本日のテーマは「本質を深く掘り下げる」です。
昨日は、東京うどん学校実技最終日で、生徒さんたちの盛付のチェックの日であり、生徒さんたちの盛付も以前とは比べものにならない位、レベルが上がり、チェックの方もレベルを上げないと、さらに生徒さんたちのレベルを上げ続けることが出来ないのです。
昨日の生徒さんたちの作品集での問題点をピックアップすると、下記のような事柄が中心でした。
1.盛付の状態に比べて、器が小さいので、器の周辺部分の余白が少ないので、きれいに見えない。(余白の大切さが分かっていない)
2.器の色が盛付と合っていないので、盛付が映えない。(一般的には、白い器の方が、食材の色を引き立て易い)
3.薬味にワサビを使っていて、うどんには合わない。(うどんの薬味は生姜で、蕎麦はワサビが基本)
4.アボガド等の食材の切り方が薄すぎて、食材の良さ、特徴を表現できていない。(食材は切り方によって、見え方がまったく異なるので、食材と盛付の双方に合った切り方が大切)
5.アボカド等の食材は、素材自体の表面のきれいさを表現する食材なので、ソース等で汚さない方がきれいに見える。
6.ハマグリとかアサリは、かけだしでは美味しい味を表現し易いが、つけだし等の濃い出汁の中では、繊細な味が表現出来ないので、使う材料によって、かけだしにして使うか、つけだしで使うかの判断が大切。
7.盛付には丁寧さが大切で、ベビーリーフ等の葉物は、ぐちゃぐちゃにしないで、きれいに上から載せる。
8.食材を小さく切り過ぎたり、さまざまな色の食材を使いすぎないで、大胆に盛り付ける。(チマチマした盛り付けにしないで、インパクトある盛り付けにする)
9.盛付した場合に、つけ汁が合うのか、ぶっかけが合うのか、或いはかけ汁が合うのかは、盛付の食材、盛り付け方によって異なるので、最初に十分、考えた上で食器を選んで盛り付ける。
上記のような問題点を指摘しながら、再度、盛付し直してみると、誰が見ても納得出来るような盛り付けになるのです。
こうしてみると、盛付にも基本があり、基本を外すと、幾ら奇抜な盛り付けであっても、きれいな盛り付けに見えても、決して美味しく食べることが出来なく、不自然な、バランスの取れていない盛り付けになるのです。
従って、幾らきれいに盛り付けてあっても、まず、美味しいかどうかも、当然重要な要素になります。
よほど、特別に良い立地でビジネスをやっていない限り、美味しさは飲食ビジネスにとって必然であり、美味しくないのはあり得ないのです。
だから、商品力、サービス力、店舗力の3つのバランスの中で、幾らサービスレベルが高くても、商品力である美味しさが標準以下であれば、お客さまを増やし続けて、繁盛し続けることは難しいのです。
いくら商品力に対しては絶対の自信のある店主であっても、サービス力、店舗力の他の要素も平均点以上であることは欠かせないのです。
以前から私は、いろんな飲食ビジネスを見て来て感じるのは、商品力の足りていない店が非常に多いことであり、商品力の大切さを理解しようとしない店主の多いことです。
長く生き残っている店は、商品力に力を入れて、商品を磨き続けているのです。
当社も40年間続けてくることが出来た最も大きな要因は、当社の製麺機の品質には、決して妥協してこなかったためであり、さらに商品力を磨き続けているのです。
さらに麺の美味しさを追求していくうちに、次のようなさまざまな事柄に気づいたのです。
1.原材料としての小麦粉、水、塩、酢等の大切さ。
2.麺の製法の大切さ、特に、熟成工程と麺生地に無理な力をかけない、練り方、鍛え方、圧延方法等。
3.美味しいだしの取り方の原理で、適切な温度での、雑味を出さないだしの抽出方法。
4.勘を排除し、美味しさを数値ですべて計測する、デジタル・クッキングの手法を開発。
5.無化調、無添加で美味しい料理を作り出すノウハウの確立。
6.味が美味しいのは、もちろん、盛付による見た目の綺麗さでの美味しさの演出。
7.料理=食材の良さ×技術×スピリット。
以上のように、もともと製麺機メーカーであっても、お客さまの課題を深掘りしていくと、飲食ビジネスにとっての課題がたくさん見えてくるのです。
深く掘り下げることの大切さを改めて強く感じるのです。
本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。
「産業構造の変化が起こるとき 変化の兆候」
イノベーションの機会としての産業構造の変化は、次のようなとき、ほぼ確実に起こるのです。
(1)最も信頼出来、最も識別しやすい前兆は、急速な成長
この前兆は前述のすべてのケースに共通して見ることが出来、ある産業が経済成長や人口増加を上回る速さで成長するとき、遅くとも規模が2倍になる前に、構造そのものが劇的に変化し、それまでの仕事の仕方でも、ある程度成功を続けることは出来るので、そのため、誰もそれを変えようとしないのですが、仕事の仕方は確実に陳腐化し始め、シトロエンやAT&Tは、この事実を認めようとしなかったので、新規参入者、外部の者、それまで2流だった者が、まさに彼らの産業において、彼らを破ることが出来たのです。
生産年齢人口が急激に減少していく日本において、急速な成長を遂げている分野は非常に少なくなり、高齢者対象の介護ビジネス等においては、成長が続いていて、私が定点観測しているセブン・イレブンの個食惣菜とか食事の宅配ビジネス等を見ていると、一部では急成長している分野は必ず存在し、急成長している分野は、国内よりもむしろ海外が多く、当社のジャンルでも急成長しているのは、国内ではなく、海外で、海外の急速な成長をみると、産業構造の変化に繋がっていることがよく分かりますが、国内ビジネスに比べて、はるかにリスクは大きく、安心領域から大きくはみ出す必要があり、そのような急成長して分野を見つけるための、専門のセンサーのような部門が社内には必要なのです。
(2)産業の規模が2倍に成長する頃とときを同じくして、それまでの市場のとらえ方や市場への対応の仕方では、不適切になってくる
それまで、業界トップの地位にあった企業の市場のとらえ方や分類の仕方が、現実を反映せず、歴史を反映しただけのものになってきて、報告や数字は、古くなった市場観に従ったままであり、ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットや、「賢明な投資家」を顧客とする中西部の証券会社が成功した要因もここにあり、彼らは、既存の証券会社には見えなかった市場、従って適切に対応することの出来なかった市場、すなわち既存の証券会社にとって、新しい存在だった年金基金や、ウオール・ストリート的な投資家とは異なる「賢明な投資家」を見つけたのです。
急激な成長のあとではすべてが変化するという典型が病院で、第2次世界大戦後、病院では、医師以外の医療従事者として、X線技師、検査技師、療法士などが急速に増加し、いずれも、第2次世界大戦前にはほとんど存在さえせず、病院経営さえ経営管理者によって行なわれるようになり、こうして管理業務が、病院経営上、大きな問題になり、さらには、病院の従業員、とくに賃金の低い従業員が、労働組合によって組織化されるに伴い、費用のかかる厄介な問題となったのです。
書店チェーンの成功も、急速な成長による構造変化によってもたらされ、出版社や書店は、従来の顧客である「読書家」に加えて、新しいタイプの顧客として、「買物客」が現れたことに気がつかず、昔から書店は、この新しい顧客の顔が見えず、相手のしようとしなかったのです。
急激な成長に出会った企業は、それだけで満足し、安易に利益を得ようとし、AT&Tが長距離電話の増加に対してとった対応がそうだったのですが、そのような対応は、つまるところ、競争相手の登場をもたらすだけであり、急激な成長がもたらすイノベーションの例は、美術の世界にもあり、かって上流階級のものだった美術館に、第2次世界大戦後は中流階級も行くようになり、各地に美術館が作られ、かっては限られた金持ちの趣味だった美術品の収集を、第2次世界大戦後は、大勢に人たち、さほど豊かでない人たちが、行なうようになり、美術館で働くある若者が、この変化をイノベーションの機会として捉え、彼はその機会を予想外の分野、それまで美術とはあまり縁のなかった分野で見つけたのが、損害保険で、彼は美術館や美術収集家を専門とする保険代理店を作り、それまで美術品の保険に乗り気でなった大手の保険会社が、彼の専門能力を信頼し、通常の保険料よりも70%安く保険を引き受け、この代理店は、今日大きな成功を収めているのです。
(3)幾つかの技術が合体したときも、産業構造の急激な変化が起こる
その一つの例が、構内交換機(PBX)、すなわち大口の電話利用者が、社内に設置する交換機であり、基本的にはPBXに関わる技術のすべては、AT&Tの研究機関であるベル研究所によって開発されたのですが、その恩恵を受けたのは、ROLMのような新規参入者であり、新しく生まれたPBXでは、2つの技術、すなわち電話の技術とコンピュータの技術が合体し、それはコンピュータを使う通信機器としても、通信用に使うコンピュータとしても見ることが出来、技術的には、AT&Tこそ、この新製品を扱うことが出来たはずであり、もともと、AT&Tが先駆者だったのですが、AT&Tは、コンピュータ市場や顧客を自分たちには無縁の異質な存在と見ていたので、せっかくPBXの設計と導入を手がけながら、販売に力を入れなかった結果、戦闘機用小型コンピュータのメーカーとして、4人の若手技術者によって創設され、偶然、通信産業に迷い込んできたROLMのようなまったくの新規参入者が、PBX分野でAT&Tの競争相手となり、今日、AT&Tはその技術的な優位にもかかわらず、3分の1のシェアを持つに過ぎないのです。
(4)仕事の仕方が急速にかわるときにも、産業構造の変化が起こっている
30年前アメリカでは、圧倒的に多くの医師が自ら医院を開業していたのですが、1980年には、その割合が60%に落ち、今日では、医師の40%(特に若手の医師の場合には、75%)が、共同経営の医院やヘルス・メンテナンス・オーガニゼーション(HMO)や病院で働いていて、早くも、1970年頃、この傾向に気づいた何人かの人たちが、そこにイノベーションの機会があるはずだと考え、共同で働く医師のための事務所の設計、マネッジメント、さらには経営管理者の訓練を行なう会社が設立され、今日の日本でも、勤務医と開業医の違いは、勤務医の場合、基本的に給与所得者(サラリーマン)であるため、多くの医療機関において定年が存在し、一般的に定年後も医業を継続したいと思う医師がほとんどであるため、特に大学教授等で定年後の再就職先が安定しているような場合を除いて、40~50歳代頃までに個人事業主たる「開業医」へと転向する傾向にあるのです。
近年、新卒医師の傾向において、皮膚科・眼科など主に外来診療を基本業務とし、開業しやすい診療科への希望が多くなり、外科・脳神経外科等の診療科への希望が少なくなってきている傾向にあり、都心・大都市圏においては、開業医が乱立してきており、特に歯科においてはコンビニエンスストアの出店数より多いとされる中で、患者数の確保は厳しい競争となってきています。
以前は地方・過疎地においては比較的開業医の数は少ないとされていましたが、それでも新規開業の際には各地域の医師会(主な構成員は各地域の開業医)が懸念してくる場合も少なくはなく、また、給与所得者である勤務医は仕事量に関わらず収入はほぼ固定であるが、個人事業主たる開業医は診療実績がそのまま収益となるため「利益追求型の診療」と取られ得るような診療が行われている場合もあり、危惧されていて、近年、医療技術の進歩に伴い、各種医療機器無しには標準的な診療が困難でもあるため、高額な設備投資が要求されてくるので、個人開業は難しくなっているのです。
画像は、昨日の東京支店でのうどん学校実技最終日の、私自身の新しい作品です。
フルーツのぶっかけうどんにチャレンジしました。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。