本日のテーマは「これからの製麺機は、人手不足対策型」です。
今日も、朝からじっくりと瞑想、散歩、筋トレを行ない、毎日1万歩以上歩き始めて、もうすぐ2ヶ月になりますが、1万歩を毎日歩いていると、その良さを実感できます。
身体が日々、十分に疲れているので、毎日の眠りが深くなり、体温が上がっているのが実感出来ます。
そのために、毎日運動だけに約2時間必要ですが、それだけの時間を費やしても十分に効果があると思います。
本日の「イノベーションと起業家精神」のテーマはニーズで、3つのニーズの中でも、特に最近の日本では労働力ニーズが大きな課題です。
ほんの2~3年前までは、これほどまでにも厳しい人手不足ではなかったように思いますが、この2~3年に様変わりの様相で、人手不足が非常に厳しくなり、これからも更に人手不足が厳しくなりそうです。
特に、現在人手不足が激しいのは外食関係で、サービス業に従事する人手が大きく不足し、幾ら募集しても人が来ない状況が続いているのです。
9月3日の日経新聞によれば、次のような記事が掲載されているのです。
「人手不足の根にあるものを見極めよう
人手不足が深刻だ。人口減少で労働力不足がさらに進めば経済の成長を妨げかねない。少ない人数で仕事ができるようにしたり、求められる技能を備えた人材養成に力を入れたりするなど、多面的な対策を急がなくてはならない。
いまの人手不足の原因は、一つには経済のサービス化に雇用構造が追いついていないことだ。求職者1人に求人が何件あるかを示す有効求人倍率をみると、7月は介護の仕事が2.57倍、「接客・給仕」が3.02倍などとサービス分野で人材需給の逼迫が目立つ。
介護の仕事に従事する人材は厚生労働省の推計では2025年に約38万人足りなくなる。保育士や看護師不足も懸念されている。
技能を持った人材の供給が足りていないことが人手不足の根にあるとの見方もできる。ものづくりの現場では機械の整備・修理の有効求人倍率が1.99倍と高い。建築・土木・測量の技術者は3.68倍にのぼっている。
こうした人手不足の背景をよく見極め、効果的な対策を打っていく必要がある。労働集約型のサービス分野は多くの人手に頼らないビジネスモデルへの転換を求められる。付加価値の高い商品やサービスを提供するなど1人あたりの生産性を上げる努力が要る。
IT(情報技術)活用の余地も大きい。期待されるのはロボットによる省人化だ。介護や医療支援用などの技術開発を加速したい。建設業の生産性向上にも効果が見込める。ロボットの普及へ政府は安全基準の整備を急ぐべきだ。」
以上のような提言があり、当社の全国の製麺機のユーザーさまも同様に、厳しい人手不足に悩まされているのです。
そのような対策として、当社が準備しているのは、もし、人手不足のために、美味しい自家製麺を店内で作ることが出来なくなった場合、当社が自家製麺を代行しようとしているのです。
一部ではすでにスタートし、讃匠の生うどんと半生うどんと生ラーメン、冷凍蕎麦を使用しているお客さまも出始めているのですが、あくまでも自家製麺と変わらない品質の麺の供給が出来ていて、人手の足りないお客さまには、たいへん重宝がられているのです。
或いは、急に足りなくなったときの予備のための使われ方をしているのです。
2つ目の対策は、製麺機自体の省人化で、無駄な作業、動きをなくし、より短時間での製麺が可能になり、過去、大きな力が必要であった作業をなくして、誰でも楽に作業が出来るようにすることなのです。
例えば、今までは300食の生産に1時間かかっているとすると、40分に短縮するとか、少しでも時間を短縮し、より少ない人数で店舗のオペレーションが可能になることなのです。
或いは、今までは一部の作業はどうしても男性でなければ出来なかったのですが、今後は、女性とか年配者でも可能にしないと人手が足りないのです。
製麺機も美味しい麺が出来ること、安全であること、使いやすいこと、コンパクトであること、デザインが良いこと等は当たり前で、これからは、いかに製麺時間を短縮出来るか、或いは、高齢者とか女性で楽に使えることが、より重要なテーマになり、価格の高い安いで判断出来ないようになってきたのです。
ますます、人手不足が激しくなる時代において、製麺機に要求される能力、品質はさらに高いレベルになっているのです。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
「開発研究」
「知識ニーズ」
イノベーションの機会としてのニーズには、プロセス・ニーズと労働力ニーズが、最も一般的でありますが、利用がより難しく、より大きなリスクを伴ってはいるが、非常にしばしば重要な意味を持つニーズとして、知識ニーズがあり、(科学者の「純粋研究」に対置されるものとしての)「開発研究」の目的としてのニーズであり、そこには、明確に理解し、明確に感じることの出来る知識が欠落していて、その知識ニーズを満たすためには、知的な発見が必要になるのです。
写真ほど、非常に早い速度で、成功したイノベーションはあまりなく、写真の歴史をウイキペデイアで調べると、最初の写真は、1827年にフランス人発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス (Joseph Nicéphore Niépce) による、石油の派生物であるユデアのアスファルト(瀝青)を塗布した磨いたシロメ(白鑞)の板に作成された画像で、彼はもともと石版画制作に興味を持っており、やがて手で彫るのではなく光で自動的に版を作る方法を模索し、瀝青は光に当てると硬くなって水に溶けなくなるため、これを使って印刷用の原版を作ろうとし、彼はこれをカメラ・オブスクラに装填して自然の映像を定着させることを思いつき、試行錯誤の結果1827年に自宅からの眺めを写した最初の写真を撮影したのですが、カメラによる画像ではあったにもかかわらず、明るい日光の下(もと)、8時間もの露出が必要だったのです。
その後ニエプスは、1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明に基づき、銀化合物を使った実験を始め、これが銀塩フィルムの元になり、写真は、発明後20年で世界中に普及し、有名な写真家も大勢現われ、マシュー・プレデイの南北戦争の写真は、今日でも抜きんでていて、1860年頃(明治維新の8年前)には、あらゆる花嫁が写真を撮って貰っていて、日本に最初に入った西洋の技術も写真であり、明治維新のはるか前、まだ日本が外国人や外国の事物に固く門戸を閉ざしていた頃でした。
写真が素人の趣味になったのが、1870年前後であるのですが、当時の写真の技術は、素人にとっては厄介な代物で、重く壊れやすいガラス板を原板として使っていたために、慎重に扱わなければならなく、カメラ自体も重く、撮影前の準備もたいへんだったので、誰もがそのような問題を知っていて、事実、最初の大衆向け専門誌である当時の写真専門誌には、写真撮影に伴うもろもろの問題や解決策が取り上げられていたのですが、1870年当時の科学や技術では解決出来なかったのですが、1880年代の半ば、遂に新しい知識が得られ、イーストマン・コダックの創立者ジョージ・イーストマンが、それらの知識を利用したのです。
彼はガラス板を、重さなどないに等しく、手荒な取扱いにも耐えるセルロイドに代え、カメラ自体も軽量化し、10年後には、イーストマン・コダックは世界の写真業界でトップの地位を得、永くその地位を保っていたのですが、デジタル・カメラの登場により、2012年1月に倒産し、132年の長い歴史を終えたのです。
以上のように、写真の歴史は進化するために、常に新しい知識を必要として、新しい知識の開発に伴って進化し、プロセス・ニーズを満たす上でも、しばしばこの開発研究が必要となり、ここでも、まずニーズを知り、何が必要であるかを明らかにし、そうしてはじめて、必要な新しい知識を生み出すことが出来、プロセス・ニーズに基づいて、開発研究を行なった典型的な人間が、エジソンであり、電力産業が産業として成立するであろうことは、20年以上の間、知らない者はなく、特にその最後の5,6年では、プロセスの1部で欠けているものが、電球であると明らかになっていて、電球がなければ、電力産業は成立しなかったので、エジソンは電力産業を、単なる可能性から現実のものとするうえで、必要な知識を明確にし、開発研究に取り組み、2年後、実用的な電球を開発したのです。
「的を絞る」
今日、可能性を現実のものとするための開発研究は、企業の研究所はもちろん、国防、農業、医療、環境保護などのための研究所において行われていて、開発研究というと大規模なものに聞こえるかもしれず、多くの人たちにとって、それは、月への人を送ることや、小児麻痺のワクチンを発見することを意味するのですが、成功を収めているものの多くは、目標の明確な小さなプロジェクトであり、開発研究は、的を小さく絞るほど良い結果が得られ、その最もよい例、恐らくプロセス・ニーズに基づくイノベーションの最も成功したものが、日本の自動車事故を3分の1に減らした視線誘導標の開発だったのです。
1965年以降、日本では車の普及に合わせて道路の舗装が急速に推進され、車はスピードを出せるようになったのですが、日本の道路は、基本的には10世紀のままで、2台の車がすれ違うのがやっとなど、道幅が狭く、死角のあるカーブも多く、数キロごとにいろいろな角度で交差していたため、とくに夜間は自動車事故が増え、マスコミや野党は対策を要求したが、道路を作り直すには20年もかかるので、作り直すわけにはいかなく、安全運転を呼びかける大掛かりな広報キャンペーンも、ほかのあらゆる種類のキャンペーンと同じように、効果はほとんどなかったのですが、この危機的な状況をイノベーションの機会として捉えたのが、岩佐多聞という若者で、彼はビーズ状のガラス球が、あらゆる方向からの光を反射する視線誘導標をつくり、やがて、日本の自動車事故は大幅に減ったのです。
「タイム」の例
もう1つの例をあげると、第1次世界大戦後、アメリカでは国民がニュースを求め始めたのですが、誰もがこの変化に気づいたので、第1次世界大戦直後の新聞や雑誌には、いかにしてこの新しいニーズに応えるかを論じる記事がたくさん出ていて、地方紙では解決出来ない問題で、「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとする大手の新聞社や出版社さえ、このニーズを捉えようとして失敗し、そのとき、ヘンリー・ルースが現われ、ニーズを明確にし、求められているものを明らかにし、発行部数や広告の関係からして、全国的なメデイアであることが必要だったのですが、多くの人たちが関心を持つニュースの数は限られており、日刊紙とすることは無理だったので、以上より、知識ニーズはプロセス・ニーズと深い関係があるものが多く、プロセス・ニーズを解決するために、知識ニーズが発生し、こうして世界最初のニュース週刊誌「タイム」が生まれ、直ちに成功したのです。
以前に説明しましたうどんの熟成工程における熟成庫は、プロセス・ニーズにより出来上がったものではありますが、その過程において、熟成のメカニズムという知識ニーズの解決が伴っていたので、このように、ほとんどのプロセス・ニーズには、知識ニーズが伴うのです。
画像は、ラーメン学校の盛り付けの事例で、熱い魚介系の醤油ラーメンで、トッピングはアジの天ぷらとイチジクです。
アジの天ぷらも魚介のラーメンにはよく合います。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。