パスタ学校・ラーメン学校・うどん学校・そば学校で成果アップ|「イノベーションと起業家精神(下)」「その限界、その有利性、専門市場戦略、変化による機会、最大の敵は自らの成功」

東京支店での経営講義

本日のテーマは、「世界観」です。

英語を学んでいて気付くのは、日本語の世界観と英語の世界観の大きな違いであり、日本語の世界観のままで英語を学ぶと、日本語の世界観が邪魔をして、すんなり英語の世界に飛び込めないのです。

われわれ日本人の多くは、日本に生まれ、日本に育っているので、日本語の世界観が染みついていて、日本語は、単語、発音、文法、言語の歴史的変遷、どれをみても、日本語文化と密接に関連し、英語文化とはまったく違ったところで発達してきたので、独自の文化を築いているのです。

従って、日本人にとって、文化の大きく異なる他国の言語を学ぶことは難しく、同時に、外国人にとっても、日本語はマスターするのが難しい言語の一つになっているのです

初めから英語文化圏、例えばイギリスで生まれ育った人たちは、生まれながらにして、英語文化に染まって生きて来ているので、英語独特の思考法でものごとを考え、ドイツ語には独特のドイツ語文化、イタリア語、スペイン語、中国語等、世界の言語は、それぞれ独特の世界観を持っているのです。

言語にも、それぞれ、独特の文化背景があり、組み立てられているので、そのバックグラウンドを理解しない限り、言語の理解はあり得ないことは、古代エジプト文字を解明した学者の行動より理解することが出来るのです。

エジプトで発見された古代エジプト文字のヒエログリフ(hieroglyph、聖刻文字、神聖文字)は、中世を通じても多くの人々の関心を惹き付けていて、近代に入ると多くの学者達がヒエログリフの解読に挑み、特に有名なのは16世紀のヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌス(英語版)と17世紀のアタナシウス・キルヒャーであるが、解読に失敗し、全く根拠のない独自の解釈に終わり、初めて解読に成功したのは19世紀のフランス人学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンであり、彼はキルヒャーの収拾した資料を研究し、ロゼッタ・ストーンの解読を行うことで読み方を解明したのは有名な話しです。

私は、現在使用しているマイクロソフトのワード、エクセル等にしても、同じで、独特の思考法(世界観)を持っていて、マックに乗り換えようとすると、今まで持っているマイクロソフトの思考法が邪魔をして、すんなり頭に入らないのです。

言語も基本的に長い歴史の中で、そこに住んでいる人たちが創り上げてきたものであり、PCのソフトも言語のように長い歴史はないのですが、言語を構成している思考方法は、それぞれ独特の思考の上に成り立っているのです。

従って、それぞれ独自の思考法を理解することが、早期にソフトをマスターする近道であり、最近、マックの習熟を行なっているのですが、結構時間がかかっているのは、まだ、マックの思想の理解が欠けているのです。

私は日々、当社のスタッフたちと一緒に仕事をしていて、スタッフたちの立居振舞を見て感じるのも、まったく同じことであり、それぞれ、過去育ってきた環境、経験、体験によってそれぞれ別々の世界観が既に構築されていて、一見、不可解な行動を取ると思われることに関しても、既に作られた世界観によって行動しているのです。

例えば、幾ら言っても、キチンと報告が出来ない人、或いは、最初は出来ていても、いつしかやらなくなる人、言わなくても、いつもキチンと報告出来る人等、実にさまざまであり、報告内容についても、こちらが本当に知りたいことをキチンと報告出来る人、そうでない人等、それぞれ、独自の世界観を持っていることがよく分かるのです。

言わなくても出来るのは、その人がそのような世界観を持っているためであり、言っても出来ないもの同様で、それを大切だと思う、世界観、即ち、価値感を持ち合わせていないのです。

マネッジメントにおいて、大切なことは、それぞれのスタッフたちの過去のすべての過去の履歴を理解し、そのような世界観を持つにいたった背景を理解することであり、これには、それぞれ一人ひとりの精緻なデータ・ベース作りが欠かせないのです。

これは、お客さま一人ひとりのデータ・ベース作りと同じように、或いはそれ以上に重要な作業であるのです。

企業内における教育とは、その人の世界観をビジネスが効率的に、正しく行なわれるような世界観、価値観に合せてあげることなのです。

英語を学ぶことも同様で、英語の世界観を理解することであり、英語独自の思考法をマスターすることであるのです

われわれ一人ひとりが持っている世界観を修正するには、よほど大きな衝撃がなければ難しく、時間も必要なのです

ビジネスにおいて永く成功するような世界観を持つことは、人生においても、成功するような世界観とほぼ同じであるのです。

ビジネスと人生は、共通する部分が非常に多いのです。

本日も、ドラッカー選書「イノベーションと起業家精神(下)」(ダイアモンド社)に基づき、イノベーションについて、深くドラッカーから学んでいきます。

ぜひ、一緒にイノベーションと起業家精神を磨いていきます。

◆その限界

専門技術によるニッチ市場の地位には厳しい限界もあり、その第一は、焦点が絞られるということであり、自らの支配的地位を維持していくには、自らの狭い領域、専門分野だけを見ていかなければならないのです。

初期の頃は、航空機の電気系統システムも、自動車のそれとさして違いはなかったのですが、デルコ、ボッシュ、ルーカスなど自動車の電気屋は、航空機の電気系統には進出しなかったし、見向きもしなかったのです。

しかし、経済のグローバル化により、専門技術を寄せ集めることにより、トップクラスの部品メーカーは、自動車メーカーを凌ぐほどの規模になっているのです。

将来の電気自動車の時代になると、自動車を作るの参入障壁は低くなるが、自動車部品の方が主導権を取り、現在のPCのように、自動車産業が組立産業になり、技術力のある部品メーカーが業界をリードする可能性を秘めているのです。

第二は、誰かほかの者に依存しなければならないということであり、彼らの製品やサービスは部分品であり、自動車の電気系統の部品メーカーにとって、消費者が彼らの存在さえ知らないことは強みであるとともに、弱みでもあるのです。

ルーカスは、イギリスの自動車産業が不振となれば、同様に不振となり、A・O・スミスは自動車のフレームのメーカーとして繁盛していたが、エネルギー危機のあと、自動車メーカーは同社のフレームを使わず、価格は高くとも、軽く燃費がよかった車に転換しはじめたとき、A・O・スミスは、いかなる対策もとれなかった。

部品メーカーもグローバル化に対応出来た企業とそうでない企業は、大きく明暗を分けてしまったのです。

第三は、最も大きな危険として、ときに専門技術が専門技術でなくなり、一般技術になってしまうことである。

第一次大戦前の銀行は、通貨は本来安定しているべきものとしていたので、外国為替が不安定となり、交換不能な通貨が現れ、異なるレートが現れたとき、外国為替を扱うことを嫌い、その怪しげな仕事を、喜んでスイスの専門家に任せたのです。

その結果、スイスの外国為替業者が、この収益性の高い専門技術市場を占めるにいたったのですが、第二次大戦後は、外国為替が日常業務になり、今日では、あらゆる大銀行が外国為替の専門家を抱えているのです。

専門技術によって得られるニッチ市場には、ほかのあらゆる生態学的なニッチと同じように、時間的にも領域的にも限界があり、生物学によれば、そのような地位を占有する「種」は、外部環境のわずかな変化にさえ適応できず、これは専門技術の「種」についてもいえるのです。

時代の先を見据えて、専門技術を磨き続けることは、専門技術戦略を取る上では欠かせないことです。

◆その有利性

しかし、そのような限界の枠内では、専門技術による地位は、きわめて有利であり、急速に成長しつつある技術、産業、市場では、最も有効な戦略であるのです。

1920年に存在していた自動車メーカーのうち、今日も存在しているものはごく少なく、これに対し電気系統の部品メーカーは、すべて生きながらえていて、専門技術による地位は、適切に維持するならば、競争の脅威を避けることができ、自動車のユーザーさえ、ヘッドライトやブレーキのメーカーを気にかけないのです。

ベーデカーという名がガイドブックと同義になったあとでは、観光市場が大きく変化するまでは、新規参入者がやってくる気配さえなかったのです。

このように、新しい技術、産業、市場においては、専門技術戦略は、機会とリスクの比が最も有利であるのです。

3 専門市場戦略

専門市場戦略は、前述の専門技術戦略が製品やサービスについての専門知識を中心として構築されるのに対し、市場についての専門知識を中心に構築され、他の点については、両者はほとんど同じであるのです。

西側世界における、クッキー用およびクラッカー用の業務用オーブンの過半は、北イングランドとデンマークにある2つの中堅メーカーが供給していて、業務用オープンの生産には、とくに技術上難しいことはなく、これら2社のメーカーと同じオーブンをつくれるメーカーは無数にあるのです。

しかし、この2社は市場を知っていて、2社だけが世界中の主なベーカリーを知っており、ベーカリーのほうもこの2社を知っているのです。

そして、この2社が市場を満足させているかぎり、彼らと競争したいと思わせるほど市場は大きくなく、魅力的でもないのです。

世界のトラベラーズ・チェックは、ヨーロッパのトーマス・クックと、アメリカのアメリカン・エキスプレスという2つの旅行代理店が、事実上独占していたのです。

第2次大戦後、旅行の大衆化が進むまでは、特殊な市場で、両社は、購入者がトラベラーズチェックを現金化するまでの間、ときには何か月も現金を預かり、金利を得、大きな利益をあげ、市場は、他の者の参入意欲をそそるほど大きくはなかったのです。

しかも、世界的なネットワークが必要で、両社は、旅行代理店としてそのようなネットワークをもっていて、ほかにそのようなネットワークをもっている企業はなかったのです。

当社も一種の専門市場戦略を取っており、麺業界に特化したビジネスを行なってきたので、麺業界については、世界レベルで詳しいのです。

そして、製麺機は他の食品機械と異なり、麺用小麦粉に特化した機械なので、市場が異なるだけではなく、専門知識も異なるので、当社の場合も専門市場戦略と専門技術戦略の双方を採用していることになります。

◆変化による機会

専門市場戦略のための市場は、「この変化には、ニッチ市場をもたらすいかなる機会があるか。他に先がけて、それを手に入れるには何をなすべきか」と問うことによって手にすることができるのです。

トラベラーズ・チェックそのものは、さして大きな発明ではなく、信用状の一種にすぎず、何百年も前から存在し、誰に対しても発行すること、紙幣のように何種類かの金種に分けること、世界中で現金化できるようにすることだけが新しいことだったのです。

こうしてトラベラーズ・チェックは、現金を持ち歩きたくはないが、信用状を発行してくれる銀行はないという旅行者にとって、大きな魅力となったのです。

業務用オーブンにも、何か特別の機能があるわけではなく、前述の2社が行ったことは、つまるところ、クッキーやクラッカーが、家庭ではなく工場で焼かれるようになったという変化を認識しただけのことで、彼らのオーブンは、技術ではなく市場を基盤としていて、技術のほうは、誰でも手に入れられたのです。

専門市場の地位には、専門技術の地位と同じように厳しい条件が伴い、すなわち、新しい傾向、産業、市場について、つねに体系的な分析を行っていかなければならないのです。

従って、市場の情報に関しては、誰よりも早く、誰よりも詳しくなければならないので、それには、常に市場の観察は欠かせないのです。

当社の場合は、私だけではなく、当社の関連した幹部スタッフも常に、国内、海外の新しい市場の動向を理解すべく、市場視察を行なっているのです。

次に、トラベラーズ・チェックの例のような小さな工夫にすぎなくとも、とにかく何らかのイノベーションを加えなければならなく、手に入れた地位を維持するためには、製品とサービスの向上、とくにサービスの向上のために、不断に働かなければならないのです。

◆最大の敵は自らの成功

専門市場の地位にも、専門技術の地位と同じように限界があり、専門市場の地位にある者にとって、最大の敵は、自らの成功であり、専門市場が大衆市場になることであるのです。

今日、トラベラーズ・チェックは日常品となり、競争の激しい世界になっているのは、旅行が大衆市場となったためであるのです。

ここに香水の例があり、近代的な香水産業を生み出したフランスのコティは、第1次大戦後、化粧に対する世の中の考えが変わったことを認識し、それまで一部の女性だけが使い、あるいは使っていることを隠していた化粧品が、まともなものとして受け入れられるようになったのです。

コティは、1920年代の半ば、欧米の双方で、ほとんど独占的な地位を築き、1929年頃までの間に、化粧品市場は、中流階級以上の女性たちの専門市場となったのです

ところが、大恐慌のさなかに、この化粧品市場が大衆市場へと発展し、同時に、化粧品市場は、特別の包装により専門店で売られる高価格の高級ブランド市場と、スーパーやドラッグストアで売られる低価格の大衆ブランド市場に分化し、数年を経ずして、コティが支配していた専門市場がなくなったのです。

コティは、高級ブランドの道を選ぶか、大衆ブランドの道を選ぶかを決定できなかっただけでなく、存在していない市場にとどまろうとし、今日にいたるも、同社は漂流を続けているのです。

コテイ社の創業者、フランソワ・コテイの化粧品における大成功、その結果により巨万の富を築いたのですが、創業者はその後、新聞社の買収により、報道の世界、その後、政治の世界に入り、専門分野を脱して、新しい市場へ発展していく、化粧品の世界から離れ、コテイ社の戦略を構築する人間がいなくなり、創業者の死後、ブランドはアメリカのファイザー社に売却されたのです。

昨日は、久しぶりに東京支店での経営講義が始まりました

一人ひとりの生徒さんにマネッジメントの大切さを理解して貰うことは、たいへんなことであることを改めて感じさせられた、昨日の授業でした。

まだ、ほとんどの生徒さんは、マネッジメントより、麺作りとかスープのようなテクニックにウエイトを置いているように思います。

一昨日は、東京支店からの帰りに品川の旧街道沿いにある蕎麦学校の卒業生の店で夕食を取りましたが、だんだん繁盛していく様子を見るにつれて、熱心に学校をやっていて良かったと、癒されるのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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