今年の1月に初めてスイスに行き、それからスイスに注目していたのですが、スイスは国として、現在の世界情勢を見据えた素晴らしい戦略を構築している国であることが改めてよく分かりました。
1月にスイスに行ったときに驚いたのが、女性パートの時給が2千円で、工場労働者の年収が1千万円であったことですが、このような国も長い時間をかけて出来上がったのでした。
2014年12月06日付けのハーバード・ビジネス・レビューでも、「いま日本企業が目指すべきモデルが、スイス企業にある」とのタイトルで以下のように紹介されているのです。
国土が小さく資源に乏しいスイスが、いまや世界で最も豊かな国のひとつとなり、経済の大きさで競うのではなく、小国ながら、グローバルで存在感を示し、その「質」で競争力をつけていることは、日本企業が学ぶべき点が多いのです。
かつての日本経済が生産性を上げ、世界2位までの経済大国になるという成功を収め、それから20年、GDPでは中国に抜かれ、国内でも「失われた20年」などと言われる低迷期を迎え、いまや日本経済の向かう先が見えない状況ですが、グローバル化、ネットワーク化を迎えた新しい世界経済の中で日本が進む進路を教えてくれるのが、『スイスの凄い競争力』なのです。
金融業や観光産業、また高級時計あるいはチョコレートやチーズなどの強さは知られていますが、海に面していない国、原油の取れない国なのに、世界最大の海運会社がスイスにあり、世界の石油取引の3分の1にスイス企業が絡んでいるのです。
また、飛行機のスチュワーデス(フライト・アテンダント)や旅行パックはともにスイスが初で、技術的なイノベーションのみならず、サービス面でもイノベーションを遂げてきた国です。
スイスの強さとして人材を引き付ける一面も見逃せず、歴史的に多くの移民を受け入れてきた経緯もありますが、どの企業も外国人に活躍の場を与えていて、最近グーグルがエンジニアセンターをチューリッヒに移し、ここに65か国から750人のエンジニアがいますが、これは明らかに優秀な人材へのアクセスを容易にするためです。
スイスには世界中から人が集まる風土があり、またチューリッヒとローザンヌに世界的な工科大学があり、物価の高さを超える、生活者にとっての都市の魅力も兼ね備えています。
日本がスイスから学べそうな点はいくつもありますが、重要なことは下記の3点です。
1.どの企業や産業でも、付加価値の高い製品やサービスで競争優位を築いている
医薬品や時計に代表されるように、高い品質とブランドでどの産業でも高付加価値の製品で成功していて、低価格あるいは中価格帯の商品では、労働賃金が圧倒的に安い国に敵わないからで、リンツのチョコレートや時計、ホテルなどでもカテゴリーの中での最上級に位置するブランドです。
2.ホスピタリティの高さも生かして観光大国を築いた点
スイスは恵まれた自然を背景としたものと思われがちですが、その昔は雪に囲まれた退屈な国と見られていて、それを観光立国に変貌させたのは、持ち前のホスピタリティの精神であり、そこからホテル産業が生まれ、いまでは世界屈指のホテル大学もローザンヌに持ち、ホテル産業のメッカとなりつつあります。
3.品質にこだわる点で、伝統的にスイス企業は品質の重要性を熟知している
職人の育成にも力を入れ、時計などがあれだけの価値をもたらしたモノ作りへのマインドが育っていて、長期的な視点で事業の成功をめざし、ネスレが開発したネスプレッソは、事業として成功するまで10年を要したのです。
資源に乏しい点も日本と類似しており、これらの「スイス・モデル」は政府主導でできあがったのではなく、民間部門の自主的な活動に追うところが大で、人材の力を軸に、国土も大きさも資源にも恵まれない国がグローバル経済で地位を築いたスイスであり、日本企業が学ぶべきお手本なのです。(編集長・岩佐文夫)
以上のように、資源のない小国が知恵を働かせ、さまざまな分野で世界に突出するビジネスを構築し、お手軽で安い方向ではなく、上質で高価格で世界で打ち勝っているのです。
私も麺学校の経営講義では、常に生徒さんたちに上質を訴えているのですが、これからの日本を考えると、それしかないのです。
上質なものだけを日本に残していかないと、世界で優位に立つことが出来ないことは、既に成功しているスイスが示してくれているのです。
本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。
ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。
起業家戦略
最近、企業の世界では「経営戦略」が流行し、文献も多く出ているが、「起業家戦略」について論じたものには、お目にかかったことがないのですが、「起業家戦略」こそ重要であり、しかもそれはユニークであり、ほかの戦略とは異質であるのです。
『コンサイス・オックスフォード辞典』(1952年版)は、戦略を「用兵学、戦争の技術、軍の運用」と定義していて、1962年、アルフレッド・D・チャンドラー・ジュニアは、大企業におけるマネジメントの発展について論じた先駆的著書『経営戦略と組織』(邦訳実業之日本社)において、戦略という言葉を企業行動について使ったのですが、1964年、私がはじめて経営戦略について書いたとき、出版社と私は、この言葉を書名に使うことをためらったのです。
書店や雑誌編集者、あるいは知り合いの企業トップが、戦略は軍事行動や選挙運動を意味すると言ったためであり、私の著書は、まさに今日、企業において経営戦略とされているものを扱っていて、文中では戦略という言葉も使っていたのですが、私たちが選んだ書名は、『成果をあげる経営』(邦題『創造する経営者』)だったのです。
起業家戦略は以下のように4つあるのです。
1.総力による攻撃
2.弱みへの攻撃
3.隙間(ニッチ)の占拠
4.価値の創造
これら4つの戦略は、互いに相容れないものではなく、1人の起業家がそのうちの2つを組み合わせ、ときには3つを組み合わせて1つの戦略とすることができ、また、必ずしも截然と区別すべきものでもなく、同じ戦略を「弱みへの攻撃」あるいは「ニッチの占拠」としてとらえることもできるのです。
しかし、これら4つの戦略には、それぞれ特徴があり、適合するイノベーションと、適合しないイノベーションがあり、それぞれが、起業家に対し異なる行動を要求し、特有の限界をもち、特有のリスクを伴うのです。
最近では、経営戦略という言葉は当たり前のように使われていますが、起業家戦略なるものは、インターネットで探しても、ウイキペデイアにも掲載されていないのです。
従って、われわれは、起業家戦略を経営戦略と混同しないで、別物として取り扱う必要があり、起業家戦略と経営戦略の大きな違いは、起業家戦略には、ゼロから起業を立ち上げたり、今ある企業を大きく変革させるための戦略と理解すると分かり易いと思います。
要するに、起業家精神を持ち、イノベーションを起こし、社会に影響を及ぼすような戦略であり、イノイベーションを伴うものなのです。
それだけに、この戦略は、普通の経営戦略より、深い思考、周到な準備がないと成功しない戦略であるのです。
1.総力による攻撃
「総力による攻撃」は、南北戦争において、南軍の騎兵隊将校が連戦連勝の秘密を明かしたときに使った言葉であり、起業家は、この戦略によって、新しい市場や産業の完全支配は無理にしても、トップの地位を得ようとし、つねにそうとはかぎらないが、しばしば、新たに大きな産業を生み出そうとし、最初から永続的なトップの地位を得ようとするのです。
要するにこの戦略の特徴は、トップを狙う戦略だったのです。
◆辛い戦略
この戦略は、多くの人が起業家戦略として最高位に位置づけているものであり、実際、起業家についての文献によれば、この戦略だけが起業家戦略であるとの結論に達し、事実、現実の起業家、とくにハイテクの起業家の多くがそう考えているのですが、そのような考えは間違いであるのです。
たしかに多くの起業家がこの戦略をとるのですが、この戦略は、リスクが最も小さいわけでもないし、成功の確率が最も高いわけでもなく、起業家戦略としてとくに優れているわけでもないのです。
それどころか、あらゆる起業家戦略のなかで、最もギャンブル性が強く、いっさいの失敗を許さず、チャンスは2度とない辛い戦略であるのですが、成功すれば成果は大きく、この戦略がいかなるものであり、何を要求するものであるかを知るために、いくつかの例をあげてみます。
スイスのバーゼルにあるホフマン・ラロッシュ(現在の世界第3位、エフ・ホフマン・ラ・ロシュ)は、世界で最も利益をあげている最大手の医薬品メーカーの1つであり、もともとは、ささやかな中小企業だったのです。
1920年代の中頃までは、繊維用染料を扱う、業績のさえない小さな化学品メーカーにすぎなく、ドイツの大手染料メーカーや、スイスの大手化学品メーカーの影に隠れた存在だったのです。
しかし同社は、新しく発見されたビタミンに賭け、当時、学界はそのような物質の存在さえ全面的には認めていなかったのに、同社は誰も欲しかっていなかったビタミンの特許を取得しただけでなく、チューリッヒ大学からビタミンの発見者を大学教授の給与の数倍という、業界でも例のない高給で引き拔き、手元の資金に加えて、借りられるだけの資金を集めて、この新しい物質の製造とマーケティングに投入したのです。
ビタミンの特許の消滅から久しい今日、ホフマン・ラロッシュは、依然として世界のビタミン市場の半分を占め、年間数十億ドルの売り上げをあげているのです。
同社は、ビタミンのほかにも2度、同じ戦略をとり、1930年代、当時の科学者のほとんどが、化学薬品は伝染病には効かないと考えていたときに、サルファ剤を手がけ、その20年後の1950年代の半ば、これまた当時の科学者がありうべからざるものとしていたときに、筋組織弛緩用のトランキライザーを手がけたのです。
デュポンも同じ戦略をとり、15年におよぶ苦労の末、最初の合成繊維としてナイロンの開発に成功したとき、直ちに総力をあげて大工場をつくり、消費財を手がけたことがないために、それまで一度も行ったことのなかった、宣伝を大々的に行い、新しい化学産業を生み出したのです。
両社の例は、大企業の話といわれるかもしれなのですが、ホフマン・ラロッシュは当時、大企業ではなく、以上のように、この戦駱のもとに、文字どおりゼロからスタートした2つの企業の例があるのです。
ホフマン・ラロッシュはスイスの企業で、製薬メーカーの世界2位がスイスのノバルテイスであり、製薬メーカーの世界2位、3位がスイスのメーカーと言うことに驚きます。
スイスは人口800万人の小国であり、国内に消費人口が少ないにもかかわらず、ネスレ、ノバルティス、ロシュ、USB、オメガ、スウオッチ等、世界的な企業が多いのは、スイス自体が、起業家精神あふれる国であることが、よく分かります。
ワープロは大発明ではなく、それは、タイプライター、ディスプレイ、初歩的なコンピュータという既存の3つの機器を結合しただけであるのですが、この結合が、オフィスを根本から変えるイノベーションとなり、1950年代の半ばにアン・ワング博士がこれを構想した頃には、仲間もおらず、起業家としての実績もなく、資金的な支援もなかったのですが、彼は、初めから新しい産業をつくり、オフィスの仕事を変えることを目指し、その結果、ワング・ラボラトリーズは、周知のように大企業となったのです。
同じように、あのガレージのなかで資金的な支援も事業の経験もなくアップル・コンピュータをスタートさせた2人の若者も、初めから1つの産業をつくり、それを支配することを目指したのです。
アップルをスタートさせたステイーブ・ジョブズは、最初から宇宙に衝撃を与えるような大きなことを目論んでいたのです。
社会に大きな影響を及ぼすイノベーションを起業するときから、目論んでいたことになるのです。
画像は、シンガポールのマーライオンの近くのスペイン料理の店「Catalunya」の店内にあるワイン・ボトルを使った照明です。
店舗のロケーション、内装、外装、料理、サービスのすべてが素晴らしいレストランでした。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。