うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「予期せぬ成功と失敗を利用する、予期せぬ成功、予期せざる成功・失敗にこそ革新への源が」

 ロンドンの中心地でとる、レベルの高いバランスのいい朝食

本日のテーマは、「ドイツの戦後復興の象徴」です。

今回のロンドン、スイス、ドイツの飲食ビジネスの旅を総括すると、次のようになりました。

まず最初の訪問地、ロンドンは過去私が聞かされていた、食事が美味しくないというのは、さまざまな店を訪問して、かなり覆され、食べ物の品質に対して、或いは食べものの進化に対して、真剣に取り組んでいることが分かりました。

特徴的なのは、朝食を提供し、朝食からお客さまをたくさん集めているカフェのような店が多く、朝食の外食が当たり前で、朝食も健康的で、シッカリした食事が多かったのです。

もし、日本で、東京で朝食事を取ろうとすると、ロンドンでわれわれが食べたようなしっかりした食事を取ることが出来るレストランは皆無に近く、高級なホテ ルで取れば、相当高い出費は覚悟しなければいけないような食事が、至るところで簡単に取れるのは、東京と比べると大きな違いでした。

もともと食べ物の本質は、人間の身体を健康に保つのに貢献する役割を持っているはずなのですが、それを大きく外れ、コストだけしか考慮していない食べものが増えている店が日本には多くなっているのです。

或いは、健康を保つことを考慮していない食事が多いのですが、ロンドンの新しいチェーン化している店舗でも、フルーツをふんだんにメニューに取り入れたり、生野菜を使ったサラダがふんだんにあったり、健康的な食事を取ろうとすると、どこでも取ることが出来るのです。

これが、2度目のロンドンのレストランとか、コンビニに近いような店を見て回った結果の結論であり、現在、円安のために、日本人からすれば、ロンドンの食 事は値が張るように見えますが、食べ物の本質をとらえた食事がどこでも簡単に取れるのは、非常に有難い都市であると感じました。

但し、以前から聞かされていた、チェーン化で成功したラーメン店「わがまま」を初めて訪問しましたが、店舗の規模が大きい割に、お客さまの入りは悪く、 ラーメンの品質は低く、お客さまの多くは、カレーとか、ラーメン以外の日本食を食べていて、店舗規模の割には、決して成功しているチェーン店のようには、 見えなかったのです。

それよりも、新しいコンセプトの斬新な店がたくさん誕生していて、新しい食の情報発信基地のようにも見えますが、そのような店のほとんどに、日本食メ ニューが入っていて、すしとか、ラーメンとか麺類のメニューもたくさん取り入れられており、「新しいスマートな食=日本食」のようなイメージがありまし た。

新しいスーパーもカフェを併設したようなスーパーが頑張っていて、新しい食文化の実験、或いは発信を行ない、NYにも負けない新しい食文化の発信を行ない、食を志す者はぜひ、学びに来なければいけない場所であると、思いました。

ロンドンの次はスイスで、今回は滞在期間が短く、あまりスイスのレストランに行くことが出来なかったのですが、新しいコンセプトというよりも、観光客を初 め、地元客で潤っている今までの繁盛店がまだまだ、過去のままに成功していて、新しい食文化はまだまだ根付いていないように見えました。

スイスは国のイメージの割に小さい山国で、人口もわずか四国の2倍の800万人程度なので、独自の食文化を築くよりも、隣国イタリアとかドイツの影響を受け、独自の食文化には乏しいような気がしました。

スイスは国の規模の割には、ネスレを初め、世界的な大企業が多く存在し、食文化よりも、世界的な規模の企業作りの方に熱心に取り組んで成功している国に見えたのです。

最後のドイツもスイスと少し共通点がありますが、スイスと比べると、人口も多く、国土も広く、農業国であると同時に工業国であり、ヨーロッパで屈指の強国 であり、経済的に成功している国であり、食においては、ドイツ本来の食であるジャガイモ料理、ソーセージ、ハム料理が根強く支持され、生野菜の摂取はロン ドンと比較すると、非常に少ないのが特徴でした。

今回、訪問したドイツの主な大都市は、デユッセルドルフ、シュツットガルト、ケルンでしたが、都市の活性度においては、ロンドンの方がはるかに活性度が高く感じられ、ドイツは自動車のような工業製品では成功していますが、国全体では少し沈滞感を感じました。

戦後のドイツを、敗戦の焼け跡からヨーロッパで一番の工業国に急成長させた人たちはすでに引退し、アフリカから押し寄せる難民と過去のたいへんな苦労を経験していない若者たちが混在した、秩序の取れていない国に見えました。

ロンドンと比べると、今までのドイツは経済的に大成功してきたのですが、これからのドイツを考えると、少し課題の多い国に見えたのです。

今回のヨーロッパ訪問で、気付いたことは、その国で多くの国民が食べている食べ物を見ると、その国の将来が見えてくるような気がしました。

食べものが人を育てるので、食べている食べ物を見れば、その国の未来が見通せるのに気付いたのは、私が5年前にイスラエルを訪問したときのことで、イスラ エルのホテルに泊まったときの朝食、訪問した会社で戴いた昼食での体験、或いは、レストランでの食事での出てくる食事を見ると、こんな食事をとっている と、イスラエルが強い国である原因の一つはこの食事からくるのであろうと考えられ、当社でも健康に良い社内給食を始めたのでした。

食の原点は人づくりであることが、現在の日本では置き去りにされてしまっているような気がしますが、これが食の原点であると、今回の出張で得た結論であり、食の本質でもあるのです。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、昨日で一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。

更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。

第三章 予期せぬ成功と失敗を利用する

「予期せぬ成功」

予期せぬ成功ほど、イノベーションの機会となるものはなく、これほどリスクが小さく、苦労の少ないイノベーションはないのですが、予期せぬ成功は、ほとんど無視され、困ったことには、その存在を認めることさえ拒否される傾向があり、ここに一つの例があります。

30年以上前、ドラッカーはNYの最大の百貨店は、R・H・メイシーの会長から「家電の売れ行きを抑えるにはどうしたら良いか」と相談されたので、「どう してですか、損をしているのですか」と聞いたところ、「いや、婦人服よりも儲かっている。返品や万引きもない。」とのことでした。

「家電の客が多いと、婦人服の顧客が来なくなるのですか。」と聞くと、「いや、以前は婦人服の顧客に家電を売っていたが、この頃では家電の顧客に婦人服を 売っているくらいだ。だが、うちのような店では、売上の7割は婦人服でなければいけない。家電の伸びが大きく、6割に達したというのは異状だと思う。健全 な水準に戻すために婦人服の売り上げを伸ばそうとしたが、どうしてもうまくいかない。だから、家電の方を抑えるしかない。」という答えでした。

この話があってからほぼ20年間というもの、メイシーは低迷を続け、メイシーがNYの小売業界で、その支配的な地位を利用出来なかった原因は、市内の荒廃 や店舗規模の問題など、幾つでも挙げることが出来るのですが、メイシーは、1970年にマネッジメントが交代し、戦略を変え、家電に力を入れるようになる と、市内の荒廃や人件費の高さ、店舗規模の問題にもかかわらず、再び隆盛を極めるようになったのです。

メイシーが予期せぬ成功を拒否していたちょうど同じころ、同じNYの百貨店、ブルーミング・デイルが、まったく同じ予期せぬ成功を利用して、NYの小売業 界で2位の座を占めるまでに成長し、それまで業界4位であったブルーミング・デイルは、メイシーよりも、さらに婦人服中心の店であったのですが、1950 年代初めに家電の売上が伸び始めると、これを絶好の機会として捉え、予期せぬことが起こっていることを知り、分析し、家電と家具部門を中心とする、新しい 百貨店としての地位を築き、家電の伸びが意味する新しい顧客層に目を向け、婦人服などの衣料品の戦略を大幅に婦人服に変えたのです。

今日、メイシーはかろうじて業界1位を保っていて、ブルーミング・デイルは、しゃれたNYの百貨店として2位の座を確保し、ブルーミング・デイルと2位を争っていたベストを初めとする1950年代の婦人服小売りの雄は、いずれも姿を消したのです。

メイシーの話は極端に思われるかもしれないのですが、この話で例外的なところは、会長自身が自分は何をしているかを自覚していたことで、自らの愚かさを自 覚せずに、メイシーと同じ失敗をしているマネッジメントは多く、マネッジメントにとって、予期せぬ成功を認めるのは容易ではなく、勇気がいり、具体的な方 針が必要で、現実を直視する姿勢と、「間違っていた」と素直に認めるだけの謙虚さもなければならないのです。

人間は誰しも、長く続いてきたものこそ正常であり、永久に続くべきものであると考え、マネッジメントにとっても予期せぬ成功を認めることは、難しく、自然の法則のように受け入れてきたことに反するものは、すべて不健全、不健康、異常なものとして拒否してしまうのです。

メイシーの場合で、一番の課題だったのは、「うちのような店では、売上の7割は婦人服でなければいけない。」という、CEOの思い込みであり、自分で自社 が立ち行かなくなるような制約を設けていて、その裏には、百貨店は売上の大半以上を婦人服で稼ぐものであるとの思い込みがあり、お客さま方のライフスタイ ルの予期せぬ変化を見落としていて、このような事例は、たくさんあり、予期せぬ成功の事例として、ドラッカー・マネッジメントの師、国永先生はドラッカー 名言録で、次のような事例を挙げているのです。

「予期せざる成功・失敗にこそ革新への源が」

ドラッカーは第二次世界大戦後の約1250件の画期的新製品から、カンバン方式のようなシステムに至るまでのイノベーションを徹底的に調べて、その源は何 かを追求して、7つほどの「革新の源泉」を導き出し、そのリストのトップにあるのが、この「予期しなかった成功あるいは失敗」であり、たとえば、このプロ ジェクトなら3%はいくと見込んでいたのが、予想に反して13%も伸びた場合、ああ、当たって良かったなどといって、ここで安心するのは一流の経営管理者 ではなく、それなりに人智を働かせて立てた予想がはずれたことの背後には、何か計り知れなかった、新しいファクターが潜んでいるはずであると考えることに よって、イノベーションへの貴重なヒントや策が得られるとドラッカーは言い、かつて来日してこの話をしたときに、古い事例だが、と断って、今日の高級筆記 具クロスのボールペン誕生物語がその好例だと、こう話してくれたのです。

あるとき、同社はあるイベントへの記念品として、今日の金張りの高級ボールペンの原型となるものを来客に配ったところ、これが大好評で、もっとないかとい う問合わせがしきりにあり、喜んでいただいてよかったというだけで止まらず、これはいったいどういうことだろうと営業担当の副社長が調べると、当時はペー パーメイトとか、スクリプトといった安い値ごろのボールペンはあったのですが、エグゼクティブが使用するのにふさわしい、ハイクラスのものはなく、フラン ス発のビックもようやく誕生したばかりで、プレスティージのある高級ステーショナリーの一環としてゴールドやプラチナのスリムなボールペンを開発したとこ ろ、これが大ヒットしたというわけで、まさに「予期しない成功」が一つのビジネスを生んだ事例であるのです。

したがって、ドラッカーは「予想外の成功や、その逆の失敗の教訓を決しておろそかにしてはいけない。そこを、これまたドラッカー好きな言葉でいうならば、 「シンク・アウト(トコトン考え抜く)」ことによって、イノベーションへのきっかけが生まれ、革新への新しい道筋がみえてくる。」というのです。

この言葉の中に潜んでいるもう一つのドラッカー的発想は、その現実主義的、あるいは難しくいうならば実存主義的考え方であり、未来に絶えず、目を据えてお り、数々の大胆な予測と予見を成し遂げて、その鋭い未来透察力を賞賛されているドラッカーが、現実主義で、しかも「いま、ここで(ヒア・アンド・ナウ)」 という実存的現在志向が強いと、いぶかしく思う人も多いかもしれないのです。

しかし、「明日何が起こるかは誰もわからない」「未来についてわかっていることは、たとえば人口動態のように、“今すでに起こっている未来”だけである」 という言葉の端々からも伺い知れるように、人智の限界を骨身にしみて了解しているドラッカーにとって、その心の底には人間の考えなどはたかが知れていると いう冷めた眼が光っていることも忘れてはならないのです。

ギリシャ神話の中のシジフォスのように、大きな石を額に汗してようやく山頂に押し上げた途端にその石は転げ落ちることを知りつつも、再び石を運び上げるべ く黙々と山を降りていく人間の姿と、こうした営みをドラッカーは冷徹な、しかし底には温かい眼でもってみているのだと言えるのです。

次に、1970年前後に、あるアメリカの大手製鋼メーカーが、電炉の導入を嫌った原因も同じで、同社のマネッジメントは、自社の高炉が急速に陳腐化し、そ の近代化に数十億ドルの資金が必要なこと、しかも、その資金を調達できないことを知っていたので、取るべき道は電炉しかなかったのです。

その鉄鋼メーカーは、たまたま電炉メーカーを合併していて、新しく手に入れた電炉は生産量を増やし、かなりの収益をもたらしたので、若手の何人かが、資金 を電炉の追加買収と増設に充てることを提案し、その提案によれば、数年を経ずして、特定の市場に的を絞った生産能力を数百万トン増加させることが出来るは ずだったのですが、トップ・マネッジメントは、その提案を退けただけでなく、数年後には、この提案に関わった者は全員、退職の憂き目をみたのです。

トップ・マネッジメントは「高炉中心の一貫製鉄所こそ唯一の道である。その他のいかなるものも、ごまかしに過ぎない。流行は不健全であり、長続きするはず がない。」としたのですが、10年後の今日、アメリカの鉄鋼業界において成長を続け、繁栄を誇っているのは電炉で、一貫製鉄所の完成に半生をかけ、高炉に 馴染んだ(鉄鋼業界によく見られる)親子2代の鉄鋼マンにとって、高炉以外のものは、すべて新奇な異物であり、脅威だったのです。

自らにとっての最善の機会を敵の中に見出すには、相当なエネルギーを必要とし、このような事例は、数えれば、きりがないほどたくさんあり、現在、生き残り隆々としている企業は、このような幸運に浴している企業ばかりであると言っても過言ではないのです。

改めて、経営者に必要な素養として、何歳になっても、素直、謙虚であることは欠かせず、特に、人間の場合は、年齢を経る毎に頑固になる傾向があるので、年齢を経ても余計にフレキシブルで、素直で、謙虚になり続けるのも、経営者の大切な修行なのです。

トップ・マネッジメントの地位にある者の多くは、大企業、中小企業を問わず、或いは官民を問わず、特定の部門や分野から昇進してきていて、彼らにとって居 心地が良いのは、それら出身部門や分野であり、メイシーの会長から先の話をされた頃、同社のトップ・マネッジメントの中で、婦人服のバイヤー以外の仕事か らスタートして昇進してきていたのは、人事担当の副社長だけで、その副社長以外の者にとって、家電は他人ごとでしかなかったのです。

以上の話は、多くの企業の教訓ですが、過去の成功が大きければ大きいほど、成功の罠から抜け出すのが難しく、経済では、常にバブルが繰り返すように、忘れ た頃に必ずバブル経済が発生し、経済が破綻し、その後回復することを繰り返し、過去のバブルを経験した人が経済界から消えたころ、必ず、新しいバブルが発 生し、過去、体験しているにも関わらず、同じような轍を踏み、婦人服のバイヤーからスタートした役員たちにとって、自分たちにとって、心地良い安心領域か ら離れることは出来ないのですが、私はこれと正反対の事実を知っています。

私は高松高專が出来始めた3期目に入学したので、教官の数も足りず、民間からの一般の人たちを教師として採用し、そのような人たちは、元々専門が他の分野 であっても、その分野では先に他の先生が受け持っているので、自分はまったく新しい分野を担当しなければならない先生も何人もいて、そのために、そのよう な先生方は、学生を教えるために、自分が独学で先に学ばなければならず、40歳代、50歳代で、再度の学びを始めなかったらいけなかったのです。

すると、高專の授業の中では、元々の専門の先生よりもむしろ、そのような先生方の授業の方が、分かり易く、面白く、そのような先生方は、過去の自分の専門 分野である、安心領域から逸脱して、新しい分野にチャレンジせざるを得ず、無理やりに安心領域から出ざるを得なかったのですが、安心領域から出ることに よって、さまざまなメリットを受けることが出来るので、われわれは常に安心領域から逸脱することを、やり続けなければいけないのです。

画像は、ロンドンの中心地ではなく、少し離れた場所にあったカフェでの朝食で、このようなバランスの取れた、健康的な朝食をどこでも、簡単に取ることが出来るのです。

東京都内で、このような朝食を摂ろうとすると、なかなか取れないのです。

食本来の本質、役割をわれわれは再度、見直す必要があるのではと思います。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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