まずは、2つほど、お知らせです。
来週13日(火)、14日(水)の2日間、奈良市、エルトピア奈良にて、ラーメン、まぜ蕎麦等の無料自家製麺無料体験教室が開催します。
同じく、来週14日(水)、15日(木)の2日間、松山市、松山市民会館にて、自家製麺体験教室in松山があり、ラーメン、つけ麺、うどん、蕎麦の無料自家製麺実演講習会を開催します。
※イベントは終了いたしましたが、そのほか定期的にイベントを開催しております
本日のテーマは「オスの本能」です。
今日は、連休の中日で会社のスケジュールは何も入っていなかったので、朝からじっくりと瞑想、散歩、筋トレをいつもより念入りに行ないました。
自宅も前がグリーンベルトで、端から端までが丁度2千歩で、今日は4往復するとそれだけで8千歩を稼げ、速足の散歩で汗をシッカリかくのです。
グリーンベルトを歩いていると、だんだんと知り合いが増え、いろんな話をしたり、アドバイスを求められたりするので、今朝は私より少し年長者に散歩と筋トレの良さを訴えたのです。
その方は、最近少し身体を壊して療養中ですが、それでも、晩酌のお酒が大好きでビールは止められないとのことだったので、絶対に止めるように話して、その代わりに、毎日汗をかくほどの激しい運動を勧めたのです。
私も筋トレ等の激しい運動を始めたのは、5年前ですが、この5年間で体調、特に免疫力が上がり、暑さ寒さがぜんぜん堪えなくなったのです。
今も毎日、汗を流すほどの激しい運動を行なっておりますが、われわれの遠い祖先、1万年前くらいを振り返ってみると、そのころは狩猟の時代であり、食糧の備蓄も十分出来なかった時代なので、毎日、男は獲物を探して野山を駆け巡っていた時代であり、獲物が取れなければ一家が飢え死にしてしまうのですから、命懸けで日々、生きていたのです。
そのころは、必然的には、男は激しい運動を日々行なっていたはずで、農耕の時代になっても、現在のように機械化がされていない時代は、毎日、汗を流しながら作物を栽培し、栽培した作物を脱穀したり、製粉していたはずです。
ところが、現在は、世の中が非常に便利になり、機械化され、われわれが力を発揮することがほとんどなくなり、せっかくの筋肉を十分に活用するチャンスがほとんどなくなったのです。
自転車、オートバイ、自動車が実用化される前のわれわれの生活でも、移動はほとんどが、自分の足で移動していたので、移動だけでも相当な運動量であったはずです。
最近、毎日、運動だけでも1日に2時間くらい掛けるようにしていると、身体だけの変化ではなく、精神的な変化も感じるのです。
「人生を変える教室」の著者ケリー・マクゴニガルが書いている意志力の強化に繋がるような気がします。
最近、スタッフたちからよく、「社長はなぜそんなに若々しくて、エネルギッシュなのですか?」と質問されるのですが、エネルギー一杯の生活を送ることが出来ているのは、1日も休まない、朝の瞑想、散歩、筋トレの力が大きいと思います。
そして、自分自身との約束を守ることが余計に意志力を強化出来ているのではないかと思います。
どんな小さい約束であろうと、自分自身と結んだ約束を守り切ることが、自分の意志力を高め、自分自身を信頼できるようにする一番の近道であると、自信を持って言えるのです。
狩猟の時代の男たちは、残って待っている家族たちのために、身体を張って、獲物を捕らえていた時代は、男はオスとしての意識が強かったと思います。
しかし、今の時代は男にオスとしての役割を果たす責任が要求されない時代になり、男にオスとしての本能が失われたり、埋もれてしまっているような気がします。
身体の限界までチャレンジする、激しい運動はオスとしての本能を呼び覚ましてくれるような気がします。
激しい運動でもよし、厳しい、たいへんな仕事でもよし、オスとしての本能が目を覚ますようなことに、日々、チャレンジしていると、男として生きている実感が沸くのです。
毎朝、激しい運動を続けていると、だんだんとオスとしての本能が呼びさまされていることが分かります。
スタッフたちにも、ぜひ、日々チャレンジして欲しいと思います。
女性スタッフだけでなく、ぜひ、男性スタッフに。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
第五章 ニーズを見つける 第3の機会
1.「ニーズはイノベーションの母」
第二章では、すでに存在している(イノベーションの)機会(予期せぬ成功、予期せぬ失敗、ギャップ)について見てきたのですが、「必要は発明の母」という、まだ存在していないもの、すなわちイノベーションの母としてのニーズについて検討を加えると、イノベーションの母としてのニーズは、限定されたニーズであり、漠然とした一般的なニーズではなく、具体的でなければならず、前回の事例の天ぷらを揚げたあとの廃油の処理のように、具体的になっている必要があり、予期せぬ成功や失敗、ギャップは企業や産業の内部に存在しますが、ニーズは、企業の外のお客さまの中に存在し、ニーズは、まだ、自分の会社や仕事の中に表れていないもので、ニーズというのはお客さんが持っているものなのです。
例えば、ステイーブ・ジョブズがipodを発明したのも、ニーズを明確に捉えることができたためであり、その後に続いたipad、iphoneも同様で、ニーズを明確に捉えることが、イノベーションの絶対条件であり、プロセスのイノベーションのニーズは次の3つから成り立っているのです。
① プロセス上のニーズ
② 労働上のニーズ
③ 知識上のニーズ
「プロセス・ニーズ」
イノベーションの機会としてのプロセス・ニーズの利用は、他のイノベーションとは異なり、環境からではなく、課題からスタートし、状況中心ではなく、課題中心であり、それは、知的発見によって、すでに存在するプロセスの弱みや欠落を補うためのイノベーションであり、関係者ならば、誰でもそのようなニーズの存在を知っているのに、誰も手を付けていないので、ひとたびイノベーションが成功すると、直ちに当然のこととして受け入れられ、標準として普及していくのです。
すでに1つの例として、プロセス・ギャップの利用の項で述べたウイリアム・コナーは、ある酵素を白内障の手術に欠かせない製品に転換し、白内障の手術そのものは昔から行われ、数世紀かけて改善が重ねられ、他方、その酵素の存在も、数十年前から知られていたので、そこでコナーは、酵素の保存薬を開発するというイノベーションを行ない、こうして、ひとたびプロセス・ギャップが改善されるや、眼科手術医のうち1人として、コナーの酵素を使わない手術など想像出来なくなったのです。
このイノベーションほど、的が絞られていたのも珍しく、プロセス・ニーズを理解することが、直ちに問題の解決に繋がったのですが、このようなことは、プロセス・ニーズによるイノベーションのすべてとまではいかなくとも、そのほとんどについて言えることで、ここに同じように、プロセス・ニーズによるイノベーションの例があります。
オットマー・メルゲンターラーが植字機を設計したのは1885年であり、それまでの数十年というもの、新聞、雑誌、書籍等、あらゆる出版物の発行部数が、識字率の向上と、輸送手段や通信技術の発達に伴って急速に伸び、同時に、出版に関わるほとんどあらゆる技術が進歩し、高速の製紙機械が開発され、高速の印刷機械が作られたのですが、植字作業だけは、400年前のグーテンベルクの時代から変わっておらず、長い徒弟時代を経た高度な熟練工を必要とする、時間と金のかかる作業だったのです。
メルゲンターラーは、コナーと同じように、ニーズを明確にすることから始め、そして必要な活字を機械的に選ぶキーボード、活字を行に揃えるメカニズム、そして(最も難しい技術として)使用した活字を基に戻す技術を開発し、長い年月と数々の工夫が必要だったのですが、ひとたび生まれるや、植字工たちの激しい抵抗にも関わらず、わずか5年で標準的な機械として普及し、これらのニーズは、プロセス・ニーズから生じていたのです。
麺ビジネスにおけるプロセス・ニーズは、うどんの製造工程における熟成庫の導入があり、過去、うどん業界では、熟成という概念がなく、熟成工程が取られていなかったのですが、当社が熟成の必要性を見つけ、熟成庫「寝太郎」を開発し、販売し、熟成温度も明確に定め、ミキシング直後の第一熟成は、25度Cであれば、3時間、28度Cであれば、2時間の熟成時間であり、プレス後の第二熟成は、1晩の場合は18度C、2晩の場合は16度Cで行ない、この熟成工程を導入することにより、麺質が年中安定するようになると同時に、誰が作っても安定して美味しいうどんを作れるようになったのです。
「労働力ニーズ」
労働力ニーズもまた、きわめてしばしばイノベーションの機会となり、1909年頃、AT&Tの調査部門が、15年後の人口と電話交換手についての予測を行なったのですが、その予測によれば、アメリカでは、電話交換を手作業で行っている限り、1925年ないし30年には、17歳から60歳までの女性のすべてが電話交換手にならなければならず、AT&Tの技術者たちが自動交換機を開発したのは、その2年後で、この問題は解決し、同じように、今日のロボット・ブームも、主として労働力ニーズによるものであり、ロボットに必要な技術は、何年も前から開発されていたのですが、日米を初めとする先進国の製造業が、少子化の結果を身近に感じるようになるまで、半熟練の組立工をロボットに代えるニーズは、大きくならず、ロボットの設計のほとんどは、アメリカからの輸入だったので、日本がロボット先進国となったのは、技術上の優位によるものではなく、日本は、アメリカよりも4,5年早く、ドイツよりも10年早く最初の少子化に襲われたためであり、日本においても、アメリカやドイツと同じように、労働力不足が認識されるようになるには10年の歳月を要したのですが、日本では、その10年がアメリカよりも先に始まっていたのです。
メルゲンターラーによる植字機もまた、かなりの程度、労働力ニーズの圧力のもとに実現し、出版物の爆発的な伸びが、6年から8年の徒弟制度を必要とする植字工の供給を逼迫し、賃金を非常な勢いで押し上げ、その結果、印刷業者たちは、労働力ニーズを痛いほど感じるようになり、高賃金の職人5人を半熟練工に変えてくれる機械には、かなりの金額を払っても良いと思うようになっていたのです。
日本のうどん蕎麦店はもともと手打ちで麺を作っていたのですが、製麺機が開発され、機械で麺を作るようになり、久しいのですが、美味しい麺が作れる製麺機のお蔭で日本のうどん蕎麦、ラーメンが世界に飛躍するようになったのです。
中国の蘭州は、ラーメンの発祥の地であり、4千年の歴史がありますが、麺作りは、今でも手延べであり、職人による手作りで作られていて、100年前に、中国からラーメンが伝わってきた日本は、100年の間に独自に進化し、蘭州のラーメンと日本のラーメンの差は、①手作りか、製麺機であるかということと、②元ダレを使っているかどうかが大きな差で、世界中に広まっているラーメンは、中国のラーメンではなく、日本のラーメンで、麺作りを手作りではなく、製麺機で、楽に美味しい麺が作れるような仕組みが出来ているのが大きな差であり、うどん蕎麦業界における製麺機の活用は、90%をはるかに超え、ラーメン店における自家製麺の比率も急激に上昇を続けているのです。
画像は、一昨日の盛り付けの事例で、トマトだけスープを取った、トマトラーメンです。
トッピングは、トマト、アボカド、海老で、女性スタッフたちに人気でした。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。