うどん学校・ラーメン学校・そば学校・パスタ学校で開業&成果アップ|「イノベーションと起業家精神(最終)」「傲慢への挑戦、単純なものが成功する」

うどん学校実技最終日の、生徒さんの作品

本日のテーマは「経営は不可能を可能にする責任」です。

昨日から、東京うどん学校とラーメン学校の経営講義が始まり、今回は取材が2社入っているので、カメラとビデオカメラも入り、賑やかなスタートでした。

既に会社経営で頑張っている若い経営者ほか、実務で経営に携わっている方から、活発な質問が多く出て、経営講義が盛り上がりました。

経営は経験なので、実際に経営をしている立場でいるのと、単に支持されて働いているのとでは、経営に対する理解度がまるで違うのです。

さらに経営は、責任の重さを問われる仕事であるので、どれだけ大きな責任を与えられ、本人がそれを自覚しているかによって、経営能力の差が大きくなるのです。

マネッジメントレベルを上げようと思えば、責任の重さを理解することと、その重さに対して、いかに責任を果たそうと取り組むことであるのです。

もし、責任ある役職とか立場を与えられたとしても、その責任の重さを理解せず、責任を果たそうとしなかったら、何年経っても、マネッジメント能力は付かないのです。

従って、優秀な経営幹部になれるかどうか、独立しても経営していけるような経営者になれるかどうかは、経営幹部の責任感によるものなのです。

従って、経営の本質は責任そのモノであり、感じる責任感と責任を果たそうとするスピリットそのそのモノなのです。

当社の主催している麺学校は、麺打ち職人ではなく、麺専門店の経営者を育成する学校なので、授業の端々に経営者としての責任、自覚を促すような内容が多く、今まで長く、単なる組織の一員として、上司から言われるままに働いてきた人たちにとっては、私の授業は非常に違和感があるのです。

単なる組織の一員として、責任の重さを追求されないで、過ごしてきた人たちにとっては、異次元の世界なのです。

1軒のうどん店、蕎麦店、ラーメン店を経営するということは、規模は小さくても、店主には経営者としての責任が問われるので、サラリーマン時代の延長線上の自覚ではやっていけないわけであり、責任の重さを自覚しなければ、とてもやっていけないのです。

今まで、そのような責任の重さを経験していない、サラリーマンから独立して事業を営む人たちの多くが、1年未満とか、3年未満の途中でギブアップしてしまうのは、ほとんどが責任の重さを理解、体験していないためです。

だから、当社の麺学校では、マネッジメントの中でも特に大切な責任の重さについて重点を置いているのです。

従って、私はビジネスの成功として、次のような方程式を作り、責任を一番先に置いているのです。

『ビジネスの成功=責任×夢×情熱×意志力×集中力×経験×直観力×忍耐力』。

当社の社内でも、成果を挙げるスタッフとそうでないスタッフの差は、責任の重さを自覚している人で、それが足りないスタッフほど、成果が上がっていないのです。

だから、どんな組織であっても、常にスタッフの責任について、自覚を促し、責任感の強いスタッフを育てることが出来るほど、成果の上がる組織になるのです。

このように麺学校の経営講義で生徒さんたちに教えることと、私が社内で実践していることは、非常に密接していて、麺学校で教えることがどれほど社内教育とか、会社の仕組みを良くするのに役立っているか分かりません。

同時に、会社経営を通じての多くの失敗と成功がどれほど、経営講義に反映されているか、分かりません。

私にとって、経営講義を毎月2回実施して、直に生徒さんに教えることは、自分自身の成長についてどれほど役立っているか、分からないのです。

私のように、根っからのエンジニアが経営講義のような、一番苦手であった領域に挑戦することは、まさに、安心領域をはるかに超えているのですが、果敢い挑戦することによって、新しい自分を作り出せているのです。

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ビジネスの奥義は、出来ないこと、やりたくないことであっても、必要なことには、果敢に挑戦しなければならず、不可能を超えたところに新しい未来が拓かれるのです。

経営には、不可能を可能にする責任感が常に問われているのです。

本年2月21日から始まった、173日間に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びを終え、最終のまとめに取り組んでいきます。

◆傲慢への挑戦

産業構造の変化を利用するイノベーションは、その産業が一つ、あるいは少数の生産者や供給者によって支配されているとき、効果が大きく、長い間成功をおさめ、挑戦を受けたことのない支配的な地位の生産者や供給者は、傲慢になりがちであり、新規参入者が現れても、取るに足らぬ存在、素人にすぎないと見て、その新規参入者のシェアが増大を続けても、対策を講じることができず、AT&Tにしても、長距離通話割引業者やPBXメーカーに対する対応を取りはじめたのは、それらか出現して10年後で、タイレノールやダトリールなどいわゆる「非ピリン系アスピリン」が現れたとき、アメリカのアスピリン・メーカーの対応も緩慢だった。

ここでもイノベーションを行なった者たちは、市場の急激な成長によって産業構造の変化が起ころうとしていることを知り、そこにイノベーションの機会を見出し、当時、アスピリンをつくっていた大製薬会社が「非ピリン系アスピリン」を開発できない理由はなく、すでにアスピリンの限界と危険は周知のことであり、それを指摘する文献もたくさん出ていたのにもかかわらず、5年から8年もの間、新規参入者は市場を独占することができたのです。

アメリカの郵便も、長い間、新規参入者に利益の大きな分野を奪われることに対し、抵抗できず、初めにユナイテッド・パーセル・サービスが利益の大きな小包に進出し、次いでエミリ・エアフライトとフェデラル・エキスプレスが、さらに利益の大きな速達や書留に進出し、郵便の地位を危うくしたものは、市場の急激な成長で、成長市場の軽視が、外部からのイノベーションを招き入れたのです。

産業構造の変化が起こっているとき、リーダー的な生産者や供給者は、必ずといってよいほど、市場のなかでも成長しつつある分野のほうを軽く見て、急速に陳腐化し、機能しなくなりつつある仕事の仕方にしがみづくのですが、それまで通用していた市場へのアプローチや組織や見方が正しいものでありつづけることはほとんどなく、イノベーションを起こした者は、気付かずに放っておかれ、昔からの企業は、古い市場において、古い方法で一応の満足すべき成果をあげていて、外部からの新しい挑戦に注意を払わず、大目に見るか、まったく無視するのです。

◆単純なものが成功する

産業構造の変化をとらえるイノベーションが成功するためには、1つだけ重要な条件があり、単純でなければならないということであり、複雑なものはうまくいかないのです。

ここに一つの例があり、ドラッカーの知るかぎり、最も賢明な企業戦略でありながら、惨敗した例で、1960年前後に起こった自動車市場のグローバル化の引き金を引いたのは、フォルクスワーゲンで、ビートル・モデルは、50年前のT型フォード以来、はじめてのグローバル車で、アメリカでも、ドイツと同じように、あらゆるところで見ることができ、タンザニアでも、ソロモン諸島と同じように人気があったのですが、フォルクスワーゲンは、賢明でありすぎたために、自らがもたらしたイノベーションの機会をものにすることができなかったのです。

世界市場に進出して10年後の1970年頃、ビートルはヨーロッパで飽きられはじめていたのですが、ドイツ本国に次ぐ大きな市場だったアメリカでは、まだかなりよく売れていて、3番目に大きな市場だったブラジルでは、さらに大きな成長の余地が残り、新しい戦略が必要だったので、フォルクスワーゲンは、ビートルの後継車の生産には、ドイツ工場をあてることにし、アメリカ市場での需要に対しては、ブラジル工場をあてることにし、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルは、成長を続けるブラジル自動車市場において、トップの地位を10年間は享受できるだけの生産能力の拡大を行ない、フォルクスワーゲンは、アメリカのユーザーにとって魅力の一つだった「ドイツの品質」を保証するため、エンジンやトランスミッションなどの重要な部品はドイツ工場で生産し、最終組み立てをアメリカ工場で行うことにしたのです。

これこそ世界各地の市場のニーズに応え、世界各地で部品を生産し、世界各地で組み立てを行うという世界初の真のグローバル戦略というべきものであり、もし実現すれば、正しい企業戦略、しかも革新的な戦略となっていたはずでしたが、この戦略は、主として「アメリカでの組み立ては、雇用の輸出であるから認められない」とするドイツの労働組合によってつぶされ、アメリカのディーラーも、重要な部品はドイツ製であるとしても、それ以外の部品がブラジル製の車には懐疑的であり、フォルクスワーゲンは、その賢い戦略を諦めざるをえなかったのです。

その結果、フォルクスワーゲンは、第2の市場たったアメリカを失い、そもそも、イランのシャーの失脚を契機とする第2次石油ショック後の小型車ブームのとき、アメリカの小型車市場を手に入れるはずだったのは、日本車ではなくフォルクスワーゲンだったのですが当時、フォルクスワーゲンには売るべき車がなく、しかもその数年後、ブラジルで深刻な不況により自動車の売り上げが落ちたとき、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルが苦境に陥り、増設した生産能力のための輸出先がなかったのです。

この頭のよい戦略が失敗し、フォルクスワーゲンの将来までおかしくすることになった具体的な原因は、ここでは二の次の問題ですが、フォルクスワーゲン物語の教訓は、産業構造の変化にもとづくイノベーションは、複雑すぎると失敗するということにあり、成功のチャンスは、単純で具体的なイノベーションにこそあるのです。

フォルクスワーゲンのビートルは、第2次世界大戦後、同じモデルで、世界中で良く売れたベストセラーであり、ロングセラーである、オートバイのカブのようなモデルで、主力モデルである「タイプ1」は、その耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から圧倒的な支持を得ることに成功し、「ビートル」の愛称で広く親しまれたこの古風な流線型車は、アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献したのです。

2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの1車種としては未曾有の量産記録となっていて、おそらく四輪自動車で、今後もこれを破る記録は現れないと言われているのですが、最初に本国のドイツで陰りが出て、次にアメリカ市場では思わぬライバルとなった日本車に負け、そのうち、世界中で生産、販売が徐々にストップしたのです。

1965年には、従来ダイムラー・ベンツ傘下にあり、今日のアウディAGの前身であるアウトウニオン社を生産体制強化のために買収したのですが、ビートルの余りに大きすぎた成功は、後継モデル開発の妨げともなり、「フォルクスワーゲンすなわちビートル」というイメージの強さ、空冷リア・エンジン方式というレイアウトが、1960年代に陳腐化したにも関わらず、根本的変更が遅れたことなどが災いし、新型車を世に問うても決定打を欠くという低迷期が、1960年代後半以降長く続いたのです。

フォルクスワーゲンは、傘下としたアウトウニオン(現アウディ)の前輪駆動技術をも応用して、1970年以降の新型車について前輪駆動化への動きを進め、1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバック車ゴルフを開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなり、ようやくビートルを代替できるモデルを得、以来、その延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、ヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立したのです。

1980年代以降は、それ以前の南米などへの工場展開のみならず、既存メーカーの買収をも進めるようになり、1984年には、上海汽車との提携で中国市場へ参入、また1991年にはチェコの老舗メーカーであるシュコダ、1996年にはかつてフィアット系だったスペインのセアトを傘下に入れ、東欧・南欧での拠点をも確保したのです。

以上のように、ビートルのもともとのデザインが、ヒットラーの国民車の発想がベースになっているので、コンパクトで、室内のスペース効率がよく、エンジンを始め、すべてのスペックのレベルが高かった、現代的な日本車に比べると、1~2世代前の車であったので、大市場であった、アメリカでも徐々に日本車に駆逐され、完全撤退をせざるを得なくなり、その後、アメリカ市場は、日本車の市場になってしまったのです。

その代わり上記のように、現在、世界最大の市場になっている中国への参入は、日本車よりも早い段階で参入し、外国車では、トップ・シェアを誇っているのです。

要するに、フォルクスワーゲンは、長くビートルが売れ続けていたので、新しい車の開発に遅れ、安心領域に止まっていたのですが、現在では、フオルクスワーゲンは世界市場において、トヨタとトップ争いをしており、車の魅力、高級車から普及車まで幅広く揃え、フルライン化が最も進んでいる自動車メーカーになり、進化の早い、競争の厳しい自動車市場において、こんなに成功する自動車メーカーになることは、ビートルが失速をした頃には、想像も出来ず、自動車としての本質的な魅力を高めながら、デザイン力を高めたフォルクスワーゲンの底力は、非常に強くなっていると言わざるを得ず、われわれは、フォルクスワーゲンから学べることはたくさんあるのですが、最近、起きたデイーゼルエンジンの排ガス偽証問題は、フォルクスワーゲンの屋台骨を揺るがすような世界的な大問題に発展しているのです。

フォルクスワーゲンに比べ、日本車は、北米市場で大勝利をしたので、中国市場への参入は遅れ、中国市場はこんなに早く現在のような状態になるのは、想定していなかったのと、共産党独裁政治なので、日本車メーカーは取り組みが難かしく、日本車の中でも中国市場でトップのシエアを占めているのは、日本国内では3位のニッサンで、ニッサンは北米市場では、トヨタ、ホンダより、はるかに劣っているので、中国市場に注力せざるを得なかったという事情があり、北米市場で成功した企業は、中国市場で出遅れ、反対に北米市場で上手くいかなかった企業は、中国市場に賭け、これはまさに、塞翁が馬と同じで、上手くいった後は躓き、躓いた後は上手くいくという人間社会の性なのです。

画像は、一昨日の東京支店でのうどん学校実技最終日の、生徒さんの作品で、シラスとイクラのぶっかけうどんです。

とても贅沢なうどんで、盛付の後の試食でも一番人気で、直ぐになくなりました。

今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。

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