うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神」「起業家社会における個人、不断の学習、教育の改革、起業冢社会の役割」

昼食の冷やし中華

来週の7月12日(日)から7月14日(火)までの3日間、ドリーム・スタジオ東京にて、「麺専門店繁盛支援イベント」を開催し、さまざまなセミナーがあり、13日は、私も参加します。
http://www.yamatomfg.com/events/detail.php?id=2245&ref=top

更に7月20日(月)、21日(火)の2日間、シンガポールで「1day ramen school」と「1day udon school」を開催し、2日間とも、私も参加します。
http://www.yamatomfg.com/dl/072015_1dayeventsg01a.pdf

昨日本社で、開発陣と一緒に、あるお客さまから依頼された蕎麦の麺線の自動計量装置の実験に立ち会っていました。

開発担当者が4月頃から取り組んでいたのですが、最近上手くいかなくなってから報告があり、どうすれば満足した結果が得られるかの対策を立てるために、一緒に立ち会ったのです。

何度かテストを繰り返すうちに、カットされた蕎麦の麺線が落ちてくる傾斜角度が緩いために、1本づつ規則正しく落ちずに、まとまって落ちて来て、そのために計量誤差が出るのが原因であることがすぐに分かりました。

そこで、とりあえず傾斜角度をきつくするために、機械の片方を持ち上げてテストをしてみると、カットされた麺線がバラバラにほぐれて落ち、この問題は簡単に解決することが出来ました。

私は、本社でいる時間が短いので、短時間しか一緒に立ち会う時間が取れなかったのですが、見た瞬間に問題点を把握出来、簡単に解決することが出来ました。

担当者はこの問題にずっと取り組んでいたのに、私に簡単に解決出来た理由はたった一つだけで、私にはどうしてもこの問題を解決しなければいけないという責任感があるだけなのです。

担当者と私の一番の違いは、責任の重さの違いだけであり、技術者としては、担当者の方が現役であり、私は、昔は現役のエンジニアでしたが、今は現役を離れているのです。

販売面にしても、社内のいろんな課題にしても、それぞれの担当者と私の一番の違いは責任の重さの違いだけで、担当者に分からない問題、担当者に解決出来ない問題が私に出来るのは、この1点だけなのです。

担当者の中には責任感を持って仕事に取り組んでいるスタッフもいて、そのようなスタッフは成長速度が早く、マネッジメント・レベルの仕事を任せることが出来るのです。

社内のスタッフのうち、自ら責任をかぶろうとするのは少ないのですが、責任を取ろうとすればするほど、仕事のレベルが上がり、成長が早くなり、責任から逃れようとする人ほど、成長の速度が落ち、成長しなくても満足しているように思います。

責任を全うしようとすればするほど、難しいことに直面し、たいへんな経験をたくさんしなければいけないのですが、このことがわれわれを育ててくれるのです。

40年間にわたる経験から言えば、ビジネスの規模が少しでも大きくなればなるほど、起きてくる問題もそれに応じて、難しくなり、成長すればするほど、持ちあがってくる問題も難しくなってくるのです。

これらの問題をクリアすることに、実力が備わり、成長し、規模も拡大し、さらに責任の重さは大きくなってくるのです。

そして、一度このサイクルに入ってしまうと、逃げ出すことは出来ず、最後の最後まで闘い続けなければいけないのです。

最近もある本を読んでいて、人類の使命は「生き残ること」であることがよく分かりました。

企業の使命も同様に、生き残ることは外せず、ライバルより長く生き残り続けることが絶対条件であり、生き残ることが出来なければ、幾ら理想を描いても何も残すことは出来ないし、貢献することも出来ないのです。

長く生き残ることも、偉大なる責任感であり、そのためにわれわれは日々、自分自身との格闘を続けているのです。

永く生き残り、繁栄を続けるためには、目先の損得を優先するのではなく、必要なときには、思い切り、変わらなければいけないのです。

例えば、われわれの遠い、遠い祖先が最初は水中で生活をしていたのですが、あるとき、水中の強い敵に追われて地上の生活を強いられたときに、地上に出て生きる決断をしたときに、われわれ人類の未来が拓けたのです。

われわれは常に環境の変化に晒され、大きな決断をしなければいけないことばかりですが、それには常に、責任が伴い、果敢な責任感を持ち、永く繁栄するための決断をしなければいけないのです。

本年2月21日から始まった、91日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びは、最近、一応終えたのですが、さらに、学びを深めるために、大切な部分の復習を進めていきたいと思います。

更に、イノベーションと起業家精神を磨き、会社を大きく変えるのに、役立てていきます。

5起業家社会における個人

起業家社会では、一人ひとりの人間が、自らの機会とすべき重大な挑戦、すなわち継続学習と再学習の必要性に直面するのですが、これまでの社会では、学習は、青年期あるいは少なくとも社会人に達したとき完了するものと想定することができ、事実、そのように想定され、21歳頃までに学ばなかったことは、それ以後も学ぶことはなく、その反面、21歳頃までに学んだことは、その後の人生において、何ら変わることなく使うことができ、そのような前提のもとに、見習い制度も成立し、教育制度や学校も成立し、職能、資格、教育、学校は、今日でも多かれ少なかれ、これを前提とし、もちろん例外的に、継続学習と再学習を行う人たちはいて、芸術家、学者、禅僧、イエズス会の修道士などだったのですが、それらの例外は、無視できるほど少なかったのです。

私の人生を振り返ると、気付くことがあり、それは、私の場合は20歳で高松高專を卒業した後、川崎重工に入社してから、本格的な学びが始まり、現在でも日々、学びが続いていて、私の人生から学びは切り離すことが出来ず、自分の知らないことを学び続けることは、私にとって、快楽ホルモンの放出を伴う、大きな快感であり、学び続けることこそ、人生であり、学びがなくなると、あの世への出発になるのです。

◆不断の学習

起業家社会では、この例外が標準となり、起業家社会では、成人後も、新しいことを一度ならず勉強することが常識となり、21歳までに学んだことは、5年から10年で陳腐化し、新たな理論、技能、知識と替えるか、少なくとも磨かなければならなくなり、このことは、一人一人の人間が、自らの継続学習や再学習、あるいは自己啓発、キャリアについて、ますます大きな責任をもたなければならなくなることを意味し、もはや、少年期や青年期に学んだことが一生の基盤になることを前提とすることはできず、それは、その後の人生において全面的に依存すべきものではなく、そこから離陸すべきスタート台にすぎなくなり、そのうえこれからは、軍隊の昇進コースのような、道筋と到達点の明らかなキャリアはなく、一人一人の人間が、自らの人生において、自らの意志によって、さまざまなキャリアを探し、進んでいくことを当然とする必要があり、しかも高等教育を受けている人ほど、起業家的なキャリアを選び、厳しい学習に挑戦していかなければならないのです。

今後とも大工は、見習いや渡り職人として得た技能が、40年後も役に立つと想定できるのですが、医師、技術者、冶金専門家、化学者、会計士、弁護士、教師、経営管理者は、今後15年間において習得し、実際に使う技能、知識、道具でさえ、今日彼らがもっているものとは、まったく異なる新しいものになっていることを前提とする必要があり、それどころか、わずか15年後でさえ、自分がまったく新しいことを行い、まったく新しい目的をもち、多くの場合、まったく新しいキャリアを進んでいるかもしれないことを想定しておいたほうがよく、そのために必要な継続学習や再学習、さらには方向づけの責任を負うことができるのは、自分自身しかなく、そのとき、伝統、慣例、方針は、助けになるどころか障害になるだけであるのです。

私もエンジニア出身であった自分が、麺学校を開校し、料理から、マネッジメントまで教えるようになることは、まったく想定していなかったのです。

当社の麺学校では最新のノウハウ、テクニックを教えていますが、一般の義務教育、高等教育は現場で役立つようなことを教えるのではなく、すでに使い古された理論とか、ノウハウを教えているように思います。

◆教育の改革

このことは、起業家社会が、学校や学習にかかわる今日の前提や慣行に疑問を投げかけることを意味し、今日、世界中の教育制度が、基本的には17世紀ヨーロッパの教育制度の延長線上にあり、もちろん、新しいことが付加され、修正されたのですが、今日の学校や大学の基本の構造は、300年以上前と変わらず、今日、場合によっては過激なほど新しい考え方と新しい方法とが、あらゆるレベルで必要とされていて、就学前のコンピュータ利用は一時的な流行に終わるかもしれないのですが、テレビを知っている4歳の子供は、彼らに対する教え方について、50年前の子供とはまったく違うものを期待し、要求し、かつ反応するのです。

今日何らかの専門職に就くことを志望する大学生が5分の4にのぼるのですが、彼らには「一般教養」が必要であり、当然のことながら、17世紀のカリキュラムの19世紀版たる「一般教養」とは違うものでなければならないのは当然であり、もしこの問題を解決しなければ、われわれは「一般教養」という基本的な概念そのものを喪失し、単なる職業教育、専門教育をもつにすぎなくなり、その結果、人間社会の教育的基盤、さらには人間社会そのものを危険にさらすことになり、教育にかかわる者は、学校教育が若い人たちだけのものではなくなっていること、今や学校にかかわる最大の課題、そして同時に最大の機会は、すでに高等教育を受けている社会人の継続的な再学習であることを、認識する必要があります。

今日のところ、われわれは、これらの問題を解明する理論をもたず、チェコの偉大な教育改革者ヨハン・コメニウスが17世紀に行ったことや、イエズス会の教育者たちが、今日のいわゆる近代的学校や、近代大学を生み出しかときに行ったことをやってくれる者をもたないのですが、少なくともアメリカでは、現実が理論よりも先行していて、この20年間における最も前向きで最も期待のできる動きは、社会人とくに学歴の高い専門職の人たちの継続学習や再学習について、アメリカに文部省なるものが存在していなかったことのありがたい副産物として、いくつかの実験的な試みが芽を出し、20年ほど前から、アメリカでは、高学歴の社会人のための継続学習や専門教育が、特定の計画や思想とは関係なく、しかも既存の教育界からの支援もなしに、大きな成長産業となっています。

日本では社会人の再教育に関して行なわれていることは、ハローワークの関連機関が行なっている専門技術研修制度があり、失業後、進路変更するための専門分野の知識、テクニックをマスターするための学校に、国からの援助を受けながら、学ぶことが出来るのです。

当社の麺学校も、麺ビジネスという特殊な分野での再学習機関であり、当社の麺学校で心がけているのは、生徒さんたちの人生を変える学校であり、単に最新のテクニックを教えるだけではなく、力点を置いているのは、マネッジメントの大切さの理解であり、ビジネスの長い成功には、マネッジメントが欠かせないためです。

◆起業冢社会の役割

起業家社会の出現は、人類の歴史における重大な転換点かもしれないのですが、1873年の世界恐慌は、1776年のアダム・スミスの『国富論』の出版に始まった自由放任(レッセ・フェール)の世紀に終止符を打ち、1873年の世界恐慌のなかから近代福祉国家が誕生したのですが、今日では誰もが知っているように、100年をかけて、その福祉国家も道を走り終わり、福祉国家は、人口の高齢化と少子化旡いう問題に直面しつつも、生き残っていくかもしれないのですが、それが生き残ることができるのは、起業家経済が生産性の大幅な向上に成功したときだけです。

われわれは、こちらにもう一つの新しい福祉、あちらにもう一つの福祉というように、相も変わらず福祉の大殿堂にいくつかの小さな手を加えていくかもしれないのですが、今やオールド・リベラルでさえ知っているように、福祉国家は過去のものであって、未来のものではないのですが、その後継者は、はたして起業家社会となるのだろうかが疑問で、そのためにも、われわれ企業人は頑張らなければいけないことが、よく分かります。

昨日土曜日は、普段は社内給食がお休みですが、讃匠の夏冬の繁忙時だけは、給食を行なっていて、昨日は久しぶりに社内で昼食を取りました。

昨日は珍しく麺のメニューで、冷やし中華でした。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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