本日のテーマは、「新しいビジネスモデルの創出」です。
昨日までの2日間の経営講義は、大和、讃匠合計6名の新入社員が参加していて、熱心な質問がたくさんあり、いつもと違った経営講義になりました。
しかし、20歳代の社員がほとんどであったので、20年前、30年前の話をしても、通じない場面がありました。
例えば、昔は街のあちこちに、八百屋、豆腐屋、魚屋、米屋、酒屋等がたくさんあった話をしても、理解出来なく、彼らの小さいころは、郊外のスーパーが主流であり、コンビニが当たり前であったのです。
30年前から40年前にかけて当たり前であった景色もすでに20年前には、なくなっていたものもたくさんあったのです。
今回の経営講義に参加者の中に、鉄工所をお父さんの代からやっていたのを、引き継いだのですが、自分の代で廃業し、うどん店を目指しているのです。
私の親父も若いころは鉄工所をやっていて、昔は鉄工所もあちこちにありましたが、今は、ほとんどなくなっているのです。
鉄工所は、一般消費者を対象にしたビジネスではないので、ライフスタイルの変化ではなく、産業構造の変化により淘汰されているのです。
これらの変化は、一気に起きず、徐々に変化しているので、目立ってはいないのですが、大きなスパンで見てみると、変化は顕著に見えてきます。
時代の変化がこの先どうなるかが分かっていると、ビジネスを進める上では、非常に役立ち、失敗を減らせることが出来るのです。
時代の変化も、短期的な変動は分かりませんが、長期的な大きな流れの予測はそんなに難しくなく、大きなトレンドを理解し、それに沿ってビジネスを進めることは、比較的簡単なのです。
例えば、昨日も書きましたが、大きなトレンドとして、生産年齢人口の緩やかな減少と高齢化、少子化と少子化に伴う、小学校、中学校の廃校、草食男子化、肉食女子化、男女とも生涯未婚率の上昇、健康志向、機能的ベネフィットから、感情的ベネフィットへ、サービス産業化、人口減に伴う内需の減少、一人世帯の増加、女性の社会進出、円安に伴う物価の上昇、介護の増加等々、さまざまな現象がすでに起きているのです。
そしてこれらの現象は、一気に起きているのではなく、過去から未来へ延々と続き、その現象を上手く捕えたビジネスが大成功し、そうでないビジネスが衰退の一途を辿っているだけなのです。
これらの現象を上手く捕え、現在まで非常に成功し続けてきているビジネスのひとつがコンビニエンス、ほかほか弁当、宅配ビジネス、これからますます増えるのが、葬儀ビジネス、カフェ等々であり、衰退する可能性の多いのが、単一ビジネスなのです。
世界的に著名な投資会社として、大成功しているバークシャー・ハザウエイは、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハに本社を置く世界最大の持株会社であり、世界でも五指に入る資産家であり、「オマハの賢人」と称される著名投資家ウォーレン・バフェットが会長兼CEOを務めているのですが、成功している投資家ほど、短期で売買ではなく、長期的に株式を保有しているのです。
一般的なイメージとして、成功している投資家は、株式の値段が底値で買い、高値で売り抜ける賢い存在のように思われていますが、世界でトップの投資家の日々は退屈なくらいに、株式の長期保有を行ない、長期的に安定して成功が見込まれている会社の株式しか持たず、短期的な売買は一切行わず、時間をかけて、成功してきたのです。
すなわち、大きなトレンドだけを見据えて、短期的なノイズ(流行)には、見向きもしていないのです。
要するに、短期的なノイズを一切気にしないで、長期的な大きなトレンドを理解して、ビジネスを行なうことが、ビジネスの王道であることが世界的な投資家の行動を通じてもよく分かるのです。
従って、経営者の仕事のうちで一番大切なことは、自社に影響を及ぼす可能性の高いジャンルの大きなトレンドを深く理解し続けることであり、それには、本日のドラッカー・マネッジメントのイノベーションにもあるように、外へ出て時代の大きな変化を体験し続けることが欠かせないのです。
経営者自身が実際に外へ出て見て回ること、社内のスタッフたちがお客さま方との触れあう中で得られる情報、社内に蓄積される情報を分析した結果におけるさまざまな知識の活用等々、配慮しなければいけないことは、山ほどあるのです。
そして、社内のスタッフたちの進化を通じて、より外の世界とつながり、より多彩で重要な情報の収集が可能になるのです。
昨日、一昨日と社内の新入社員のスタッフたちの経営講義への参加は、スタッフたちにとっても、私にとっても、参加した生徒さんたちにとっても、良い刺激になったと思います。
来週6月14日(日)から16日(火)までの3日間、ドリーム・スタジオ高崎にて、皆さんのパワーをアップするイベントを開催し、私も新しいレジメを準備して参加します。
(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/)
本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、最近、一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。
更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。
「外へ出て調べる」
しかしここに、もう一つ面白い事例があり、錠前の話の半世紀後の、きわめてビジネスに長けたはずの大きな産業の話で、この話もまったく同じことを教えているのです。
第二次世界大戦後のアメリカで、ベビー・ブームによる団塊の世代が、所帯を持ち、家を買う年齢である20代半ばに達したころ、1973年から74年の不況と同時に、インフレも悪化し始め、住宅の値上がりが大きく、住宅ローンの金利も急上昇したために、住宅が売れなくなり、対策として、住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を作り、「基本住宅」として売り出したのですが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だったのです。
さらに、金利を下げ、支払期間を延ばし、値を引いて売りさばこうとしたが、誰も買おうとはしなかったので、殆どの住宅業者が、予期せぬ失敗に直面した企業が行なうであろうことは、すべて行ったのですが、結果は、不合理な消費者の行動に悪態をつくぐらいが、関の山だったのです。
そこで、ある小さな業者が、何が起こっているか調べた結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知ったのです。
彼らの祖父母、父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなく、1970年代の若夫婦は、最初の家に2つのものを求めていたのです。
1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう一つは、数年後、大きな立派な家を持つための足がかかりとすることであり、最初の家は、長く住む立派な家を買うための頭金として売らなければならなかったので、「基本設計」の家を誰も欲しがらなかったのは、中古になったとき、良い値で売れるはずがないと考えていたためで、「基本住宅」は、本当の住宅を買うための手助けになるどころか、夢の実現の邪魔にしかならなかったのです。
1950年頃の若夫婦(1970年代の若夫婦の親の世代)の多くは、自分たちが「労働者階級」であることを自覚していて、欧米では「労働者階級」は見習い期間を経て正規の職を得た後は、収入や生活水準もあまり変わらず、年功は、(日本を例外として)賃金よりも雇用の安定において意味があるに過ぎなかったのですが、1970年代の「中流階級」は、45歳或いは48歳に達するまで、所得の着実な増加を期待出来、1950年から75年の間のどこかで、アメリカの若者の現実、認識、教育、期待、仕事が、「労働者階級」から「中流階級」へ変化していて、同時に、最初の家の意味が変化し、価値観が変化していたのです。
この変化は、週末を何回か使って、家を買いそうな若夫婦の声に耳を傾けるだけで分かり、この変化を理解したとき、イノベーションは速やかに行われ、成功し、しかも、その住宅建設業者は、「基本住宅」に大きな手を加えたわけではなく、台所の設計を変え、居心地を多少よくはしたのですが、住宅そのものは、売れなくて困っていたあの「基本住宅」そのものだったのですが、「あなたの家」としてではなく、「あなたの最初の家」、「欲しい家の第一歩」として売られたのです。
家を買おうとする若夫婦は、「基本住宅」以外に、2つ目の浴室や幾つかの寝室、地下室などを建て増ししたモデルハウスも見せられた上、その住宅建設業者は、「基本住宅」を「一生住む家」に増改築するために必要な、市当局の許可証さえ手に入れ、5年後ないし7年後に大きな家を自社から購入してくれる際の下取り価格まで示したのです。
この住宅会社は、「リスクは何もなかった。人口構造から見ても、1980年代の末から90年代までは、1961年の少子化前に生まれた人たちが、それらの下取り価格で、新しい家を買ってくれることになっていた。」と言い、この住宅会社は、予期せぬ失敗をイノベーションの機会として捉えるまでは、ある都市で小さな仕事をしている中小企業に過ぎなかったのですが、5年後には、7つの都市圏に事業を拡げ、そのいずれにおいても最大手もしくは2位の地位を占めるまでになり、1軒も家が売れないという大手の住宅会社がいくつもあった、1981年から82年にかけての住宅不況の時でさえ、成長を続けたのは、「最初に下取り保証をしたときには想像もしていなかったことが起こった。少し手を加えるだけで、かなりの利益を上乗せして売れる新品同様の中古住宅が安定的に手に入るようになった。」からでした。
マネッジメント、特に大組織のトップ・マネッジメントは、予期せぬ失敗に直面すると、一層の検討と分析を指示するのですが、錠前のケースや「基本住宅」のケースが教えるように、それは間違った反応なのです。
予期せぬ失敗が要求していることは、マネッジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことであり、予期せぬ失敗は、つねにイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないし、トップ自らが真剣に受け止めなければならない事項で、以上の教訓は、多くのビジネスに当てはまり、この話は1970年から80年にかけて、実際にアメリカで起きた話であったのです。
私が当社を創業したのは、40年前の1975年ですから、以上の話はちょうどその頃の話で、私が創業した頃は、ビジネスにおいてマネッジメントの大切さをぜんぜん理解せずに開業したので、最近、麺専門店を開業しようとしている方々と何ら変わらなかったのですが、この40年間で、嫌と言うほどたくさんの失敗を繰り返し、マネッジメントの大切さを理解しているので、麺學校の経営講義では、マネッジメントの大切さをさまざまな方法で繰り返しているのです。
マネッジメントと言えば、難しい学問のように思っている方が多いのですが、決してそうではなく、肝心なところを抑えて、一貫性を持ち、ぶれないことなのであり、学ぶことの大切さを理解し、学んだことを実践することであり、スパイラル上に進化し続けることであり、進化し続けることを楽しい習慣にすることなのです。
今までの悪い習慣(悪い時間の使い方)を良い習慣(良い時間の使い方)に、変えることで、自分の価値観を理解し、使命を明確にして、的確な事業コンセプトを作り上げ、コンセプトの一貫性を守り切ることであり、自分の強みを理解し、強みを更に強化し、弱点を気にしないことであり、ビジネスの本質を理解し、本質に沿って、ビジネスを深め続けることなのです。
儲けを先に優先しようとしないで、社会に貢献することを優先し、多くの人たちの幸せに貢献することを目指すことであり、時代背景を理解し、時代背景に合ったことを追求し続けることであり、上記のことを日々、人生を楽しみながら、探求し続けることであり、自分の使命に沿って、人生の日々を思い切り楽しむことこそ、自分自身の存在意義なのです。
「取引先や競争相手の成功と失敗」
もちろん消費者だけでなく、取引先に起こる予期せぬ事態にも注意を向けることが必要であり、例えばマクドナルドは、創立者レイ・クロックが顧客の予期せぬ成功に注意を向けたことがきっかけであり、当時、クロックは、ハンバーガー店にミルクセーキ用のミキサーを売っていたところ、あるとき、はるかカリフォルニアの小さなハンバーガー・チェーンが、それらの場所や店の規模にしては不釣り合いなほど多く買ってくれていることに気づき、調べたところ、そのチェーン店が、経営を極めて合理的にやっていることを知り、やがて、クロックはその店を買い取り、この予期せぬ成功を基に、10億ドルのビジネスを作り上げたのです。
競争相手の予期せぬ成功や失敗に注意を払うことも、同じように重要であり、いずれも、イノベーションの機会を兆候として取り上げなければならないのですが、単に分析するだけでは不十分で、調べるために出かけなければならないのです。
ビジネスはバランスであり、一方だけに偏るのではなく、常にさまざまなバランスを取り続けることも大切で、事務所の中だけにこもるのではなく、外に出て時代背景の変化、お客さまの価値観、ライフ・スタイルの変化を理解することと、社内のスタッフたちへの理解も併せて大切で、ビジネスは、外と中の双方に気配りし、双方のバランスを取ることが大切なのです。
昨日は、うどん学校とラーメン学校の経営講義の2日目で、昨日は、生徒さんたちからも質問がたくさん出て、盛り上がりました。
経営講義も2日目になり、生徒さんたちの緊張も緩んできたようです。
画像は、昼食の亀城庵の看板メニュー、エビ餅ぶっかけです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。