先ずは、お知らせが2件です。
いよいよ本日10月26日(月)~28日(水)の3日間、ドリームスタジオ大阪で、40周年記念イベントがあり、各種セミナー、製麺講習が行なわれ、26日と28日は、まだ少し余裕があり、私も参加します。
(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-osaka/)
来週11月3日(火)~5日(木)の3日間、ドリームスタジオ名古屋で、40周年記念イベントがあり、各種セミナー、製麺講習等が行なわれ、今であれば、3日間とも余裕があり、私も参加します。
(https://www.yamatomfg.com/company/dream-studio/dream-studio-nagoya/)
本日のテーマは「ルールは自分で作る」です。
昨日も珍しく、特別なスケジュールの入っていない日曜日であったので、朝から瞑想、散歩、筋トレに時間をかけ、散歩もいつもの2倍の時間をかけ、3時間の散歩中は、最高の思考時間なのです。
過去には、散歩とか筋トレよりも思考の時間を優先していたのですが、散歩中は最高の思考の時間になるので、思考の時間を別に取らずに、散歩中に思考をすれば、時間のロスが防ぐことが出来るだけでなく、深い思考、破天荒な思考が出来るのです。
最近、散歩中に思考していて分かったのは、常に覇者は自分でビジネスのルールを変えてきている人たちであることが分かったのです。
当社も約20年前に使命を明確にし、年中無休の365日メンテナンスを始めたのですが、その頃はどこの製麺機メーカーとも365日メンテナンスは出来ていなかったのです。
当然、当社にとっても簡単ではなく、反対したものが数名退社するほど、たいへんなことであったのですが、やり切ったので今日があり、それまでの製麺機メーカーは、日曜日祭日にはメンテナンスしないのが当たり前であったのです。
ところが、当社は業界にとって当たり前を破壊し、製麺機は年中無休365日のメンテナンスを行なうのは当たり前になり、業界のルールを変えたのです。
しかし、このルールはなかなか難易度が高いので、他のメーカーはまだどこも追随出来ていないのです。
次に当社は、うどん学校、蕎麦学校、ラーメン学校とさまざまな麺学校を始め、製麺機メーカーは麺学校を運営するというルールを作ったのです。
これも難易度の高いルールで、ほとんどのメーカーは追随出来ていないのです。
このように、お客さまにとってはニーズであるが、ライバルが追随するのが難しいルールを作ると、競争しないで勝てるのです。
十数年前、「はなまる」日の出の勢いで店舗展開していたので、多くの外食業者、個人は「はなまる」のコピー店を作ったのですが、「丸亀製麺」は「はなまる」を真似ないで独自の新しいルールを作ったのです。
「丸亀製麺」は、店内で製麺機をデイスプレーし、小麦粉を練るところから始め、製麺作業を見せることによって、麺の美味しさを表現するという新しいルールを作り上げ、国内で800店近くまで展開出来、東証一部上場企業になることが出来たのです。
当初「丸亀製麺」のコピー店がたくさん出たのですが、コピーした店のレベルが低かったので、コピーした人たちは誰も成功していないのです。
こうしてみると、いかに人の作ったルールの上で競争することが、益のないことがよく分かり、ビジネスのルールは自分自身で作らないと意味がないのです。
従って、新しくうどん蕎麦店、ラーメン店を始めるのに、どこか繁盛店の真似をしたり、今まで通りの店を作ることは、他人の作ったルールに則って、ビジネスを行なうようなもので、常に競争になり、勝てないのです。
ファッションの世界を見ても、世界のファッションの覇者、H&M、ZARA、ユニクロとも、自分で独自性のあるビジネス・ルール作りに成功している会社ばかりで、それぞれ特徴のあるビジネス・ルールを作っているのです。
外食のジャンルを見ても、スターバックス、サブウエイ、スシロー等、覇者はみなルールを作ってきた連中ばかり、ルールはコンセプトとして、表現されているのです。
そして、自分で作ったルールがお客さまの価値感の変化、認識の変化に沿っていることが欠かせないのです。
本年2月21日から始まった、半年間以上に及ぶ、「イノベーションと起業家精神」の学びの最終のまとめに取り組んでいきます。
Iタイミングの問題
「機会への敏感さ」
経営管理者たちも、認識の変化によるイノベーションの可能性を認めるのですが、ややもすれば、それを非現実的なものとして軽視し、認識の変化を利用してイノベーションを行うことを非現実とするのですが、エンサイクロペディア・ブリタニカやサンダーバード、セレスティアル・シーズニングスには、非現実的な要素はなく、いかなる分野にせよ、イノベーションに成功する人たちは、そのイノベーションを行う場所に近いところにいて、彼らがほかの人たちと違うのは、イノベーションの機会に敏感なところだけであるのです。
今日、最も売れているグルメ専門誌の一つは、航空機の機内誌の食べ物欄を担当していた若者が創刊したものであり、彼は、ある日、新聞の日曜版で、3つの矛盾する記事を読み、認識の変化を知ったのです。
1つは、冷凍食品やケンタッキー・フライドチキンなど調理ずみ食品が食品消費量の2分の1を超え、数年後には4分の3に達するという記事で、もう1つはテレビのグルメ番組の視聴率が高くなっているという記事、3つ目が、グルメ料理の普及版の本が、ベストセラーになったという記事で、これらの明らかに矛盾する記事から、彼は「何か起こっているか」を考え、1年後、グルメ専門誌を創刊したのです。
シティバンクは、採用担当者から、金融とマーケティングで、成績のよい男子学生を採用せよという指示に、応えられないという報告を受けたとき、女性の社会進出が、大きな機会をもたらしていることに気づき、採用担当者からの報告によれば、それらの分野で最も成績のよい学生は、女性ばかりだったのですが、銀行を含め、ほかの企業の採用担当者も同じ報告をしていたのですが、マネジメントの反応は、「最高の男子学生を採用すべく、さらに努力せよ」というものだったのですが、シティバンクではトップ・マネジメントが、この変化をイノベーションの機会としてとらえたのです。
これらの例は、認識の変化にもとづくイノベーションには、タイミングの問題が決定的に重要だということを示している。
もしフォードが、エドセルの大失敗の後、1年でも行動を遅らせていたならば、新しく出現したライフスタイルによる市場を、GMのポンティアックに奪われていたかもしれず、もしシティバンクが、女性のMBAを採用する最初の企業になっていなかったならば、企業におけるキャリアを求める優秀で意欲的な若い女性たちに、最も人気のある企業にはなれなかったかもしれないのです。
最近、日本において、私が気付く認識の変化は次の通りです。
1.高齢者の高齢者意識が薄くなっていて、高齢者が非常に元気であり、昔であれば、60歳はお爺さん、お婆さんであったのです。
2.男女とも、結婚年齢が遅くなっていて、私が若いころは、女性は25歳が遅いくらいであったのが、今では30歳が平均になり、それに伴い、男性の結婚年齢も上昇しているのです。
3.男女とも、生涯未婚率が高くなり、男性は20%を超え、女性は12%程度で、ますますこの数字は増加しているのです。
4.世界的に離婚率が高くなっていて、アメリカは50%、日本は30%程度に上昇しているのです。
5.新聞、テレビ離れを起こし、情報の収集はインターネットになったのです。
6.女性が働くのが当たり前になり、働いていない女性が当たり前でなくなっているのです。
7.子どもの数が減少し、結婚した男女が子供を持つ数が減少しているのです。
8.贅沢品がなくなり、誰でも何でも買えるようになり、われわれが現在送っている生活は江戸時代の殿さまより、贅沢な生活なのです。
9.家での食事が少なくなり、家庭の主婦が料理をしなくなったのです。
10.男尊女卑ではなく、むしろ反対になってきたのです。
11.八百屋、魚屋、酒屋等の近隣の単一販売の店舗がなくなり、コンビニとか、量販店が中心になってきました。
12.昔、夜は、家に早く帰ってテレビを見るのが平均的な生活であったのですが、最近では、24時間営業の店が多くなり、時間の消費が画一的でなくなったのです。
13.何でもインターネットで済むようになり、会話、買物、用事等、あらゆることがインターネットを通じて行えるようになったのです。
14.昔、外食は贅沢でしたが、今では外食が当たり前になり、贅沢でもなく、日常食になっていて、むしろ、家庭での団欒の方が贅沢になっているのです。
15.昔は大家族で、年老いた両親の面倒は家庭内で看ていたのですが、今は家族の単位が小さくなり、両親の最期は施設になっているのです。
以上は、思いつくままに挙げてみた認識の変化ですが、われわれはこのような認識の変化に気づくことが大切であり、常に認識の変化を気付く習慣をつけておくことにより、それを機会として、イノベーションを起こすことが出来るのです。
「◆小さく着手せよ」
とはいえ、認識の変化をイノベーションの機会に利用しようとして、急ぎすぎることには危険が伴い、そもそも認識の変化と見えるものの多くは、一時的な流行にすぎなく、1年か2年のうちには消えてしまい、一時的な流行と本当の変化は、一見して明らかというものではなく、子供たちのコンピュータ・ゲームは、一時的な流行にすぎないかもしれなく、アタリをはじめとするゲーム会社の多くは、それを認識の変化と見て、大きな痛手を受けたのですが、彼らの父親たちがパソコンを使いはじめたことは、本当の変化だったのです。
そのうえ、認識の変化が、いかなる結果をもたらすかを知ることは、ほとんど不可能であり、そのよい例が、フランス、日本、西ドイツ、アメリカなどの学生運動であり、1960年代の末には誰もが、学生運動が社会に対し恒久的かつ重大な影響を与えると見たのですが、今となってみれば、あの学生運動は何だったのか、大学について見るならば、学生運動は、永続的な影響は何ら与えず、あの学生運動の頃、1968年卒の反抗的な学生たちがやがて15年後には、ヤッピーになるなど、誰が予測できたのでしょうか、1984年の大統領予備選において、ハート上院議員が支持を訴えたヤッピー、上昇志向の超現実主義者、仕事中心の出世主義者になるなどと誰が予測できたのでしょうか。
いずれにせよ、これらのことは、1968年当時、学者や評論家、さらには彼ら学生たち自身にも予想できることではなく、今日、ドロップアウトは増えるどころか減っていて、最近の同性愛者に対する注目は、あの学生運動と関係があるのか不明なのです。
認識の変化をイノベーションの機会としてとらえるうえで、模倣は役に立たず、自らが最初に手をつけなければならないのですが、認識の変化が一時的なものか、永続的なものかはなかなか見極めがつかないので、認識の変化にもとづくイノベーションは、小規模に、かつ具体的に着手しなければならないのです。
認識の変化は、気を付けていると、われわれの周りのあらゆるところで起きているのですが、大切なことはその変化が一時的な流行か、大きな流れのトレンドかを見極めなければいけないのですが、これを見極めることは非常に難しいので、大きな失敗を避けるために、ドラッカーは小さく試すことを勧めているのです。
こうしてみると、われわれの周りには、常に認識の変化、即ち、イノベーションのチャンスが存在し、耳を澄ませ、目を大きく開いて、常に認識の変化を見落さないようにすることが重要なのです。
今朝の坂出は朝の気温が10度Cを割り、9度で肌寒いくらいで、冬の到来を感じさせるような朝でした。
散歩道である自宅近くのグリーンベルトの端に植えられている木が、27年間で大木になっていたのですが、最近、防犯のためか、うっそうと茂っていた木の上部の幹と枝がきれいに伐採され、芽が出ないで枯れてしまうのではと心配していたのですが、ほとんどの木から新芽が吹きだしているのです。
今日も最高のパワーで、スーパー・ポジテイブなロッキーです。