本日のテーマは「海外進出の難易度」です。
最近の海外出張は主に、ヨーロッパ、アメリカ中心で、たまにシンガポール、香港等、アジアでも発達した都市だけだったのですが、10年ぶりにインドネシア、マレーシアを訪問し、発展途上にあるアジアの現状に触れ、多くの情報を仕入れることが出来ました。
今まで、麺学校に参加する生徒さんを通じて、いろんな話を聞いていましたが、実際に訪問してみると、余計に実感を伴って理解することが出来、現地に行くまでは、インドネシアとマレーシアとの違いがこんなに大きいとは想像も出来ませんでした。
単に、人口、インフラ充実度、所得等の差だけではなく、国民性もだいぶ異なり、インドネシア人の方がマレーシア人より、笑顔があり、陽気で人懐こいので、サービス業には向いていると思いました。
同じようなマレー系人種であっても、長い歴史の中で作り上げられた環境の違いにより、国民性も大きく変わっているのです。
今回の出張では、主にショッピングモールを見て回り、路面店はほとんど見ることが出来なかったのですが、すでにショッピングモールもオーバーストアで、ショッピングモール間の競争が激しく、お客さまをたくさん集めているモールと、そうでないモールの間の落差が大きかったのには、驚きました。
また、同じモールの中でも、繁盛店と閑古鳥が鳴いている店の落差が大きく、日本から進出している店でも、繁盛店があれば、そうでない店も多く、現地資本の店であっても、この様子はまったく同じで、現地のお客さまのニーズを理解し、上手く対応出来ている店だけが繁盛していました。
すでに、マレーシアは完全にオーバーストアであり、インドネシアももう少しで、オーバーストアになるので、日本から進出しているレストランは、今までは、比較的競争が少ない状態であったのですが、これからはたいへんな競争状態になり、日本で起きたことが、少しの時間差で海外に及んでいるのです。
インドネシアは、飲食ビジネスの人手は、今のところは幾らでも集めることが出来ますが、マレーシアでは、すでに人手を集めることは、日本のように難しいのです。
昨日も触れましたが、人材確保の難しいビジネスほど、ビジネス自体が難しく、儲かり難いので、マレーシアの方が、インドネシアよりも飲食ビジネスは難しくなっているのです。
従って、マレーシアで、飲食ビジネスを成功させるには、人材確保の難しくなっている日本で成功するような、レベルの高い飲食ビジネスしか、通用しないのです。
従って、東南アジアでも国ごとに、国民一人当たりのGDPは異なり、香港、シンガポールは、すでに日本より国民一人当たりのGDPは高いので、日本ですでに賞味期限が切れているような、ビジネスモデルの飲食ビジネスを持ち込んでも、成功しないのです。
従って、海外進出には、その国の国民一人当たりのGDPのレベル、政治情勢、関係する法律、経済状態、国民性、食に対する嗜好、出店する地方の状態等々、勝手の分かっている日本で出店するのとは、難易度がまったく異なるのです。
ビジネスとして、海外出店するのであれば、現地でのチェーン展開は必至で、ある程度の店舗数が出店出来ないと、利益の確保は難しいのです。
だから、1店だけで成功しても、多店舗展開して成功しないと、成功と言えないのです。
昨日は、店舗を視察中に、うどんと寿司が中心の日本料理の店を発見しました。
良く見ると、当社のうどん用製麺機「真打」が店頭に見えたので、入ってみると、メニューが非常に斬新で、日本のうどん店にもないようなメニューがほとんどで、今までのうどん店の定番メニューは非常に少なかったのです。
私がうどん学校の盛付の実習で、生徒さんたちに教えているようなメニューばかりで、刺身うどんとか、オムライスのライスの代わりにうどんを使ったもの、パスタ風のもの等々、試してみたくなるメニューがたくさんあり、注文した料理の盛付もたいへんきれいで、肝心の麺質もたいへんシッカリ、噛みごたえがあり、美味しかったのです。
マレーシアでもこんなうどんがあるんだと感心するような麺質で、うどんメニューも斬新であったのですが、サラダの種類も多く、サラダだけでも8種類くらいあり、うどんと寿司を中心にした、カフェのようなうどん店でした。
日本にもまだないような、斬新なメニューうどん店がクアラルンプールにあり、繁盛し、麺の世界もどんどん進化していることにていたのには驚くとともに、気になったのは、日本国内の停滞です。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
「富の創出能力の増大」
既存の資源から得られる富の創出能力を増大させるのも、すべてイノベーションであり、トラックの荷台を荷物ごと切り離して貨物船に載せるという考え方は、新技術とはかかわりがなかったのですが、コンテナー船というイノベーションは、技術の進歩からではなく、貨物船を単なる船としてではなく、運搬用具として見ることから生まれ、重要なことは、港での貨物船の滞留時間を短くすることであり、この平凡なイノベーションが貨物船の生産性を4倍も高め、運搬業の危機を救い、経済史上最高の成長ともいうべき40年間における世界貿易の伸びをもたらせたのです。
初期教育の普及をもたらせたのも、教育に対する理解、教師の育成、教育学の進歩ではなく、最もイノベーションらしからぬイノベーションは、17世紀半ばのチェコの偉大な教育改革者、ヨハン・アモス・コメニウスによる教科書の発明であり、教科書がなければ、いかに優れた教師であっても、1度に1人か2人の生徒しか教えられないのですが、教科書があれば、平凡な教師でも1度に30人から35人の生徒を教えることが出来るのです。
当社の麺學校でも、教科書が完成してから、授業内容のレベルが飛躍的に向上し、授業内容が体系化されるに従い、教科書の完成度が高まり、ノウハウの構築に加速度がつき、次つぎと新しいノウハウが生まれ、1度作成した教科書を一定の間隔で、次つぎとリニューアルし、ある期間が経てば、新しい内容になり、常に改訂版の出版が必要になり、教科書のお蔭で授業内容の進化が速まり、教科書を事前に生徒が読んでくるので、生徒の理解度も高まったのですが、教科書を作るというのは、とてもイノベーションには思えないようなことですが、結果を大きく変え、授業の成果に大きな、良い影響を及ぼし、新規開業者の多くが失敗するのは、マネッジメントの理解不足であり、マネッジメントの教科書はたいへん意味があるのです。
多くの麺学校の生徒さんたちにとっての次に難しいテーマは盛り付けであり、近々完成する盛り付けの教科書も生徒さんたちには、貴重な財産になり、既に完成している教科書では、デジタル・クッキングについて詳述しているので、無化調でのデジタル・クッキングの理解にはたいへん役立っており、このようにしてみると、われわれが普段イノベーションと思わずに実行していることも立派なイノベーションになっていて、われわれの身の回りにある、大きな成果を挙げているイノベーションは何かを理解することが、次のイノベーションを創り出すのに大きく役立ち、われわれ日本人は、イノベーションとは技術革新であり、イノベーションを起こすのは、特殊な人のように思っていますが、イノベーションは身の回りの不便なところ、不満足から生まれているのです。
コンテナ船の事例では、貨物船が港で荷卸しのために長時間停泊せざるを得ない状態になり、ある貨物船の荷卸しの最中には、次の荷卸しを待っている貨物船が行列になって待っている状態で、これらの貨物船は時間を無駄にしているだけであり、途轍もなく、貴重な資源を浪費していて、お客さまが抱えている不便、不満を取り除くこと、社内外にある不便、不満を解決することがイノベーションに繋がり、その効果は大きく、収穫機を作っていたサイラス・マコーミックは、割賦販売制度を収穫機の販売に取り入れ、ビジネスに大きな成果をもたらせ、いつの時代でも、お客さまが買い易くすることは、需要を創出するためには、欠かせないのです。
「社会的イノベーション」
イノベーションは技術に限ったものではなく、モノである必要さえなく、それどころか、社会に与える影響力において、新聞や保険を初めとする社会的イノベーションに仇敵するイノベーションはなく、割賦販売は、まさに経済そのものを供給主導型から需要主導型へと変質させ、同様なお金に関するイノベーションとしては、今では当たり前で、誰もが使っているキャッシュ・カード、プリペイド・カード(スイカ等)、お財布携帯、電子マネー等々、数えきれない種類の新しい貨幣が出来、使い始めのころは少し違和感があったのですが、今ではまったく当たり前になり、誰でも普通に使っていて、政府が行なっている補助金政策も、税収確保のための一種のイノベーションであり、今ではごくごく当たり前になっている、給与制度もイノベーションであり、これからもイノベーションを起こし続けていかなければいけない分野で、給与も、その時代、時代のニーズに合った給与制度でなければいけないのです。
18世紀啓蒙主義による社会的イノベーションの1つである近代病院は、いかなる医学上の進歩よりも、医療に対し大きな影響を与え、明治維新までの日本には病院はなく、病気になれば、町の医者に診て貰い、薬を買って飲むしか方法がなく、明治以降の日本の医療において、病院が果たした役割は限りなく大きく、昔は人生の終わりを迎えるのは、自宅であったのが、現在ではほとんどの人が病院で亡くなり、多様な知識や技術を有する人たちを、共に働かせるための知識としてのマネッジメントもまた、今世紀最大のイノベーションであり、まったく新しい社会、いかなる政治理論や社会理論も準備されていない組織社会を生み出し、明治以前の日本では、会社で誰かと一緒に働くという概念がなく、明治以降、会社組織が出来、人びとの働き方が一変し、経済史によれば、ドイツではじめての蒸気機関車を作ったのはオーガスト・ボルジヒですが、彼は、はるかに重大なイノベーションとして、ギルドや教師、或いは官僚の抵抗を押し切り、今日、ドイツ産業の基盤となっているドイツ特有の工場システムを作り、彼は、広範な裁量権のもとに職場を動かす、敬意を払われる存在としてのマイスター制度や、現場訓練と学校教育を結合させた徒弟制度を作り、今でもドイツは世界屈指のモノ作り大国になっているのは、こうした先輩たちが基礎を作った努力のお蔭であり、今でもその遺産が脈々と引き継がれているのです。
マキャベリの「君主論」(1513)による近代的な政府の概念と、その約60年後の後継者ジャン・ボーダンによる近代国家の概念は、いかなる技術的イノベーションよりも、近代社会に永続的な影響をもたらし、社会的イノベーションとその重要性について最も興味ある例は、近代日本であり、開国以来、日本は、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、或いは真珠湾の勝利、さらには1970年代と80年代における経済大国化、世界市場における最強の輸出者としての台頭にも関わらず、欧米からは常に低く評価されてきたのですが、その主たる理由、恐らく唯一の理由は、イノベーションとはモノに関するものであり、科学や技術に関するものであるという一般の通念にあり、実際、日本は、イノベーションを行なう国ではなく、模倣する国だと見られてきましたが、これは、科学や技術の分野で、日本が際立ったイノベーションを行なっていないためだったのですが、日本の成功はイノベーションによっていて、日本が開国に踏み切ったのは、征服され、植民地化され、西洋化された、かってのインドや、19世紀の中国の二の舞を踏みたくなかったからです。
日本は、柔道の精神により、欧米の道具を使って欧米の侵略を食い止め、日本であり続けることを目指し、日本にとっては、社会的イノベーションの方が蒸気機関車や電報よりもはるかに重要であり、しかも、学校や大学、官僚機構、銀行、労使関係のような社会的機関の発展、すなわち社会的イノベーションの方が、蒸気機関車や電報の発明よりもはるかに難しく、ロンドンからリバプールへ列車を引く蒸気機関車は、いかなる応用も修正もなしに、そのまま東京から大阪へ列車を引くことが出来るのですが、社会的機関は、日本的であると同時に、近代的でなければならず、日本人が動かすものでありながら、同時に西洋的かつ技術的な経済に適合するものでなければならないのです。
技術は安いコストで、しかも文化的なリスクを冒すことなく導入できるのですが、社会的機関が発展していくためには、文化的な根を持たなければならないので、日本はおよそ100年前、その資源を社会的イノベーションに集中することとし、技術的イノベーションは模倣し、輸入し、応用するという決断を下し、見事に成功し、この日本の方針は今日でも正しいと言え、創造的模倣戦略こそ、きわめて成功の確率の高い立派な起業家戦略であり、そもそも開発研究そのものが、ごく最近の社会的イノベーションであり、日本はこれまで行ってきたように、そのようなイノベーションに長じていて、しかも日本は、起業家としての戦略にも長じているのです。
もともと、日本の食文化ではなかった、うどん蕎麦は勿論、ラーメンまでも、日本の食文化として、世界に広めていることが出来ていることこそ、日本の得意技の創造的模倣により起業家戦略であるのです。
まさにイノベーションとは、技術というよりも、経済や社会に関わる用語であり、イノベーションは、J・B・セイが起業家精神を資源の生産力を変えることと規定したのと同じように定義することが出来、或いは、近代経済学者がしばしば言うように、供給に関わる概念よりも需要に関わる概念、「消費者が資源から得られる価値や満足を変えること」と定義することが出来、ドラッカーは日本の明治維新以降の社会的イノベーションについて、たいへん高い評価を下していて、このような見方は、ほとんどの人が行なっていないのですが、ドラッカーは、一般的な日本の理解とは異なる理解を示しているのです。
明治維新以降の日本について、考察してみると、栄光と挫折の繰り返しであることがよく分かり、日本のイノベーションも近代国家になる前半、特に明治維新から大正時代にかけては、非常に成功しているのですが、第二次世界大戦で大敗し、第二次世界大戦後の復興期においては、大成功し、成功の後、ずっと沈滞が続き、日本のイノベーションの歴史を振り返ると、明治の初期の弱小国であった頃は、思い切りリスクを取り、その後、日本が欧米の強国に肩を並べるようになってから、日本は方向を変え、戦争に突入し、第2次世界大戦後の焦土で何もない日本は、ゼロからの再スタートになり、思い切り、リスクを取らなければいけない状態になり、その後、経済は急成長し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるようになったころから、日本は再びおかしくなり、経済的(国民一人当たりのGDPの伸び)にはこの25年間ずっと停滞しているので、現在の日本において、一番イノベーションが必要な部分は社会的イノベーションであることがよく分かり、そのリーダー・シップを取らなければならないのは、政府であり、われわれ起業家であるのです。
画像は、クアラルンプール市内の当社のユーザーさまのうどん店で提供されていた「刺身うどん」です。
うどん自体も美味しく、麺に絡めてあるワサビマヨネーズもなかなかで、日本ではまず見当たらないメニューがマレーシアにあったのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。