うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(まとめ)」「機能しないもの、ハイテクだけではない、山腹のない山頂」

昨日の麺学校の卒業生の集いの様子

まずは、お知らせです。

来週9月22日(火)から24日(木)の3日間、シンガポールにて、ワンデー麺学校を開催し、最初の2日間はラーメン、最後の1日はうどんで、私も3日間とも参加し、ラーメン、うどんの現状についてセミナー、実演を行ないます。(http://yamatonoodle.com/uploads/092215_1dayEventSG01a.pdf

本日のテーマは「当社の40年史」です。

昨日は本社での40周年記念イベントの最終日で、朝9時から私のセミナーがスタートし、3日間のイベントのうち、最も多くのお客さまがご参加し、熱心なお客さまからセミナーのご質問がたくさんありました。

冒頭で40周年記念イベントのご挨拶を行ないましたが、40年間を振り返ると、私の事業家としての歴史は、失敗の歴史のようなもので、実に多くの失敗の積み重ねであり、ここまで生き残ることが出来たのは、奇跡のようなものであることがよく分かりました。

ここまで生き残ることが出来た原因を考えてみると、製麺機メーカーを最初に目指したときに、トップを目指したこと、トップを目指すに当たり、このビジネスの本質は何かを考え、麺の美味しさであると理解し、麺研究室を作り、麺の美味しさの研究に没頭したことが挙げられます。

ビジネスの本質の理解が、まず最初に重要な事項であったのです。

次に、製麺機自体については、一切、他社の真似をしないで、際立った個性を追求したこと、狭い場所に設置できるようにコンパクトにしたこと、女性で楽に安全に使えるように、安全性を追求したこと、デザインの大切さを理解し、デザイン性を追求したこと等、製麺機としての商品力を向上させたことです。

私はもともとエンジニアだったので、販売のことが苦手で、分からず、販売面でも苦労し、ライバルのいない、日本の南端の南九州から販売を始めたことが、販売が軌道に乗るきっかけになったのです。
九州で、ある程度地盤を固め、関西、関東と徐々に攻め上り、その後、ソウルでの営業を展開したのですが、その頃はなかなか経営が安定しなかったのです。

創業以来、約20年間、麺の研究と製麺機の開発に多くの資金を投入してきたので、社屋とか、車とか、会社を立派に見せる方面には投資するお金がなく、そのころの社屋は非常にお粗末で、ライバル他社と常に比較されていたのです。

会社経営に苦しんでいた約20年前には、実にさまざまなことがあり、会社経営に困り果てていたころ、多くの恩人との出会いがあり、何人もの方に当社を救って戴いたのです。

そして、同じ20年前ころ、会社の使命「麺専門店繁盛支援会社」を明確にしたころから、やっと企業としての方向性がつかめるようになり、打つ手がだんだんと当たってきたのです。

「年中無休365日メンテナンス」を始めたのもそのころで、「麺専門店繁盛支援会社」であれば、お客さまが最も忙しく、機械の故障の多い、日曜日、祭日にメンテナンスが出来ないのはおかしいと思い、社内で訴えたのですが、最初はなかなか理解して貰えず、時間をかけて説得したのでした。

「年中無休365日メンテナンス」が軌道に乗り始めたころ、約15年前に、うどん学校を開校し、4年後にラーメン学校、蕎麦学校を開校し、無化調、無添加の方針で授業を行ない、「デジタルクッキング」の手法を生み出したのです。

現在では、世界中で、当社の多くの卒業生が活躍し、業界の進化、発展のお役に少しは役立っているのではと思います。

そして、約10年前に、念願であった小型製麺機市場で、国内トップメーカーになることが出来たのです。

約13~4年前より、営業関係と麺学校の双方で、女性の採用を始め、女性が多く活躍する会社に変貌を遂げ、現在では女性比率が約55%にも達し、すべての部門で女性が活躍する会社になっているのです。

通常の会社であれば、女性は受付担当になっていて、営業的な話とか、機械的な案件は、担当の男性営業員に代わるのですが、当社ではすべて女性が担当し、外回りの営業、納品も女性が担当しているのです。

国内8か所の拠点では、常時、女性スタッフがお客さまに機械の操作を指導し、美味しい麺の製法をご指導しているのです。
このようなことは、今から40年前の創業時には、想定もしていなかったことであり、時代の大きな変化に合わせ、女性の採用については、当社は先取りをしてきたことになるかも知れません。

約9年前からの2年間で、ドラッカーマネッジメントをダイアモンド社で2年連続で学び、マネッジメントを学ぶ基礎が出来、現在でもマネッジメントの2つの側面、マーケテイングとイノベーションを学び続けているのです。

そのために、以前と比較して、失敗するのは少なくはなっていますが、今でももっと早くああしておけば良かったのにと思うことは多々あるのです。

そして、マネッジメントを学び続けているお蔭で、当社の麺学校は単なる麺職人育成の学校ではなく、麺専門店経営者育成の学校になっているのです。

そして、当社の麺学校の卒業生の閉店率が、学校に来ないで開業した方がたの閉店率と比較すると、6分の1から、11分の1と極端に低いのが特徴なのです。

昨日で、3日間にわたる創業40周年記念イベントは終了し、全国各地から多くのお客さま、生徒さんにご参加戴き、これから始まる新しい時代に向けての当社のあり方について、大きなイノベーションの必要性を感じている次第です。

1年後、2年後、数年後になり、振り返ってみると、現在が大きな時代の転換点であり、当社にとっても転換点であったことが良く分かるようになっていると思います。

本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。

機能しないもの

起業家社会において必要とされる政策と対策について考えるとき、最も重要なことは、機能しないものを明確にすることであり、なぜならば、機能しない政策が今日あまりにも人気があり、一般に理解されている意味のプランニングは、起業家的な社会や経済とは両立せず、たしかに、イノベーションは、目的意識をもって行わなければならず、起業家精神はマネジメントしなければならないのですが、イノベーションは、その本質からして、分権的、暫定的、自律的、具体的、ミクロ経済的であり、そして小さなもの、暫定的なもの、柔軟なものとしてスタートするのです。

事実、イノベーションの機会は通常、現場に近いところでのみ見出され、イノベーションの機会は、プランナーが対象とする膨大な総体ではなく、そこから逸脱したもののなかに見出され、予期せぬ成功や失敗、ギャップ、ニーズ、「半分入っている」から「半分空である」への認識の変化に見出され、それら逸脱したものが、プランナーの目にとまるようになった頃にはもう遅く、イノベーションの機会は、暴風雨のようにではなく、そよ風のように来て、去るのです。

以上より、われわれ企業人にとって大切なことは、普段のビジネスの端々に静かに訪れているイノベーションの機会に気づくことであり、普段からイノベーション7つの機会を見つけるためのアンテナを張り巡らせておくことで、もっと大切なことは、社内全体をイノベーション体質にすることであり、企業文化にイノベーションを作り込むことなのです。

◆ハイテクだけではない

今日、とくにヨーロッパでは、ハイテクの起業家精神だけをもとうとすることが流行っていて、フランス、ドイツ、さらにはイギリスさえも、この前提のうえに政策を立てているのですが、それは幻想であり、それどころか、ハイテクのみを推進し、ハイテク以外についての起業家精神を敵視するという政策では、当のハイテクさえ生み出すことができず、そのような政策から生み出されるものは、もう一つの高価な失敗作、もう一つのコンコルドに過ぎず、わずかな栄光と大きな赤字をもたらすだけであって、雇用も技術的なりリーダーシップも、もたらすことはできず、そもそもハイテクは、本書が重要な前提の一つとしているように、イノベーションと起業家精神の領域の一つにすぎず、膨大な数のイノベーションは、ほかの領域にあるのです。

しかもハイテク重視の政策は、政治的な障害に突き当たり、直ちに挫折させられ、職場創出の観点から見ても、ハイテクは明日のものであって、今日のものではなく、すでに述べたように、1970年から84年までにアメリカのハイテクが創出した雇用は、煙突産業が失った500万人から600万人を超えず、この間、アメリカで創出された3500万人の雇用はすべて、ハイテク以外のミドルテク、ローテク、ノーテクのベンチャー企業が生み出したのです。

現在は、この書籍が書かれた時代とは異なり、日本を筆頭に先進国の一部では高齢化による人手不足が大きな課題になっていて、特に日本では15歳から64歳までの働き盛りの生産年齢人口が1995年をピークにして、既に12%以上ダウンし、従って、これからの先進国の課題は、生産性の向上であり、付加価値の高いビジネスを国内に残すことであり、そうでないビジネスは新興国に譲ることで、これをすでに早い時代から実践して、大成功している国々は、国民1人当たりのGDPの高い北欧4カ国とかスイスで、日本が早期に取り組まなければいけない課題であるのです。

◆山腹のない山頂

そして何よりも、ノーテク、ローテク、ミドルテクにおける広範な起業家経済を基盤とすることなくハイテクをもとうとすることは、山腹抜きに山頂をもとうとするに似ていて、そのような状況では、ハイテクの人間でさえ、リスクの大きなハイテクのベンチャー・ビジネスに就職しようとはしなくなり、すでに確立された大企業や政府機関の安定性を選び、しかもハイテクのベンチャー・ビジネスは、たとえば会計、販売、管理など、ハイテクの技術そのものとは無関係の大勢の人たちを必要とし、華々しくはあっても、小さな寸劇以外の何ものでもないハイテクのベンチャー・ビジネスにのみ関心をもち、ほかの分野でのイノベーションと起業家精神を鼻であしらうような経済社会においては、ハイテクに強い人たちも、まさにその経済と社会(すなわち級友、両親、先生)が勧める既存の安定した大組織に職場とキャリアを求めることになり、流通チャネルは、ハイテク以外のベンチャー・ビジネスの製品を扱おうとせず、投資家は支援しなくなるのです。

ハイテク以外のベンチャー・ビジネスは、ハイテクが必要とする資金を供給するうえでも必要であり、知識によるイノベーション、とくにハイテクのイノベーションは、投資から収益までのリードタイムがあまりに長く、世界のコンピュータ産業の帳尻が合うようになったのは1970年代の後半であり、それまでは30年におよぶ長い赤字の時代があり、たしかにIBMは、かなり早くから利益をあげ、小さなコンピュータ・メーカーも、1960年代後半以降、次々に黒字に転じていったのですが、それらの企業があげた利益は、ほかの企業、とくにコンピュータに完全に失敗した大企業、すなわちアメリカのGE、ウェスチングハウス、ITT、RCA、イギリスのGE、フェランティ、プレッシー、フランスのトムソン・ウーストン、ドイツのジーメンス、テレフンケン、オランダのフィリップスなどが蒙った膨大な赤字の数分の一に相当するにすぎないのです。

歴史は、ミニコンピュータやパソコンで繰り返されていて、この業界もまた、全体として黒字になるには、何年かかかり、バイオでも同じことが起こっていて、100年前の1880年代には電機産業で起こり、1900年から10年にかけては自動車産業で起こり、このハイテクの長い懐胎期においてハイテクの赤字を埋め、ハイテクに必要な資金を供給するためには、ハイテクではないベンチャー・ビジネスが必要とされるのです。

フランスの気持ちは正しく、今日、経済的、政治的に大国たるためには、情報技術、バイオ、オートメーションなど、ハイテクで一定の地位を得なければならず、しかもフランスには科学や技術の才があるのですが、それにもかかわらず、いかなる国といえども、経済全体としての起業家経済をもたないかぎり、ハイテクにおいてイノベーション志向となり、起業家的となることは至難であり、あるいは不可能であるのです。

たしかにハイテクこそ刃であるのですが、そもそもナイフがなければ、刃は存在すらできず、活力にあふれたハイテク部門は、死体に健康な頭脳がありえないのと同じように、それだけで存在することはなく、ベンチャー・キャピタルへのアクセスが容易であって、起業家的なビジョンと起業家的な価値観をもつ、活力あるイノベーターや、起業家であふれた経済が、まず存在していなければならず、現在の日本においては、ハイテク偏重の時代は終わり、ビジネスで大きなシェアを占めているのは、医療、介護、福祉等、高齢化社会に関連するビジネスが大きく伸びているのです。

急遽、40周年記念イベントで講演して戴いた、カンブリア宮殿のデイレクター江藤さまの話は素晴らしい話で、過去多くの成功者の取材を通しての話は、経営のたいへんな参考になりました。

画像は昨日の麺学校の卒業生の集いの様子で、松原先生の体調が悪く、参加出来なかったのが、残念でしたが、参加した生徒さんから、多くの成功している話を聞かして戴きました。

学校参加時は1店だったのが、現在は5店になっている生徒さんもいて、驚くと同時に、頼もしかったのです。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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