メーカー、1920代のラジオ局にも起こったのです。
このようなことが起こるのは、調査、技術開発、技術サービスに多額の資金を注ぎ込まなければならないからであり、ハイテク企業は、たとえ現状を維持するためであっても、つねに速く走らなければならないのです。
もちろん、これもハイテクの魅力であるのですが、このことは、整理期が訪れたとき、ごく短期の嵐を乗り切るのに必要な資金的余裕さえ、残している企業はほとんどないということを意味し、ほかの産業に比べて、ハイテク産業が、とくに資金的な見通しを必要とする反面、資金的な見通しが困難な原因は、ここにあるのです。
この整理期に生き残るための処方は1つしかなく、マネジメントであるのです。
ドイツ銀行がほかの新しい銀行と比べて、際立った存在となりえたのは、ゲオルク・ジーメンスが、世界で最初のトップ・マネジメント・チームを構想し、それを実際につくりあげたからだったのです。
デュポンがアライド・ケミカルより際立った存在となったのは、1920年代の初め、体系的な組織構造や長期計画、それに情報システムを世界で最初につくりあげたからだったのですが、対して、アライド・ケミカルは1人の天才によって恣意的にマネジメントされていたのです。
しかし、これで話は終わらず、最近のコンピュータ産業における整理期に生き残れなかった大企業のほとんどは、GEやジーメンスなど、第一級のマネジメントをもつとされていた大企業なのであるのですが、しかも逆に、自動車産業の整理期において間違ったマネジメントが行われていたフォードが、たとえ辛うじてではあったにせよ、とにかく生き残ったのです。
したがってマネジメントもまた、生き残りの条件ではあっでも、保証というわけにはいかないのです。
しかも整理期がやってきたとき、ブームのうちに急成長を遂げた企業が、デュポンのように正しくマネジメントされていたか、それともアライド・ケミカルのように間違ってマネジメントされていたかを知りうるのは、その企業にいる人間だけであり(あるいは、彼らさえ知らないかもしれない)、そして、それを知る頃にはすべてが手遅れであるのです。
◆受容度についてのギャンブル
知識によるイノベーションが成功するためには、機が熟していなければならず、世の中に受け入れられなければならないのです。
このリスクは、知識によるイノベーションに固有のものであって、その固有の力と裏腹の関係にあるのです。
ほかのイノベーションはすべて、すでに起こった変化を利用し、すでに存在するニーズを満足させようとするのですが、知識によるイノベーションでは、まさにイノベーションそのものが変化を起こし、それはニーズを創造することを目的とするのです。
しかるに、顧客が受け入れてくれるか、無関心のままでいるか、抵抗するかを事前に知ることはできないのですが、たしかに例外はあり、癌の治療薬を生み出す者は、どれだけ受け入れてもらえるかなど気にしなくともよいのです。
だがそのような例外は多くはなく、知識によるイノベーションが世に受け入れられるかどうかは、賭けであり、掛け率はわからず、隠されたままであるのです。
誰も気づいてはいないが、受け入れてもらう可能性は高いかもしれないし、逆に、社会がイノベーションを待望していることが[確実]であっても、誰も受け入れてくれないかもしれないし、反発さえされるかもしれないのです。
知識によるイノベーションに対する王侯の感受性の鈍さを表した挿話は多く、その典型な当時流行の鉄道について、「ベルリンからポツダムまで乗馬を楽しめるというのに、金を払って、1時間しか乗れないものを使う者などいないであろう」として、鉄道の失敗を断じたプロイセン王だったのですが、汽車に対する受容度を読み違えたのは、プロイセン王だけではなく、当時の専門家の過半が同じ考えだったのです。
コンピュータが現れた頃、企業がそのような代物を必要とするようになることを予測した者は1人もいなかったのです。
これと逆の間違いも、同じようによく見られ、本当のニーズ、本当の欲求が存在することは誰もが知っているのですが、実際にそれが現れると、無関心や抵抗しかないということがあるのです。
1948年当時、企業がコンピュータを必要とするようになることを見通せなかった権威たちが、その数年後の1955年には、コンピュータが10年以内に学校教育に革命をもたらすと予測したのです。
ドイツ人にとって、電話の発明者はアレキサンダー・グラハム・ベルではなく、フィリップ・ライスであり、ライスは1861年、音を電送し、言葉さえほぼ電送することができたのですが、彼は、その後開発を進めなかったのです。
当時の社会には電話を受け入れる余地はなく、また関心もなく、望む声もなく、人々の大半は、電報があれば十分としていたのですが、その15年後、ベルが電話の特許をとるや、直ちに熱い反応が見られ、しかも、最も歓迎されたのがドイツにおいてだったのです。
この15年間における社会の受け入れ方の変化は、容易に説明でき、南北戦争と普仏戦争という2つの戦争が、電報では十分でないことを明らかにしていたのです。
ここで重要な問題は、なぜ受け入れ方が変化したかではなく、重要なことは、ライスがある科学関係の大会でその装置を実演したとき、当時の権威ある人たちのすべてが、社会はそれを全面的に受け入れるであろうと、断じたのにもかかわらず、それが間違っていたことにあるのです。
もちろん斯界の権威が正しいことはあり、しかも、けっして少なくなく、たとえば1876年から77年にかけて、彼らは電球と電話は社会に受け入れられるだろうと言い、そのとおりだったのです。
同じように、1870年代にエジソンが蓄音機の発明に取り組んだときにも、権威たちはそれを支持し、このときも、蓄音機に対する社会の受容度についての彼らの見方は正しかったのです。
しかし、知識にもとづく個々のイノベーションに対する社会の受け入れ方についての権威の評価が正しいかどうかは、あとになってみなければわからず、しかも、知識によるイノベーションが受け入れられた原因や、受け入れられなかった原因は、必ずしもあとで明らかになるというわけではないのです。
たとえば、文字の表音化が強い抵抗を受ける理由は、誰も説明できず、正字法が読み書きの最大の障害となり、学校が時間をとられる原因となり、かつ、文字が読めないことや精神的な障害の原因となっていることについては、意見が一致していて、しかも表音化という方法は、少なくとも一世紀前から知られているのです。
この問題が深刻になっている2つの言語には、表音化がとくに有効であり、英語にはアルファベットがあり、日本語には「かな」があり、そのうえ、いずれの言語にも、表音化の手本が身近にあり、英語には、19世紀半ばに行われたドイツ語の改革の例があり、日本語にはそれよりもさらに昔に行われた朝鮮語の改革の例があるのです。
いずれの言語にも大きなニーズがあり、表音化が優れて合理的であり、容易かつ効果のあることは証明ずみであるのです。
しかるに、表音化というイノベーションが受け入れられる様子はなく、説明はいろいろあるのですが、本当のところは誰もわからないのです。
社会の受容度にかかわるリスクをなくすことはできないし、小さくすることさえできないし、市場調査は役に立たないのです。
存在しないものについて調査をすることはできず、論調査などは、役に立たないどころか有害でさえあり、少なくとも、知識にもとづくイノベーションに対する社会の受け入れ方に関する権威の意見にまつわる経験が、すでに教えているとおりであるのです。
選択の道はなく、知識によるイノベーションを行うのならば、それが受け入れられるかどうかについては、賭けてみるしか道はないのです。
昨日は、自宅前の讃匠の坂出売店の駐車場では、売店のスタッフが植えたチューリップがきれいな花を咲かせていました。
何でもない所に、きれいな花が咲くと、たいへん目立つものです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。