https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-nagoya/)昨日までのLAの「1day ramen school」を済ませ、帰途につき、今回のLAでの5日間にわたる滞在を振り返ってみると、私たちが探し求めていた答えはすべて現場にありました。
私が参加したLAの「1day ramen school」は3回目で、最初は手探りで日本と同じような方法で始め、次に参加者の質問に対応してセミナーを進めてきました。
最初の1回目、2回目では、セミナーを行ない、実演を上手くこなすだけで、精一杯で、参加者の要望を上手くつかむことが出来なかったのですが、今回は、参加者の方がたと合間に色んな話をすることが出来、それぞれの参加者の個別の要望にも触れ、どのようなことを希望しているのかが良く分かるようになりました。
何度も北米に来ているうちに、北米を身近に感じるようになり、国内と同じような感覚で捉えることが出来るようになり、来場者の出身地を聞いても、日本の国内から来ているような感覚になってきたのは、不思議なことです。
4年半前に札幌に拠点を作った時には、それまでは身近に感じていなかった札幌が非常に身近に感じるようになったのとまったく同じなのです。
この様にして国際ビジネスに馴染んでいくのだということがよく分かるようになりました。
今ではヨーロッパのロンドンにしても、パリ、ドイツ、或いは東南アジアの国々も同じように、国内と同じような感覚にだんだん変化してきているのです。
移動時間が少し余分にかかるだけで、国内でビジネスを行なうのとぜんぜん変わらないのです。
言葉はまだまだ不便ですが、これも時間の問題で、あと半年もこの調子で来ていると、何でもなくなるような気がします。
水泳と同じで、本を読むより、水の中に飛び込んでみる方が早いのです。
アメリカではホームレスであろうと、誰であろうと、一人前に英語をしゃべっているので、われわれがしゃべれない訳がないと、思うと気が楽になるのです。
特にアメリカは、アメリカンドリームが実現する国なので、体制が整うのを待つのではなく、チャンスがあると思えば、思い切り飛び込んで、失敗をしながら、体験をしていくのが早く、成功率が高いような気がします。
これは英語をマスターするのと同じで、出来るだけ多くに失敗を早く体験した方が早く成功出来るのです。
国内のビジネスに慣れてしまっていると、失敗したり、背伸びをしたり、安心領域から逸脱することを避ける傾向があるのですが、海外では思い切り、背伸びをし、安心領域から逸脱する方が、成功率が高いようです。
今回の当社のイベントに参加された多くのお客さまのほとんどは、若い人でもアメリカでの外食ビジネスにある程度成功された人たちばかりで、当社の製麺機は北米仕様の場合、国内仕様よりはるかに高額になるので、ある程度の資金を持っている人しか、買えないのです。
そのような人たちの生きざまを見ていると、ほとんどの人たちは安心領域に止まらず、リミッターが思い切り外れている人たちなので、話していても、人間的な魅力のある人たちばかりで、非常に楽しいのです。
そのような人たちと本音で3日間も付き合っていると、自然とアメリカのビジネス文化を吸収することが出来るのです。
日本語と英語にはまったく違った文化が背景にあり、日本語を話す日本人と英語をずっと話している日本人の顔つきがまったく異なってくるように、ビジネスについても、背景が異なり、アメリカにはアメリカのビジネス文化のバックグラウンドがあるのです。
このようなことも現地に来なければ、そして気を付けていなければ分からないことで、このようなことを理解することが、ビジネスを早く理解出来る近道ではないかと思います。
日本の国内だけで、単一民族の中だけでビジネスをやっている限りはまったく分からないことですが、この様に海外に出れば、いろんなことが分かるのです。
今月中旬には、同じようなイベントがシンガポールでありますが、シンガポールは北米とは、まったく違った商習慣があり、ビジネスの背景も異なるのです。
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グローバルでビジネスにかかわることによって、海外でのビジネスのノウハウを更に日本にもフィードバックする事により、もっと成果が上がることが出来る可能性があるのです。
当社のラーメン学校がここまで成功している大きな原因の一つが、うどん学校の成果、蕎麦学校の成果をラーメン学校に取り入れているので、通常のラーメン店がやっていないことを教えることが出来ているのです。
本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、最近、一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。
更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。
3 必要とされる2つの社会的イノベーション
起業家社会を実現するためには二つの領域において社会的イノベーションを実現することが必要である。
◆雇用問題の解決
第一は、余剰労働者の問題を解決することであり、余剰労働者といっても、絶対数そのものはさして多くないのですが、煙突産業の労働者は、ごく限られた地域に集中していて、アメリカ自動車産業におけるブルーカラー労働者の4分の3は、20の郡に住んでいるので、目立つ存在であり、組織率も高く、さらに重要なこととして、彼らは、新しい仕事を見つけ、専門を変え、土地を変わる能力に欠け、教育も技能も社会的な能力も十分ではなく、何よりも自信がなく、彼らの多くは求職活動をしたこともなく、働きに出る年齢に達すると、すでに自動車工場で働いていた親戚が現場管理者に紹介してくれ、あるいは教区の牧師が、製鉄所で慟いている信者の1人に紹介状を書いてくれたのです。
イギリスの煙突産業労働者、ウェールズの炭鉱労働者も似たようなものであり、ドイツのルール、フランスのロレーヌ、ベルギーのボリナージュのブルーカラー労働者についても同じことが言え、彼らは、先進国社会における今世紀の教育と知識の向上から取り残された階層であり、彼らはその能力、経験、技能、教育において、1900年当時の未熟練工とさして変わらず、この間に起こったことといえば、彼らの所得と政治力の爆発的な増大だけであり、彼らは、福利厚生を含めると、実に今日の産業社会における最大の受益者であり、個人および階層として自助能力には欠けているものの、何ごとについても反対し、拒否し、阻止する力をもち、もし社会が新しい職場を与えることができなければ、彼らは、社会にとって完全にマイナスの勢力となるのです。
しかし、この問題は、起業家経済の実現によって解決でき、新しい事業が、この10年間にアメリカで見られたように、新しい職場を創出し、伝統的な煙突産業における大量失業が、これまでのところアメリカで政治問題化せず、保護主義的反応の引き金ともなっていない理由はここにあり、起業家経済が新しい職場を創出したとしても、煙突産業の余剰労働者を訓練し、転職させるためには、組織的な努力が必要であり、彼らだけでできることではなく、そのような組織的な努力がなければ、煙突産業の余剰労働者は、自らの救済さえ含めて、新しいことにはすべて反対することになるのです。
たとえば電炉は、一貫製鉄所の余剰労働者に職場を提供し、オートメ化した自動車工場は、レイオフされた自動車労働者に職場を提供するのですが、彼らは、現在の職場が長続きするはずのないことを知りながら、電炉の増設や工場のオートメ化に反対するので、煙突産業の余剰労働者に雇用機会を与えなければならず、さもなければ、すでにイギリスで見られるように、そしてアメリカの郵便事業で見られるように、彼らは、その喪失感、恐怖、失望のゆえに、あらゆるイノベーションに抵抗し、そのための組織的な努力は、これまで2度行われ、一度は、1906年の日露戦争後の不況下において、三井財閥によって行われ、もう一度は、第2次大戦後のスウェーデンにおいて、農民と木こりの国を高度な工業国に変えるために行われ、面倒を見るべき余剰労働者の数はさほど多くなく、余剰労働者の3分の1は、早期退職制度の対象となりうる55歳以上の人たちであり、あまり心配しなくともよく、また3分の1は、自ら職を探すことのできる30歳以下の人たちであって、同じくあまり心配しなくともよいのですが、残る3分の1の人たちについては必ず、訓練し転職させなければならないのです。
ドラッカーが本書を書いたのは1980年代後半であり、既に25年が経過し、上記に書かれているような煙突産業から、他の産業への人口移動、すなわち、肉体労働から知識労働への移行はすでに終了し、日本で現在起きている現象は、生産年齢人口の急激な減少による、働き盛りの人口の不足であり、そのために、多くのサービス産業、例えば、外食産業とか、介護事業をはじめ、多くの業種で、人手の不足が起きていて、働いていなかったり、希望する職種に就いていない、働き盛りの人口も多く、就業のミスマッチは起きているのです。
また、同じ外食産業であっても、うどん蕎麦店、ラーメン店で幾ら募集しても集まらないのに、カフェで募集すると、優秀な人たちがたくさん押し寄せるので、時代に合ったビジネスを行なうことは、たいへん重要であるのです。
◆廃棄の仕組み
第二は、はるかに過激であって、まったく前例のない至難の業であるが、時代遅れとなった社会政策と、陳腐化した社会的機関を組織的に廃棄する仕組みをつくることであり、これは、以前起こった起業家の時代には存在しなかった問題であり、100年前には、そもそもそのような政策や機関がまだほとんど存在していなかったのですが、今日、それらのものはあり余るほど存在していて、永久に存在すべきものは、たとえあったとしても、ごくわずかであり、短い期間を超えて機能しつづけるものさえ、本来はほとんどないはずであるのです。
この20年間における最も基本的な世界観と認識の変化、真に歴史的な転換ともいうべき変化は、政府の政策や機関もまた、神ではなく人がつくったものであり、いずれも急速に陳腐化していくものであることが認識されるようになったことであり、今日でも、政治の世界だけは、依然として、政府が行うものは人間社会の本質に根ざすものであり、したがって永遠であるとの昔からの前提を堅持し、その結果、政府が行っている古くなったもの、陳腐化したもの、もはや生産的でなくなったものを切り捨てるためのメカニズムが存在していないのです。
あるいは、新しいメカニズムは、まだ十分に機能するようになっていないというべきかもしれず、アメリカでは最近、法律や政府機関を一定期間後に廃止するというサンセット方式が導入されはじめたのですが、このサンセット方式も、まだ十分機能するにはいたっていないのは、一つには、法律や政府機関が役に立たなくなったことを判定すべき、客観的な基準が存在していないためであり、一つには、廃棄の具体的かつ組織的な方法が確立されていないためであり、あるいは、法律や政府機関が実現するはずだったことを実現するための新しい方法の導入の仕方が、確立されていないためであるのです。
今や、このサンセット方式を効果あるものとするための原理と方法を開発することこそ、最も重要な社会的イノベーションであり、しかも、直ちに行うべきイノベーションであり、社会はそれを待っていて、廃棄に関する課題は、政府機関が抱えているだけでなく、一般企業も同様であり、当社もまったく同じ課題を抱えていて、廃棄は、企業経営の中で難しい課題のひとつであり、難しくしているのは、そこに配置された人材の存在であり、往々にして痛みを伴うのです。
新しく何かを始めるときも痛みを伴うことが多いので、反対する人たちは多く、新しく何かを始めるときは、同時に廃棄が必要であり、これは二重の痛みを伴うようになるので、マネッジメントの力がないと出来ないのです。
当社も約20年前に、年中無休365日のメンテナンス制度を打ち出したときには、ほとんどの社員は反対しましたが、説得を繰り返し、何人かが退社するような犠牲を払ってやっと実現し、今日の成果が得られているのですが、何かを得ようとすると、何かを犠牲にする必要があり、それには大きな痛みを伴うことが多いのです。
画像は、今回LAでお世話になったホテル、ある日遅く部屋に戻ると、タオルを使って、マスコットを作ってくれていました。
見ているだけで、疲れた体が癒されたのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。